雪国という別世界へ行って

時計の針が進むにつれて、藍から青へ明るく澄んでいく空。それに伴って白くなっていく景色。氷点下の世界に、寒さを覚えました。

スキー教室の初日のバスの中、雪国へと姿を変えていく車窓を見て、「いよいよ」という実感が込み上げてきたのです。

ホテルからスキー場へ。吐息のぬくもりで冷えた手を包み込みながら歩く道には、コツコツと硬く響くブーツの靴音がよく似合います。そして目の前に広がるゲレンデは一面の銀世界。とはいかず、雪原に所々芝が見える状態でした。白の中の緑というコントラストが、何ともおかしく思えたのです。

さて、スキーは、自然相手でなかなか上手くいきません。一日目全く滑れず、「今日こそは」と意気込んで挑んだ二日目。しかし、吹きつける強風に背中を押され、アイスバーンとなった雪にスキー板の自由を奪われてズルズルと転がり落ち、自然の悪戯に翻弄される自分がいました。

時に自然は、人間ではとうていできない美しい芸術を簡単に描き、人間をある種の錯覚に陥れることがあります。リフトに乗っている時、冷たく広がる雪原が、熱く乾いた砂漠に見えてしまったのです。風が砂の上のように雪の上を駆け抜けて創られる模様風紋。そして照りつける太陽。この二つが、雪原と砂漠という相反する世界を二重映しにしてしまったのです。本当に驚きました。

入浴の時もそうでした。シャワーのコックをひねった後、何気なく窓の外を見ると、そこにはさっきと全く同じ光景があったのです。雪が津々と降り注ぐ、それはさながらシャワーのようで、水玉と雪が窓を鏡にして映し出されているようでした。そのあまりの美しさに、思わずシャワーを流し続けてしまったほどです。

自然は、美しいだけではありません。三日目、降り積もった雪が行く手を阻む中、スキーをしました。しかし、スキー板は新雪に深く沈み、上手く滑れません。そして突然の吹雪。風の音で耳が塞がれ、周りは雪でカーテンが引かれたかのように何も見えず、方向感覚を失い、自分が何処にいるのか分からなくなってしまったのです。そしてジワジワと奪われていく体力。あの時は本当に恐かったです。それと同時に、昨日まであれほど美しかった自然に、急に裏切られた気がして悔しかったです。

三日間、スキーも楽しかったのですが、それ以上に自然の美しさ、恐さに一番感動しました。

雪国という別世界では、自然は姿を変えやすく、だからこそ美しいのかもしれません。ただ一つ、雪国に酔うには、三日間という時間は、あまりに短すぎました。