足利市立美術館企画展「シルヴァーノ・ローディ・コレクション イタリア静物画展 十六世紀から現代まで」

2001(平成13)年12月8日 今日僕は足利市立美術館にやって来た。駅から意外に近いので、何度もこれから行きたいと思う。

特別展示で「イタリア静物画展」をやっていた。静物画はあまり描かないが、デッサンをやっていることもあり、学べることがたくさんあった。ここではその中でも特に気に入ったものを書いておきたい。「絵の言葉」を「僕の言葉」にする。

伝カラヴァッジョ《リュートを奏でる人》

楽器と人という構図がいい。ぜひ参考にしたい。赤と白の衣装の組み合わせも、実にイタリアンだ。未完成というのが少し惜しまれる。

マリオ・ヌッツイ《花瓶の花》

強烈な赤と青である。花瓶の描き方、光の具合などがいい。

《ガラスの花瓶と薔薇と蝶》

薔薇の絵を描くなら、こういう絵にしたい。花びらの描き方などがいい。ただ個人的には、虫は描かない方がいいと思った。

パオロ・ポルポラ《数種類のアイリスの生けられた花瓶》

花びらの形がまるで大口を開けて虫を食べようとしている怪物のようで恐い。また、毛虫の一生ととかげの一生という設定も不気味。

エヴァリスト・バスケニス《楽器のある静物》

音楽への情熱が、絵を描かせたとある。絵だけではなく、音楽もやってみようと、なぜか美術館でそう思った。楽器の楽譜のめくれ具合などがリアルである。ボウルがほこりかぶっている姿もよい。

カルロ・マジーニ《ウイキョウ、皿、肉、燭台のある静物》

ビンの透明感、つぼのまるみ、コーヒーカップ、静物画で一番難しいものを見事に描いている。これに追いつきたいが、ムリだろう。しかし、これに追いつくぐらいの力を持つと言い聞かせた。

アルベルト・マニュッリ《野菜の入ったテーブルの下の大鉢》

色彩や構図がとても大胆である。これがキュビズムというものだろうか。せひやってみたい。

ジョルジョ・デ・キリコ《林檎、洋梨、葡萄》

リアルである。果物を描くときはこういう風に描いてみたい。

カルロ・カッロ《林檎と瓶のある静物》

とても淡い絵である。これを印象派というらしい。それを静物画で表現したというのは、なかなかおもしろい。これを人物画で表現してみたい。

レナート・グッドゥーゾ《静物》

こういう直線的な絵もいいと思った。

ルチアーノ・ヴェントローネ《果物籠のある静物》

リアルだ。まさにリアルだ。まったくもって、本物と見分けがつかない。いくら近寄って見ても、とても絵とは思えない。このリアルさは、おそらく絶対に描けないだろう。しかし、描いてみたいという思いに強くかられる絵である。ミケランジェロ・ピストレット

ミケランジェロ・ピストレット《植木鉢のある静物》

なんという作品であろうか。鏡なのである。作品を観ようとすると、僕が映ってしまう。つまり、僕が作品の一部になってしまうのだ。これにはやられた。この手があったかと思わされた。作品の主題を観る者に問うということが、あまりにも圧倒的である。

《パン》

PANE(パン)の絵の下にCANE(犬)。言葉のもつ曖昧さというものに驚いた。こいう作品も描いてみたい。また、竹の絵は墨絵のようで、とても気になる。

ミンモ・パラディーノ《静物、ニューヨーク》

赤と緑の対立する作品が、イタリア静物展をしめくくる最高のものだと思った。

その他

中村大三郎《美人画》

浮世絵のような描き方がいい。こういう絵も描いてみたい。また、モデルの女の人がとても美しい。僕の好きな女の人は、きっとこういう人だと思う。こんな女の人と出会って、恋愛をしてみたい。