Je suis allé à Paris!

2008年2月5日(火)

渡仏前夜

部屋の鴨居に、シャツとジャケットがぶら下がっている。明日から来ていく服である。パリには、シャツとジャケットを着ていかなければいけないような気がする。それはドレスコードなどではなくて、雰囲気的にそういう感じがするのである。お洒落な街、というよりも、シャツくらい着ていないと似合わないような大人な街というイメージなのである。

シャツにアイロンをかけて、皺にならないように注意しながらスーツケースに詰めていく。衣類と洗面道具しか入っていないのに、どうしてこんなにもパンパンに詰まってしまうのだろうか。おそらく衣類が多すぎるのだろう。しかし、冬のパリはとても寒いというガイドブックの言葉から、これくらい持って行かないと不安になってしまうのである。長袖Tシャツに、シャツに、セーターに、ジャケットを羽織って、その上からダウンを締め付けるように着る。さらにマフラー、帽子、手袋で防寒の度合いを高める。モコモコしていかにも厚着なのだが、用心するのに越したことはない。寒くてガタガタ震えているようでは、せっかくの旅行が楽しめない。暑ければ脱げばいいだけである。とにかく寒さ対策をしっかりしていこう。

忘れ物というものは、荷物を詰めて、なんとかスーツケースの蓋を閉め、ベルトも十字に締めて完璧に仕上げた後で、気づくものなのだ。予備のジーンズを入れ忘れてしまい、また荷物を解いて詰め直さなければならなかった。行きの時点でこれだけ重さがあっては、帰りのお土産などを入れる余裕があるのだろうかと心配になってきてしまう。

スーツケースの上に、機内持ち込みのショルダーバッグを乗せてみた。街の中はこのバッグを下げて歩くことになる。パスポートと財布が入っていて、とても大事なものだ。このバッグがなくなってしまったら、どうしようもないのである。

スリや盗難に遭わないように、ジッパーの部分を南京錠でロックすることにした。ダイヤル式のため、鍵を失くして開けられなくなるということもない。もちろんこの錠だけを過信してはいけない。体の前に置いて、常にジッパーを指で掴んでおいて、一瞬たりとも気を抜かないように注意しないといけない。

準備ができたので、明日のために早く寝ることにしよう。明日からいよいよパリに行くのである。そのことを考えただけでも、その街の名前を口にしてみただけでも、興奮してくる。お腹をこちょこちょとくすぐられるような、笑いが止まらない気分になってくるのである。今はまだ、不安や心配事などの負の要素が頭に浮かぶことはない。渡仏前夜は、ちょっと異常なくらい高揚しているのであった。

2008年2月6日(水)

成田空港

重たいスーツケースの扱いに戸惑いつつ、不器用に電車を乗り継いで、なんとか成田空港に到着することができた。スーツケースを預けて、手荷物検査を済ませて、シャトルに乗って、今は目の前に飛行機が見えるロビーで、搭乗手続きが始まるのを待っている状態である。もっと煩わしくて、面倒なものかと思っていたが、ここに至るまでは意外にも簡単であっさりとしたものであった。海外へはそれだけ手軽に行けるということだろうか。

目の前を巨大な飛行機が、まるでおもちゃのように軽々しく飛んでいる光景は、まだ信じられない。

時間があるのでもう少し書こう。行き慣れた新宿駅も、スーツケースを引っ張りながらだと大変だった。日暮里駅で京成線に乗り換える。ホームにはスーツケースを抱えた人々で溢れていた。電車の中はさらにその人数が増えた。ここにいる人達はみんな成田へ行くのだろう。ずいぶんと多くの人が空港に行くものだ。

成田空港は大きすぎて、実体が掴めない。そのごく一部分を通って中に入って行った。まずは両替である。\から€に交換してもらう。初めて持つ外貨であった。次いで航空券をもらう。当然のことではあるが、自分の名前がMr.の敬称つきで入っていて、なんだか不思議なものであった。その後もうすぐに、スーツケースを預け入れた。X線を通すと中身がまる見えなのだが、僕の荷物は衣類だけだったので、くすんでいてはっきりとしていなかった。スーツケースを預けたら急に身軽になった。

空港の中には、レストランから本屋からコンビニまで、あらゆるお店が揃っている。まるでデパートのようだ。いや、実際タカシマヤもあった。空港とは、飛行機に乗るためだけの場所だと思っていたが、違ったのである。

出発ゲートで、パスポートと航空券を見せる。初めてパスポートにスタンプが押された。それもラッキーナンバーだと自分では思っている7ページに。幸先が良さそうだ。手荷物検査では、液体だけでなくゼラチン質のものも持ち込めないということだったので、バッグの中にあったウイダー・イン・ゼリーを飲み干した。バッグやカメラだけでなく、帽子やマフラー、腕時計にジャケットまで脱いで、金属探知機をくぐった。ブザーが鳴るのではとヒヤヒヤしたが、無事通過できた。搭乗ゲートへはシャトルに乗って行った。車窓からは飛行機が見えて、自分はデパートではなく空港に来たのだなと実感した。

