水彩・素描:Watercolour, Gouache & Drawing

水彩・素描について

はしがき

油絵を始めるまで、鉛筆やクレヨン、水彩絵の具が絵画の主な表現手法でした。小さい頃から絵を描くことが好きで、幼稚園時代から数多くの水彩・素描作品を制作しています。小学1年生の時には市の美術コンクールで入選し、2年生の頃からは学校の授業以外にも家で自主的に絵を描いていました。しかし4年生の時に自分の指導方法や価値観が絶対という先生から絵を否定され、「図工では発想や仕上げる過程での創意工夫が不十分、自分の考えを生かして描いたり作ったりすることができない」と通知表で最低の成績をつけられました。この頃は一時的に絵を描くことが嫌い、というより怖くなってしまいましたが、6年生になると再び家で自主的に制作をするようになります。

かつての自室の様子 2009年1月撮影

中学生の時には自室をアトリエなどと呼び、壁一面に作品を飾っていっぱしの藝術家(当時は頑なにこの表記)を気取っていました。今考えると、脆弱な水彩作品を直射日光に晒して褪色させるとんでもなく愚かな行為です。

絵を描いて 自分の感情を表現する
そして感情の放熱に使用した
筆やパレットは水で洗うこと
そしてその水気をタオルなどで拭かずに
アトリエで自然乾燥させること
二度と同じもののない感情を絵の具で表現する
その表現で余った絵の具を洗わなければ
表現されずに残ってしまったやり場のない感情が暴走してしまう
きれいに水で流さなければ
そして水で洗ったら今度はアトリエで自然乾燥させる
感情を放熱させて部屋中に漂わせることで
このアトリエに新たな感情が創作意欲が
生まれてくるのだ
今日 絵を描いた僕は感情を放熱させて
次の感情を待っている

「感情の放熱」『第1冊ノート・紙片』より

絵画制作の原点ともいうべき水彩・素描ですが、その利点はなにより手軽さにあるように思われます。タブロー画のように、何回も色を塗り重ねて構築していくものとは異なり、一本の描線、一塗りで完成できるため、自分の心情や身体の動きを直接絵として反映させることができます。

水彩について

水彩は、絵の具の塗りによって2種類のものがあります。それが透明水彩か、不透明水彩かということです。どちらも基本的な作り方は変わりませんが、透明水彩は透明度を上げるために、顔料を少なくしてアラビアゴムの量を多くし、不透明水彩は不透明にするために、顔料比率を高めてアラビアゴムを少なく配分して作られます。この顔料の比率の違いにより、絵の具の塗り、すなわち表現が変わってきます。

透明水彩は、色を重ねて塗ると、下の色が透けます。にじみやぼかしといった手法を活かすことができ、緻密で繊細な表現に向いています。日本では、いわさきちひろの作品が有名なためか、水彩画というとこちらの作風をイメージする方が多いのではないでしょうか。

画像引用 https://www.holbein.co.jp/blog/art/a515(以下5点も同様)

これに対して不透明水彩は、色を重ねて塗ると、下の色が隠れます。にじみやぼかしは少なく、均一でマットな塗りの手法による、重厚で力強い表現に向いています。

英語では、透明水彩絵の具のことをWater Colour、不透明水彩絵の具のことをGouacheと呼び、特に不透明水彩絵の具はこの「グアッシュ」という名前が日本でも広く定着しています。

では、中学生の時に美術の授業で使っていたポスターカラーは、どちらに分類されるのでしょうか。結論から言うと、不透明水彩絵の具になります。ただし、グアッシュよりも安価な顔料や固着材を使用することで、低価格となっています。学生の美術教育や大量使用が必要なポスター、アニメーション制作などに適しています。しかし、安価な材料を使用しているため、耐久性は低く、永続的に保存したい1点ものの美術作品の制作には向いていません。自分の作品を後世に残したいと思うのであれば、使わない方がよいでしょう。

もう一つの疑問は、小学生の図工の授業で使っていた「ぺんてるエフ」や「サクラマット」などの水彩絵の具は、透明と不透明のどちらに分類されるのかということです。こちらも結論から言うと、どちらにも当てはまるということになります。水の量を調整することによって、透明水彩のようなにじみやぼかしを活かした表現も、不透明水彩のような厚塗りの表現も、どちらも可能になっているのが、これらの水彩絵の具の特徴です。初等教育において、いわばオールインワンの水彩絵の具を使用することで、幅広い表現を身に付けられるようになっているわけです。

この項の執筆には、株式会社ホルベインのページ「透明水彩と不透明水彩〈ガッシュ〉の違いと使い方」を参考にしました。

クレヨンについて

また、素描で使うクレヨンについても、用途によって2種類あります。それがクレパスとクレヨンです。

ここでまず述べておかなければならないのは、実は「クレパス」という名称は株式会社サクレクレパスの登録商標で、一般的には「オイルパステル」と呼ぶことです。例えば、ぺんてる株式会社では「ぺんてるパステル」や「ぺんてるパッセル」という名前でオイルパステルを販売しています。

