タブロー画について
タブロー(Tableau)とは、フランス語で絵画のことです。さらに詳しくは、板やカンヴァスに描かれた絵画を指し、額縁に入れてさまざまな場所に展示できるという点で壁画と異なる形式になります。また、もう一つの意味として、習作と区別し、画家の意図や描写の完結した作品を指すこともあります。簡単にいうと、油彩画やアクリル画などいわゆる「洋画」のことですが、より適切に言い表すことができるため、このカテゴリーに「タブロー画」という用語を使用しています。
さて、私が初めて油彩画を描いたのは、中学3年生の時でした。幼少の頃から油彩画が身近にあり、自分もいつか描いてみたいと憧れを抱いていました。その時の感動を、当時次のように記しています。
この日、僕は人生で初めて油絵というのをやった。戸惑いながらも何とか見よう見まね、そして自分の感性を頼りに色をぬった。やはり最初は上手くいかない。でも、僕はこの油絵の魅力にとりつかれてしまった。これだったんだ。僕が探し求めていたものは。これから油絵を本格的にやりたい。藝術家として。
2000年5月15日の日記
このように衝撃的な出会いであった油彩画ですが、中学時代の作品は2点だけで、本格的に描くようになったのは高校生になってからです。芸術科目で美術が設置されていないため、美術の教員がおらず、まったくの独学でしたが、技法書を読んだり、画集でさまざまな画家の作品を見て真似たりしながら、高校通算で11点の油彩画を描きました。
大学時代は、油彩画制作が最も充実していました。入部した美術サークルは、講師がいたり全体練習を行うなどのアカデミックなものではなく、自由に制作する活動方針だったため、相変わらず独学による自分勝手な油彩画でしたが、それでもこの時期に自分の作風を確立することができました。大学通算では26点の油彩画を描き、点数が一気に増えました。それを可能にしたのが、マツダの「クイック油絵具」という油絵の具です。乾燥に時間がかかるという油彩画の弱点を打ち破り、描いた翌日にはほぼ絵の具が乾いて、重ね塗りを躊躇なく行えるのは革新的であり、水彩画や素描と変わらないペースで次々に油彩画を描いていきました。
社会人になってからも、自宅で何点か油彩画を描いていましたが、狭い室内だとにおいがこもってきつく、汚れを気にしながら制作しなければならない、絵の具や油の後始末が大変であるなど、アマチュア画家の多くが直面する困難のため、2年ほどで油彩画の制作は断念してしまいました。
代わりに見出したのが、アクリル絵の具です。大学生の時も、看板やプラカードなどの製作の際に使用していましたが、自身の創作方法として本格的に取り入れたのは2013年からです。この画材の特徴はなによりも速乾性にあり、制作ペースが大幅に上がりました。油絵の具の持つ色の深さも捨てがたい魅力ではありましたが、アクリル絵の具の明るくマットな仕上がりとなる色の塗りも、新たな味であると気付き、以来制作を続けています。
私のタブロー画の作風は、ムラやかすれのない均一的な色の塗りと、くっきりと太い輪郭線によって明確にされた形に大きな特徴があります。写実的でない、すなわち現実非再現的でイラストタッチな絵画は、技巧的に優れたものでは決してなく、子供じみた塗り絵のように稚拙で未熟な落書きです。それでも、自分自身がこの作風に満足し、美味い絵であると感じているので、これからもこの作風で描き続けていきたいと思います。
中学時代
tbl001《観葉植物とボウル》2000年、油彩/カンヴァス、41.0×31.8cm
記念すべき油彩画第一作。私のタブロー画はここから始まりました。
油彩画の制作で形をとる場合、鉛筆や木炭で描線を引くのではなく、溶き油を多めに使ってサラサラと絵の具を垂らす「おつゆがき」という方法があると知り、とても驚いたことをよく覚えています。この作品も、イエローオーカーの絵の具で「おつゆがき」して鉢植えの観葉植物とボウルの線を引き、乾かしてから色を重ねていきました。形の複雑なモティーフだと難しいので、最初はこれくらい単純なものがちょうど良いでしょう。
とはいえ、デッサンもまともにできない下手くそな中学生が、いきなり油絵を描くのはとてもハードルが高く、すぐに壁にぶち当たってしまいます。そこで、同じモティーフをまずは水彩で描いてみることにしました(wgd116《観葉植物とボウル》)。当時はそれを「修行」と呼んでおり、形や色使い、タッチや構図などがつかめていいのではないかと考えたのです。当時の日記を読んでみると、下手くそがそれなりに試行錯誤、創意工夫してなんとか油絵の具という未知の画材を使いこなそうと奮闘していた様子がうかがえます。
油絵が納得いかなかったので、もう一度感性を鍛えようと、デッサンをした。よく見て描くという行為を考えたらあまりしていなかった。とてもいい経験になった。
2000年5月18日の日記
昨日のデッサンに色をつけた。今までのように絵の具をそのままたたきつけるのではなくて、水で溶いてうすくうすくつけていった。作品の雰囲気でタッチをかえるのはいいことであろう。
2000年5月19日の日記
昨日の絵に、今度は少しこく溶いた絵の具をぬっていく。あせる必要はない。ただたんたんと心に映るままにぬればいい。
2000年5月20日の日記
少し前に描いて途中だった観葉植物とボウルの絵に手を加えた。九分完成といったところだ。目の前にあるモデルに、自分の思った色を出し、画用紙にそれを写していく。色は2つ。本物と似ているか否か。似ていればそれまでで、そうでなければ、似るまで色をぬる。心のままにぬる。迷いも捨ててぬる。何もかも忘れて、目の前のモデルだけに集中して、ぬる。
2000年6月5日の日記
再び油絵に挑戦。今度は水彩画での「修行」が効果的だったのか、なかなか順調なすべり出し。これが油絵なのか。
自分の道具で絵を描いたり、箱に入れたり、片付けたり、準備して、いっぱしの画家気どりである。でもそれでいいんだ。僕は藝術家だと思い込むことが大切なんだ。
2000年6月12日の日記
油絵をやるが、葉と鉢のタッチが違ってしまった。アンバランスでいやだ。
2000年6月19日の日記
そして油絵は完成した。初めてにしては上出来だと思う。バックの色を最後に思い切ってブルーにしたのがいい。これからも油絵を描いていきたい。
2000年7月10日の日記
水彩画ではグリーンだった背景の色を、油彩画では濃く深いブルーに変更することで、観葉植物の葉の明るさが際立つなど、「修行」の成果が出ています。
中学生のうちに油絵を描きたいという願いを叶えられたということで、この作品はとても大切なものです。
tbl002《自画像》2000年、油彩/カンヴァス、41.0×31.8cm
油絵の二作目。静物画の次は人物画、自画像に挑戦しました。教則本を読んで、「フィキサチーフ」というものをスプレーしてコーティングすれば、鉛筆や木炭などで描線した上に油絵の具を塗れるということを知り、早速試してみたものです。
人物画、しかも鏡を見ながら描く自画像ということで、とても難しかったです。特に、立体感のある鼻が上手描けなくて、何回も何回もやり直しました。この人物画における鼻という難問には長らく苦しめられ、そして後に、「鼻を描かない」という省略法を獲得することとなります。
自画像を描くことにした。さあやるぞと始めたが満足がいかない。油絵がこんなにも難しいとは。
2000年9月18日の日記
自画像が描けない どうしても描けない
「自画像が描けない」『第2冊ノート』より
鏡を見るのが恐い
鏡の中で笑っても
そのすぐ後ろにいる悪魔の存在に
怯えている
悪魔のせいで僕は鏡の中の自分を
凝視できない
だから自画像が描けない
たとえがんばって鏡を見つめても
筆を握る手は悪魔に掴まれて
思うように描けない
キャンバスの前では正直でなくてはならない
「嘘つきな絵かき」『第2冊ノート』より
今までの過去を全部さらけ出さなくてはならない
でも嘘つきな僕は
キャンバスの前でも嘘をつく
嘘でごまかそうとする
つくり笑いばかりする
だから僕は
自画像さえ描けない
今日は何とか自画像が描けた。自分をよく見つめたからかもしれない。肌の色も1つ1つが納得のいくものになった。少しずつ絵の中の人物が僕になっていく。それを自分自身で行うのだ。これほど楽しいことはない。油絵がますますおもしろくなってきた。
2000年9月19日の日記
中学3年生の9月というと、そろそろ進路相談や受験などの話題が本格化する頃で、悩みや不安も増えてきます。そのような時に、鏡の中の自分をよく見つめ、対話し、向き合い、その姿を描いていくという行為は、とても重要なものだったのではないでしょうか。
中学時代は結局油絵を2点しか描けませんでしたが、この作品は卒業アルバムのポートレートのような、思い出を焼き付けたものとなりました。
高校時代
高校に入学し、最初は文芸部に入ろうと考えていたのですが、幽霊部員ばかりでちゃんと活動しているのかわからず、中学と同じように美術部に入部しました。
しかし、大学受験に必要ないからなのか、芸術科目は音楽のみで美術が最初から選択肢になく、そのため美術の教員も不在で、部活でも指導者のいないまま独学で絵を描かざるをえなかったのです。文武両道、質実剛健を標榜する進学校において、美術部の扱いはひどいもので、ハイペースで進む授業と大量の宿題に追われて潰されそうになりながら細々と制作する状況を、当時次のように嘆いています。
重い荷物を背負わされ
遠くへ行くこともできず
生きる気力もなくし
疲れ果てた男が
今日も足を引きずりながら
うなだれて美術室へ来る
中へ入り扉をすぐに閉めて
他の人間との接触をなくす部屋の真ん中へ来ると男はまず
夢を見せないで現実だけを見るように巻かれた
目隠しの眼鏡を外す
次に時間から逃げられないように腕にはめられた
時計の手錠も外す
そして社会の鎖につながれた
つめえりの首輪を強引に外し
一気に囚人用の学生服も脱ぎ捨てて
男はほんの少しの間だけ自由になる
あらゆる束縛を無理矢理外した時に流れ出た
血の絵の具を筆でぬぐって
男は美術室で絵を描く
男に美術や絵について教える者は誰もいなくて
たった独りで絵を描く男が今まで信じていたものは全て壊れた
残っているのは
いきがっていたあの頃を悔やみ恥じている
才能も実力もなく 何もできない
ただの男
もう男は絵について深く考えることはしない
絵を描きながら思想にふけることもしない
ただ与えられたほんの少しの自由な時間に
黙々と絵を描くだけ
そして描きながら自分に嫌気がさして
何度も絵を描くのをやめようと思ってしまう一応絵は完成する
完成というよりも
いつまでもとめどなく描き続けてしまう自分に
終止符を打つ
そうしないと男はいつまでも一枚の絵を描き終えられない
昔考えたくだらないサインをして
その絵はもう終わり
完成した絵について感想を述べることもなく
壁にまた一つ絵を掛けて
手についた血の絵の具をよく洗い
再び全ての束縛を身につけて
男は部屋をあとにする階段を降りながら男は
「美術室に来る囚人」『第3冊ノート・紙片』より
その日が終わり休めることと
また明日から始まる疲れる日々に
一喜一憂し
自転車に乗って帰る
自由に絵が描ける時間が
あまりにも少ないことに
抵抗することも
何もできないまま
男は今日もとりあえず
眠る
このような境遇ではありましたが、それでも技法書を読んだり、画集でさまざまな画家の作品を見て真似たりしながら油絵を描き続け、高校の文化祭では展覧会を開催するなど、できる限りの活動をしました。勉強以外に最も力を注いだのは部活です。そして美術部の一番良いところは、活動の軌跡が作品としてずっと残ることです。野球部が大会で優勝しても、吹奏楽部がコンテストでグランプリを獲得しても、残るものは賞状やメダル、トロフィーのみで、あとは全て記憶という曖昧な形でしか保存できません。入賞や成果はありませんでしたが、高校で美術部に入り絵を描けたのは本当に良かったと思っています。