そして現在搭乗ゲートでその時が来るのを待っている。ここまでの行程が、もっと煩わしくて面倒なものかと思っていたが、意外にすんなりと簡単に済ますことができた。

これから飛行機に乗るが、今のところまだ緊張感はない。

まさかの雪である。雪がパラパラと、塩をかけるみたいに降っている。まさか今日に限って雪が降るとは。果たして無事に出発できるのだろうか。

機内にて

離陸した。

飛行機はテキパキと几帳面な人間のようにすばやく動く。心の準備もままならないまま、滑走路へと一気にやって来てしまった。一直線上に並んだランプが、まるでネオンライトのようにきらびやかに、そして妖しい輝きを放っていた。真ん中には、「飛べ」と言わんばかりに大きな矢印があった。

そしてなんの前触れもなしに、飛行機はいきなり全速力で駆け出したのであった。全身に緊張感が走る。モニターを見れば、ネオンライトを次々と通過していく様子が映っている。赤や黄色の光が飴細工のように溶けて伸びていく。果てしない地平線に向かってひたすら走る機体。きっとタイムマシーンに乗るのもこんな感覚なんだろう。時間の壁も簡単に超越できてしまいそうなスピードであった。そして次の瞬間、体がフワッと浮かび上がった。機体はまっすぐに空をめがけて大地を蹴り上げた。ジェットコースターに乗っている時のあの感覚、体が依存できる場所を失って空中に放り出されてしまいそうな感覚であった。それを浮遊感などと呼べるほどの余裕はなく、ただひたすら座席にしがみついていた。窓の外は真っ白で、今雲の中を飛んでいることがよく分かる。上下の感覚のない不思議な空間にいるようだった。そのうち、雲の形がおぼろげながら把握できるようになると、体もようやく慣れてきた。耳鳴りがひどかったが、唾を飲み込めばなんとか治まった。

窓枠の中の風景は、次第に青い色が絵の具のように混ざってきた。最初は薄かったその色が、徐々に濃く鮮やかになってきて、白い雲に染みていった。同時に光がうっすらと差し込んできた。暗かった機内も明るくなり、やがて雲をつきぬけた。そこにあったのは、どこまでも均一なベタ塗りの、濃く鮮やかで眩い青空であった。雲は毛足の長いムートンの絨毯のように広がり、床面を作っていた。高度9000m、空以外にはなにもない世界にとうとうやって来た。邪魔者のいない空間を、飛行機は目的地にむけて泳ぐように進む。12時間半、空を飛び続けることにしよう。初めてのフライト、未知の世界へ向けて、テイクオフ。

機内は確かに狭かったが、思っていたほどではなかった。燃料や弾薬をできるだけ積めるように、ギリギリまで小さくした戦闘機のコックピットのようなものを想像して、体を縮めてじっと耐えなければならないと思っていたが、そうではなかった。足はなんとか動かせるし、寝ることもできる。エコノミークラスといっても、最低限の広さは確保されているようだ。

サービスも充実している。モニターでは映画や音楽、ゲームも楽しめるし、飲み物の種類も豊富である。無事に離陸できた安堵感から、アルコールを飲みたい気分だったが、今後の予定を考えて控えることにした。トイレに行くのも一苦労なため、水分を摂り過ぎないように注意しなければならない。

機内食も和食と洋食の二つから選べた。まだ温かいし、味もまあまあであった。もともとの舌が貧しいからか、不満はなかった。

食事の後は、ゲームをして過ごすことにした。麻雀や将棋、リバーシやブラックジャックなど、いろいろなゲームに手を出してみたが、どれも弱くてすぐに負けてしまう。しかも、画面を見続け、同じ体勢でいるのは体に負担がかかるので良くないことであった。そして数独をやっている時に、泥のような濃い眠気に襲われて、スイッチが切れたかのようにバッタリと眠ってしまった。断続的に睡眠を繰り返したが、足がヒリヒリと熱く、腰も痛くなってきた。このままでは、エコノミークラス症候群になってしまうと、できる限りストレッチをやって、ミネラルウォーターをちびちび飲んだ。

外の気温は-69℃。その数字を見るだけで恐ろしくなる。目的地まではまだまだだ。空の旅は続く。

機内食の他に、間食のパンが出た。そしてもう一度食事があった。食事は一回だと思っていたので喜んでいるのも束の間、お茶をこぼしてしまった。何やってんだよ! ボケ、カス、クズ。幸いにも、あまり被害はなかったが、このクロッキー帳の上辺がうっすらと染まってしまった。ああ…

あと1時間ほどで到着する。ようやくといった感じで、かなり疲れた。目が痛い。日本時間ではもう夜なのに、空は明るくて、時間の感覚がおかしくなりそうだ。

機内アナウンスによると、タクシーがストを起こしているそうだ。すごいことだ。渋滞になるらしい。日本では考えられない。

降下を開始した。体に重力がかかっているのがよく分かる。耳鳴りと頭痛で気分が悪い。早く着陸してほしい。ジェットコースターの急降下と同じあの感覚。体が飛び出してしまいそうな恐怖が続く。だんだんと雲が見えてきた。白い雲はまるで氷河のように、空という青い海に浮かんでいる。飛行機は、さながら観測船のようにその中を進む。雲を切り拓き、飛行機は降下する。雲の穴からポッカリと陸が見えた。まさに下界という言葉がふさわしい現れ方である。

シャルル・ド・ゴール空港

なんとかシャルル・ド・ゴール空港に到着することができた。成田と違ってとても静かである。パスポートを見せて入国完了。途中で《Allez-y, Monsieur.》と道を譲られた。ああフランスに来たのだなと実感した。

スーツケースもわりとすばやく回収できた。さあフランスだ! パリだ!

