十二月五日、朝七時に起きた。
別にいつもと同じ時間に起きたのだし、いつも通りに朝食を食べた。
なぜこんないつもの朝の様子を作文にしたかというと、今日は、社会科見学だからだ。しかも、今日は、バスに乗って行くのではない。両毛号という急行電車で、大都会の東京に行くのだ。そして、国会議事堂から両国までの電車を、自分たちで調べて、自分たちで料金を払って、自分たちで乗って行くという、「試練」ともいうべきことがあるのだ。準備は全てしてある。後は、お母さんが作った弁当を、カバンにつめて、館林駅に行くだけだ。大丈夫。しおりと筆箱、それに財布と時刻をピッタリ合わせた時計、そしてこの日のために取り寄せた、「あれ」も持った。忘れ物はない。と、自分に言い聞かせても、ついカバンの中身を確かめてしまうのだった。
さて、朝食も食べて、顔も洗って、さあ行くぞと思ったが、まだだった。七時五十分集合で、車なら、十分もあれば行ける。出発時刻まで十分は、あった。お母さんはまだ、後片付けをしている。
実は、今日偶然にも、お父さんが東京へ出張で、しかも乗っていく電車が同じ両毛六号だったのだ。という事で、お父さんも一緒に館林駅に送ってもらうのだった。
そして、お母さんの後片付けが終わり、お父さんも準備が整った。車に乗って、館林駅に行こうとして、藤岡県道に出ようとした時だった。僕は思わず
「あ、名札忘れた。」
と叫んでしまった。大急ぎで家に取りに戻って、今度はもっとスピードを出して走った。
急いでいる時に限って、何度も信号に引っかかってしまう。しかも、ぐるっと回って五号道路をつっきろうとすると、なんと渋滞だった。イライラしていると、ついに七時五十分になってしまった。もうしかたないと、スピードを落として走った。
結局、駅に着いたのは七時五十六分頃で、行ってみると、みんな並んでいて、じっとこちらをにらんでいる。近くに来ると、
「遅い。」
と、口々に言ってくる。そして、
「Coya、何時だと思ってる。」
と、先生に怒鳴られて、怒られっぱなしの一日が始まった。
何とか改札を通って、ホームで電車を待っていると、とても寒くて、白い息が出てきた。遅刻をした割には、電車はなかなか来ない。やっと電車が来て乗ろうとすると
「一般のお客さんから。」
と、また怒られた。
電車の中に入って、席にすわっていた。すると、一組の人が、
「そこは五十番じゃないの。」
と、言ってきた。確かに、席番号は四十八番で、僕の席番号の十六番とは、かなりちがっていた。十六番の席は後ろの方と気付いて、後ろに行こうとすると、前に行こうとする一組の人と、後ろの席に行こうとする二組の人で押し合いになって、いっこうに進まない。もみくちゃになっていると、
「何やってるの。二組の人は近くの席に入って、一組から行きなさい。」
と、また怒られた。
ようやく席にすわれた。乗る時に、自分の番号に一を足せと聞いていたので、十七番にすわっていた。でも、そうすると何か順番がおかしい。数人の人が席にすわれずにウロウロしてると、
「何やってるの。一足してすわるのは女子だけ。」
と、また怒られた。
席にすわって何分かは静かだったが、しだいにおしゃべりが増えていく。そのたびに、先生に怒鳴られ、おしゃべりはやむ。でも、数秒たつと、またおしゃべりが始まる。僕は、つかれるので眠っていようと、窓辺に寄りかかっていると、前の席の○○君と○○君が、
「席を回して、向かい合おうよ。」
と、言ってきた。何か、やな予感がしたが、席を回して向かい合った。
向かい合ったと同時に、おしゃべりが始まった。僕にも被害がかかる。あまりにもイライラしたので、ちょっかいを出して来た○○君が、持っていたシャープペンシルのしんを折った。
そうこうしているうちに、急行は、北千住駅についた。ここからは、地下鉄に乗りかえるのだ。駅の階段を下りたり、ホームを歩いたりして、やっと乗れた。
地下鉄の中は、満員でぎゅうぎゅうおされて今にも転びそう。でも、右に押されると右から押され返される。必死に吊りかわにしがみついてると、何とか国会議事堂前に到着し。電車から降りた。
電車から降りて、外に出てみると、雲一つない日本晴れだった。東京は暖かい。それが、大都会の印象だった。
国会議事堂までの道は、田舎者まる出しで、きょろきょろしながら歩いていた。