tbl003《菜の花が広がる季節》2001年、油彩/カンヴァス、31.8×41.0cm
高校に入学して初めて描いた油彩画です。春のなんともいえないふわふわした雰囲気を風景として表現したかったのでしょうか。写真からスケッチしたものです。前年に同じ構図で水彩画wgd108《菜の花が広がる季節》を描いており、その「修行」の成果を発揮しました。
tbl004《ラベンダーの海》2001年、油彩/カンヴァス、31.8×41.0cm
高校に入学して二作目。ゴールデンウィークが明けた頃から描き始めたと記憶しています。ラベンダーの紫色が思うように塗れず、苦戦しました。前作が菜の花、今作はラベンダーということで、時期の違いを空の色で表現しています。
tbl005《つつじヶ丘公園》2001年、油彩/カンヴァス、31.8×41.0cm
高校に入学して三作目。地元の観光名所である「つつじヶ丘公園」を描いたものです。これにて、「風景画三部作」が完成しました。黄色、紫、ピンクと色彩のバランスもとれています。
tbl006《猫》2001年、油彩/カンヴァス、45.5×38.0cm
実家で飼っていた猫を描いた作品。「風景画三部作」を描き終えた後の7月頃から夏休みを挟んで9月に完成させたものです。後ろ足の形が不自然で、三毛の色とフローリングの床の色が同化しており、色彩表現でも拙さが出てしまっています。
tbl007《巨木が倒れる時》2001年、油彩/カンヴァス、41.0×31.8cm
2001年9月11日、アメリカ同時多発テロが発生。ビルが炎と煙をあげて崩れゆく映像を見て何かしなければという衝動に駆られて、急いで絵を描きました。前作のtbl006《猫》を完成させた後の9月末くらいから描き始め、その間にも、米軍はアフガニスタンへの報復を開始してと、状況は刻一刻と変化していきました。その年の11月にあった市の美術展に出品しましたが、田舎では誰も見向きもしませんでした。
当時はTwitterもinstagramもFacebookもYouTubeもありませんから、新聞記事の写真を基にしたのですが、手前の建物や植え込みの描き方が上手に処理出来ていないため、ツインタワーの巨大さが全く表現できていません。思い切って前景は省略して、双子のビルだけを描くべきでしたが、これは技巧的な出来栄えは度外視して、とにかく今起こっている出来事を記録に残さなければならないという思いで描いたものです。それほど衝撃的な事件でした。
タイトルの「巨木」はアメリカのことを指していて、ビルの崩壊に超大国という巨木が倒れる様子を重ね合わせています。その後のアメリカの混迷、凋落を予言しています。
tbl008《いつかきっとエジプトへ》2001年、油彩/カンヴァス、41.0×31.8cm
市の美術展と高校芸術祭への出品を終えた後、12月に描いたものです。ムラやかすれのない均一で平面的な色の塗りと、黒く太い輪郭線という、後の私の作風となる特徴が、早くもこの時期に見られます。
中学生の時の美術部にエジプトが好きな後輩がいて、ツタンカーメンのイラストを描いてプレゼントしたことがあり、それを基にしています。タイトルもその後輩の将来の夢に由来します。イラストを油絵で描くとどうなるかという試みであり、それまでの写実的な風景画とは全く異なる、実験的要素の強い作品です。
この作品で手ごたえを感じ、後にtbl0《苦い夏》とtbl013《自画像》を描くようになり、そして、大学時代以降の作品へと展開していきます。そのような意味で、これはとても画期的な作品となっています。
tbl009《自画像》2002年、油彩/カンヴァス、41.0×31.8cm
中学以来2年ぶりの自画像です。2002年に高校2年生となり、自分を見つめたいと描きました。相変わらず鼻の描き方が下手で、唇もひん曲がっています。頭の上部が途切れているなど、構図への意識も低く、呆れてしまいます。
なお、本作は、初出品となったその年の文化祭の後、背景の色をピンクからオレンジに変え、肌の色も濃くするなど、加筆・修正を行っています。今見ると、変更前の方が良いように感じられ、余計なことをしたものだと後悔しています。
tbl010《苦い夏》2002年、油彩/カンヴァス、53.0×45.5cm
高校2年生、17歳の夏、世間一般の基準からすると青春真っ盛りの時期に描いた作品です。
制作のきっかけは、この年の5月頃、散髪に行って髪をつんつん立たせたら、クラスメイトから「パイン」と馬鹿にされたことです。
髪を思い切り短くして
新しい靴を買って
外見が変われば
きっと中身も変われるはず2002 5 19
「CoyaNote2002017」『第3冊ノート』より
眉をひそめると
「散髪に行くのは解決になるのか」『第3冊ノート』より
そこに痛みが走る
首筋には血の塊が
全てこの長くてうっとうしい髪のせいだと
散髪に行った
上記に掲載したテキストにあるように、本人としては気分転換やイメージチェンジのつもりで行ったことが、嘲笑やイジリの格好のターゲットとなってしまったのです。
また、当時自分の絵の下手くそ加減に嫌気が差しており、自己に対するやり場のない憤りを自虐的に描きました。
写実的な表現が出来ないと嘆いてたところ、とある雑誌の挿絵を見て、絵はなにも本物そっくりに描かなくても良いということに気付き、前年のtbl008《いつかきっとエジプトへ》で掴んだ手ごたえを展開させたものになります。パイナップルとスイカで人体を構成させる手法は、当時読んでいただまし絵に関する書籍の中で知ったアルチンボルドの影響が大きいです。
自分の顔にナイフやフォークを突き刺し、パインと罵られた髪を切り落としてしまいたいという自己嫌悪が表われています。苦いだけで楽しくない青春や夏もあるという絶望をタイトルに込めました。
高校時代の代表作となるものです。
tbl011《最近の高校生》2002年、油彩/カンヴァス、45.5×38.0cm
学校で傘をパクられた怒りから、ウェイウェイとオラついているスクールカースト上位の陽キャを揶揄した作品です。
上記のとおり、ズボンのスソをまくり上げて毛深くて太くて汚いスネを見せ、お洒落だか血行促進だか知らないが、ネックレスやブレスレットを身に着け、穴なし無調整のカジュアルベルトとスニーカーソックスで剥がれ落ちる皮のようにシャツの裾をズボンからはみ出させ、授業中でも平然と携帯電話を使用し、くちゃくちゃとガムを噛んでは道端に吐き捨て、缶ジュースの飲み残しをまき散らし、髪を茶色や金に染めている姿を、醜く描きました。スクールバッグの描写には特に力を入れました。
当時流行していた耳に引っ掛けるタイプのイヤフォンはMDウォークマンに繋がっており、90年代J-POPを聴いているのでしょうか、手にしている電話はスマホではなく当然ガラケーです。時代を感じさせますね。
ここは異常で狂った雄猿の集まる所
「CoyaNote2002055」『第3冊ノート』より
どの猿も馬鹿みたいにキーキーうるさく騒ぐ
黙れ 黙れ 黙れ 黙れ 黙れ
全員今すぐに消えろ
猿はみんなズボンのスソをまくり上げて
毛深くて太くて汚いスネを見せている
首輪のように色とりどりのタオルを巻いている
はがれ落ちる皮のようにシャツを出している
そして日本人であることのアイデンティティーを捨てるように
髪を茶色や金に染めている
馬鹿な猿どもには
エサを与えるな
雌猿との接触も断ち切れ
そうすればあのクソザルは
いずれ死ぬ
みにくい死体となる時も
きっと騒ぐだろう
騒ぐな 黙れ
○○高校の最低下等クソザルども
tbl012《彼岸花》2002年、油彩/カンヴァス、45.5×38.0cm
小学校の国語の教科書に載っていた『ごんぎつね』に出てくる彼岸花のことがずっと気になっていて、いつか描きたいと思っていました。花びらの部分、茎の部分、それぞれ色の塗り方に苦戦し、結局立体感のないのっぺりとした描写になってしまいました。背景の処理の仕方も雑で、描くたびに自分の無能さにいら立っていたことを覚えています。
tbl013《自画像》2003年、油彩/カンヴァス、27.3×22.0cm
高校3年時唯一の作品。コンプレックスを抱いている鷲鼻と極太眉毛は前年の自虐絵画tbl010《苦い夏》にも見られますが、本作ではそれらをさらに強調するために横顔にしています。どうせ写実的な表現など出来ないのだからと端から諦めて、肌はパイナップルのような色にして、黒々とした太い輪郭線を引いてあります。tbl008《いつかきっとエジプトへ》とtbl010《苦い夏》で獲得した表現手法を、さらに先鋭化させています。
受験勉強などで忙しく、これが高校時代最後の作品となりましたが、その後の展開を予言する作風です。
大学時代
大学進学で上京し、それまでの環境から劇的に変化しました。入学3日目にアメフト部の強引な勧誘を受けて雨の中ぬかるみとなったグラウンドでアメフト体験をさせられて泥まみれになるなど、さまざまなことがあり紆余曲折を経て、大学でも美術サークルに所属して油絵を描くことになりました。
tbl014《夕焼け空》2004年、油彩/カンヴァス、33.3×24.2cm
大学に入学し、美術サークルに入部して初めて描いた油彩画。赤と青の対比がポイントです。
さっそく絵の続きをやった。前回よりもこんもりと厚めに絵の具をぬったら、青い空と木はそれらしくなった。あとは夕焼け空をどうするかだ。
2004年6月7日の日記より
tbl015《河口湖》2004年、油彩/カンヴァス、27.3×41.0cm
美術サークルで河口湖に合宿に行った際に描いたもの。初めてP号カンヴァスを使用してみて、F号とは異なる慣れない比率に戸惑いました。橋桁や山の部分の描写が悲しいほど拙いです。
それで、部室で描いたのだが、やはりうまくいかない。もう油絵はやめてしまおうかと思ってしまう。
2004年10月10日の日記
部室で油絵の続き。やはりうまくいかない。せっかくいい色ができても、上からなぞってその色を消してしまい、なだらかで何のおもしろみも美しさもないのっぺりとした色にしてしまう。
2004年10月11日の日記より
中途半端になっていた油絵を強引に完成させた。不満な部分がいくつもあるが、時間という制約には勝てない。
2004年10月23日の日記より
tbl016《オーロラ》2004年、油彩/カンヴァス、24.2×33.3cm
サークルでサンシャイン60のプラネタリウムに行った際に観た映像がモティーフ。グラデーションがきれいに塗れずに、がたがたしていて全く神秘的なオーロラではありません。
練習室を借りて作品を描いたのだが、描く前の方がよかったような気がする。描けば描くほど、描きたいものから遠のいていくような気がする。
2004年11月15日の日記より
tbl017《冬の並木道》2005年、油彩/カンヴァス、41.0×31.8cm
1月下旬から2月にかけての寒い時期の戸山公園を描きました。冬枯れの、葉が一枚もない裸木の並木道と、そこを散歩する歩行者の風景を描きました。木だけだと絵に締まりがないので、人物を小さく描くことで、相対的に木を大きく見せています。寒さで人物の頬が紅くなっています。
油彩画の前に、色鉛筆や水彩による「修行」をしました。
スケッチした時は風が強くてとても寒かったのですが、冬の存在を全身で感じられてなかなかよかったです。また、この絵をスケッチしている時に、「木の描き方」を発見しました。今後に応用していきたいです。
戸山公園に行って、なにか絵になりそうな風景はないかとさぐり歩いたが、なかなかめぐり会わなかった。そのかわり、枯れ木をスケッチして、前から描きたかった題材と組み合わせてみた。いろいろとかなり手こずったけれど、とりあえず完成というか、下描きはできた。木というものは、数学の時間にさんざんかいた樹形図をもとにすると描けると今日気づいた。それだけでも、寒い中公園でスケッチした意味はある。ウダウダしてないで、外に出るべし。
2005年1月30日の日記より