バスで移動

空港にはガイドが待っていて、簡単な説明をした後、バスでホテルまで移動することになった。運転手は体格のよい、いかにもフランス人といった感じ。《Bonjeur!》と大きな声で挨拶してきた。その後に「諸君!」とでも言いそうな雰囲気だった。バスの内装は赤くてなかなかお洒落だった。そして座席もゆったりしていて、エコノミークラスに12時間も座った後だと余計に広く感じられた。

バスに乗ってまずやったことは、時差ボケしている腕時計を、車内の時計を見て現地時刻に直すことだった。日本ではもう深夜0時近いのに、こっちはまだ午後4時で、西日が照り返している。起床は朝5時だったから、もう20時間近く起きていることになる。飛行機の中で少し寝たとはいえ、体はもう睡眠のモードに入るはずなのに、外がまだ明るいということに、大きな違和感がある。これがいわゆる時差ボケというやつなのか。体をこちらの時間に慣らすまでが大変だと思った。

バスは空港を出て高速道路のような道をグルグルと回って進む。当たり前だが右側通行で驚いた。バスの出入り口も右側についていたし、車はほとんど左ハンドルで、みんな結構スピードを出す。日本とは自動車の事情がかなり違うのだろう。バスの窓からは、広大な土地が見える。ここはまだ郊外なのだろう。道路の壁面にはスプレーで落書きがたくさん描かれている。こういうのを見ると、たちまちに恐くなってしまう。さらにガイドが旅行での諸注意をするのだが、ホテルの周りは夜は歩けない、電車も夜遅くは使えないなど、脅しのように言ってくる。でも海外ではそれが当たり前なんだろう。日本は安全なのだ。

少しずつ街の中に入っているようで、建物が増えてきた。しかし看板は全てフランス語であるために、風景として認識していても、体が、感覚がそれを受け入れようとしないのである。全く見たことのない風景が目の前に広がっているという未体験の出来事、しかもそれは紛れもない現実なのである。異世界に来てしまったような、落ち着かない感じであった。

すると、そのような風景の中に、体も感覚も、自分のものと一致するものを見つけた。「IKEA」である。実際に西船橋にある店に行ったことはない。しかし「日本にもある」というだけで、自分の中では異世界のものではなくなるのだ。名前を知っているだけで、恐れはなくなる。しかも僕は、○○くんが瑞典に留学している時に撮った本家の写真を見たことがあった。初めて海外に来た人間にとって、一度見たことがある風景に遭遇することが、どれほど心強いであろうか。

ホテルに到着

そうこうしているうちに、バスはホテルに到着した。タクシーがストを起こしているために、道路は渋滞が予想されたのだが、意外にもすんなりと来ることができた。

ホテルに到着するとすぐに、ダイニングのようなところでガイドからより詳しい説明があった。主に電車の乗り方であったが、このホテルはパリの中心部からやや離れたIle de Franceにあり、市内に行くにはRER(高速郊外鉄道)を使うのだという。そしてパリ市内の交通手段はMétroであり、その乗り方などを細かく説明していく。日本とはだいぶ異なる鉄道事情に最初は戸惑いながらも、説明を聞いてなんとか理解しようとした。知らない場所を移動するのだから、交通手段についてしっかりと理解しておかないといけないのである。しかしながら、説明が早く、しかも途中で脱線するために、疑問点がいくつか残ってしまった。異世界では、知らない、分からないということが一番恐いのである。分からない、理解できない、納得がいかないと、恐怖が増してきて、焦って、ますますパニックに陥るのであった。分からない部分を質問して、電車については一応理解できた。と自分で思うようにした。

その他、安全についての注意が出た。夜は危ないから電車は使わない方がいいとまた言われた。最寄り駅からホテルまでの道も危険であると。そしてすかさず、エッフェル塔と凱旋門の夜景を観て、帰りはホテルの前までバスで送るツアーの紹介をしてきた。一流レストランでのディナーもついて50€。ガイドはしきりに宣伝をしてくる。こういうところは上手いというか、したたかというか。この異世界と完全に同化できていなくて、不安で仕方なくて、でもエッフェル塔と凱旋門の夜景を観たいとも思っている僕は、ツアーに申し込もうかと思ってしまった。まだ€がいくらかといった金銭感覚も身についていないために、安全でいられるなら高くないかなと思うのであった。説明が終わると、ツアーに申し込もうかとガイドの近くにまで寄ったけど、結局やめた。一応自分で組んできたプランがあるのだから、それの通りに進めることにしたのだ。考えてもいなかったツアーなんかに申し込んで、予定が崩れるのは嫌だった。

