森鷗外『阿部一族』

 江戸時代、家来は主君に絶対的な感情を持っていた。だから、主君が死ねば、自分も死ぬ。この「殉死」も。当然のように考えられていた。家来は、主君が死にそうになると、競って「私も一緒に殉死させて下さい」という。そして、許しをもらおうとする。許しをもらわず、自分で勝手に死ねば、それは「犬死」となり、恥たる事であった。

 阿部弥一右衛門も、主君に殉死を許してもらおうとしたが、「お前は生きろ」と言われた。今この言葉を聞くと、当たり前のように感じる。しかし、当時は「嫌です。死なせて下さい」といったのだ。「死なせてくれ」決して自殺ではなく、主君が死んだから。自分も死ぬ。これが常識だった江戸時代は、とても恐ろしい。

 「殉死」は名誉な事であり、「犬死」は恥。その二つの境界線は、主君の許可だけ。こんな曖昧で、しかし冷酷な世の中でも、阿部弥一右衛門はそれでもなお、死を望む。彼が、そこまでして一緒に死にたいほど、主君は立派なのだろうか。彼にはそんな考えは全くないだろうが。

 しかし、結局は主君は彼を許さないまま、他界した。阿部弥一右衛門は、犬死と分かりながら、自殺した―――。残された家族には、何の待遇もないばかりか、世間からは誤解され、偏見の目にさらされ、ついには滅んだ。何という悲劇だろう。筆者は、彼に言いたい。「そんなに死を強く望むなよ。主君の言う事通り、奉公すればいいじゃないか。君が死んだって、遺族は喜ばないし、差別されるだけだぞ」この声は、彼に届くはずもない。

 それにしても、「あなたの為に死なせてくれ」なんて台詞、今の日本人に言えるだろうか。