部室で、一昨日ペン入れまで終わっていた絵に、色鉛筆で彩色した。やはり彩色するとなかなかよい。ちょっとしたタブローになった。冬の並木道とでも題をつけようか。
2005年2月2日の日記より
今日も部室で、冬の並木道の別のタッチでの制作。トレーシングペーパーの表と裏をまちがえてしまったので、もうコピーができない。
一つは点描風のタッチ。原色を点で打っていって、なかなかよかったが、次の段階で別の色を打つと、どうも点描らしさがうすれてしまった。混色の仕方、どれくらい余白をつくるか、点の打ち方に研究の余地がある。
もう一つはサラッと引いた、透明水彩風のもの。こちらも余白部分が残ってしまった。いずれにしても、これは準備段階にすぎず、もっとすごいのを描きたい。
2005年2月3日の日記より
部室で、6号キャンバスに《冬の並木道》の鉛筆描きをした。木の感じや散歩人の感じはなかなかよくできたと思う。フィキサチーフもかけてきたので、明日久し振りに油絵を描いてみよう。そして今作から、新たな表現技法としての「点描」に挑戦してみたい。そしてその技法を、油絵での主流にしてみたい。点描をする際のポイントは、なるべく小さく細かく打つことだろうか。とにかくやってみよう。夜に鉛筆デッサンをやってみたが、こちらはやはりうまくいかず。
2005年2月26日の日記より
部室から油絵の道具を持ち出して、練習室を借りて、昨日鉛筆描きをした絵に彩色を始めた。今年初の油絵、久し振りの油絵である。冬に油絵を描いたことは、今までなかったはずだ。描き方も今までとはちがって、まず大まかに色をおつゆ描きでベタぬりして、次に原色で点を打っていく点描法をやってみた。最初のうちはだんだんよかったのだが、最後の方になると点が大きくなって、もはや点描でなくなってしまった。何がいけなかったのか。研究しないと。
2005年2月27日の日記より
2日続けて練習室を借りて、油絵の続き。もはや点描ではなくなってしまったが、くじけずに原色をトントンと打っていく。キャンバス上で色が混ざり合って、なんともいえない色になっていく。地面や空はなかなかの感じになったが、ビルはもうちょっと改良が必要。木の枝が見えなくなってしまうぐらいびっしり点というか色を打ってしまったので、最後に一気に木を描いていこう。
2005年2月28日の日記より
一日のインターバルをおいて、再び油絵を描く。人物は、単体としてはとてもよい感じの色になったのだが、背景とどうにも合わないので、変えてしまった。しかし、とても参考になる色であった。
木の枝の復権を開始した。しかし、どうも雑になってしまって、木の上昇するような感じができなかった。次回手直しをして、完成させよう。やはり思っていた通りにはできなかった。
2005年3月2日の日記より
今日も練習室を借りて、《冬の並木道》をどうにか完成させた。最後の方はもういやになって適当にやったような感じだ。当初思い描いていたタッチとは、まったく異なるものになってしまった。絵の具は相変わらず混ざってにごるし、いいことないね。もはや作品とも呼べそうにない。激しい自己嫌悪。ヘタクソ。再び、絵を描く気が失せてしまう。
2005年3月5日の日記より
tbl018《孔雀》2005年、油彩/カンヴァス、45.5×53.0cm
この頃はスランプというか、何を描けばよいかわからない状態に陥っていて、この孔雀というモティーフに辿り着くまでに何回もカンヴァスに描いては塗りつぶしてを繰り返し、ようやく完成させた作品です。アルバイトをしていた絵の家庭教師先で、生徒が「動物園で見た孔雀の絵を描きたい」というリクエストを受けて指導をし、そこから自分でも描いてみたものです。また、大学の授業で「孔雀明王」というものを学び、造形的な興味を持ったことも影響しています。
僕はもう絵が描けなくなってしまったのか?本当に何を描いていいのかが分からない。何を描いても、そこに意味を見出せない。こんなものを描いて何になるというのだ。もう本当にだめだ。
2005年5月11日の日記より
絵の家庭教師の子どもが描いていて、おもしろそうだからクジャクを描きたくなったのだが、どうもうまくいかない。小学生についに負けるのか。
2005年5月20日の日記より
そして突然孔雀を描こうと思いつく。授業で孔雀明王という、なかなかおもしろいものをやったから。すぐに感化される単純なやつ。
2005年5月21日の日記より
10号キャンバスにクジャクの絵を描き出す。なかなかよい。色がとてもカラフルでよい。改善すべき点はまだまだたくさんあるが、とりあえず一枚描くものが決まると、とたんに生き生きとしてくるものだ。今日の僕は生きている。
2005年5月25日の日記より
クジャクの絵を描いたが、やはり描けば描くほどダメになっていく。そしてもはや最後まで描き上げる気力が失せてしまう。もう本当にだめだ。
2005年5月28日の日記より
油絵は一応完成したが最悪のできでもはや立ち上がれない。
2005年6月1日の日記より
tbl019《御茶ノ水駅》2005年、油彩/カンヴァス、24.2×33.3cm
JR中央線御茶ノ水駅の風景を描いたもの。普段の生活圏内にはなく、大学のサークルで江戸川の花火大会に行く中に乗り換えで立ち寄った際に見た光景がなぜか気になり、描きました。
川の水面の様子や、特徴的な形をしている鉄橋の隙間からのぞく風景などに力を込めました。遠景のビル群を実際にはないようなビタミンカラーで塗ったら、全体的にほんわかしたファンシーな雰囲気になりました。
バイトのあと、部室へ行って、久し振りに油絵をやる。以前に買った、水で溶かせる油絵の具Duoというのを試してみたが、とてもよい。準備、後片付けが楽だし、汚れないし、水彩感覚で描ける。それでいて、油絵のタッチも出せる。どうしてもっと早くから使わなかったのだろう。これなら短時間でたくさんの作品ができそうだ。
2005年9月25日の日記より
なお、tbl019《御茶ノ水駅》、tbl020《奏でる》、tbl021《赤バッテン》の3作では、画材として、水で溶かせる油絵の具「DUO」を試験的に使用しました。確かに溶き油特有のきついにおいはせず、道具の後片付けも楽で当初は気に入っていましたが、肝心の発色や絵の具の塗りの様子が満足いかず、その後定着することはありませんでした。
tbl020《奏でる》2005年、油彩/カンヴァス、53.0×45.5cm
アコースティックギターやブルースハープ、タンバリンなど自分の愛用の楽器をモティーフに描いたもの。モデルの写真では展覧会のチラシが貼られてありますが、サックスを吹く人に変えてコンサートのポスターに仕立てました。ただし、実際に演奏したことのある人の話によると、サックスの持ち手が逆さまだそうです。
ギターのボティーの色のグラデーションに苦しみました。また、影を描いていないため、モティーフが接地せずに浮遊しているように見えてしまっています。静物画の描き方に難があります。
tbl021《赤バッテン》2005年、油彩/カンヴァス、60.6×50.0cm
普段使っているリュックを描いたもの。大学生というとPORTERの黒とオレンジのバッグを使ってる人が多いですが、私は同じ𠮷田カバンでもLUGGAGE LABELの方を愛用してました。ゴツいフォルムと、そしてこのバッグのシリーズを指す代名詞の「赤バッテン」と呼ばれるマークが気に入ってました。
黒光りするバッグの色彩を描くのが難しそうだと最初は思っていましたが、実際にやってみると意外とうまくいきました。モデルをよく見つめることが大事です。また、画面を縦4×横4の16マスに分割し、それぞれのマスの中の形に集中し、線をパズルのように繋げて全体的に1枚の画面にまとめるという手法をとったところ、複雑な形をしているカバンも歪むことなく、バランスを保ってしっかりと描くことができました。以降、この手法はタブロー画制作で欠かせないものとなりました。
白シャツとブルージーンズに、赤バッテンを背負って写真を撮った。それを現像して、世界堂で12号もの大きなキャンバスを買って、下描きをした。なかなかよい。明日からさっそく色をぬっていこう。
2005年10月5日の日記より
tbl022《海辺で読書》2006年、油彩/カンヴァス、41.0×31.8cm
大学の美術サークルの合宿で、千葉の岩井海岸に行った際の光景です。海辺の階段に腰掛け、脚を組んで紫煙を燻らせながら読書する友人の姿が絵になると描きました。海岸での喫煙はやめましょうね。
ジーンズが、どうやっても求める色にならなくて苦労しました。また、スニーカーの描写があまりにも貧弱です。海のグラデーションはそれなりにうまくできたのではないでしょうか。
また、本作よりマツダの「クイック油絵具」を使用するようになりました。24時間で筆触可能なくらいになる速乾性は画期的で、これにより制作時間の大幅な短縮と作品の量産が可能となりました。大学時代の油彩画のうち、約7割が3年生の時に描かれたものになります。
tbl023《未熟の海》2006年、油彩/カンヴァス、33.3×53.0cm
tbl022《海辺で読書》と同様、千葉の岩井海岸での風景を描いたもの。夕日が沈む瞬間の空の様子がとても美しく、真冬の2月ということで凍てつく寒さの中見た幻想的な情景が目に焼き付いています。しかし雲がうまく描けていません。
油絵を始める。海景用の横長のM型キャンバスに、軽く線を入れて、イエローオーカー一色で下塗りをする。水墨画みたい。なかなかよいかんじ。明日さらに進めよう。
2006年8月2日の日記より
タイトルの「未熟の海」とは、大学受験に挑む高校3年生の時の悲壮な決意と覚悟を、成功する確率の低い中航海に進む船になぞらえて詠んだテキストに出てくる「未熟の港」からインスピレーションを得ています。
希望観測船「みらい」を
「CoyaNote2003064」『第4冊ノート』より
未熟の港から出した
絶望的な大海原へ
わずかの道具で挑む
目的地に辿り着ける可能性は
三十パーセント未満
大いなる波に
呑み込まれてしまうのか
tbl024《卵の天使》2006年、油彩/カンヴァス、41.0×31.8cm
誕生日にサークルの部員のみんなからプレゼントしてもらった村山由佳の『天使の卵』という小説の中に、ある絵が登場します。それをこんなもんかなと、自分なりにイメージして描いたものです。
小説だから、当然絵については文章でしか言及されていないわけで、どのように解釈するかは人それぞれですが、色は記述に忠実に従いたいと考えていました。
言葉によって言及されているだけのものを、絵画というビジュアルな形体で表現するという試みは、なかなか興味深かったです。
tbl025《紅葉燃ゆる》2006年、油彩/カンヴァス、31.8×41.0cm
箱根へ紅葉を見に行った時の風景を描いたもの。
手前だけでなく、奥の山も紅葉じゃないとやっぱり秋らしさは出ない。ということで、真っ赤に燃やしました。でも、手前ほど目立ってはまずいので、ほどほどに。画面の手前のものほどしっかりと描き目立たせて、奥のものはややぼんやりと描く。これは空気遠近法という描き方です。
tbl026《働き盛り》2006年、油彩/カンヴァス、18.0×14.0cm
サラリーマンの悲哀を描いてみたかったのです。同名の長いテキストも残しています。
それまで、大学時代はオーソドックスな作風で描いていましたが、本作で初めて輪郭線が登場します。いろいろな作品を描いているうちに、高校時代のスタイルで描いてみたいと思うようになったのです。手始めに一番小さなF0号のカンヴァスで、実験的に描いた作品になります。
tbl027《hear the swedish wind sing》2006年、油彩/カンヴァス、27.3×22.0cm
この年の秋にスウェーデンへ留学に行った友人をモデルに描いた作品です。送別会でプレゼントした、国旗入りのスウェーデンカラーのアディダスジャージを気に入って、ブログのプロフィール画像にしてくれました。彼のブログのタイトルをそのまま作品名に使用しました。村上春樹が好きな友人は、同氏の小説『風の歌を聴け』をもじったのでしょうか。彼の留学中のブログを通して、IKEAの存在を知りました。まだ日本に上陸する前のことです。