説明の後、カードキーが渡されて、部屋へ向かった。ホテル全体をなんともいえない独特の匂いが包んでいる。化学甘味料のような人工的な匂いである。室内は、日本のビジネスホテルとほぼ変わらないつくりであった。ベッドがあって、テレビがあって、ユニットバスがあって、机があって。ただ冷蔵庫がないのが残念だった。また、事前に旅行会社から送られていたホテルの案内では、インターネット設備があると書いてあったのだが、実際にはなかった。そのため、一週間ネットから離れた生活を送ることになった。

スーパーへ

荷物を置いてからは、まず水と食料を買いに近くのスーパーマーケットに行くことにした。水道水は飲めないことはないが、ミネラルウォーターの方が良いとガイドブックに書いてあった。なによりここは日本ではないのだ。普段と同じ感覚でいると大変なことになってしまう。生きていく上で欠かせない水を確保するのは、最初にしなければならないことであった。

ホテルから一歩外へ出ると、すでにそれは冒険の始まりであった。全く見知らぬ土地を、簡単な地図だけをたよりに進まなければいけないのである。しかも日本語は通じない。フランス語は、看板などに書いてあるものはある程度読めるが、会話となるととてもじゃないができる自信がなかった。恐怖と不安と緊張と、あらゆる心配の要素に支配されながら、おそるおそる足を踏み出して、スーパーへと向かった。外はすっかり暗くなっていて、それがさらに不安を増大させていた。見慣れない右車線上を、車がスピードを出して走ってくる。気をつけないと轢かれてしまいそうであった。何もかもが初めて、というよりも不慣れであるために、すなわち自分がこの世界と同化していないために、足を動かして歩いている体と、風景を認識している視覚とが引き離れそうなほどバラバラであった。

心身が不一致のまま、なんとかスーパーの《Leader Price》に辿り着いた。店内はさほど広くないにもかかわらず、カートがとても大きくて、そしてみんなそのカートから溢れんばかりに大量に商品を買っていた。日本とはスケールが全く違った。それがこの国のライフスタイルというものなのだろう。そしてそう思ったら、僕はさらに恐怖を感じた。ライフスタイルが現れている場所ということは、つまりここは彼らにとって日常の場所なのである。そんな場所に、非日常な観光旅行に来ている日本人の僕なんて存在は、とても異質なものに見えるに違いない。日常に突如として現れた侵入者を、彼らはどのように思っているだろうか。それを想像しただけでも、なんだかいたたまれない気分になってしまった。ここは、僕なんて存在がいるべき場所ではないように思ってしまうのだ。もちろん、実際にはそれが僕の勝手な思い込みであることは分かっているけれど、そのようなことを考えてしまうだけでも、なんだか悲しくなってくるのだ。

スーパーでは、水やジュースなどの飲み物、ワインやビールなどのアルコール、パンやチョコレート、ビスケットなどのお菓子、ハムやソーセージなどの加工肉、ピザなどの冷凍食品が売っていた。野菜や精肉などは売っていなくて、簡単な調理ですぐに食べられるようなものがほとんどであった。それらを大量に買っていくのだ。彼らは家で料理をしないのだろうか。フランスといえば、料理がとても有名であるが、考えてみるとそれはどれもレストランで出されるようなものであって、家庭料理というものは、もちろんあるのだろうけれど、すぐにはなかなか思いつかない。フランスは外食文化であるとガイドブックに書いてあったし、なにかの授業で習ったような気もする。

店内のいろいろな商品に目移りしつつ、目的のミネラルウォーターと、チョコチップのスナックパンを買った。500mlのペットボトルが6本セットで€2.5だから、かなり安い。ホテルの自動販売機などは、1本だけで€3もするのだ。それだけ、このスーパーが日常の場所であるということが分かる。店内の飲み物は、冷蔵庫に入っていない。ペットボトルも1本ずつに小分けされてはいなくて、ビニールにパックされた束の状態のままで棚に無造作に積まれている。その束から、必要な本数だけビニールを破って持っていくのである。彼らはそれを当たり前のようにやっているのだが、僕は店の商品のビニールを勝手に破ることに気が引けて、ある程度水はあった方がいいだろうし、それにセットの方が安いからという理由で、ビニールでパックされたものをそのままレジに持って行った。

レジに並んで順番を待っている間も緊張した。僕の前後には、背の高い女性がいる。両方とも、カートいっぱいに商品を積んでいる。僕はペットボトル6本とパン一袋だけである。背の高さと、そして買う商品の量と、いろんなものが負けているような気がしてならなかった。

順番が来て、商品を差し出した。レジの黒人女性に、僕はどのように見えているだろうか。フランス語の数字を聞き取る自信がないために、モニターに表示される数字を必死に読み取った。支払いをしようと財布を開けた。成田空港で両替したユーロ紙幣を取り出す。しかし、ユーロを見るのが初めてであるために、どのお札がいくらなのかが瞬時に分からず、ちょっとだけ手間取ってしまった。後ろでは列がつかえている。ますます焦ってくる。なんとか€10を出した。お釣りとして小銭と5€紙幣を受け取った。使い込んだ皺くちゃのお札であった。それに対して僕の出した10€は、まっさらなピン札であった。僕という異質な存在と、彼らにとっての日常の場所は、これらのお札が象徴していた。

