カレーにはさまざまな表象が溶け込んでいる

はじめに

今回、レポートを書くにあたって、カレーを取り上げることにする。なぜカレーを取り上げるかというと、自分の好物だからという単純な理由がまず挙げられる。

好物であるということは、すでにその飲食物についてある特定の表象を持っているということになるだろう。自分の中でカレーというものには、辛さの中にまろやかさやコクなどの深い味があるルーと、ジャガイモ、ニンジン、タマネギと肉の組み合わせが生み出す、絶妙な味がとても美味しいもの、という表象がある。そして、美味しくて好物であるが故に、カレーを食べるのは、何かいいことがあった時に、あるいは何かをがんばって達成した時に、自分へのお祝い、ご褒美として食べる、ハレの食べ物という表象もある。

このように、自分の好物であり、ある程度の表象を持っているカレーという飲食物について、他にどのような表象を持たれているのかということを考えてみたいのである。

単純な理由ではあるが、好物であるからこそ、より深く、より多面的、多角的に考察することができるのではないだろうかと思う次第である。

またカレーには、人それぞれに好みの食べ方があるも。すなわちそれは、人それぞれによって表象が異なるということである。カレーについてのさまざまな表象を、日本のみならず世界にまで範囲を広めて、考えていきたい。

1.カレーの歴史は世界の歴史

「カレーの国はどこか」と聞かれれば、ほとんどの日本人は「インド」と答えるだろう。「カレー」という食べ物について、「インド」という表象を持つ日本人は多い。

事実、インドはカレーの発祥の地である。そして現在もなお、カレーはインドでは広く好まれ、食べられている。

なぜ「カレー」というと「インド」なのか。それは、カレーにとって欠かせない「香辛料」が、インド原産だからである。そしてこの「香辛料」をめぐって、世界はめまぐるしく動いた。

香辛料の歴史は非常に古く、原始狩猟採集の時代には、すでにいくつかの香辛料が使われていたとも言われている。

インド原産の香辛料は、シルクロードを通してギリシアやローマにもたらされた。10世紀頃にはアラビアやヴェネツィアの商人が、香辛料の貿易でインドとヨーロッパを結び、巨万の富を築いた。

香辛料の魅力は、ヨーロッパの人々を惹き付け、それはやがて大航海時代へとつながっていく。コロンブス、ヴァスコ・ダ・ガマ、そしてマゼランといった冒険家達が、香辛料を求めて次々に航海に出た。その結果として、新大陸の発見という歴史的な事件が起きた。香辛料が世界の歴史を変えてしまったといっても過言ではない。

このように、「香辛料」の歴史、すなわち「カレー」の歴史は、そのまま世界の歴史となるのである。

2.香辛料の表象

では、ヨーロッパの人々を航海へと駆り立てた香辛料とは、一体どのようなものなのであろうか。香辛料にはどのような表象があるのだろうか。

香辛料の役割は主に次のものが挙げられる(J ・L・フランドラン、M・モンターナリ編 宮原信、北代美和子監訳『食の歴史Ⅱ』参照)。

まず臭い消しとしての役割がある。字にもある通り、香辛料には独特の強い香りがある。この香りが、肉などの生臭さを消して、食べやすくするという効果があった。
また香辛料独特の、ピリッと刺激的な味にも、味の悪い食べ物を食べやすくする効果があった。

これらの役割は、主に古代インド人に見られるものである。すなわち古代インド人は香辛料を、食べ物を食べやすくするための「道具」として捉えていたのであり、その表象は食べ物延長というよりも機能といったものである。香辛料をややネガティブな文脈で使用していたといえる。

機能としての表象だった香辛料は、ヨーロッパに渡ってその表象が劇的に変わった。ヨーロッパ人は、香辛料の独特の強い香りと味に、機能としての利便性よりも食べ物としての魅力を見出したのである。

食べ物において、栄養的なバランスと同じくらい重要なのが美味しさ、つまり味である。ヨーロッパ人は、古代からさまざまな工夫をして、食べ物に多用な味を出そうとした。その当時調味料としてよく使用されていたのは、ニンニク、タマネギ、ニラなどの球根類であった。しかし球根類だけでは、ヨーロッパ人の味覚を満足させることはできず、ギリシア、ローマ時代には飽きられてしまった。

このような状況を大きく変えたのが、香辛料であった。独特の香りと味は、食べ物に無限の味を加え、ヨーロッパ人の舌を刺激した。ヨーロッパ人はすぐにこの香辛料の香りと味の魅力に虜になり、我先に求めるようになった。大航海時代前の、まだ東方貿易によってのみ香辛料が手に入れられた時代には、香辛料はそれと同じ重さの金銀で取り引きされるほどであった。ヨーロッパ人にとって香辛料は、これ以上にないほどポジティブな文脈で使用されていたのである。

このように、香辛料の表象は、古代インド人にとっては「機能」であったが、ヨーロッパ人にとっては「魅惑の調味料」であり、金銀と同等の価値を持つほどのものであったのである。一つの飲食物の、同じ役割について、全く異なる使用の仕方、表象があるというのは非常に興味深いことである。

香辛料と同じように、インドで古くから作られていたカレーもまた、ヨーロッパ人、特にイギリス人を魅了した。

17世紀、イギリスがインドを植民地とすると、カレーがイギリスに伝えられた。辛さと酸味を含むカレーは、イギリス上流階級や、さらにはヴィクトリア女王まで魅了していった。