tbl028《もふもふの天使》2006年、油彩/カンヴァス、24.2×33.3cm
ラッコの可愛らしさを表現したかったのです。
tbl029《升目Dear富士》2006年、油彩/カンヴァス、24.2×33.3cm
ちょうどこの頃、伊藤若冲のブームが起こっていて、彼の作品の特徴である「升目描き」を取り入れてみたものです。画面に1cm間隔でグリッド線を引き、1つの升目を1色で塗るという手法を採りました。結果的に、モザイク画やドット絵のような雰囲気となりました。
タイトルもこの描き方から来ていて、「富士山は日本人にとって最大のマスメディアだ」などと述べてこじつけ、意味不明なものとなりました。
tbl030《Trick or Treat》2006年、油彩/カンヴァス、45.5×38.0cm
大学の後期の授業が始まってすぐ、10月上旬に1週間くらいで完成させました。均一で平面的な色の塗りと、黒々と太い輪郭線、人体のプロポーションはデフォルメされ、目や口といった顔のパーツを点と線で表現するなど、現実を再現することを放棄した、イラストのような作風がここで確立されました。
これは自分でも大変満足のいく仕上りで、また、留学生をはじめサークルの多くのメンバーからも好評で、大学時代を代表する作品となりました。
tbl031《屹立》2006年、油彩/カンヴァス、53.0×41.0cm
あることがきっかけで、着物に憑りつかれるようになり、雑誌や書籍など着物本を買い漁りました。翌年には大学で開講されている「きもの学」という授業を履修するまでになります。それはのちに、coc034-01《春》、coc034-02《夏》、coc034-03《秋》、coc034-04《冬》やcoc035-01~15《きみのきもの》の連作、coc036《彩り模様》といった切り紙絵作品へと発展していきます。
この作品では、目の描き方うまくいかず、何回もやり直し、しまいには目の部分の絵の具層をナイフでえぐり取って修正しました。
tbl032《扇子・紅》2006年、油彩/カンヴァス、53.0×45.5cm
こちらの作品では、扇子を持つ左手の形がおかしくなっています。着物の花柄は、形を切り抜いた型紙を作って、ステンシルのようにして塗りました。一つ一つ手描きしていくよりも、うまくできたと思います。
タイトルは、扇子を持っている紅の色の着物の女性と、芸術の神様にセンスをくれないかなとお願いすることを掛け合わせています。
tbl033《花傘》2006年、油彩/カンヴァス、60.6×50.0cm
この作品でも、傘を持つ手の形がおかしいです。また、傘の形も歪んでいて、見ていて気持ちの悪いものです。
tbl034《まどろみ》2006年、油彩/カンヴァス、27.3×22.0cm
tbl030《Trick or Treat》で獲得した手法をさらに先鋭化させた作品。均一で平面的な色の塗りと、黒々と太い輪郭線はそのままに、使用する色の数を少なくし、構図もより単純化することで、さらに軽妙な雰囲気に仕上がりました。
ちなみに、構想段階では、バーのカウンターで水割りを飲みながら突っ伏して泣いている女性を描くつもりでした。結果的には、変更してよかったです。
tbl035《寂しい風》2006年、油彩/カンヴァス、31.8×41.0cm
11月も半ばで秋も深まった頃に描いた作品。物悲しい季節の寂しい雰囲気を表現しました。輪郭線は描かないとどうなるかという効果を試しています。風に吹かれてたなびく髪とマフラーを強調するために、より細長い比率のM号カンヴァスにすればよかったと今更ながら思っています。
ちなみに、2023年に公開された映画『ミステリと言う勿れ』のビジュアルイメージが、この絵となんとなく似ているように思われるのは、まったくの偶然でしょう。
tbl036《今年の冬はタートルネックセーターを着よう》2006年、油彩/カンヴァス、41.0×31.8cm
同年の夏に制作したwgd188《今年の夏はポロシャツを着よう》と対をなす作品。女の子がタートルネックセーターの襟を掴む仕草が好きで描きました。
最初は黒髪にしていたのですが、セーターの色と同化して、忍者のように頭巾をかぶった姿となってしまったため、慌てて髪の色を変更したという裏話があります。
tbl037《幸せの配達人》2006年、油彩/カンヴァス、41.0×31.8cm
tbl030《Trick or Treat》の続編のような作品。季節の行事をテーマとしており、女の子の顔の造形もよく似ています。
表現主義的抽象画
- tbl038《秋の憂い》2006年、油彩/カンヴァス、41.0×31.8cm
- tbl039《冬のうねり》2006年、油彩/カンヴァス、38.0×45.5cm
油彩画は、イメージを描く表現主義的な抽象画の段階にまで突入しました。それぞれ、秋の物憂げな寂しさ、冬の厳しい寒さを色で表現しています。ここから先に、さらなる展開があったかもしれませんが、院試のための受験勉強や卒論で忙しくなって油彩画の制作はここで途切れてしまい、社会人になるまで4年間の中断を挟むこととなります。
社会人第1章(2010年8月~2015年6月)
2010年3月に大学院を修了し、4ヶ月の空白期間を経て同年8月に就職しました。働き出してから、数多くのミスやヘマをして毎日毎日凹みまくり、この仕事は自分に向いてないんじゃないか、そもそも社会不適合な人間のクズなのではないかと、何度も疑い、明日が来るのが怖いと思ったこともありました。
仕事が忙しくて、とても制作している余裕などありませんでしたが、それでも描くことはやめられないとも思っていました。学生というモラトリアムの時期に区切りをつけて、これからの新しいステップに本当の意味で踏み出していくために、奇しくもスタートしてから10年となる2010年に、油彩画を再開することにしたのです。
世界堂で画材を買うのは何年ぶりだろう。
カンヴァスを手にとって見てみたり、絵の具の色をあれこれ迷ってみたり、
そういうことをやっているうちに、昔に戻ったような気分になった。
大学生の時だったら、画用液や筆洗油や筆洗器は共用で使っていたが、
これからは全部自分一人でやりくりしていかなくてはならない。
レジで思わず領収証をもらいそうになったり、染みついた癖はなかなか抜けない。油絵を再び描こうと思う。
前回描いたのは、大学3年生の秋だから実に4年ぶりになる。
その後は、絵画は色鉛筆や水彩なんかの手軽なもので、
もっぱら切り紙絵をつくっていた。
今、本格的な制作として油絵を復活させる。たとえ偽善的だと、甘ったるいと、女々しいと言われても、
2010年10月11日の日記より
それでも描く。
こうして社会人時代の創作活動が始まりました。
「はたらくこと」を描く
- tbl040《OLランチへ行く》2010年、油彩/カンヴァス、41.0×31.8cm
- tbl041《とりあえず、ビール》2010年、油彩/カンヴァス、24.2×33.3cm
- tbl044《オフィスの女神たち》2011年、油彩/カンヴァス、53.0×45.5cm
社会人になってから初めての油絵は、やっぱり「はたらくこと」をテーマとすることにしました(アフターファイブも含みます)。男を描いても仕方ないのでOLさんたちを登場させたわけです。お仕事をがんばってる女性へのエールにでもなればいいと思っていました。
相変わらずの作風ですが、なにせ久し振りの油絵だったから悪戦苦闘しました。描き方を忘れていて細かいミスを何回も繰り返して、そのたびに心折れそうになり、途中で何度も放置しました。それでも、何回も絵の具を重ねていくうちに色がくっきりとしてきて、そして輪郭線を描き込むと、対象はぐっと前に出てくるように存在感が出て、画面にあの雰囲気が生まれたのです。作品がぐっと引き締まるこの一瞬の喜びを味わいたいがために、油絵を描いているのでしょう。
久し振りというか、あまりにもブランクが空きすぎていて、かなりのことを忘れてしまっていましたが、スモッグを着て絵筆を持ち、溶き油で絵の具を混ぜ、イーゼルに架かるカンヴァスに向き合うと、不思議とあの頃の感覚がよみがえってきたのです。上手くいかないこともたくさんあって、疲れたりいらついたりもするけれど、それでも一度知ってしまったら、油絵を描くことはやめられないです。油絵を描けるうちは、なんとかなるような気がします。
《愛を…》2点
- tbl042《愛を描く》2011年、油彩/カンヴァス、41.0×31.8cm
- tbl043《愛を抱く》2011年、油彩/カンヴァス、45.5×38.0cm
「はたらくこと」をテーマにした後は、当時片想いしていた女の子をモデルに2点描きました。といっても本人を目の前にしたのではなく、写真を参考にしてものですが。前シリーズの「お仕事をがんばってる女性へのエール」とは、彼女に宛てたものです。ハートマークを描かせたり、抱かせたりして、愛情がこちらに向かないかと願っていましたが、ついに叶うことはありませんでした。
社会人時代に油彩画は合計5点描きましたが、においがきつく、また絵の具が乾くのに時間がかかり、住居を引っ越したこともあって、以降はアクリル画に転向することになります。
tbl045《ロボット》2013年、アクリル・ペン/カンヴァスボード、18.0×14.0cm
この年の初めに祖母を亡くし、辛い気持ちに打ちひしがれながら描いた作品です。無機質なはずのロボットの表情に、どこか悲しみや憂いを感じさせるのは、その時の心情が反映されているからでしょう。
本作から、タブロー画の描画材をアクリル絵の具に変更しました。まず手始めとして、一番小さいF0号のカンヴァスボードに描いたのですが、カンヴァス地にそのまま塗っても絵の具の定着や発色が悪いため、ジェッソで地塗りしています。また、輪郭線は油性ペンで引いています。さまざまな種類を試して、「三菱ペイントマーカー」が最も適しているという結論に達します。こうして、「ジェッソで地塗りをして、アクリル絵の具で彩色し、油性ペンで輪郭線を引く」という手法が確立されたのです。
tbl046《ねこ》2013年、アクリル/パネル、36.4×51.5cm
祖母を亡くした同月に、今度は実家で飼っていた猫を亡くしました。当時、その悲しみや辛い気持ちを次のように書いています。
実家のねこのみぃちゃんが亡くなったと連絡がありました。
15歳、人間でいうと100歳になろうかというほど、最後は老衰だったので、天寿を全うしたといえるのでしょうか。僕の人生の半分以上を過ごしてきた家族がいなくなって、寂しいです。悲しいです。体が重たいです。
1998年8月、中学1年生の暑い夏の日に、家の勝手口の付近でうろうろしてた捨て猫。ちっちゃすぎる三毛に一目ぼれ。ご飯に味噌汁をかけたねこまんまをやるも、最初は警戒しておっかなびっくり食べてて、それはすぐにキャットフードに変わって、次第に歩み寄れるようになって初めて両手で抱えた時のかわいさ。
最初は外で飼おうなんていってたけど、すぐに家の中に侵入されて、以来そこに居るのが当り前の存在になっていた。トイレはしつけられたけれど、爪とぎはふすまから障子から柱から好き放題ガリガリされて、手のかかるやつなのににくめなくてたまらなかった。
避妊手術した時は我が子のことのように心配したし、具合が悪くなった時は抱きかかえて病院に連れて行ったし、そういえば、夜遅くに遊びに出たら隣の家の倉庫に閉じ込められて一晩帰って来なかったこともあったっけ。
今日みたいな寒い日は、ストーブの前を我が物顔で独占して寝転がったり、こたつにあたっていると膝の上にのっかってきたり、布団の中に潜り込んで喉をゴロゴロ鳴らして丸まったり、天然の毛皮はこっちもあったたかった。
普段はこっちが呼びかけても見向きもしないくせに、ご飯が欲しい時や遊んでもらいたい時だけじゃれてくる、そういうひねくれてるところがたまらなくかわいいのだ。