さて、大きな門をくぐると、たくさんの小学生が集まっていた。みんな、社会科見学に来たのだろうか。そんなことを考えていると列が進んだ。
建物の間をぬけて、中庭に出てみると、そこは、とてもモダンなふん水があった。
建物の中に入ると、何と、つつぬけで上が見えるくらい長く高い階段があった。そこを昇ると、天皇が休む部屋や、○○党と書かれた部屋などを見て回った。
そして、僕が密かに楽しみにしていた、赤いじゅうたんをふめる廊下を歩けた。ふと見ると、通りぬけの出来ない廊下があった。そこは、天皇しか入れない所らしい。急にいたずら心がくすぐられて、中をのぞこうとしたが、警備員の人が恐そうなので、やめた。
赤いじゅうたんの上を歩いていると、じゅうたんの上に白い雲のような渦が浮いていた。僕は、感動した。いつかTVで見たあの雲にそっくりだ。何でもその雲は、高級なじゅうたんにだけ浮くもので、この赤じゅうたんが高級な証拠なのだ。
と、そんなどうでもいいような事に感動していると、もう議事堂を出ていた。ここには、全国四十七都道府県の木が植えてあるらしい。
群馬県の木はないかと、探したが、どうやら、沖縄県から北上して植えてあるらしい。
沖縄県から福岡県の木、高知県から京都府と、だんだん北上していく。そして、静岡県新潟県と近づいて来た。そして、ついに、群馬県の木の前に来た。クロマツだった。普通だった。
国会議事堂を見学した後は、憲政記念館を見学する事になってる。そこは、国会のあらましや、国会で活躍した人の歴史などがあった。僕は、吉田茂のところを見た。この人は、戦後の日本の進むべき道を決めた人だと言う。本人には大変失礼だが、僕の知っているかぎりだと、吉田茂は「バカヤロー」と言って国会をやめた人だ。
順路をメチャクチャに回っていると、お昼の時間になった。僕たちも、お昼ご飯を食べる場所を探す事になった。僕は、ベンチに座って食べようとしたが、みんなは「地べたの方がいい」と言う。地べたで食べられる所を探したが、なかなか見つからない。すると、○○君が庭から外れた所へ歩いて行った。そこが、今日、一番の大目玉を食らう場所とも知らずに。
〇〇君は、どんどん奥へ進む。人気はまったくない。僕たちは、だまってついていくが、こんな所で食べられるのかと、僕は思った。辺りは、芝とは言えない雑草や、ドロの汚ればっかりだった。そんな事を考えていると、
「いい場所あったよ。」
と言う声がした。みんなは、一目散にそこへ行く。僕も、行ってみた。
そこは、かき根をこえた所にあった。下には、道路が見えるし、土も湿っていて、汚い。こんな所で本当に食べるのかと、思っていると
「い~ね~。ここ」
と、○○君が言って来た。その一言で、みんな座って、お昼ご飯を食べ始めてしまった。
僕は、まだ納得がいかない。こんな車が見えて、いかにも人の手がつけられていない様な場所で、ご飯を食べるなんて、一体何を考えているのだろうと思った。しかも、作業服を着たおじさん達が、こちらの方にやって来る。どうやら、芝刈りが行われる様だ。
ふと、作業員のおばちゃんが、僕たちの所へやって来て
「あら。何やってるの。こんな所で。あぶないじゃないの。誰、君たちは。何小の子供なの。まったく。」
と、こっぴどく怒られた。みんなは、くもの子を散らしたように、逃げ出した。僕も逃げた。
逃げて、逃げて、たどりついた所に、ちょうどベンチがあった。結局、時間がないので。そこで食べる事にした。しかし…。
僕たちが、弁当を食べていると、あのおばちゃんがやって来た
「これ誰の。」
見ると、弁当包みを持っていた。それは、○○君のだった。僕たちは、また、怒られたのだった。
さらに、近くにいた、別の小学校の先生に、
「ちょっと。この子たち、お宅の学校ですか。この子たち、道路の近くの土手で食べてたんですよ。あぶないじゃないですか。」
と、言って来た。先生は
「ちがいますよ。何、君たち、どこの小学校だ。千葉か。」
と言って来た。僕は
「いいえ、群馬の館林です。」
と、言ったが、聞こえなかった。
そのおばちゃんは、それっきり、どこかへ行ったが、僕たちは、何とも言えない重い気分で、お昼ご飯を食べていた。何を食べても、おいしく感じられない。何となく、はきそうだ。デザートのりんごは、とても食べられない。