フォークグループ・かぐや姫の名曲『神田川』の歌詞にも登場するクレパスですが、企業の商品名のため紅白歌合戦で歌う際にNHKから「クレヨン」へ変更するよう要請され、南こうせつは出場を辞退したという逸話があります。ここでは誤解を避け明確となるよう、冗長ですが「クレパス(=オイルパステル)」と表記することにします。

さて、クレパス(=オイルパステル)とクレヨンの違いについてですが、得意とする表現が異なってきます。どちらもほぼ同じ原材料が使われていますが、クレパス(=オイルパステル)は柔らかめに、クレヨンは硬めにつくられているため、クレパス(=オイルパステル)は面塗りに、クレヨンは線描に適しています。

画像引用 https://www.craypas.co.jp/press/feature/009/sa_pre_0094.html
画像引用 https://www.pentel.co.jp/support/artmaterials/267/
画像引用 左に同じ 
画像引用 https://www.craypas.co.jp/press/feature/009/sa_pre_0094.html
画像引用 上に同じ

見分け方として、クレパス(=オイルパステル)は広い面積を塗れるように太い円柱状をしていますが、クレヨンは線描しやすいように先が尖っています。持ち方も、クレパス(=オイルパステル)はチョークと同様軸全体を包むようにして先の方を持ち、クレヨンは鉛筆やペンと同様の持ち方をします。

画像引用 https://www.craypas.co.jp/press/feature/009/sa_pre_0015.html

英語でお絵描きを表わす動詞として、筆で広い部分を面塗りするという意味のpaintと、鉛筆やペンなどで線描するという意味のdrawの二つがありますが、まさにクレパス(=オイルパステル)はpaintするもの、クレヨンはdrawするものということになります。

また、クレパス(=オイルパステル)は柔らかいため、混色や重ね塗りが簡単できれいにできるという特徴もあります。指の腹やティッシュ、綿棒などでこすって伸ばすときれいなぼかしがつくれます。

画像引用 https://www.craypas.co.jp/press/feature/009/sa_pre_0094.html
画像引用 上に同じ

「パステル」というと、ドガの作品のように淡く繊細なものを連想するかと思いますが、そのイメージは顔料の混色や重ね塗り、ぼかしによる表現からくる効果が大きいでしょう。オイルパステルはこのパステルの持つイメージを表現することができる画材なのです。

そもそも、クレパス(=オイルパステル)が誕生したのは、クレヨンとパステルの長所を合わせたより扱いやすい描画材を開発しようとしたことがきっかけでした。パステルは幅広い表現が可能ですが、そのままでは画面上に顔料の粉が擦り付けられているだけの状態で、定着させるためにはフィキサチーフという定着液を吹き付ける後処理が必要となってきます。パステルを使うには高度で専門的な技術が必要で、とても手間がかかるものなのです。クレヨンのように手軽で、なおかつパステルのような表現ができる描画材が求められていました。

このような需要に応えるため、日本クレィヨン商會(現在の株式会社サクラクレパス)が試行錯誤を重ね、1925年にクレヨンとパステル両方の長所を併せ持つ「クレパス」を開発・販売し、以降広く普及していきました。


パステル、クレパス(=オイルパステル)、クレヨンの混色の違い
画像引用 https://www.craypas.co.jp/press/feature/009/sa_pre_0015.html

パステル、クレパス(=オイルパステル)、クレヨンの重色の違い
画像引用 左に同じ

面塗りか描線か、意図する表現によって使い分けていく必要があります。この画材のポテンシャルはとても高く、子ども向けのおもちゃと侮ることができないほど奥深いものがあります。

この項の執筆には、株式会社サクラクレパスのページ「『コラム』クレパス®・クレヨンはどう違う」を参考にしました。

これからの創作に向けて

私の水彩・素描は、ぺんてるエフやサクラクレパス、三菱色鉛筆など、幼児や小学生から変わらない画材で制作しています。子ども向けですが、私の求める色彩表現には充分な威力を発揮するもので、専門家用の高級なものは使いません。

絵の具のチューブやクレヨンを見てるだけで、あれこれと創作意欲が湧いてきます。どんな絵を描こうかと、わくわくしてきます。それぞれの画材の特徴を最大限に活かした表現をしていきたいものです。プリテミティヴに回帰する創作として、今後も水彩・素描をずっとつくっていきます。

幼稚園時代

wgd001《あそび》1990年、水彩/紙、38.0×54.0cm

現存する最も古い作品です。

wgd002《にじ》1990年、水彩/紙、38.0×54.0cm

虹を5色、しかも濁ったように暗いトーンで描いているのが特徴です。

小学校時代

wgd048《くじらぐも》1992年、水彩・クレヨン/紙、38.0×53.8cm

市の小・中学校美術展に入選した記念すべき作品。美術コンクールで賞をとったのは、後にも先にもこれが唯一です。これで気をよくしたのか、絵を描くことがますます好きになりました。

