はじめに
ロシア人作家とその作品として、ここではブルガーコフの『運命の卵』を取り上げ、論じてみたい。
なぜこの作品を取り上げたかというと、物語の内容や設定などが、現代に生きる我々にもとても共感できるものであるからである。物語のあらすじなどは後に述べるとするが、とにかくこの作品は、1920年代のロシアという遠い時代の国で書かれたとは思えないほど、現代の我々にも通じるものなのである。ロシアという異なる文化の小説を、現代の我々と重ね合わせて理解していくということは、本講義のレポートのテーマとしては最適のもののように思われる。
まずは作者であるブルガーコフという作家について簡潔に見ていく。次に、『運命の卵』について、現代の日本と重ね合わせて見ていく。身近な出来事を中心にしてさまざまな考察を加えて、結びとしたい。
ブルガーコフについて
ミハイル・ブルガーコフという作家は、ドストエフスキーやゴーゴリら他のロシア人作家と比べるとあまり有名ではないかもしれない。しかし彼は、1920年代の革命まもないソヴィエトを舞台にした数多くの小説や戯曲を書いた作家である。
ブルガーコフは、1891年という19世紀末にキエフに生まれた。1916年にキエフ大学医学部を卒業してしばらくは、開業医や軍医など、医者としての仕事をしていたが、1919年頃から最初の執筆を始めた。1920年代には新聞社に勤め、精力的に戯曲や小説を書いた。しかし彼の作品はどれも、当時の社会を辛辣に風刺したものであったため、革命後のソヴィエトでは上演禁止や発禁処分となってしまうものが多かった。ブルガーコフは度重なる上演禁止や発禁処分、原稿没収やパスポート交付拒否などにもめげずに、執筆を続けたが、彼の作品は長い間日の目を見ることはなかった。そして1940年に、失意の内に48歳の若さで死んでしまう。生前に作家として脚光を浴びることはほとんどなかった。
ブルガーコフの作品が注目され、再評価されるようになったのは、彼の死後、スターリン批判を経た1960年代だった。そして1980年代後半からのペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)によってようやく作品が再版されるようになったのである。その後、選集なども続々と出版され、21世紀になってようやくその作品が全て発表されるようになったという、悲劇的な作家である。
19世紀末に生まれたブルガーコフという作家は、20世紀という激動の100年間ずっと沈黙を保ち続け、21世紀の現代にようやく目覚めを迎えたと言える。そのような意味では、ブルガーコフは非常に現代的な作家であり、彼の作品は現代文学と呼べるのではないだろうか。
実際、ブルガーコフの作品はどれも、書かれたのが本当に戦前なのだろうかと疑いたくなるような、時代を超越した機知に富むものばかりなのである。代表作としては、『巨匠とマルガリータ』、『白衛軍』、『犬の心臓』、『悪魔物語』などがある。その中でも『運命の卵』は特に、現代にも通じる小説であるので、詳しく見ていくことにしよう。
『運命の卵』について
舞台は1928年のモスクワ。動物学者のペルシコフ教授は、爬虫類や両生類の研究に没頭していた。他のことには目もくれなかったので、妻には逃げられ、講義を受講する学生に対して知識をひけらかすというものであった。このペルシコフ教授のような、研究以外のことには無頓着という科学者の姿は、やや軽蔑の意味を含めて現代でも典型的に描かれている。
事件は、その年の夏、研究室で起こった。ペルシコフ教授と助手のイワノフは、アメーバを顕微鏡で観察中に偶然、鮮明な赤色の光線を発見した。この赤色光線は、生物の成長の速度を異常なほど速め、巨大化させるというものであった。
生物を巨大化させる光線。一見すると荒唐無稽なもののように思われるが、現代の我々には、それが当然のもののように違和感なく受け入れることができるのではないだろうか。なぜならば、もはや説明不要の国民的テレビアニメ「ドラえもん」の中で、「ビッグライト」という、光を当ててものを巨大化させる秘密道具が登場するからである。巨大化光線というアイデアが、1920年代にロシア人作家によってすでに生まれていたということは、驚愕すべきことである。この巨大化光線という、現代に生きる我々にも通用するアイデアを思いついていたという点だけでも、ブルガーコフの作品がいかに現代的かということが分かるのではないだろうか。