この前帰った時には、かつてのデブさからは考えられないくらいやせ細って骨と皮だけになって、歯が欠けてご飯もあんまり食べられなくて、いつかはこうなることはわかっていたけれど、それでもやっぱり悲しい。
今年はどうやら辛い1年になりそうだ。去年の年末に、ろくなことがないと言った悪い予感が当たってしまった。人生は辛い。耐えられない。
2013年1月27日の日記より
猫をモデルに描くのは、tbl006《猫》以来12年ぶりになりますが、その頃から少しは成長が見られるでしょうか。アクリルでも写実的な表現が可能だと知ることができたのは、大きな収穫となりました。
tbl047《Say-Là》2013年、アクリル・ペン/カンヴァス、53.0×45.5cm
クロッキー帳に描いた落書きのような素描を基に描いたもの。珍しく鼻を描いていますが、明らかに違和感があります。素描に見られるスピード感や勢いなどの良さが、全く反映されていなくて、駄作となってしまいました。
tbl048《deux poupées de Say-Là》2013年、アクリル・ペン/カンヴァス、60.6×72.7cm
こちらもクロッキー帳に描いた落書きを基にしています。右側の人物の太ももとガーターベルト、網タイツが妙に艶めかしくなりましたが、他は見るべきところのない駄作です。
tbl049《横顔/正面顔》2013年、油彩・クレヨン/カンヴァス、33.3×24.2cm
この頃SNSで一時的に話題となった、横顔にも正面を向いた顔にも見える不思議な画像をモデルに描きました。
アクリルと並行して、タブロー画は本作より新たな方向へ進むことになります。それは、油絵の具で地塗りした画面の上に、クレヨンで描画していくというものです。地塗りだけしたままで持て余していたカンヴァスを、捨てずになんとか活用できないかと模索した結果獲得したのが、この手法です。
いつかなにかを描こうと思って油絵の具で地塗りを施してから3年も経ってしまった。その間に、住まいを移したため、油絵を描くことが実質的に不可能となってしまった。無意味に大きなカンヴァスがいくつも残ってしまい、どうしようかと途方に暮れてしまった。
上からジェッソを塗ってしまおうかとも、アクリル絵の具を重ねてしまおうかとも考えた。しかし、油絵の具の層の上からそれらを塗り重ねると亀裂や剥落など画面が傷んでしまうという。下手くそな絵を描くくせに、作品の保護については気にするというどうしようもない性分で、それらは断念した。
もういっそのこと、地塗りしたカンヴァス地は捨てて、枠だけ利用して新しい布を張ろうかとも考えた。しかし、せっかくいい味を出している地塗りの色を捨てるのがなんとももったいなくて、それもやらなかった。
解決策、答えは意外な画材であった。クレヨン、小学生どころか幼稚園児の頃から慣れ親しんだ、もっともプリミティヴなこの画材が実は油絵具というもっともソフィスティケーテッドされた画材と、相性が抜群にいいということを発見したのだ。同じ油を成分とする共通点が、一見するともっとも遠い距離にあるこれら二つの画材を、見事に融合させていた。
油絵の具の地塗りの上で、クレヨンは溶けるように、なめらかに彩色できる。指でこすれば混色もできるし、ややざらざらしたマティエールは、はるか昔の幼少期に描いたクレヨン画そのものだ。
その、もはや思い出と化しているかつての表現に、下絵の輪郭線をカンヴァス地になぞって写し、その中を色を塗り込めるように彩っていくという、自分で確立した手法をあてはめる。過去と現在、時間を隔てた二つの手法の統合、それが辿りついた到達点だった。
この方法で、5枚クレヨン画を描いた。地塗りの油絵の具が厚くて、うまく色がのらないこともあったけれど、結果には満足している。幼児が描いたような、プリミティヴな作風、それは多分にマティエールに起因するのだが、こんなスタイルは今までにない新たな境地である。
また、描き終わった後の画面の保護も怠ってはいけない。クレヨンコートという定着剤を見つけた。これをスプレーして吹きつければ、クレヨンは固定され、指でなぞっても色がこすれないのだ。
さて、こうしてクレヨン画を描き終えたわけではあるが、今後も続けるかはわからない。この新しい表現手法は魅力的で可能性もあるが、いかんせん手が汚れるし大変である。ひとまずメソッドは確立したので、いつでも再開可能な状態を保ったまま、封印しておきたい。
「クレヨン画を描き終えて」『第12冊ノート』より
tbl050《菜の花畑》2013年、油彩・クレヨン/カンヴァス、38.0×45.5cm
黄色い油絵の具で地塗りしたカンヴァスの色を活かした作品です。菜の花の茎や葉にあたるグリーンをどのように配色するかが大きなポイントでしたが、及第点といったところでしょうか。
tbl051《深海》2013年、油彩・クレヨン/カンヴァス、60.6×50.0cm
こちらは濃く深い青の地塗りを、そのまま海の色に採用しています。クレヨンのザラザラとした粗いマティエールは、石やサンゴ礁、ヒトデや貝殻などを表現するのに最適です。
全体的にはよく描けたと思うのですが、一つだけ、瞼を閉じた人魚の瞳を表す描線が顔のパーツの中で適切な位置からずれているのが大きな不満です。画竜点睛を欠くとはまさにこのことで、細部にまで気を配らないと良い絵は描けないということを学ばされました。
tbl052《Kiss on the Pumpkin》2013年、油彩・クレヨン/カンヴァス、53.0×65.2cm
本作では、イエローオーカーで地塗りした画面の上に描いています。その効果は、特にカボチャのオレンジ色に現れていて、濃く深い色彩となっています。
女の子が被っている帽子の形が歪んでいるのが残念なところ。デッサンの段階でしっかりと形をつくっておかないと、後で修正することは難しいです。
tbl053《Astrogation》2013年、油彩・クレヨン/カンヴァス、60.6×72.7cm
クレヨン画シリーズの最後となる本作は、地塗りの青を宇宙空間の色としています。もう少し深くて暗い色の方が、他とのコントラストがよりはっきりできて良いのですが、地塗りの色をそのまま使うというのがこの手法のモットーであるため、あえて手を加えていません。これだけ広い範囲をクレヨンで塗るのが難しいという現実的な問題もありましたが。
タイトルはこの頃頻繁に聴いていた声優・アーティストの水樹奈々による同名の曲からきています。「宇宙旅行」という意味や、スケールの大きな出会いの奇跡を歌った歌詞の内容からイメージを膨らませて描きました。制作中は、もちろんこの曲をエンドレスリピートで聴き、創造性のエネルギーとしてのガソリンを体内に注ぎ続けました。
tbl054《喜びを分かち合う》2013年、アクリル・ペン/カンヴァス、65.2×80.3cm
この年の12月に、祖父を亡くしました。その2ヶ月前に突然私のところに会いに来た時にはとても元気そうに見えたのに、あまりにも急なことで絶句してしまいました。今思うと、あれは俗にいう虫の知らせというものだったのでしょうか、感じていた一抹の不安が的中してしまったのです。2013年は祖母、飼い猫、祖父と大切な家族を立て続けに亡くして、悲しみのどん底に突き落とされた一年でした。
本作は、そんなボロボロの精神状態でなんとか描き上げたものです。YouTubeかなにかで、猫と暮らすメリットとして喜びを分かち合えるとナレーションしながら、飼い主と猫がグータッチを交わしている動画を見て、その面白さや可愛さを表現したいと思い、描きました。
F25号のカンヴァスは、それまでの画業で最大のサイズになります。まだ学生だった7年前に、大作を描こうと意気込み、ジェッソを施したまではよかったのですが、そのサイズに釣り合うだけのテーマやモティーフを見つけることができずに、ずっと塩漬けされていたものです。完成させた時の喜びを、次のように記しています。
実に7年もの間寝かせてあった
F25号のカンヴァス
あの時何の計画も構想もないまま
衝動的に買い
ジェッソまで塗って
いつでも描ける状態にまでしておいて
そのまま時だけが流れたあの時一体何を描くつもりだったのだろうか
何が描きたかったんだろうか
明確なヴィジョンもないまま
とにかく大きい作品を描かずにはいられなかった
結局その想いが実現することはなく
カンヴァスは地塗りのまま
あちこちをさすらうこととなるそして今日ついにそのカンヴァスに描いた
これを描こうというイメージは前からあったが
実際にラフスケッチをしたのは昨日
突然思い立ったかのように描いたのだ
いつものような方法でカンヴァスに輪郭線が引かれ
あとは色を塗るだけというところまできて
しかしどうもしっくりとこない
はたしてこのテーマは
7年もの間温めておいたカンヴァスに
ふさわしいものなのかという
疑問が消えなかった
もっと他にいいイメージがあるのではないか
このカンヴァスにはもっと可能性がある
もっといい絵が描かれるべきだ
こんなテーマで使ってしまうのは
もったいない 無駄であると
そういった想いがずっとよぎっていたしかしそんな迷いは
描いていくうちに消えていったまず背景の色を塗っていくと
派手すぎず地味すぎない
その色調にこの絵の成功を確信した
刷毛を使ってムラのない理想的な背景が塗れたつづいて右側の人間の手
ジョブリアンという色を混ぜることなく
チューブから出したまま塗る
やや褐色が強いが
むしろそれが背景の色とあっている
こちらもフラットに塗れたそして左側の猫の手
ここで少し失敗してしまう
隣の色の部分にまではみ出してしまった
あわてて修正しようとすると
筆についた絵の具がしぶきのように滴り落ちて
背景を汚してしまった
そして絵の具が濃いため泥のようになってしまい
ムラができてきれいに塗れないこうしたトラブルにすばやく対応しないといけない
今までの経験が試されるなんとか彩色は終わった
全体的によく塗れたと思うのだが
どうにも画面がぼやけているような印象で
くっきりと主張してこない
そこで絵の具をしかりと乾燥させる
最後の仕上げに進みたいと
はやる気持ちを押さえつけて
筆を洗ったりなど
時間をつぶして
そして絵の具が乾いたことが確認できた
午後4時ちょうどに
最後の仕上げとして
油性マーカーで
輪郭線を引いていく
息を呑むほどの緊張感で
一気呵成に描く
太さやかすれ はみ出しなどに
最大限注意しながら
彫刻刀でやるみたいに力強く
線を画面に刻んでいく
時間にしてわずか5分
しかし密度の濃い作業を終えて
作品はついに完成した
輪郭線によって色と色との区切りが明確になり
画面から飛び出しそうなくらい
こっちに迫ってくる
くっきりきっぱりとした主張は
もうこれ以上さわることができないくらいの
説得力があるそして最後にサインを入れる
考えてみたら
このカンヴァス買った時は
こんなサインは使っていなかった
それだけ時間が経ったわけだできあがった作品
素直にいいといえるものとなった
描く前に感じていた
疑問や迷い 不安などは
終わってみればまったくくだらないものだったあの時この巨大画面にふさわしいテーマが
どこかにあるはずと探していたが
どうしても見つからなかったしかし7年経ってようやくわかった
テーマは探すものでも
啓示のように天から降ってくるものでもない
自分の中で描きたいと思うもの
それがテーマだ
今 この時にしかそれを描くことはできない
その時そこにあるカンヴァスが
それを描くべき画面なのだ
大きさなど関係ない7年かけてようやく役目を見つけたカンヴァス
描き終えた今なら断言できる
このカンヴァスにふさわしいのは
この絵しかないと
今年のうちに描けて本当によかった2013年12月17日
「CoyaNote2013239」『第12冊ノート』より
この絵を描くことで、暗黒状態をなんとか乗り越えることができました。私にとって本当に大切な作品です。
tbl055《うつ病のわたし》2015年、アクリル・ペン/カンヴァス、27.3×22.0cm