国語の教科書にあった『くじら雲』の一場面を描きました。常識や規則にとらわれない、自由で純粋な感性がこの頃にはあったのです。

wgd089《奥菜恵》1997年、水彩/紙、38.0×27.0cm

当時なぜか奥菜恵が好きだったので描きました。『ザ・テレビジョン』かなんかのインタビュー記事にあった写真から描いたものです。腹巻みたいな衣装に疑問を抱かなかったまっすぐなあの頃。

中学時代

wgd100《秋桜》2000年、水彩/紙、35.2×25.3cm

事故で首から下が麻痺してしまうという困難を乗り越えて、筆を口でくわえて絵を描いた画家・星野富弘氏にならって、筆を口でくわえて描いたものです。実際にやってみて、まず口ではなかなか思うように線も引けないということが分かりました。ましてや絵を描くとなると本当に難しいです。

「文士の肖像画」シリーズ

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  • wgd101《萩原朔太郎》2000年、鉛筆/紙、38.0×27.0cm
  • wgd102《寺山修司》2000年、鉛筆/紙、38.0×27.0cm
  • wgd103《太宰治》2000年、鉛筆/紙、38.0×27.0cm
  • wgd104《芥川龍之介》2000年、鉛筆/紙、38.0×27.0cm
  • wgd105《中原中也》2000年、鉛筆/紙、38.0×27.0cm
  • wgd106《石川啄木》2000年、鉛筆/紙、38.0×27.0cm

当時心酔、傾倒していた作家たちの肖像画を描いたシリーズ。文庫本の顔写真からデッサンしました。

wgd107《滑稽な自画像》2000年、クレヨン/紙、35.1×24.9cm

画用紙ではなくスケッチブックの1頁にクレヨンで殴り描きしました。うっすらと見える二つの丸は眼鏡を表しています。自分は滑稽で、恥ずかしいものであると自己嫌悪していたのです。

wgd109《風流れる丘》2000年、水彩/紙、27.0×38.0cm

ゴッホみたいな流れるタッチで、不安定な心の葛藤を表現しようとしている。ポツン立っている一本の木は、孤独感、寂しさを表現している。たぶん違います。そんなこと考えて描いたはずがありません。なんとなくこんな草原の風景を描きたかったのです。

wgd110《大きな木》2000年、水彩/紙、38.0×27.0cm

本当はもっと木を小さく描くつもりが、なぜかこうなってしまいました。ギターの楽譜の表紙にあった写真をスケッチしたものです。

wgd111《時》2000年、水彩/紙、38.0×27.0cm

時の記念日付近で時間や時計をモティーフに描いたもの。抽象的な概念をきちんと形にできずにただ色をぶちまけて濁らせただけになってしまっています。

僕はもう動けない
僕の周りで時間は
あまりにも無意味に過ぎる
その速いこと速いこと

時間というものは
平等ではない
時計が刻む一秒一秒は
形だけの平等さであり
苦しい一分間はとても長く
幸せな一時間はとても短い

人の心の中にも時計がある
その時計は感情の変化と共に
不安定に動く
心の時計で人は生きている

僕の心の中の時計は
壊れてしまった
心の中の本当の時計がない僕は
形だけの残酷で平等な
時間の流れの中で生きるしかない
もはや僕は自分だけで生きられない

壊れてしまった僕の心の中の時計を
直すことはできないか
直すためには
奪われた時間を取り戻すこと
感情のままに生きること
自分の罪を償うこと
僕に時計を与えてくれる
その人が現れるのを
ただひたすら待つこと

形だけの時間と心の中の時計の
二つの時間の中で
僕は生きることができるのだろうか

「時間」『第1冊ノート・紙片』より

wgd112《田園道》2000年、クレヨン/紙、27.0×38.0cm

自室の窓から見える田園風景を描きました。まるでナイフで刺すように、クレヨンで色を刻んでいます。

僕は確かに人を殺した
クレヨンのナイフを手に持ち
何百回と刺し続けた
色鮮やかな血が
真っ白な画用紙を染めた
僕の犯した罪の証拠として
作品が完成した

手を洗ってもまだ血が
ぬぐいとれない
まだこの手に
クレヨンのナイフで刺した
激しい感触が
衝撃が残っている

「クレヨンのナイフで」『第1冊ノート・紙片』より

wgd113《風に吹かれる》2000年、水彩/紙、54.0×38.0cm

小学6年生の頃に下絵だけ描いていたものに、中学生となってから色を塗った作品。wgd114《生贄の少女》と比べると、全体の色彩のバランスがなんとかとれているところでしょうか。

