日本の生涯学習の問題点

日本の生涯学習の問題点として、生涯学習をする者の年代や層が固定されていて、「生涯学習は主婦やお年寄りがするもの」というイメージが未だに根強く残っているということが挙げられる。また、主婦やお年寄りがするものというイメージからなのか、大多数の生涯学習は、趣味のためのお稽古事の域を脱していないということも問題点である。生涯学習の定義と理想は、小学生からお年寄りまでの幅広い年代のどんな人間でもが、さまざまな分野、レベルの学習をできるというものであるのに、日本ではそのような考えがなかなか定着していない。

例えば、近所の主婦仲間がカルチャーセンターでフラメンコなどの習い事をしている場面や、お年寄りが公民館で句会に参加しているという場面は簡単に想像しうるが、男性会社員がカルチャーセンターでダンスなどの習い事をしている場面や、小学生が公民館で句会に参加しているという場面はなかなか想像できるものではない。

これは何が原因なのだろうか。その原因として、日本人特有の、同世代で群れようとする性質と、学習というものにお堅い印象があるということが挙げられる。

日本人は、子の世代(学生)、親の世代(社会人)、祖父母の世代(退職者)といった枠組みの中で群れを作りやすい。世代と世代を越えて交流しようとしない。核家族化や、近所の人間関係が希薄になった現代では、十四歳の学生と、四十三歳の会社員と、七十六歳のお年寄りが、共同でなにかをするということがもはやない。世代間の交流がなくなっていることが大きな社会問題となっている今日、生涯学習の果たす役割はとても重大なものになっている。

しかし、そのような世代間の掛け橋である生涯学習を主催する公民館などの施設が、彼らに迎合しているかのように、主婦やお年寄り向けの生涯学習のプログラムしか行っていない。公民館の催し物のほとんどが、趣味のためのお稽古事である。もっと、さまざまな分野、レベルのプログラムを行わなければ、幅広い年代の人々に対応しきれないだろうし、一部の者しか参加しないであろう。

また、学習というものにお堅い印象があるのも問題だ。学習というと、すぐに国語や数学などの教科の勉強のことを思い浮かべてしまう。学習は学校でするだけでもう充分、自ら主体的に学習をしたくはないという考えができてしまう。生涯学習の学習というものには、なにも国語や数学などの教科の勉強のことだけをいうのではない。自分の興味や関心に基づいた分野を勉強することが全て学習なのである。主体的に学んで、さまざまなものを得て、自分に磨きをかけること。生涯学習は、キャリアアップのためのものでなければならないのである。

「生涯学習は主婦やお年寄りがするもの」というイメージを払拭して、あらゆる年代の者が、それぞれの人生、生涯にプラスになるような、さまざまな分野、レベルの学習ができるようにすることが、日本の生涯学習の今後の課題である。