また、インドから持ち帰った香辛料やカレーを研究して、C&B社がカレー粉を発明した。カレー粉の誕生によって、次第にカレーは一般家庭でも作られる大衆的な食べ物になった。

3.日本人とカレー

日本におけるカレーの表象はどのようなものだろうか。

カレーは、遣欧使節団の人々によって初めて食され、文明開化の明治に日本に伝えられた。当時の日本におけるカレーの表象を如実に表現している文章があるので引用しておこう。

明治45(1912)年6月28日の『山陽新聞』に言いえて妙な記事がある。

西洋料理にライスカレーといふものがある。私はそれを食ふ時、何時もこの位現代の日本を表象して居るものは無いと思ふ。西洋の文明と日本の文明が一箇の皿の上に交ぜ合はされて一種の風味を出して居る点、其処に過渡時代の哀愁が含まれて居る。余り旨くも無くてそれで腹が膨れる工合は左程感心できぬ。ライスカレーは今後何時まで続くであらうか。

小菅桂子著『カレーライスの誕生』より

ここでいう「西洋の文明」とはもちろんカレーのことであり、「日本の文明」とはおそらくライス、ご飯のことだろう。西洋のカレーと日本のライスが一つの皿の上で混ざっている点が、文明開化で西洋のものをどんどん取り込んでいた当時の日本に非常に似ている。当時の日本にとって、カレーの表象は文明開化であった。

日本のカレーの特徴は何であろうか。それは、とろみと具材言うことができるだろう。日本のカレーのとろみは、インドのカレーには見られない独特のものである。
インドのカレーは、水のようにさらさらしていて、それをスープとして食べたり、インドのパンであるナンを浸したりして食べる。

あのとろみは、小麦粉を使って出しているのだが、明治時代にはすでに日本のカレーにはとろみがあった。なぜとろみなのだろうか。それは、日本ではカレーをライスと一緒に食べるからだろう。ご飯のおかずにするには、スープのようにさらさらとしていてはやはり食べにくい。少しとろみがあった方が、ご飯と絡んで食べやすくなる。だから日本のカレーにはとろみがあるのだろう。

このように、日本のカレーの表象は、ご飯と一緒にたべるおかずであると言える。ご飯という食べ物との食べ合わせをよくするために、日本のカレーはインドとは違う、独自の発展を遂げた。
もう一つ、日本のカレーの特徴は具材である。インドのカレーでは、カレーはスープとして食べるものであり、具材はあまり入っていない。それに比べて日本のカレーには、ニンジン、タマネギ、ジャガイモ、そして肉といった豊富な具材が必ず入っている。これも、カレーをご飯のおかずとして食べる日本独自のものであろう。また、ニンジン、タマネギ、ジャガイモといった具材は、そのまま肉じゃがにも使われている。日本人は、カレーの表象に、肉じゃがと似たようなものを描いているのではないだろうか。

このように、日本人は、インドから西洋を経由して伝わった「西洋の」カレーという食べ物を、日本独自のアレンジをすることで、食文化の中に加えていったのである。

その後カレーは、庶民の間にも広がり、人気のメニューとなった。カレーを販売する外食の店が現れ、それらは「洋食屋」と呼ばれるようになる。この「洋食」という言葉は、決して西洋の食べ物という意味ではなく、西洋から伝わった料理を、日本風にアレンジしたものという意味である。すなわち「洋食」という食べ物は日本独自の食べ物なのである。

このように、日本のカレーには、独自の表象がある。その表象は、ご飯という日本の米文化と密接な関係があるように思われる。インドでは、カレーはスープだが、日本ではカレーはご飯のおかずなのである。このようなカレーの食べ方は、世界でも類を見ない独特のものである。

4.結論

カレーという飲食物を、香辛料の歴史、香辛料の表象、日本人にとっての表象という角度から見てみたが、その結果さまざまなことが分かった。

カレーに欠かせない香辛料は、ヨーロッパの人々を惹き付け、その魅力が大航海時代、新大陸発見という歴史的な事件にまで発展したというのは非常に興味深い。

そのヨーロッパ人を魅了してやまない香辛料も、原産国のインドとヨーロッパでは、全く異なる表象を持っていた。臭い消し、生臭さをなくして食べやすくするというネガティブな使われ方から、独特の香りと味によって食べ物をより美味しくするというポジティブな使われ方への転換が、香辛料にとっては大きなものであった。

そして、我々が普段当たり前のものとして食べている日本のカレーというものも、世界的に見れば非常に独特のものであった。とろみと、野菜や肉などの豊富な具材は、ともにご飯と一緒に食べるおかずという表象の結果生まれたのである。米文化は、世界的な食べ物であるカレーに独自の発展を促したのである。

このように、さまざまな表象の溶け込んでいるカレーを、じっくりと見つめて、今後も食べていきたい。

参考文献・引用文献

  • 小菅桂子著『カレーライスの誕生』講談社選書メチエ 2002年刊
  • J・L・フランドラン M・モンタナーリ編 宮原信 北代美和子監訳『食の歴史Ⅱ』藤原書房 2006年刊
  • 岡田哲著『とんかつの誕生 明治洋食事始め』講談社選書メチエ 2000年刊
  • 大塚滋編『世界の食文化8 インド』農山漁村文化協会 2006年刊
  • K・スチュワート著 木村尚三郎監訳『料理の文化史』学生社 1981年刊                  
  • 塚田孝雄著『食悦奇譚』時事通信社 1995年刊
  • 芳賀登 石川寛子監修 全集日本の食文化第8巻『異文化との接触と受容』雄山閣出版 1997年刊