wgd114《生贄の少女》2000年、水彩/紙、38.0×27.0cm

こちらもwgd113《風に吹かれる》と同様に、デッサンから時間を空けて彩色したものです。船の舳先で微笑む少女を描くつもりが、完全にゾンビとなってしまいました。

wgd115《汚れた手》2000年、水彩・鉛筆/紙、27.0×38.0cm

この両手で人を傷つけてしまった、という悔悟の気持ちを描いています。右利きのため、左手はうまく形をとれていますが、右手はぎこちない線で歪んでいます。

wgd117《罪深き自画像》2000年、水彩/紙、38.0×27.0cm

wgd107《滑稽な自画像》から数ヶ月後に再び描いた自画像。滑稽な姿から罪深い存在へと自己認識が変化しました。一体何があったというのでしょうか。wgd115《汚れた手》でも見られるように、この頃は自分が汚らわしい、罪深いものであると自己否定ばかりしていました。

wgd118《ビンを見つめて》2000年、水彩/紙、41.8×31.1cm

ビンを描くのは難しく、これも見事に形がゆがんでます。デッサンがちゃんととれておらず、透明感も表現できていません。

感想

ビンを描くのはとても難しい
2本のビンを組み合わせたが
なかなか思うようにはいかなかった
それでも満足できる作品になった
とても楽しかった

作品の裏面に書かれたメモ

wgd121《愛猫みぃちゃん》2001年、マーカー・ペン/紙、25.3×35.2cm

愛情は一番大切な色彩だなんて当時は豪語してました。

高校時代

wgd122《山口もえ》2001年、水彩・鉛筆/紙、54.0×38.0cm

この頃なぜか山口もえが好きで、描いたのですが、ひどいできです。ドレスに隠れている部分がどのようにつながっているのか、人体の形がまったく把握できていません。

wgd123《少女のまなざし》2001年、水彩/紙、38.0×27.0cm

セーラー服を着た女の子が木の陰からこちらをそっと窺っているという、男子が憧れるシチュエーションが、もはやホラーになってしまいました。

詩画シリーズ

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  • wgd124《美術室へようこそ》2002年、アクリル・ペン・墨/紙、38.0×54.0cm
  • wgd125《十七歳のやまとうた》2002年、色鉛筆・ペン・墨/紙、27.0×38.0cm
  • wgd126《単純くんと複雑さん》2002年、色鉛筆・ペン・墨/紙、27.0×38.0cm
  • wgd127《妥協点~夢と現実~》2002年、色鉛筆・ペン・墨/紙、27.0×38.0cm
  • wgd128《太陽だって影と光をつくるから》2002年、色鉛筆・ペン・墨/紙、27.0×38.0cm
  • wgd129《大いなる夢と進みたい方面でベクトルが決まる》2002年、色鉛筆・ペン・墨/紙、27.0×38.0cm
  • wgd130《何事にも甘さは控えめに》2002年、アクリル・ペン・墨/紙、27.0×38.0cm
  • wgd131《一度きりで何度でも》2002年、色鉛筆・ペン・墨/紙、25.8×36.5cm
  • wgd132《世界をつなぐ二つの球体》2002年、マーカー・ペン・墨/紙、25.8×36.5cm
  • wgd133《ねこ座り》2002年、マーカー・ペン・墨/紙、25.8×36.5cm
  • wgd134《仰向けだと胴長に見える》2002年、マーカー・ペン・墨/紙、25.8×36.5cm
  • wgd135《ねこ手》2002年、マーカー・ペン・墨/紙、25.8×36.5cm

来るべき文化祭に向けて、「悩んでいる中学三年生やその他の人への励ましのメッセージ」を込めて制作しました。イラストのような作風に自己陶酔のイタイポエムを載せた、恥ずかしい黒歴史以外の何物でもありません。当時はこれを真剣に創っていたのだから笑えます。そして、フォークデュオ「19」の元メンバーで作詞も手掛けたイラストライター・326のまんまパクリですね。

はい こんにちは。これから僕がこれから描く詩画について熱く語ってもらおうと思います。
まずは僕から。僕は今、油絵で自画像を描いていて、火曜日にも完成しそうなんだ。そしてその次の作品は、詩画にしようと思うんだ。詩を創って、それについての絵を描く。どうだろう。これならたくさん作品が創れるし、見る人の受けもいいと思うんだよ。
ふん・見る人の受けをねらうなんて、最低だな。何のために絵を描くのかさえ分からない人間が、絵について言う資格なんてないよ。
なんだって。
まあまあ、そう興奮しないで。詩画というのはなかなかいいと思うよ。で、どんな詩画にするんだい。
うん、詩は、悩んでいる中学三年生やその他の人への励ましのメッセージみたいな明るいもので、絵というよりも、何度か描いているイラストみたいなふうなものにしたい。
へ、悩める中三へのメッセージだと。笑わせんな。自分の悩みも解決できていないような愚か者が、他の人の悩みへのメッセージなんて書けるはずないだろ。
なんだって。そりゃ、僕は確かにまだ解決していない悩みはあるよ。でも、その悩みは、中三の時に抱く悩みとは別のものだと思うんだよ。僕はなんとか、中三の時の悩みを乗り越えられたんだ。その時得たものを、同じ中三の人に分けてあげたいんだ。