お昼ご飯を食べ終わり、集合場所の近くで、ぶらぶらしているうちに今までの重い気分は、消えた。そして、午後は、がんばろうと、思った。
午後は、いよいよ、自分たちで地下鉄に乗って行く、「試練」がある。だが、国会議事堂前に行く時、惨劇は起きた。
僕が道を歩いていると、先生の声がした
「何~。誰が道路の近くの土手で弁当食べたんだ。」
と、言って来た。僕は、何気なく答えてしまった。
「はい。僕たちです。」
すると、先生の声は、怒っていた。
「何ですって。いったい誰。」
「三班の人全員です。」
「何だと。まったくバカ。アホ。なんで、かき根をこえて食べるの。まったく。あんた達が、他人に怒られた記念すべき第一号だよ。もう。」
と、おもいっきり怒られた。これが、この日の一番怒られた事だ。
僕たちは、今までのヤル気が全部なくなってしまった。地下鉄のホームに入ると、さらに、
「最初は、千葉の学校の子だと聞いてたのに。フタをあけてみれば、四小の子だ。まったく、何考えてる。」
と、とどめのパンチを食らった。
「試練」は、意外に簡単だった。だが、乗りかえが問題だった。
班長は、右の方へ行く。だが、そっちは、千葉方面の電車がある。僕たちは、左へ行くと、班長は、ちゃっかり、こっちに来る。
何とか、ホームに来たが、ホームは、四つある。僕は「あれ」を出した。「あれ」は、御茶ノ水駅周辺の地図だ。それによると、両国は、三番ホームだ。三番ホームの電車はまだ来てない。と、思っていると、いきなり班長が、四番ホームの電車に乗ろうとしている。四番ホームは、東京方面の電車だ。
だが、僕は、だまってついて行くしかない。班長には従うしかない。班長がまちがいに自分から気付くまで、だまっているのだ。
だが、班長は、自分のまちがいに気付かず、四番ホームの電車に乗ろうとしている。すると、先生が注意した。それで、班長は、改めて三番ホームの電車に乗った。
電車に乗ったとたん、班長がこけた。僕は、それを見ていなかったのだが、みんなの笑いで、つられて笑ってしまった。
そして、何とか両国駅に来た。西口を下車して、階段を上がってみると、そこは、とてもとても広いホールの様な場所だった。
僕たちの前には二つのグループ、そのあとにも数グループがやって来たが、一グループが来てないらしい。話によると、そのグループは両国駅の手前の浅草の駅で降りてそこから走って来るらしい。そのグループを待っていられないので、おいてく事にした。
受付を済ませて、長いエスカレーターに乗って、上に上がった。はるか下を見ると、遅いグループがうろうろしていた。こちらにはまるで気付いていない。だんだんと、彼等の姿は小さくなり、そして見えなくなってしまった。
遅れているグループは、先生が呼びに行ったらしい。その間、僕たちは、グループごとに中を見学する事になった。僕たちのグループは、「江戸のくらし」と「江戸の商業」と「江戸の文化」だった。
見てみると、とてもつまらなかった。「江戸のくらし」は、江戸時代の農民の家で、子供が生まれた場面を再現していた。こんな事は、場所が産婦人科になっただけで、今も変わっていないからだ。
「江戸の文化」は、歌舞伎の舞台に、石川五右衛門がいた。と言っても石川五右衛門の歌舞伎を上演していただけだった。
最後の「江戸の商業」も、つまらなかった。いや、むしろ詐欺に近かった。
商業と言うからには、蔵とかお店とかがあるのではないか、いや、蔵やしきは大阪か、などと考えていたのだが、何とそこにあったものは、商船の模型だった。これは、僕の期待を裏切るほどにつまらなかった。
こんな所にはいられないと、お土産コーナーに行ってみると、ほとんどの人がそこにいいた。
お土産コーナーでは、みんなお土産を買ったり、証明写真(と呼んでいるのは、僕だけで、世間ではプリント倶楽部と言う)を撮ったりしている。僕は、ベンチにこしをかけて座っていた。
お土産を買ったら、今度は総武線を使って浅草橋へ行き、そこから都営浅草線で浅草駅へ行く事になった。
浅草橋で切符を買う時、僕はお金を間違えて多くお金を払ってしまった。僕は、駅の人に頼んで、お金を戻してもらった。すると、みんな口々に、
「セコイ。」
と、言う。僕は、
「何がセコイだ。」
(以下、未完)