また同じ頃、鶏ペストが発生するという事件も起きた。食用の動物の疫病というものも、狂牛病や鶏インフルエンザなど、現代にも充分通用するテーマだと言えよう。
予防策が功を奏して、鶏ペストによる被害は僅かなもので食い止めることができた。しかし、処分されたために、モスクワ中から鶏肉や鶏卵がなくなってしまった。この状況を打開するために、国営農場《赤い光線》の所長ロックは、ペルシコフ教授の発見した巨大化光線を利用しようとする。
赤色の巨大化光線の発見と、鶏ペストによる鶏肉、鶏卵の処分という全く無関係の二つの事件を、ロックがつないだということである。無関係な二つの事件が接点を持つことによって、物語が次の展開へと進むというものは、小説の構造としてよくあるものだろう。
ロックは半ば強引に、ペルシコフ教授から巨大化光線の発生装置を借りて、自分の農場へと持って行った。そして外国から卵を取り寄せて、巨大化光線で成長を速めて量産しようと目論んだ。ところが、ロックが取り寄せた鶏の卵は、ペルシコフ教授が研究のために取り寄せた蛇や駝鳥や鰐などの卵と取り違えられていたのである。
こうして、蛇や駝鳥や鰐などが巨大化してしまい、それらの動物はモスクワの街を襲うのだった。人々はパニックに陥り逃げ惑い、多数の犠牲者が出た。巨大化した動物を退治するために軍隊が出動した。砲兵隊が大砲を発砲したり、飛行機で毒ガスを散布したり、戦車が出動したりと、総力戦を繰り広げ、最後は寒波によって、巨大化した動物は一匹残らず死滅した。動物が人々を襲うグロテスクな描写、軍隊との緊迫した戦闘の様子などは目を見張るものがある。
巨大化した生物が街を襲うというアイデアも、現代の我々には非常に共感できるものではないだろうか。なぜならば、我々は「ウルトラQ」や「ゴジラ」に代表されるような、もはや説明不要の空想科学物語で、それと全く同じ展開に慣れ親しんでいるからである。マッドサイエンスが生み出した、巨大化した生物、すなわち「怪獣」というアイデアが、やはり1920年代のロシア人によって考えられていたということは、非常に驚くべきことである。現代の我々が所有している空想科学物語というものを、ブルガーコフも書いていたという点から、彼がいかに現代的なアイデアの持ち主であるかが分かるだろう。
ペルシコフ教授は結局、狂乱した民衆によって殺されてしまった。研究所の後を継いで教授に昇進したイワノフがその後いくらやっても、巨大化光線は二度と発見できなかったという結末で物語は終わる。
ロシア語で「運命」を意味する「ロック」という名前の、国営農場《赤い光線》の所長が、鶏卵の「汚れ」だと思っていたものが、実は蛇や駝鳥や鰐の卵の「模様」だったこと。この点の布石の打ち方も非常に巧みで、小説の構造を上手く築いている。
このように、ブルガーコフの『運命の卵』は、「ドラえもん」、「ウルトラQ」、「ゴジラ」などの文化を持つ現代の我々にとって、非常に共感できる作品である。
結論
ブルガーコフという1920年代のロシア人作家の小説が、これほど身近なものとして読めることは非常に興味深い。20世紀のロシアと、現代の日本とは確実につながっているということが改めて分かった。
『運命の卵』は、普通「SF小説」として紹介されることが多い。確かにSF小説でもあるのだが、この作品はもっと限定的な、「巨大化」、「怪獣」、「街を襲う」、「防衛隊の出動」といったキーワード、構造をもつ「空想科学物語」と呼ぶべきなのではないだろうか。「空想科学物語」という文化を持つ現代の我々だからこそ、この作品は非常に共感できるのではないだろうか。
また、「空想科学物語」の文化の発達していない、他の国ではこの小説はどのように受け入れられているのだろうか。その部分を考えるのも非常に興味深いことである。
ブルガーコフという数奇な運命をたどった作家は、もはや「空想科学物語」というジャンル、文化の創設者と言ってよいだろう。そして『運命の卵』は、現代でも充分に通用する「空想科学物語」である。
参考文献
- ブルガーコフ 著 水野忠夫 訳 岩波文庫『悪魔物語・運命の卵』岩波書店 2003年刊
- フセヴォロド・サハロフ 著 川崎淶/久保木茂人 訳『ブルガーコフ 作家の運命』 群像社 2001年刊
- 柳田理科雄 著『ゴジラvs柳田理科雄 : ゴジラ映画の50年を愛と科学で振り返る』 メディアファクトリー 2004年刊