―諸事情により、討論は中止となりました―

「徹底討論 僕がこれから描く詩画について」『第3冊ノート・紙片』より

大学時代

《直線で曲線》シリーズ

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  • wgd136《直線で曲線・うずまき》2004年、シャープペンシル/紙、25.7×36.4cm
  • wgd137《直線で曲線・ハート》2004年、シャープペンシル/紙、25.7×36.4cm
  • wgd138《直線で曲線・バラ》2004年、シャープペンシル/紙、25.7×36.4cm
  • wgd139《直線で曲線・蝶》2004年、シャープペンシル/紙、25.7×36.4cm
  • wgd140《直線で曲線・あさがお》2004年、シャープペンシル/紙、25.7×36.4cm
  • wgd141《直線で曲線・あさがおと蝶》2004年、シャープペンシル/紙、25.7×36.4cm

中学生の時に美術の授業で、直線をずらしながら交差させていくことで曲線を描くデザインの手法を学びました。これを知った時に渦巻を描いてみたいと思いましたがそのまま時間だけが過ぎ、大学入学と美術サークル入部を機にやっと実現させることができました。渦巻から始まって、ハート、バラ、蝶、朝顔、蝶と朝顔を合わせた目のようなものとさまざまに展開させました。

新入生でいきなり数学のグラフのような見た目の作品を制作したためか、理系と勘違いされましたが文学部です。とはいえ高校時代は散々数学の勉強をしましたし、センター試験や国立大学の二次試験でも数学を使いました。文系だから数学は不要ということはないのです。

今振り返ると、黒い線ではなく、ハートは赤、朝顔は紫というようにそれぞれのモティーフに合わせて色鉛筆で描いた方が、よりきれいになったのではと思います。いつかはカラーのバージョンにも挑戦してみたいです。

《How to make an university student》シリーズ

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  • wgd142《How to make an university student 1》2004年、色鉛筆・ペン/紙、26.0×18.5cm
  • wgd143《How to make an university student 2》2004年、色鉛筆・ペン/紙、26.0×18.5cm
  • wgd144《How to make an university student 3》2004年、色鉛筆・ペン/紙、26.0×18.5cm
  • wgd145《How to make an university student 4》2004年、色鉛筆・ペン/紙、26.0×18.5cm

大学に入学して半年余り経ち、自分を構成する要素を描いてみたいと思って制作したもの。ヴァニタス画ほどではないにせよ、静物になんらかの意味や象徴を感じていました。翌年にはさらに数を増やして「ライフアイテム」シリーズを描くこととなります。

wgd155《二人でお花見》2005年、色鉛筆・ペン/紙、26.0×37.0cm

中学生の英語の教科書に出てきそうな絵だと言われました。TomとKumiとか。別に意図してそうしているわけではなくて、描くイラストが全部こんなタッチになってしまうのです。甘ったるい、現実感に欠ける女々しいイラストしか描けません。性格が出てしまうのでしょうかね。仕方ないですよ。

苦労したのは、男の人の足の部分です。何回も描き直しました。桜のピンクや芝生のライトグリーンが春らしくて、ほんわかとした絵のタッチに合っていると思います。

「ライフ・アイテム」シリーズ

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  • wgd164《自転車》2005年、色鉛筆・ペン/紙、18.5×26.0cm
  • wgd165《帽子》2005年、色鉛筆/紙、18.5×26.0cm
  • wgd166《スニーカー》2005年、色鉛筆/紙、26.0×18.5cm
  • wgd167《ジーンズ》2005年、色鉛筆/紙、26.0×18.5cm
  • wgd168《パーカー》2005年、色鉛筆/紙、26.0×18.5cm
  • wgd169《ベルト》2005年、色鉛筆/紙、18.5×13.5cm
  • wgd170《ポロシャツ》2005年、色鉛筆/紙、18.5×13.5cm
  • wgd171《アンサンブル》2005年、色鉛筆/紙、18.5×13.5cm
  • wgd172《靴下》2005年、色鉛筆/紙、13.5×18.5cm
  • wgd173《椅子》2005年、色鉛筆/紙、18.5×13.5cm
  • wgd174《カメラ》2005年、色鉛筆/紙、13.5×18.5cm
  • wgd175《インクペンと手紙》2005年、色鉛筆・ペン/紙、18.5×13.5cm

ファッションアイテムや家具、雑貨などこの頃購入したもの、気になっていたものを描いたもの。

wgd181《Super Hero》2005年、ペン/紙、26.0×37.0cm

友人がベースを務めるバンドHolidayの曲に、ジョン・レノンのことを歌った同名のナンバーがあり、ライブで聴いて感銘を受けて制作しました。黒のマジックペンを1本まるまる使いきりました。

wgd193《カメレオンになれなかった男》2006年、水彩・ペン/紙、31.8×41.0cm

相手の価値観を受け入れることができず、フラれた体験から描いた作品。赤、青、黄色の三原色でまだら模様の背景を描き、カメレオンのように周りに合わせて自分の体色を変えられなかったという後悔を表現しています。眼鏡をかけているのは、特撮ヒーロー「ウルトラセブン」の主人公・モロボシダンがウルトラアイで返信するように、自分も相手の求める人物像に変身したかったという気持ちを込めています。