スーパーで水を買うという行為では、レジの女性が金額を読み上げた以外は全く会話がなく、とても一方的なやりとりになってしまった。仕方ないことではあるが、一応4年間フランス語を勉強していたのに、全くコミュニケーションをとることができなくて、今までの勉強が無意味に思えてきてしまい、惨めな気分になった。きっとこれから、このような一方的なやりとりが続くのだろう。せっかくフランス語を勉強したのに、それを活用することができなくて悔しかった。

駅へ

なんとか買い物を済ませ、商品を置きに一度ホテルに戻った。時刻は夜6時過ぎだ。まず最も重要な水を確保できたら、次にやらなければならないことは、切符の回数券を買って置くことであった。駅の自動券売機でいちいち1枚ずつ切符を買うのは大変で、慣れていない日本人は格好のスリのターゲットとなりやすいことと、回数券でまとめて買った方が安いということをガイドから説明されていたのだ。駅にまでの道のりや、周辺の状況を知り、なによりこの見慣れない異世界を自分と同化させるために、最寄り駅まで行くことにした。そして時間もあるから、回数券を買うだけでなく、その切符を使って実際にパリ市内にも行ってみようということになった。あのパリに、憧れの、遠すぎて一生訪れることはないだろうと思っていたあの街に、いよいよ行くことになったのだ。

空港で両替した€365(約6万円)をだいたい3等分にして、それぞれ財布、パスポートケース、スーツケースの中に分散して入れることにした。どれか一つを盗まれたり失くしたりしても、なんとかなるようにしたわけである。

ショルダーバッグとガイドブックを持って、さあ出発となったのだが、ここにきて頭痛がひどくなってきた。もともと数日前から風邪を引いていた上、初めての飛行機と12時間のロングフライトに、これまた初めて経験する時差ボケといろいろなダメージが効いてきたようだ。少し熱があるようで、頭が朦朧としてくる。気分が悪い。せっかくの旅行なのに参ったなと思いながら、とにかく駅に行くことにした。

ホテルの最寄り駅はRosny-Bois-Perrierで、RERのE線が通っていた。1.2キロの徒歩15分というなんとも微妙な距離を歩いていくのだ。

ホテルを出たら、スーパーとは反対方向を行く。ロータリーのようなところを通過し、スピードを上げて走る車を避け、道なりに進む。高架をくぐり、大通りを歩く。説明の時にもらった地図を見るのだが、フランス語が細かい字で書いてあり、しかもコピーであるためにところどころかすれていて、とても読みにくい。ここでいいのだろうかと半信半疑ながら歩くのだが、どうも地図にある道が見つからない。Rosny 2という施設に沿ってRue Léon Blumという道があって、そのすぐ先に駅があると書いてあるのだが、駅らしきものがいっこうに見当たらない。Rosny 2という建物は見つかった。日本でいうイオンのようなショッピングモールのようだ。駐車場には車がたくさん停まっている。しかしその先は行き止まりというか別の建物があって、駅が見えないのだ。Rue Léon Blumという道も見つからず、完全に迷ってしまった。Rosny 2の先にある建物は、映画館やゲームセンターが入ったアミューズメントパークのようだ。若者がたくさんいて、大きな声を上げて騒いでいる。ここは彼らにとっての日常の場所、彼らのテリトリーであって、日本人が来るような場所では決してない。日が落ち、しかも街灯もそんなにないために、辺りはとても暗い。これは日本でさえも危険な状況である。それがフランスで起きているのである。地図を片手に右往左往している、見るからに迷子の日本人観光客である。それがこんなところに来てしまった。迷い込んでしまった。これ以上にない、絶好のカモが、向こうから餌場にやって来たようなものである。いつ襲われてもおかしくない。ちらっとこちらを見た、背の高いスキンヘッドのあの青年たちに、次の瞬間囲まれてしまうかもしれない。キャップを被り、パーカーにダボダボのジーンズのヒップホップスタイルの彼らが、もしこっちに来たらどうしよう。僕はもう生きた心地がしなかった。襲われることを覚悟した。そしてその中で、最小限に被害を抑えるためにはどうすればよいかということまで考えてしまった。なるべく目を合わせないように、顔を背けながら、とにかく駅を探した。

このままでは埒が明かないし、さらに迷ってしまうし、なによりここは危険地帯であるために、さっきの大通りまで戻ることにした。追いかけられないようにしながら、早足で歩いた。Boulevard Gabriel-Periという大通りに戻り、地図をもう一度よく見た。そしてさっきとは別の道に入っていくと、Rue Léon Blumと書かれた看板を見つけた。そしてその道とRosny 2との位置関係から、こっちの方向だろうと見当をつけて、さらに進んだ。辺りはやはり暗く、進めば進むほど不安になってくる。しかし歩いていった先に、線路らしきものを見つけた。そしてゴーッという音と共に、電車が目の前を通り過ぎていったのだ。間違いない、駅はすぐそこだ。恐怖と不安の暗闇の中に、希望の光を見つけたのだ。