仕事でパワハラを受け、ストレスとプレッシャーで精神が壊れました。メンタルクリニックを受診するとうつ病であるとあっさり診断されてしまいました。その時のショックを、フラフラになりながらなんとか描いたものです。
僕は、うつ病と診断された。それは人間失格の烙印を押されたようなもの。もはや生きる価値もないと評されたようなもの。
絶望すらない。5種類もの薬を処方されて、睡眠薬や精神安定剤や、いろんな種類のものがあって、これを服用しなければいけないという。このままクスリづけになって、精神がイカレタキチガイになって、廃人になって終わるんだろう。もう生きる意味もない。人間として最低限保っていたレベルのラインが、ぷつりと切れた気分だ。
「2015年7月14日」『第14冊ノート』より
診断から遡ること1ヶ月前、誕生日を2日後に控えた6月5日に、自分に呪いをかけて一切の創作を禁じたのです。今その文章を読むと、追い詰められた精神状態は我慢や忍耐の限界を迎えていたことがわかります。
もう絵を描くことも、文章を書くことも、当然その融合物も含めて、やめてしまおうかと思う誕生日2日前の夜。
これまで、17歳と20歳の誕生日に合わせて、その時の心情、新しい日々に向けての決意のようなものを短歌に詠み、それに絵を添えた作品を創ってきた。まじめで前向きな、純粋でまっすぐな人間にでもなろうとしたのか、やけにキラキラしたものだった。今見ると、それが一生懸命で真剣であればあるほど、痛々しくて恥ずかしくて、みっともなくて、目をそむけたくなるほど青くさいものに感じられる。厨二病のような、意識高い系の、世間の目を気にしない、常識など知らない、空気の読めない愚かな奴。こんな作品を世に生み出してしまったのは、黒歴史以外のなにものでもない。抹消も封印もできない、タトゥーのような若さのあやまち。
30歳を目前にした今、やっと気付くことができた。世間一般の、常識ある人がこれらの作品を見たら、ニヤニヤとケラケラとプックスクスと嘲笑してバカにするのだということに。自分だけがそのことを知らなかった。なんて無知な、なんて愚かな、なんて恥ずかしいことだろうか。裸でいたのに、周りから指摘されないから平気な顔していたのだ。バカだな、本当に。
こんな作品を創って、何になるというのだろうか。自己満足か、承認欲求を満たしたいというのか。自分語りをして、すごいね、えらいね、ヨチヨチイイコイイコ頭ナデナデってほめられたい、かまってちゃんのナルシストは、今すぐに死ね。そんな未熟な、幼稚な精神は、とっとと捨てろ。世間一般のフツーの30歳は、もっと大人で、もっと立派なものだ。家庭を築いて、責任ある仕事をして、充実した人生を送っているのが、君以外の全ての30歳だ。君だけがいつまでも、ガキジャリのようにヘタクソな作品を、恥ずかしげもなく創り続けている。でかい図体してるくせに、黄色いチューリップハットかぶって、スモッグを着て、おままごとをして遊んでいる。まだおしゃぶりも、おむつもとれてないかもしれない。もういいかげん、お絵描きの時間はおしまいだ。
なにかに熱くなったり、夢中になったり、一生懸命、まじめにひたむきな自分の姿を見せようとするのは、今の時代ではとても恥ずかしいことだ。イタイことだ。もはや、絵を描いたり、文章を書いたり、ましてや誕生日にその時の心情や決意を、イラストとともに短歌にして詠むことなどは、この上ないくらいにダサくてカッコ悪いのだ。え、どんなの?教えてよ。
なになに、17歳の時の作品は
一途さと僕自身しか割り切れない十七歳は素直な数字
うわー、すごいね。割り切れない、純粋でまっすぐな自分を演出したかったのかい?イタイね。恥ずかしくないの?バカじゃねーの?死ねよ。
で、20歳の時の作品は
十代の轍を断ち切る音の名は自立と自律ハタチのカタチ
うわー、すごいね。20歳で大人にならなくちゃってこの頃よく言ってたよね。その決意を高らかに誓っちゃったよ。こっちが恥ずかしくなってくるくらいキラキラしてるね。僕は大人になるんだ、ってか?しかも「轍」の「ダチ」と「断ち」の「タチ」、「音の名」と「大人」、「自立と自律」、「ハタチのカタチ」と、韻を踏んだり、言葉を掛けたり、技法もふんだんに使っちゃったりして、ドヤ顔を決めてるつもり?イタイね、恥ずかしいね、ダサイね、カッコ悪いね。死ねよ。
だいたい、絵も短歌も、独学の自己流で、まともなものが創れると思ってんの?きちんとした指導も受けてない無能な素人が、ドヤ顔で作品を創ってんじゃねーよ!調子にのんなクソが。
もう何も創るな。もうなにもするな。これ以上生き恥をさらすな。生きるな。
いいか、もうすぐ30歳になるが、それに関して一切の創作を禁じる。絵も、短歌も、なにも創るな。もし創ったら、殺す。オレがオレを殺す。許さない。これ以上、オレをムカツかせるな。さっさと消えろ、死ね。
2015年6月5日
「CoyaNote2015016」『第14冊ノート』より
こうして自分にかけた強力な呪いとうつ病により、ここから3年間、美術も文学も一切創作をすることができなくなってしまったのです。苦しみや辛い気持ちなどを作品として表現できずに、絶望の暗闇の奥深くへと沈み込んでいくことになりました。途中で強制終了されたような区切りで、社会人第1章は終わります。
社会人第2章(2018年5月~2024年9月)
病気休職、リワークを経て、2018年1月より仕事に復帰しましたが、所属部署を異動したため業務内容がそれまでとは全く別の分野となり、慣れることができず、息が詰まりそうなほど苦しい毎日を送っていました。
そうしていると、次第に絵をまた描きたいという気持ちが、少しずつではありますが湧き上がってきたのです。
昨日、なにものかわからない衝動に駆られて、突然世界堂でカンヴァスを買って、今日久しぶりに絵を描いた。(中略)
ちゃんとした絵を描くのは、実に3年ぶりのことだ。当時、私は自分に呪いをかけて、一切の創作を禁じた。下手くそな絵を恥ずかしげもなく披露して何が楽しいのだと。それ以来、創作ができなくなってしまった。
でも、最近毎日夜遅くまで残業して、仕事に擦り切れそうになっていて、その治療としてはやはり絵を描くことが有効なんじゃないかと思うようになった。下手くそでもいいじゃないか。恥ずかしくても、痛々しくても、何もしないよりはましだ。結局、描いた者が一番偉い。どんな状況下でも、描き続けることだ。あの日かけた呪縛から、やっと解き放たれることができた。まだ、描いてもいいよね?許されるよね?
(中略)
遠慮なんかいらない。思う存分、アマチュア芸術家として創作すればいい。
というわけで、これからまた創作を再開したいと思います。どうぞよろしく。
2018年5月20日の日記より
こうして、自分にかけた強力な呪いを解き、私は再び絵を描けるようになったのです。ここからは社会人第2章になります。
tbl056《春の嵐》2018年、アクリル/カンヴァス、38.0×45.5cm
アマチュア芸術家への復職第一弾は、春の嵐を色で表現した抽象画となりました。具象的なモティーフを描く前の、リハビリのようなものでしょうか。
タイトルは、アイドルグループ・私立恵比寿中学による同名の曲からきています。この歌が収録されているアルバム《エビクラシー》は、メンバーの一人が病気で亡くなるという悲しい出来事があった後に発売されたものです。そのような事情も加味して聴くと、苦しいほど切なく、深く訴えかけてくるものがあり、この曲の虜となりました。制作時にもエンドレスリピートで聴き続け、インスピレーションを得て描きました。
tbl057《頭痛に悩まされる男》2018年、アクリル・ペン/カンヴァス、22.0×27.3cm
頭を抱えるスーツを着た男。頭痛に苦しんでいるのか、悩み事があるのか。うつ病で頭痛に苦しんでいた自分の体験をテーマとしています。この男には、私の身代わりに痛みを背負ってもらおう。もう偏頭痛や悩み事とはおさらばだ。悪魔祓いのように描いた絵です。
tbl058《33歳のやまとうた》2018年、アクリル・ペン/カンヴァス、53.0×45.5cm
33歳の誕生日を記念して、ハタチの時以来実に13年ぶりに短歌と絵を融合させた作品を制作しました。三日月を並べると、「3」の形に見えることから着想を得て詠んだ短歌になります。月明かりのように、光り輝く1年にしたいと当時は抱負を語っていましたが、現実はそう甘くなく、光を浴びることはなく暗い影の中でひっそりと生きることになります。
tbl059《井の頭公園でボートに乗った思い出》2018年、アクリル・ペン/カンヴァス、41.0×31.8cm
タイトルの通り、井の頭公園のボートに女の子と二人で乗りました。30歳を目前にして彼女のいない私を心配して、周りの友達が女子大生と合コンをセッティングしてくれて、その流れでデートをしたのです。
友達の気遣いはとてもありがたかったのですが、残念ながらその子とはそれっきりで二度と会うことはありませんでした。
tbl060《すみぺ人形》2018年、アクリル・ペン/カンヴァス、41.0×31.8cm
「すみぺ」とは、声優・アーティストの上坂すみれの愛称です。この頃、すみぺのラジオ番組を聴いてファンになり、彼女の1stアルバム《革命的ブロードウェイ主義者同盟》のジャケット写真を基に描きました。それにしても下手くそです。モデルの彼女はとても可愛い(すみぺは可愛いことを「毛深い」と独特の表現をします)のですが、その魅力を全く表現できていません。
tbl061《すみぺ二人》2018年、アクリル・ペン/カンヴァス、45.5×53.0cm
前作tbl060《すみぺ人形》の失敗でやめておけばよいものを、懲りずにまたすみぺを描いてしまいました。しかも複数。左のすみぺは彼女の3rdアルバム《ノーフュチャーバカンス》のジャケット写真、右は2ndアルバム《20世紀の逆襲》のジャケット写真(実際は裏側のものですが、amazonに画像がなかったため表側を参考として掲載しています)の2つの姿を、合成させています。不気味で醜く、モデルにしたすみぺに謝罪したいくらいひどい出来です。
tbl062《少女》2018年、アクリル/カンヴァス、33.3×24.2cm
均一的な平塗りではなく、絵の具を重ねていく写実的な表現が無性にしたくなり、描いてみたものの、あまりの拙さに絶望しそうです。
久し振りに絵を描いたら、これがまあ下手クソなこと。下手というよりキモイ。どうしたらこんなに下手クソでキモイ絵を描けるのだろうか。それも一つの才能だと言うのは、言い訳にすぎない。
もう絵を描くのなんてやめてしまおうか。その方が自分のためにもなる。
2018年8月9日
「CoyaNote2018008」『第14冊ノート』より
tbl063《ハートの髪型の肖像》2018年、アクリル・ペン/カンヴァス、33.3×24.2cm
写実的な表現は無理だと断念し、再び平塗りの色面を輪郭線で縁取る手法に回帰しました。眼の描き方が下手なため、魅力的な人物像となっていません。
眼の描き方にどうも問題がある。目玉焼きみたいな形をした眼がいけない。魅力的に見えない。
写実的、といってもデフォルメしている時点で写実的ではないのだが、そのように描こうとしても、いい絵にならない。ここは、イラスト的に、黒く小さな点で眼を表現してみたらどうだろうか。眼を意味する記号としての点。それに口もだ。写実性から脱して、イラストタッチの絵画へ。
「CoyaNote2018013」『第14冊ノート』より
tbl064《秋を奏でる楽隊と葉っぱ》2018年、アクリル・ペン/カンヴァス、60.6×50.0cm
チェロのボディには黄色と茶色の2種類があり、それが葉っぱのように見えたことから描いたものです。楽器を全面的に出すため、演奏者は匿名性を持った黒い棒人間になっています。
チェロのボディーの形、特にくびれ具合とその色が、まるで落ち葉みたいに見えたので、絵を描きたいとずっと思っていた。長い間温めていた構想を、ようやくイメージできたのはよかった。
「CoyaNote2018034」『第14冊ノート』より