着物シリーズ

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  • wgd194《Seven Five Three》2006年、色鉛筆/紙、37.0×26.0cm
  • wgd195《おでかけ》2006年、色鉛筆/紙、37.0×26.0cm
  • wgd196《傘》2006年、色鉛筆/紙、37.0×26.0cm
  • wgd197《年賀状を出しましょう》2006年、色鉛筆/紙、37.0×26.0cm

tbl031《屹立》tbl032《扇子・紅》tbl033《花傘》と着物に憑りつかれていたこの頃、色鉛筆でも描くのは必然のことでした。

骨折自虐画

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  • wgd201《アワレナオトコ》2007年、クレヨン/紙、37.0×26.0cm
  • wgd202《ゲジゲジ眉毛・バカでかく醜い鼻の人間のクズ》2007年、水彩/紙、29.7×21.0cm
  • wgd203《くだらない人間のクズの骨折したレントゲン写真とドロドロ血液を運ぶパンパンに詰まった動脈と静脈の血管》2007年、水彩/紙、29.7×21.0cm
  • wgd204《骨折をして松葉杖をつくゲジゲジ眉毛の人間のクズに怒りの鉄槌と当然の報いを》2007年、水彩/紙、29.7×21.0cm

骨折して1ヶ月家に引きこもり、腐りきっていた時に描いた自虐画。

《Je suis allé à Paris!》シリーズ

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  • wgd205_01《Je suis allé à Paris! 1 自東京 至巴里》2008年、色鉛筆・ペン/紙、23.6×12.0cm
  • wgd205_02《Je suis allé à Paris! 2 Tour Eiffel》2008年、ペン/紙、59.4×42.0cm
  • wgd205_03《Je suis allé à Paris! 3 Musée d’Art Moderne de la Ville de Paris》2008年、ペン/紙、36.4×25.7cm
  • wgd205_04《Je suis allé à Paris! 4 Musée du Louvre》2008年、ペン/紙、27.9×42.0cm
  • wgd205_05《Je suis allé à Paris! 5 Musée Picasso》2008年、色鉛筆・クレヨン・千代紙・紙・コラージュ/紙、36.4×25.7cm
  • wgd205_06《Je suis allé à Paris! 6 Centre Georges Pompidou》2008年、ペン/紙、27.9×42.0cm
  • wgd205_07《Je suis allé à Paris! 7 La Seine》2008年、色鉛筆/紙、37.0×26.0cm
  • wgd205_08《Je suis allé à Paris! 8 Musée d’Orsay》2008年、ペン/紙、27.9×42.0cm
  • wgd205_09《Je suis allé à Paris! 9 Musée de l’Orangerie》2008年、ペン/紙、25.7×36.4cm
  • wgd205_10《Je suis allé à Paris! 10 Arc de Triomphe》2008年、ペン/紙、43.8×61.6cm
  • wgd205_11《Je suis allé à Paris! 11 De Paris à Tokyo》2008年、色鉛筆・ペン/紙、10.5×23.5cm

タイトルはフランス語でずばり「パリに行ってきました!」。大学の卒業旅行の思い出を描いたシリーズです。その時の旅行記はこちら

日本で主流の縦長の封筒に描かれた航空機に搭乗して成田空港から出発、パリのあちこちを観光して周り、エアメールで使われる横長の封筒に描かれた飛行機でシャルル・ド・ゴール空港から帰国の途に就くという一連の流れになっています。

美しい風景を写実的に表現する技能がないため、別の角度からアプローチしています。大学入学直後に制作したwgd136~141《直線で曲線》シリーズの手法を使って、パリの有名な建築物を表現しています。

大学院時代

wgd210《Digital Girl Delicious Girl》2009年、色鉛筆・ペン/紙、41.0×63.6cm

同じようなポーズ、同じような形のものに囲まれていながら、
全く別の二人というイメージを描きました。具体的にいうと、一方はデジタル機器に囲まれたプレッピーな女の子、一方はお菓子や料理に囲まれたゴシックな女の子として、両者の違いをうまく出せるよう工夫し、それぞれの性格などの設定もつくりました。

なお本作は、出品時に来場者にどちらの女の子が好きが人気投票を実施しました。

制作過程1 2009年10月30日
下絵用紙から本番用の紙に線をトレースしました。
制作過程2 2009年10月31日
プレッピーなDigital Girlの方から色を塗っていきます。愛称は「デージー」にしました。
制作過程3
次にゴシックなDelisious Girlの方も塗ります。愛称は「デーリー」にしました。
制作過程4
両者の人物だけを塗ったところ。この時点でかなり違いが出ています。
制作過程5 2009年11月1日
それぞれを囲む小物も塗ります。デージーの方は黒を基調にしたシックな色に、デーリーの方はとにかく原色の派手な色にと統一することで、違いがさらに際立ちます。
制作過程6
背景の色もそれぞれのイメージをもとに塗ります。
気に入った方に付箋を貼ってもらい、来場者による人気投票を実施。

wgd211《シザーケース》2009年、水彩/紙、41.0×31.8cm

大学院時代は、財布と携帯電話、定期入れにキーケースなど必要最低限の荷物(非喫煙者のためタバコとライターは無い)を入れて、シザーケースを腰にぶら下げていました。両手が空くのが便利で、美容師やガンマンを彷彿とさせるこのスタイルを気に入っていたため、絵に描いたものです。

