彫塑:Sculpture

彫塑について

木や大理石などの塊を削っていき、ある地点に到達した際のフォルムを完成作品とする彫刻(Curving)と、粘土などの塊を次々と加えていき、ある地点に到達した際のフォルムを完成作品とする塑造(Modeling)の二つを合わせて彫塑(Sculpture)と呼びます。明治時代に西洋からこの表現手法の概念が流入した際に、朝倉文夫の師である大村西崖が提唱しました(朝倉彫塑館ウェブサイト「彫塑について」より)。現在では、塑造を含むものも広く彫刻と呼ぶのが一般的ですが、より適切に言い表すことができるため、このカテゴリーに彫塑という用語を用いています。

立体物の造形表現はとても苦手で、学校の授業で制作したものしかありません。破損しやすいという保存上の問題もありなかなか作ることないのですが、今後は機会があれば挑戦してみたいです。

scl001《赤鬼のお面》1993年、紙粘土・水彩、23.5×17.5×5.0cm

冷凍食品のグラタンかなにかの容器を型にして、紙粘土で肉付けしたもの。被れるようにゴム紐も付いているのですが、重くて実際には着用出来ません。

scl002《立像》1994年、紙粘土、25.0×15.5×4.0cm

バランスが悪くて自立しません。

学校の図工の授業で制作したのですが、新聞紙で芯を作る段階で先生のチェックを通過出来ず、紙粘土の肉付けになかなか進めませんでした。「てるてる坊主を作ったことある?」という先生の質問に、「これはてるてる坊主じゃありません」などと口答えをしてキレさせ、もう知らない、後は勝手にしろと見捨てられたのをよく覚えています。

scl003《空想上の動物》1994年、紙粘土・水彩、26.5×27.0×6.0cm

保存状態が悪く、脚の部分が断裂しているため、自立しません。

キリンなど複数の動物のパーツを組み合わせた、なんとも気味の悪いキメラとなってしまいました。色彩は他の彫塑作品と異なり、かなり明るく鮮やかになっているため、造形のマイナス要素が大きいのが悔やまれます。

scl004《お面》1995年、紙粘土・水彩、31.5×24.0×5.5cm

型に紙粘土を肉付けし、彩色を施したもの。鼻の部分が折れて欠けてしまっています。

他の児童が赤やピンクなどの原色で派手にデコレーションする中、ずいぶんと渋い色合いになっています。今ではくすみカラーとでもいうのでしょうが、当時は変な色とバカにされました。

scl005《恐竜》1995年、紙粘土・ビーズ・水彩、15.5×24.5×9.0cm

新聞紙と針金で芯を作り、紙粘土で肉付けしたもの。目の部分は仏像の玉眼のように、ビーズを使用しています。

首をねじっているポーズが面白い形だと自分では思っているのですが、これも先生のチェックをなかなか通過出来ず、最後は見放されながらやっつけで仕上げました。

scl006《サッカーをする友達》1997年、紙粘土・水彩、28.0×22.5×12.0cm

小学校6年生の時、出張授業に来た市内に住む彫刻家の先生の指導を受けて制作したもの。実際に粘土で造形する前に、デッサンで構想を思案するという、今では至極当たり前のことを、この時初めて学びました。片手間で教えてる学校の先生とは異なり、さすが本物だなと感動しました。その時のデッサンは残念ながら現存しないのですが、かなりよく描けた記憶があります。惜しむらくは、それが塑造に全く活かされていないということですが。

scl007《ブルースハープの木箱》2000年、木、5.7×17.5×9.2cm

当時練習していたブルースハープ(10穴のハーモニカ)をモティーフにしたもの。細長い形が共通していて、原型となる木箱を見た瞬間にこれだとひらめき、制作しました。

この作品制作の2年前に訪れた金沢の兼六園で、虹橋と徽軫灯籠がそれぞれ琴と琴柱に見立てているということを知り衝撃を受け、そこからインスパイアされました。それが造形的な比喩であるということを学んだのは、ずいぶん後になります。