そしてRosny-Bois-Perrier駅をようやく見つけた。駅構内やプラットホームも、日本のように明るいわけではなく、最低限の電灯だけが照らしていて、薄暗かった。それでも、なんとか駅に辿り着くことができて、安堵感が生まれた。

駅の切符売り場で、係員と対峙した。《Bonsoir! Un carnet, s’il vous plaît.》(こんばんは、回数券を一部ください)と言った。《Un carnet?》と返事をして、ゴソゴソと切符を取り出してきた。《Merci!》(どうもありがとう)と言って、10枚つづりの回数券であるCarnetを€10.7で購入した。

切符を買ったら、いよいよ電車に乗る。ホームによって改札が分かれているようである。お約束のように、パリと逆方向の改札を通ろうとして慌てて引き返した。改札は、日本のように切符を入れたら自動的に仕切りが開くのではない。自分でやらなければいけないのだ。そして仕切りではなく、ディズニーランドの入り口にあるようなターンスティールなのである。切符を入れて、それを抜いてからでないと、バーが動かないようになっている。初めてのことだったので、これにもまた戸惑ってしまった。

ホームに出て、電車を待つことになった。何人もの人がいる。みな一様に無口だ。彼らは彼らの時間を、日常を過ごしているのだ。そんな中に、突然やって来た日本人は、とても異質な存在であろう。こんな時間にRERに乗る日本人観光客なんているのだろうか、やはりカモにされないだろうかとまた不安になって、落ち着かなかった。

電車は音もなく、静かに、唐突に、滑り込むようにやって来た。アナウンスなどない。ただやって来て、客は黙ってそれに乗り、そしてすぐに立ち去るだけだ。これがフランスの鉄道のやり方なのだろう。その流儀に習って、ぎこちなく電車に乗った。

RERはなんと二階建ての車両だった。別にそこがグリーン車とかの特等席というわけでもなく、収容人数を増やすために増設されているだけなのだろう。二階の、なるべく人がいない席に座った。当たり前だが、周りは外人だらけだ。果たして彼らの日常の足となっているこの鉄道に、突如として乗り込んできたこの日本人観光客が、スリなどの被害に遭うことなく無事にパリまで辿り着けるのだろうか。電車に乗ってからも、不安で仕方なかった。

電車の壁には、日本と同じように広告があった。デパートや商品、そして2月なのになぜか去年のクリスマスイベントの広告なんかもあった。ただ中吊り広告というものはなかった。フランス人は背が高いから、そんなものがあると邪魔でしょうがないのだろうか。

窓の外の景色は真っ暗だった。やはりホテルのあるIle de Franceは郊外であるのだろう。パリに近づくにつれて、少しずつ明かりが増えていった。

電車は駅に到着しても、アナウンス一つない。無言のままやって来て、客を乗り降りさせ、そして何も言わずにそこを立ち去るだけだ。パリに行く場合は終点だからいいが、パリからホテルに帰ってくる時は、注意していないと駅を乗り過ごしてしまいそうだ。そして駅のホームには、電車から一目ではっきりと分かるような表示がないのである。ガイドブックに載っている路線図を見ながら、今が何駅目なのかを数えていかないとならない。電車に乗っている間も、一瞬たりとも気を抜くことができないのだ。

危険地帯に踏み込んでしまい、生きた心地がしないという経験もしたが、なんとか駅に辿り着き、Carnetを買って、パリに行くことができるようになったのだが、それでもまだ緊張と不安で凝り固まっている日本人観光客を乗せて、電車はパリへ向けて走るのであった。

そしてパリへ

Rosny-Bois-Perrier駅から5駅目、終点のHaussmann St-Lazare駅に到着した。電車は、まるで意地悪をするように駅舎の中に入ってしまったために、車窓からパリの風景を見ることはできなかった。

電車を降りたら、Sortie(出口)と書かれている青い標識に向かって歩いた。切符を入れて改札を出た。Haussmann St-Lazare駅はターミナル駅のようで、Rosny-Bois-Perrier駅よりも大きく、改札を出てもすぐに外に出られず、構内を歩かなければならなかった。時刻は夜8時。それなのに駅にはほとんど人がいない。動く歩道も閉鎖されている。巨大な駅にもかかわらず、人がほとんどいないということが、さらに不安を増大させた。もしここで強盗などに襲われても、助けてくれる人などいないのだ。後ろからついてくる人はいないだろうか、周囲に注意しながら出口を探した。