自分のお気に入りのアイテムをモデルにするのは、tbl021《赤バッテン》以来になります。奇しくも、ブルージーンズに白シャツという服装も一緒です。

モデルとなった写真
制作過程1 2009年10月14日
下絵用紙に線を描いていきます。
制作過程2
下絵用紙の裏側を鉛筆で黒く塗りつぶします。こうすると、カーボン紙のようになぞった線が
下の本番用の紙に写るのです。カーボン紙だと、なぞった線が消せません。トレースした線に手を加えて修正できるように、
少々面倒ですがこのような方法をとっています。
制作過程3
下絵の線を赤鉛筆でなぞっていきます。
制作過程4
彩色前。
制作過程5
彩色後。

wgd212《ファッション》2009年、水彩・クレヨン/紙、41.0×31.8cm

ポンパドールの前髪が特徴的な女の子の肖像画です。大学院の制作は九割九分が切り紙絵で、水彩は数点しかないのですがその中でも、これまでのタブロー画での経験を基にクレヨンで輪郭線をひいたらどうなるだろうかと試しています。

小学生の時以来15年振りくらいにクレヨンを使ったら、指が真っ黒に汚れてしまいました。

制作過程1 2009年11月7日
下絵用紙に線を描きます。
制作過程2
本番用の紙に下絵の線をトレースして、
クレヨンで色を塗ります。
制作過程3
背景の色は、水彩絵の具で軽く塗ります。

社会人第1章(2010年8月~2015年6月)

グアッシュの背景と墨の描線

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  • wgd217《オフィスの女神・グリーン》2011年、グアッシュ・墨/紙、25.0×18.0cm
  • wgd218《オフィスの女神・ピンク》2011年、グアッシュ・墨/紙、25.0×18.0cm
  • wgd219《もの思いにふける、幸せな表情》2011年、グアッシュ・墨/紙、42.0×29.7cm
  • wgd226《Say-Là》2012年、グアッシュ・墨/紙、27.9×42.0cm
  • wgd227《さくら》2012年、グアッシュ・墨/紙、27.9×42.0cm

新しい表現手法を考案した意欲作です。tbl044《オフィスの女神たち》にも登場する2人を習作で描いて方向性を探り、wgd219《もの思いにふける、幸せな表情》で独立した作品として完成させました。

グアッシュでムラやかすれのない平塗りの画面をつくり、その上から墨をたっぷり含ませた筆で「えいや」っと一気呵成に線を引いたもの。失敗は許されない一発勝負の緊張感が描線に活き活きとした動きを与えるようです。

ペンや黒の水彩絵の具だと、どうしても下地の絵の具に引っかかって思うような輪郭線が描けないのですが、墨は下に何があろうと問答無用で濃くくっきりとした線が引けます。黒の色にも深みがあり、乾燥するとマットになるのも良いです。

これからも時々この手法で描いていきます。

wgd221《My Gumbo》2012年、グアッシュ・アクリル・ペン/紙、31.8×41.0cm

タイトルはSUGARandPEPPERSというバンドの同名のナンバーからきています。春らしいうららかな陽気の中を、Gomboと名付けられた愛車のママチャリで颯爽と駆け抜けるという歌詞からインスピレーションを得て描きました。

ハロウィンをテーマに

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  • wgd222《Happy Halloween》2012年、水彩・ペン/紙、41.0×31.8cm
  • wgd234《にゃんちゅう》2013年、ペン/紙、21.0×29.7cm

tbl030《Trick or Treat》以来、6年ぶりにハロウィンをテーマに描きました。wgd222《Happy Halloween》の方は、いたずら好きで意地悪そうな女の子の表情がうまく描けたと思います。また、ハロウィンには黒猫が欠かせないということでwgd234《にゃんちゅう》では、白い画用紙ではなく黄色い画用紙を用いて素材の色をネガティブペインティングでうまく活かせました。

心の闇ドローイング

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2013年は仕事でもプライベートでもどん底でして、精神的に追い詰められてしまいました。そのような暗黒の日々の中で、心の闇を表現するように病んだドローイングを数多く描きました。今見るとうつ病の兆候がうかがえるもので、この2年後にうつ病と診断されることとなります。