tbl065《トナカイ》2018年、アクリル・ペン/カンヴァス、41.0×31.8cm
はるか昔、大学1年生の頃に思いついたトナカイをシルエットで描きたいという欲求を、ずっと保ち続けたまま、14年の時を経てようやく形にしたものです。
tbl066《クリスマスに乾杯》2018年、アクリル・ペン/カンヴァス、24.2×33.3cm
クリスマスの時期に合わせて、tbl065《トナカイ》と並行して描いた作品。シャンパンの部分はラメ入りのゴールドの絵の具を使用して、キラキラ光り輝く様子を表現しています。
tbl067《謹賀新年》2018年、アクリル・ペン/カンヴァス、60.6×50.0cm
翌年のお正月用に描いたもの。創作を復活させた年を締めくくり、次の年に繋げようという願いを込めました。
昼食もとらずに、10時間以上ぶっ通しで絵を描いた。クタクタのフラフラだが、満足感は大いにある。この満足感を得たいがために、僕は絵を描くのだろう。上手い下手じゃない。描くという行為そのものを楽しんでいる。
トレーシングペーパーで、モチーフを写し、目安線を引いて、カンヴァスと同じサイズの紙に拡大していく。次に、カーボン紙でカンヴァスに下絵を刻んでいく。線が引けたら、アクリル絵の具で色を塗っていく。1回目は薄い色で全体の調子を見る。乾くのを待って、2回目はゴシゴシと力を込めて塗る。そして3回目で仕上げる。3度塗りで色が完成したら、線を引くのだが、ここで少し迷った。線を引かなくても充分いいのではないかと思えてきたのだ。しばし考える。そして、やはり線を引くことを決断する。失敗は許されない一発勝負呑。息を呑むうな緊張感中で、ペンで輪郭線を引いていく。
結果としては、やはり線を引いてよかった。絵全体が引き締まってくる。こうしてまた作品が完成した。
思えば、3年前の2015年6月5日にかけた呪縛で、僕は絵を描けなくなってしまった。下手クソな絵など描いても仕方ないと思うようになってしまった。そしてうつ病を発症し、もはや絵を描くエネルギーも奪われてしまった。
しかし、職場復帰し、少しずつ精神的にも回復してくると、絵を描きたいという気持ちがわいてくるようになった。そして、ある日、衝動的にカンヴァスを買って、絵を描いた。モチーフもなにもない、勢いだけの抽象画だったが、再び絵を描くことができた。これによって、僕は自分にかけた呪縛から解放された。
それからは、自由に、描くことができるようになった。過去との訣別や、昔ラクガキで描いたイメージなど、いろいろとモチーフを描いていった。そして今日、2018年の描き納めを行った。
もうこれからは、下手クソだという劣等感にとらわれる必要はない。自由に、好きなように描いていけばよい。
来年は、もっとたくさんの絵を描いていきたい。
2018年12月29日
「CoyaNote2018048」『第15冊ノート』より
tbl068《シャツとランドリー》2019年、アクリル・ペン/カンヴァス、33.3×24.2cm
フが見つからず、なにを描いても意味がないように思えてしまったのです。洗濯機を買い替えたことから、シャツと組み合わせて無理やり絵にしました。
苦しみながら、なんとか1枚、エスキースまでたどりついた。モティーフは身近なところにあった。それを強引にも絵にした。形はどうあれ、今は描くことが大切だ。
2019. 8.27
「CoyaNote2019017」『第15冊ノートより』
tbl069《彼女はドーナツを持っている》2019年、アクリル・ペン/カンヴァス、60.6×50.0cm
tbl042《愛を描く》、tbl043《愛を抱く》でモデルにした、片想いしてふられた女の子。唇の色が自分にしては特徴的になっています。
愛しい人を描こう。愛情を線や色に変えて。好きな気持ちを一筆一筆表現していく。
「CoyaNote2019022」『第15冊ノート』より
写真をもとにトレースしていく。描線だけになった彼女を、かわいいと思ってしまう。早く描きたい。それは愛情の表現の一つだ。
「CoyaNote2019023」『第15冊ノート』より
tbl070《彼女の横顔》2019年、アクリル・ペン/カンヴァス、60.6×50.0cm
前作tbl069《彼女はドーナツを持っている》と同じ女の子がモデル。唇がまさにタラコそのものになってしまっています。
今日、1枚絵を描き終えた。愛しい人、片想いしている人をモデルに描いた。イーゼルにカンヴァスを架けて、対峙する。いつものように絵の具を塗っていく。今回から、筆を油絵で使っていた筆にした。違和感は特になく、今までと同じような感覚で描けた。途中、絵の奥を薄めすぎて垂れたりしたが、順調に描き進められた。
仕上げに、マジックペンで黒々と、太く 輪郭線を引いていく。色を閉じ込める。そうするともうそれ以上手を加えることはできない。
今回の絵は、不思議な出来となった。 じっと見つめていると、絵が動いているような気がしてくるのだ。奥行きが前に出てくるというか、雄弁に語り出してくる。こんな経験は初めてだ。いくつか反省すべき点はあるが、今回の絵の仕上がりには満足している。次もこんな感じで描いていきたい。愛しい気持ちを表現する。それが今の僕にできる唯一つのことだ。
2019年9月11日
「CoyaNote2019025」『第15冊ノート』より
tbl071《彼女は本を持っている》2019年、アクリル・ペン/カンヴァス、112.0×145.5cm
本作とtbl072《彼女は前髪を気にしている》の2点は、画業の中で最大のF80号のカンヴァスに描いたものです。いつかは1m超の大画面の作品を描いてみたいと思っていて挑戦したのですが、結果的には散々なものとなってしまいました。やはり私は、小さい画面にちまちまとしたしょぼい絵を描いている方が性に合っているようです。
今までの画業で最大サイズのカンヴァスF80号を買った。しかも2枚。その他に絵の具やジェッソなども。勢い だけで、衝動に突き動かされて買ったのだが、構想はある。しかしそれを描いたところで何になるのだろう、何の意味もないではないかという、疑いの気持ちもどっかにある。迷いがあってはだめだ。ためらっていては、いい絵は描けない。今、この瞬間に描くと、今しか描けないと思うことだ。
「CoyaNote2019033」『第15冊ノート』より
80号カンヴァスにジェッソを塗った。それだけで一苦労だ。部屋を占拠する大画面に、本当にこれに描いていけるのかと思ってしまう。まず場所がとれない。床に置いて水平に描こうと思っていたが、どうにも難しそうだ。だとすると、壁に立てかけて描くしかないのか。いずれにしても、描くのにはもっと苦労しそうだ。
「CoyaNote2019034」『第15冊ノート』より
2枚目の80号カンヴァスにジェッソを塗った。今 回も悪戦苦闘、汗ダラダラでとても疲れた 。あとは乾燥させれば、とりあえず描く準備は調ったことになる。しかし、本当にこんな大画面に描いて、意味があるのかと思ってしまう。疑っていてはだめだ。心にゆらぎがあるうちは、きっといい絵は描けないだろう。今、このタイミングで、このモティーフを描くことにこそ、意味がある。今しか描くチャンスはない。そうやって、あらゆる疑念を振り払っていかないと、とてもこんな大画面とは闘えない。少しでも気を抜けば、油断すればたちまち、喰われてしまいそうな大画面である。立ち向かう気力、体力を充分にたくわえなければならない。
「CoyaNote2019035」『第15冊ノート』より
ジェッソの乾燥に思いの外時間がかかる。カンヴァスの表面は乾いても、ふちの部分にしたたり落ちた、滴のようなものが、厚塗りになってしまい、なかなか乾かない。今日中に乾いてくれないと、寝る場所さえないような状況だ。
「CoyaNote2019036」『第15冊ノート』より
80号のカンヴァス2枚に、下絵の線を描いた。コンビニのコピー機のポスター機能を使い、簡単に大画面がつくれる。 最初はカッターで余白を切って、 糊で貼ってつなげていこうとしたが、とてもそんなことができる作業スペースがとれず、断念。マスキングテープの上からなぞっても、カーボン紙で線が写しとれることが、実験によってわかったので、マスキングテープで貼り合わせていくことにした。
できあがった下絵は、かなりの迫力があったのだが、ここにきてまた迷いが生じてしまう。よく見ると、絵にしても仕方ないものではないかと思ってしまった。それでも、ここまできたらもうあとには引けないと腹を括り、作業を進める。カーボン紙の数も大量に必要で、いろんな方向から腕を伸ばして線をなぞっていく。下絵を写しとるだけで一苦労である。
なんとか2枚、下絵を描いたので、あとはアクリル絵の具で塗っていくだけだ。しかし、画面が大きいため、絵の具も大量に必要になってきそうだ。
その後、8号のかカンヴァスにジェッソを塗り、そのカンヴァスに描いていく下絵を描いた。描くべきこと、やるべきことばたくさんある。それをやっていくだけだ。
2019年9月26日
「CoyaNote2019039」『第15冊ノート』より
F80号のカンヴァスに描き出した。刷毛を使って広い部分を塗っていくのだが、カンヴァスを立て掛けてあるので絵の具が垂れてしまう。なかなか思い通りにはいかない。そして台風が来て気圧のせいか、眠くて仕方ない。一度塗ると、疲れて眠てしまった。結局、二度塗りしたところで今回はおしまい。続きは次回。これが、大型画面を描くことの難しさなのか。
2019年10月12日
「CoyaNote2019046」『第15冊ノート』より
F80号のカンヴァスに色を塗り終えた。まだ、輪郭線を描いていないので完成はしていないのだが、とにかく疲れた。広い面積を刷毛で塗っていくのが、力を込めないといけない。一回塗るとすぐ 眠くなってしまう。絵の具は大量に消費するし、時間も体力も奪われて いく。こんな絵を描いて、何になるんだろうという、ネガティブな思考が顔を出してくる。それでも描いてしまった。この世に生み出してしまった以上、それは作品だ。 責任を持たなければいけない。
まだ完成していないので、油断してはいけない。そしてもう1枚あるカンヴァスも、早く手をつけなければいけない。
「CoyaNote2019049」『第15冊ノート』より
2、3日寝かせておいたF80号のガンヴァスに、満を持して輪郭線を引いたのだが、これが思ったようにならない。色を閉じ込 めても、ぐっと迫ってくるものがないのだ。大画面だから線が細くなってしまったのだろうか。とにかく失敗作に近 い形になってしまった。残念だ。これが、大型画面を描くことの難しさなのか。
「CoyaNote2019050」『第15冊ノート』より
やはり昼間まで寝て、午後から色塗りの続き。途中いろいろとハプニングはあったけれど、なんとか終えた。あとは乾燥させて、ペンで描線を刻んでいくのだが、大型画面を2つ描いて、思っていたような達成感は得られなかった。空しい。やはり、何の意味もなかった。寂しい。
「CoyaNote2019052」『第15冊ノート』より
7連動があって、仕事が忙しくて、やっと休みがとれた。長いこと色を塗ったまま放置していたF80号のカンヴァスに、線を引き、また新たに1枚描いた。しかし、相変わらず下手クソで嫌になる。絵の描き方を忘れてしまったのだろうか。それとも、もうこのモデルに対しては何の感情も抱いていないから、どうでもいいというネガティブな気持ちが働いて しまったのだろうか。
もう、絵を描くのをやめてしまおうかという、いつもの病気がやってきた。でも、少なくともあと8枚は下絵を描いたカンヴァスがあるのだから、それだけは片付けないといけない。
2019年11月5日
「CoyaNote2019053」『第15冊ノート』より
tbl072《彼女は前髪を気にしている》2019年、アクリル・ペン/カンヴァス、112.0×145.5cm
完成させた後、新聞紙で梱包して保管していたのですが、光に晒されてガムテープの痕が焼き付いてしまいました。修復する気も起きません。こういうこともあって、大型画面に描くのはもうやめようと思ってしまうのです。