長いエスカレーターを上った先に出口はあった。ついに、ついにパリの街に足を踏みしめる時が来たのだ。今までの不安は、興奮と高揚へとすぐに変わった。そして…

《Bonsoir! Paris.》

初対面の相手には、まずは挨拶が大事だ。これは自然と、本当にそのまま口をついて出てきた言葉であった。

駅の出口は裏道にあった。そして大通りに出た瞬間、風邪も頭痛も吹き飛ぶほどの衝撃を受けた。漆黒の闇の中に、白い光を放つ大きな建物がいくつも並んでいたのだ。その明かりは、日本のネオン街のように下品なほどギラギラとしているわけではなく、景観を壊すことなく、しかしはっきりと自己主張するような輝きであった。それは月の光に似ていた。原色の激しさやけばけばしさのない、しっとりとした落ち着きを伴って照り輝いているのである。そこにいる者に、目を覆って拒絶したくなるような嫌悪感や不快感などは一切なく、人に安らぎを与えるような光である。そしてまた光と暗闇のコントラストは鮮明であり、とても美しく、建物に存在感を与え、より目立たせている。光に照らされた建物は、まるでスポットライトを浴びた舞台の主役のように堂々とした佇まいをしていた。夜のパリはまさに月光都市なのである。

光と暗闇によって映し出されたこの街は、まるで影絵の世界のように幻想的であった。まるで夢の中にいるように現実感がなく、ここにいるということがにわかには信じられなかった。

パリの第一印象は光であった。そして次に目についたのが、建物の統一感である。東京のように、超高層ビルが無秩序に林立しているということはなく、同じ高さの、そして同じ石造りの建物が広がっていた。しっかりとした都市計画の下、100年、200年前の建物がそのまま残っているということはガイドブックを読んで知っていたが、そのような都市が、これほどまでに統一感を出すとは思ってもいなかった。この街は、すみずみまで秩序で律されていて、少しの隙もないのだ。そしてそのような街は、訪れる者にも緊張感を抱くことを強いる。安易な気持ちでこの街を歩くことは許されないような気がした。背筋を伸ばして、襟を正さなくてはいけない。この雰囲気こそが、前夜に感じていた大人な街というイメージであった。

そしてまた、統一感のある建物は、どこも同じような景色を作り出していた。そのため、自分がどこにいるのか分からなくなってしまった。まるで光と闇と石造りの建物によってできたラビリンスに迷い込んでしまったようで、それが街をより幻想的にするのであった。地図を見て、現在地を確認した。しかし暗いために、道を覚えることは不可能な気さえした。まず目についたのは、《GALERIES LAFAYETTE》という建物で、これはどうやらデパートのようである。それを目印にして、さらに進むことにした。

見る建物どれもが美しい。石と光による巨大な彫刻のようである。だがそれらは鑑賞するだけの芸術作品ではなく、実際に使われているものなのだ。そう考えると、パリの人々は、先ほどのスーパーと違って、現実感のない幻想的な空間、いわば非日常の空間で生活していることになるのだろうか。それはけだるさや弛緩などのない、息を飲むような緊張の連続なのだろう。

街の美しさに見とれられつつ進んでいくと、一際大きくて目立つ建物を見つけた。パリを代表するオペラ座の一つであるOpéra Garnierであった。あまりにも大きすぎて、そして距離がとれないために、写真に全てを収めることはできないほどである。劇場というよりも、もはや遺跡の域にあるほどの重厚感である。ここで行われるオペラがどのようなものなのかは、この建物を見ただけで容易に想像ができる。きっと僕のようなみすぼらしい者とは、一生無縁な世界であろう。

その後も、Haussmann St-Lazare駅の周辺をいろいろと散策してみた。すぐ近くに、MétroのOpéra駅もあり、地下鉄を使う場合にはここから乗るのが便利なようだ。

お洒落なカフェを見つけた。外のテラスでお茶を飲んだりしたら、なんて絵になるだろうか。いかにもパリに来たという感じになる。

また壁に書かれている落書きのようなものも、とてもお洒落である。

パリの街を歩いてみて気づいたのは、まだ夜8時だというのに、人がほとんどいないということである。デパートなどのお店はほとんどが夜7時で閉まるという。通勤客のような人もほとんどいない。これも日本との大きな違いである。無人の街を歩いていると、初期衝動の興奮や高揚は治まり、再び不安が膨らんできた。街の美しさですっかり忘れていたが、もう夜も遅いのだ。日本人観光客がふらふらと歩いていては、強盗やスリの格好のターゲットになってしまう。だいたい周辺を歩いて、初めてのパリを味わったので、そろそろ帰ることにした。

帰りのRERは、乗客がほとんどいなかった。電車の中でたくさんの人に囲まれるのも恐いが、人がほとんどいないのも緊張する。辺りに人がいない席に座り、身構えて電車に揺られた。路線図を見ながら、駅を照らし合わせてRosny-Bois-Perrier駅を乗り過ごさないように注意した。

風邪も頭痛も微熱も、パリに来たら一気に吹っ飛んだ。それにとって代わって、大いなる興奮と高揚が全身を包んでいた。明日から、毎日あの街に行くことになるのだ。そのことを考えただけでも、喜びや楽しさがこぼれそうになってくる。

フランスで初めての食事

電車内でも注意を払いながら、なんとかRosny-Bois-Perrier駅に帰って来た。さっきはなんであんなに迷ったのだろうかと思うほど、帰りの道はすいすいと進めた。ホテルから最寄り駅までの道、電車の乗り方を知って、ひとまずパリへの行き方は分かった。そして次に問題になってくるのが、今夜の夕食をどうするかということであった。もう夜9時過ぎで、最後に機内食を食べてから相当経っている。無事にパリに行って帰って来られて、安心すると、空腹が襲ってきた。

