犯罪歴の情報の公開と人権について

はじめに

2004年11月に起きた奈良の小学生女児誘拐殺人事件で、逮捕された犯人は過去にも同様の性犯罪歴があった。一般に、性犯罪者の再犯率は、他の犯罪の再犯率に比べて極めて高いといわれている。このことから現在、性犯罪者の再犯防止のために、性犯罪歴のある人物についての情報を公開すべきという声が高まっている。しかし、性犯罪歴の情報の公開は、プライバシーの侵害などのさまざまな人権問題を起こす可能性もある。ここでは、犯罪歴の情報の公開と人権について述べてみたい。

アメリカの場合

性犯罪者の情報の公開で今回注目されているのが、アメリカのメーガン法である。アメリカでは、このメーガン法で、定められた性犯罪歴のある人物の情報がインターネット上で公開され、市民が近隣にいる性犯罪歴のある人物について検索できるようになっている。地域によって情報の内容に多少の違いはあるが、顔写真、氏名、生年月日、住所、犯した犯罪の種類、人種、身長、体重、目の色、髪の色、そして再犯の可能性を高中低の3段階に分けたものなどが公開されている。

メーガン法は、1994年、アメリカ・ニュージャージー州で性犯罪歴のある近所の男に女児が殺害された事件を機に制定された法律である。自分たちの近所に性犯罪歴のある人物がいることを知らなかった両親は、「その事実を知っていれば、事件を未然に防ぐことができた」として、運動を開始した。1996年にまずワシントン州でメーガン法が成立、その後連邦法となり、現在では、州政府は性犯罪歴のある人物が引っ越してきた場合、近隣の住民に警告することが義務付けられている。

イギリスの場合

また、イギリスでは、大衆紙が幼児への性犯罪歴がある人物の実名と写真を公表している。
さらに政府は、GPS機能による性犯罪者の行動の監視と追跡を、試験的に行っている。小さなチップを性犯罪者の皮膚の下深くに埋め込むことで、居場所を確認できるようになっている。

韓国の場合

韓国でも18歳未満の少女への性犯罪者の情報を官報やホームページで公開している。

日本の現状

以上のような各国の取り組みと比べると、日本はどうだろうか。日本では、服役を終えた後の性犯罪者の所在などは、把握していない。性犯罪歴のある人物についての情報なども一切公開していない。すなわち、日本は他の国と比べると、ほとんど何も行っていないといわざるをえない。

今回の事件をうけて、2005年1月6日に警察庁が、性犯罪の前歴がある人の現住所などを再犯防止のために把握するシステムの検討を、法務省に求めた。しかし、これに対して2005年1月7日の記者会見で南野法務大臣は「協議の申し入れがあれば応じるが、本人のプライバシーや人権、円滑な社会復帰に支障がないかなど、難しい問題がある」と慎重な姿勢を示した。(朝日新聞2005年1月8日付朝刊)

2005年1月13日になってようやく法務省は、警察庁に性犯罪者の出所後の住所地についての情報提供をする方針を決めた。ただし、アメリカのメーガン法などの法制度化については、「効果や問題点を継続して慎重に検討する」としている。(朝日新聞2005年1月14日付朝刊)

憲法上の論点

今回の問題の、憲法上の論点は次の通りである。すなわち、日本国憲法第13条〔個人の尊厳・幸福追求権・公共の福祉〕『すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。』に関連して、近年「新しい人権」として主張されている「プライバシーの権利」と「知る権利」との衝突である。

現住所や顔写真、そして性犯罪歴があるということなどの個人の情報が、政府によって公開されることが、「プライバシーの権利」の侵害になる危険性があるという考え方がある。法務大臣が慎重な姿勢を示しているの原因もここにある。情報を公開されることによって、近隣住民から立ち退きを要求されたり、誹謗、中傷の対象とされるなどの社会的制裁を受ける可能性もある。法によって定められた刑罰を受けた後に、さまざまな差別や社会的制裁を受けた場合、日本国憲法第14条〔法の下の平等、貴族の禁止、栄典〕第1項『すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会関係において、差別されない。』に抵触する虞もある。

その一方で、自分たちの近隣に、性犯罪者がいるということを知れば、それ相応の予防策がとれて、事件を未然に防げるのだから、性犯罪歴の情報を知るのは当然の権利であるという考え方もある。メーガン法成立の根拠がここにある。情報を知らなかったがために、殺人などの事件に巻き込まれてしまったとなると、第13条に定められている「生命の尊厳」に反する虞もある。

考察

「プライバシーの権利」と「知る権利」、あるいは「法の下の平等」と「生命の尊厳」の衝突。今回の問題は「加害者の人権」と「被害者(になる危険性のある者)の人権」との衝突であり、非常に難しい。どちらの立場をとるかで、意見は分かれている。

今回の事件で、世論は圧倒的に「加害者の人権」よりも「被害者(になる危険性のある者)の人権」が優先されるべきという流れになっている。しかし、あまりに極端な考え方は、憲法上の論点を見ても分かるように、さまざまな問題を引き起こしかねない。

今回は、性犯罪者の情報を警察が把握するということで一応の妥結をしたように見えるが、今後はさまざまに変化する現代社会に対応するために、法改正などの、より具体的な対策を講じる必要がある。

いずれにしても、自分の身は自分で守らなければならない世の中である。