震えが止まらなかった。初めてこの詩を読んだ時、僕の心の中に吹雪のような寒気が駆け抜けた。
当時の僕はどん底にいた。軀命はボロボロに傷つけられ、毎日を生きるのがとても辛かった。
そんな時に偶然目に入ってきたのがこの詩「汚れつちまつた悲しみに・・・」だった。
普通の人、特に精神的に苦しんでいない人がこの題名を見ても疑問に思い、おそらく理解することができないだろう。でもその時の僕にはこの「汚れつちまつた悲しみ」がどういうものであるかが痛いほどよく分かった。この心の中でモヤモヤとしているのも、誰にも見えない蟠り、苦しみ、悲しみ、悩み、今までずっと抱え込んでいた何かが全てこの言葉一つに表現されていた。
そこには余計なものなどいらず、傷を持つ者だけの心に直接届く強い力があった。僕は食い入るようにこの詩を読んだ。
読後の衝撃は先に述べた通りだが、この詩はまるで僕のことを謳っているようでもあった。「汚れつちまつた悲しみに」というどこか投げ遣りな口調も、「今日も小雪の降りかかる」「今日も風さへ吹きすぎる」という幾度となく傷つけられている苦しみも、「なにのぞむなくねがふなく」という希望を見い出せない口惜しみも、「いたいたしくも怖気づき」という怯え、恐怖感も、そして「なすところなく日は暮れる」というどうすることもできない歯痒さも、全て僕の心境と似ていた。
この詩を創った中原中也も、おそらくどん底にいたのだろう。そして傷つけられてすり切れた心の中で、何とか吐き出すようにして創ったのがこの詩だと思う。
僕の心はすり切れていた。中原中也もすり切れた心の持ち主であった。お互いにすり切れた心を共有し合った時に、この詩は自然と受け入れられたのだと思う。
それから僕は、心がすり切れる度に、嫌なことがある毎にこの詩を読んだ。初めて読んだあの冬の日から、どれだけ季節が巡っても、この詩を読むといつも僕の心の中に吹雪が駆け抜けた。吹雪はすり切れた心の奥まで滲みて、本当に痛かった。
この詩は、決して僕を慰めてはくれなかった。教えを諭すこともなかった。ただ悲しみを僕に見せること、あるいはすり切れた心を痛ませることで。僕がどん底にいることを確認させるだけだった。しかしそうなることで僕は、どん底に対して諦めがつけられるようになった。
僕はすり切れた心の共有者である中原中也の肖像画を描いてみた。彼が「汚れつちまつた悲しみ」を詩にしたように、僕もそれを絵という形で表現してみたかった。しかし、描いてみたものの、出来上がった作品は、とても満足のいくものではなかった。僕は絵を上手いとか下手で評価したくはないが、その作品は下手としかいいようのないものであった。
それからしばらくして、僕はまたどん底に転がり落ちた。今度は二度と立ち直れないぐらいの深い悲しみであった。僕はすり切れた心で、何とか必死になって鉛筆を握り、もう一度中原中也の肖像画を描いた。
真冬の風が冷たい中、一時間ほどで描き上げた作品は、本当に満足のいくものになった。
僕は、すり切れた心を共有しなければ、詩を理解することも、絵を描くこともできないと感じた。苦しみは輪郭に、恐怖感は瞳に、口惜しみは唇の形に、投げ遣りな口調はその表情に、そして悲しみは絵の陰影となって表現され、絵は完成した。この肖像画は、真っ白な画用紙の上に「悲しみ」が汚れて出来上がったものなのかもしれない。
しかしこの絵を機に、僕はこの詩の感じ方が変わった。それは、詩を読んでも決してどん底に対して諦めないこと。否定的な考え方をやめることにした。
確かにこの詩は、「汚れつちまつた悲しみ」という否定的な言葉であるが、もしもどん底に対して諦めてしまっていたら、肖像画が完成しなかったように、この詩も生まれなかったはず。どん底でも、決して否定的な考えをしないことがこの詩の本当の意味だとやっと気付けた。
今も僕はどん底にいる。しかし、すり切れた心を持ちながらも、決して諦めず、否定的な考えをせず、立ち直ろうとしている。すり切れた心と、この詩と、共に生きている。
書名 『山羊の歌 中原中也詩集』
出版社 角川書店
著者 中原中也