  • wgd240《自画像》2013年、ペン/紙、37.0×26.0cm
  • wgd241《料金後納》2013年、ペン/紙、29.7×21.0cm
  • wgd242《羽根ぼうきの謝罪》2013年、色鉛筆/紙、26.0×37.0cm
  • wgd243《BIG FOOT》2013年、ペン/紙、37.0×26.0cm
  • wgd244《Fuckin’ Flower Powder Symdrome》2013年、ペン/紙、40.0×55.0cm
  • wgd245《2つの頭部》2013年、鉛筆/紙、29.7×21.0cm
  • wgd246《ミスコングランプリ》2013年、ペン/紙、29.7×21.0cm
  • wgd247《うねうねもやもや》2013年、鉛筆/紙、26.0×37.0cm
  • wgd248《御来館の際はサングラスを着用してお越しください》2013年、ペン/紙、26.0×37.0cm
  • wgd249《サングラス野郎》2013年、ペン/紙、26.0×37.0cm
  • wgd250《雑誌のふろく》2013年、ペン/紙、29.7×21.0cm
  • wgd251《がさつな男はデジカメを平気で落とす》2013年、ペン/紙、29.7×21.0cm
  • wgd252《ガキジャリ》2013年、鉛筆/紙、26.0×37.0cm
  • wgd253《舌禍》2013年、ペン/紙、37.0×26.0cm
  • wgd254《鼻毛星人》2013年、ペン/紙、37.0×26.0cm
  • wgd255《ぐるぐるメガネ》2013年、ペン/紙、29.7×21.0cm
  • wgd256《蹴り飛ばす》2013年、ペン/紙、37.0×26.0cm
  • wgd257《クソな男》2013年、鉛筆/紙、37.0×26.0cm
  • wgd258《冬がはじまるよ》2013年、鉛筆/紙、26.0×37.0cm
  • wgd259《或るイメージ》2013年、色鉛筆/紙、26.0×37.0cm
  • wgd260《通り魔》2013年、色鉛筆/紙、37.0×26.0cm

wgd266《ペンギン》2014年、水彩・ペン/紙、41.0×31.8cm

どん底の最悪だった前年を生き延びて、喪中のため年賀状を自粛して寒中見舞いを出す際に描いたモティーフです。ニット帽とマフラーは柄をおそろいにしています。

wgd267《チョココロネコ》2014年、水彩・ペン/紙、31.8×41.0cm

SNSで、茶色い毛布にくるまった黒猫の姿がチョココロネのようで可愛いと話題になっているのを知り、描いたものです。黒猫はまずまずのできですが、毛布の形の処理が下手なためコロネに見えないのが難点です。

wgd276《ワークキャップ》2014年、水彩・ペン/紙、31.8×41.0cm

モデルとなった写真

厳しい酷暑が続く夏、破裂しそうな頭を保護するため、ストレスを少しでもやわらげるため購入した帽子を描いたものです。

帽子が似合わな過ぎて、いろんな人から茶化されて馬鹿にされて、昔からトラウマになっていて、「自分は帽子を被ってはいけない、かぶることが許されない人種なんだ」と悟り、かぶることはありませんでしたが、近年の殺人的な日差しはそんなこといってられないくらい強くて、似合わなかろうがなんだろうが、帽子で頭を守らないとすぐに熱中症になってしまいそうということで入手しました。

実物は爽やかなブルーで、ピシッとした形をしているのに、どういうわけか横からのアングルに変更して、色も勝手に自分でつくっており、モデルの魅力を殺してしまっています。

wgd277《2012.10.21 OKANNOBENTO Premium Recital at Daikanyama eau café》2014年、水彩・ペン/紙、41.0×31.8cm

モデルとなった写真

2年前の2012年10月21日に代官山のカフェで開催されたSUGAR and PEPPERSのライブでウッドベースを演奏した友人をモデルに描いたものです。背景は線描でラフに曖昧にすることで、ふわふわとした雰囲気を出しています。

社会人第2章(2018年5月~2023年10月)

wgd279《織姫ちゃんと彦星くん》2021年、水彩・ペン/紙、31.8×41.0cm

七夕をテーマに描いたもの。織姫のちょっとはにかんだ表情が可愛らしくて気に入っています。

白黒ハチワレ猫

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wgd282
wgd286
wgd287
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  • wgd281《白黒ハチワレ猫1》2021年、水彩・ペン/紙、41.0×31.8cm
  • wgd282《白黒ハチワレ猫2》2021年、水彩・ペン/紙、41.0×31.8cm
  • wgd286《野獣の咆哮》2021年、水彩・クレヨン/紙、31.8×41.0cm
  • wgd287《暑くてフローリングで行き倒れる》2021年、水彩・クレヨン/紙、31.8×41.0cm
  • wgd319《野獣の咆哮2》2021年、水彩・クレヨン/紙、41.0×31.8cm

SNSやYouTubeで話題になっていた白黒ハチワレ猫をモデルに描いたものです。wgd281《白黒ハチワレ猫1》wgd282《白黒ハチワレ猫2》は比較的可愛く描けましたが、その他は下手くそでモデルの魅力を少しも表現できていません。