tbl073《秋三葉》2019年、アクリル・ペン/カンヴァス、31.8×41.0cm
秋の葉というモティーフが常に気になっていて、それを形にしたものの一つです。右のイチョウの葉のみ90°回転させることで、画面に変化と動きを生み出しています。
画面の上下に黒い帯を配置することで、映画のスクリーンのような効果を狙っているのですが、今思えばより細長い比率のM号カンヴァスに描けばよかったと後悔しています。
tbl074《ピエロ》2019年、アクリル・ペン/カンヴァス、45.5×38.0cm
ピエロに潜む狂気を表現したかったのです。お道化た顔の裏側にある悪魔の存在を。サイケデリックな雰囲気を出すために、背景色はショッキングピンクとなっています。
ピエロに潜む狂気
それを描きたい
道化顔の裏側にある
悪魔の存在を奴はきっとモンスターだ
「ピエロ」『第15冊ノート』より
騙されてはいけない
tbl075《デブ・デブ夫の肖像》2019年、アクリル・ペン/カンヴァス、45.5×38.0cm
健康診断で体重を量ったら、一時期より20kgくらい太ってしまい、自戒を込めて描いたもの。このままではメタボまっしぐらでなんとかしなければいけないのですが、ジムなどに通っても絶対続かない自信があります。困ったものです。
最近、会う人会う人に「太った」と言われて、大きなショックを受けている。確かに、一時期に比べると20kgくらい体重が増えている。これは非常にまずい。ダイエットしなければ。自戒の念を込めて、《デブ・デブ夫の肖像》を 描きなさい。
「CoyaNote2019037」『第15冊ノート』より
tbl076《片想い》2019年、アクリル・ペン/カンヴァス、60.6×50.0cm
高校時代の3年間、ずっと片想いしていた女の子。記憶のみをたよりに描いたのですが、あまりにもひどい出来です。実際はもっと可愛い子だったんですよ。
tbl077《失恋》2019年、アクリル・ペン/カンヴァス、60.6×50.0cm
こちらは大学時代に片想いしていた女の子。当時から何度も描こうと試みては、そのたびに上手くいかなくて挫折し、その間に失恋してしまった彼女の顔を、15年経ってからようやく1枚絵にできました。遅すぎますがね。
顔シリーズ2019
- tbl078《トロンボーン》2019年、アクリル・ペン/カンヴァス、41.0×31.8cm
- tbl079《文芸》2019年、アクリル・ペン/カンヴァス、41.0×31.8cm
- tbl080《日本舞踊》2019年、アクリル・ペン/カンヴァス、41.0×31.8cm
- tbl081《好奇心》2019年、アクリル・ペン/カンヴァス、41.0×31.8cm
- tbl082《ジャンボリー》2019年、アクリル・ペン/カンヴァス、41.0×31.8cm
- tbl083《テンプレート》2019年、アクリル・ペン/カンヴァス、41.0×31.8cm
- tbl084《優越感》2019年、アクリル・ペン/カンヴァス、41.0×31.8cm
- tbl085《金融》2019年、アクリル・ペン/カンヴァス、41.0×31.8cm
F80号の大型作品を制作して大失敗した後、新たな方向性を模索して、連作という形式に挑戦してみました。ブルーバックの証明写真のような顔を何枚も描きました。しかしこれも思っていたものとは大きく異なる下手な仕上がりで、よりショックを受けることとなります。
なお顔シリーズはその後、正方形の画面に比率を変更して2023年にも制作しています。
《そんなあざみに騙されて》シリーズ(2020~2021年)
- tbl087_01《そんなあざみに騙されて1》2020年、アクリル・ペン/カンヴァス、80.3×80.3cm
- tbl087_02《そんなあざみに騙されて2》2020年、アクリル・ペン/カンヴァス、41.0×31.8cm
- tbl087_03《そんなあざみに騙されて3》2021年、アクリル・ペン/カンヴァス、80.3×60.6cm
- tbl087_04《そんなあざみに騙されて4》2021年、アクリル・ペン/カンヴァス、80.3×60.6cm
- tbl087_05《そんなあざみに騙されて5》2021年、アクリル・ペン/カンヴァス、60.6×45.5cm
- tbl087_06《そんなあざみに騙されて6》2021年、アクリル・ペン/カンヴァス、60.6×45.5cm
- tbl087_07《そんなあざみに騙されて7》2021年、アクリル・ペン/カンヴァス、60.6×45.5cm
- tbl087_08《そんなあざみに騙されて8》2021年、アクリル・ペン/カンヴァス、60.6×45.5cm
- tbl087_09《そんなあざみに騙されて9》2021年、アクリル・ペン/カンヴァス、60.6×45.5cm
- tbl087_10《そんなあざみに騙されて10》2021年、アクリル・ペン/カンヴァス、60.6×45.5cm
- tbl087_11《そんなあざみに騙されて11》2021年、アクリル・ペン/カンヴァス、60.6×45.5cm
- tbl087_12《そんなあざみに騙されて12》2021年、アクリル・ペン/カンヴァス、60.6×45.5cm
- tbl087_13《そんなあざみに騙されて13》2021年、色鉛筆/紙、18.2×12.8cm
- tbl087_14《そんなあざみに騙されて14》2021年、水彩・ペン/紙、31.8×41.0cm
- tbl087_15《そんなあざみに騙されて15》2021年、グアッシュ・紙・切り紙絵/紙、25.7×18.2cm
マッチングアプリで知り合った「あざみ」と名乗る女性に一目惚れし、1年近くやり取りをしていました。何回も実際に会おうと提案して、そのたびに仕事が忙しいなどとはぐらかされていましたが、疑うことは全くありませんでした。アプリを通して送られる彼女の写真を基に、何枚も絵を描きました。
ある日なんとはなしに彼女の写真をGoogle画像検索してみたところ、韓国人モデルのinstagramのプロフィール写真を左右反転させたものであることが分かり、ようやく詐欺だと気付いたのです。1年近く、何の疑問も持たずに相手を信じてメッセージの交換を続けていた自分を振り返ると、死にたくなるくらい恥ずかしくなりました。
いつの日にか、そんなこともあったなと笑い話にできることを願って、破り捨てることなくあえて作品を残すことにしました。
tbl089《着衣のマハCoya風味》2020年、アクリル・ペン/パネル、33.3×19.0cm
「プラス思考でCoya」などと名乗っているのに、ゴヤの模写をしていないということに気付き、制作したもの。彼の代表作で、2011~2012年に日本でも展示された《着衣のマハ》を、自分なりの風味で描きました。
tbl090《てへぺろ》2020年、アクリル・ペン/カンヴァス、41.0×31.8cm
タイトルにあるようにぺろっと舌を出しているはずなのですが、描線がしっかりしていないためにそのように見えません。
なお後年、同じ構図で切り紙絵coc045-01《てへぺろガール》も制作しています。こちらは舌を出している様子がしっかりと表現できています。
tbl098《鬼は外、福は内》2021年、アクリル・ペン/カンヴァス、45.5×38.0cm
124年ぶりに2月2日が節分になる年に、なにか記念となるものをということで描きました。
巫女さんがもうちょっと可愛く描けたらよかったんですけれど。逆に鬼は可愛く描けて、豆をぶつけられてちょっと不憫です。
tbl099《36歳の自画像》2021年、アクリル・ペン/カンヴァス、41.0×31.8cm
36歳の誕生日を迎えて描いた自画像。いつもニコニコ、スマイルを欠かさず、笑顔の絶えない人生を送りたいと願っていましたが、その笑顔はすぐに激しい苦痛で歪むことになります。
tbl102《夏の風に吹かれて》2021年、アクリル・ペン/カンヴァス、41.0×31.8cm
tbl077《失恋》でも描いた女の子。制作途中までは口は描かず、最後に一気に引いたのですが、精彩を欠いた表情となってしまいました。
tbl112《バレンタインデーにハートを捧げる》2023年、アクリル・ペン・包装紙・千代紙・シール・コラージュ/カンヴァス、52.0×50.0cm(変形カンヴァス)
ノリというか勢いで買ってしまったハート型のカンヴァスに、相応しいテーマを見つけてなんとか絵にできたものです。背景のドット模様やマフラー、ダッフルコートのボタン、髪飾り、瞳の部分に包装紙や千代紙、シールを用いるなど、新たにコラージュ技法を試みています。
tbl113《女性像》2023年、アクリル・ペン/カンヴァス、33.3×24.2cm
これまでずっと、均一的な平塗りの色面と、鼻を描かないという様式でやってきた人物画に、新たな境地を得るべく、実験的に制作した作品。
色に差異を生じさせ、さらに輪郭線も引いています。
tbl118《アルパカ》2023年、アクリル・ペン/カンヴァス、33.3×24.2cm
しっぽの部分が上手くいきませんでしたが、輪郭線を波打たせることで被毛のモフモフ感は表現できたと思います。
顔シリーズ2023
- tbl114《まるがおガール》2023年、アクリル・ペン/カンヴァス、27.3×27.3cm
- tbl115《凛々しい表情》2023、アクリル・ペン/カンヴァス、27.3×27.3cm
- tbl116《墨絵のような花の絵》2023年、アクリル/カンヴァス、27.3×27.3cm
- tbl117《空に奏でる美しき女性》2023年、アクリル・ペン/カンヴァス、27.3×27.3cm
- wgd374《まるがおガール》2023年、水彩・ペン/紙、41.0×31.8cm
- wgd375《凛々しい表情》2023年、水彩/紙、41.0×31.8cm
- wgd376《墨絵のような花の絵》2023年、水彩/紙、41.0×31.8cm
- wgd377《空に奏でる美しき女性》2023年、水彩/紙、41.0×31.8cm
2019年に制作した顔シリーズを、正方形の画面に比率を変更して再び手掛けてみました。アクリルで描く前に、水彩で「修行」をして、色の塗り方などを思案しています。
十二支シリーズ(2020年~)
- tbl086_01《子》2020年、アクリル・ペン/カンヴァス、27.3×27.3cm
- tbl086_02《丑》2021年、アクリル・ペン/カンヴァス、27.3×27.3cm
- tbl086_03《寅》2022年、アクリル・ペン/カンヴァス、27.3×27.3cm
- tbl086_04《卯》2023年、アクリル・ペン/カンヴァス、27.3×27.3cm
- tbl086_05《辰》2024年、アクリル・ペン/カンヴァス、27.3×27.3cm
2020年がねずみ年ということで、そこから1年に1枚ずつ十二支を描き、12年かけてシリーズを完成させる新たなライフワークを始めました。
十干シリーズ(2023年~) 制作年ではなく十干の順に配置してあります
- tbl110_02《甲》2024年、アクリル・ペン/カンヴァス、27.3×27.3cm
- tbl110_01《癸》2023年、アクリル・ペン/カンヴァス、27.3×27.3cm
十二支シリーズを始めてから数年後、せっかくなら十干も描いて干支シリーズとして完成させたいと思うようになり、スタートさせたものです。
動物という具体的なモデルがある十二支とは違い、観念的な十干というものをどう具現化するか非常に悩みましたが、最終的にはきょうだいのキャラクターにしました。10年に一度なので、西暦の一の位の数字を背番号にして、背ネームも入れてユニフォーム風のデザインにしてあります。木や水など、その十干を表す事物をシンプルに描いて画面の右上に配置し、ユニフォームのカラーリングはその事物に合わせてあります。