先ほどのスーパーはもう閉まっている。ホテルの周辺には、レストランが一軒あった。他にはマクドナルドもあったが、せっかくフランスに来てまでマクド(フランスでの略称、マックはフランス語では卑猥な言葉)じゃ仕方ないということだったので。しかし、いざ店の前に来て、メニューを見てみると、€15から€20となかなかいい値段である。またフランス語で書いてあるため、どのような料理なのか想像がつかない。店内にはたくさんのお客がいる。すっかり怖気づいてしまって、結局このレストランはやめることにした。

そして向かったのは、レストランの隣にあるケンタッキーだった。マクドよりはいいだろうということで。店内には、10人くらい並んでいた。いや並んでいるというより、はっきりとしない曖昧な形で列ができているというもので、どこが先頭なのか、誰が今注文しているのかが分からなかった。とりあえず最後尾らしきところに並ぶと、きょろきょろとメニューを探した。カウンターのところにはメニューがなく、壁に貼ってあるだけであった。しかも文字が小さくて、もちろんフランス語であるために、判読するのに苦労した。写真からどのようなものかを判断して、値段を見て、これにしようと決めた。チキンとポテトとドリンクとデザート、そしてなぜかおもちゃがついて€4とお得だった。そして順番が次になった時に、メニューをよく見ると《Enfant(子供用)》と書いてある。つまりこれはお子様メニューだったのだ。どうりでおもちゃがつくし、子供が喜びそうなメニューだと思ったのだ。そしてどうしようと困ってしまった。さすがにお子様メニューを注文するのはまずいだろう。いくら日本人観光客でフランス語が読めなかったとしても、また日本人は実年齢よりも幼く見えても、お子様メニューを注文するのはとても恥ずかしいことだ。あるいは売ってくれないかもしれない。急いで別のものにしようと、壁のメニューを睨んで、《Brazer》というハンバーガーのようなものにした。僕の番がやってきた。

《Bonsoir.》

と挨拶して、《Brazer》とメニューの写真を指差しながら言った。店員の黒人女性はレジに入力し、それから

《Boisson?》

と聞いてきた。僕は予想もしていなかったことを聞かれて、パニックになってしまった。店員はなにも言わないので不思議そうな顔をして、指をくわえる仕草をしながらもう一度

《Boisson? Coke? Fanta? 》

と聞いてきた。そしてやっと《Boisson》が飲み物だということを思い出して、カウンターの奥に見えた紙コップを見て

《Pepsi.》

と答えた。どうやら《Brazer》というのは、ハンバーガーとポテトとドリンクのセットだったようだ。実のところ、僕は日本でもケンタッキーを食べたことがないのだった。まさかフランスで初めてケンタッキーを、しかもチキンじゃなくてハンバーガーを食べることになるとは思いもよらなかった。

悲しいくらいたどたどしくてぎこちないものであったが、なんとか無事注文して、食事を獲得することができた。急いでホテルに戻って、部屋で袋からセットを取り出した。

カーネルサンダースは世界中どこでも一緒であるが、袋に書いてある注意書きは当たり前だがフランス語であった。

ハンバーガーは、鶏肉、チーズ、トマト、レタスがはさんであった。ソースがピリ辛でスパイシーだった。空腹だったために、かじりつくように食べた。少し冷めていたが、そんなこと関係ないくらい美味しかった。ポテトも食べてみたが、塩がかかっていなくて、ジャガイモの生の味しかしなかった。素材の味を生かしたとのだと言い聞かせて食べた。ペプシコーラは、氷が入っていなくてぬるかった。日本で飲むコーラと違って、人口甘味料を使ったような、変な甘さがあった。それでも、空腹を満たすには充分な食事であった。フランスに来て初めての食事がケンタッキーというのも寂しい気がするが、世界中どこにでもあるものを食べることによって、日本との違いを知ることができるのではないだろうか。そうやってステップを踏むことによって、徐々にこちらの食事というものに慣れていくことができるのではないだろうか。

食事を済ませて満腹になると、今日一日の疲れがどっと出てきた。日本からはるばる空を飛び、海を越えて、こんな遠い国に来てしまったのだ。全てが違う異世界と同化することができずに、ずれを感じたり、強盗やスリに遭わないかと不安になったり、パリの美しさに心を奪われたり、買い物をしたりと、いろいろな初めてのことを一日で体験したのだ。自分の処理能力を超えた夥しい数の情報が一度に押し寄せてきて、精神はパンクしそうであった。

テレビをつけた。どれもフランス語でやはり全く分からなかったが、サッカーの試合を中継していた。よく見ると、フランス対スペインの国際試合であった。Euro2008はまだ先のことだし、W杯の予選かと思ったが、こんな強国同士が同じグループになることはないだろうから、親善試合のようであった。親善試合でこのマッチングというのもなんとも豪華な話だ。しかしそれがヨーロッパでは当たり前なのであろう。それにしても、両チームともセカンドユニフォームを着ていて、一瞬どこの国だか分からなかった。両国ともに日本と同じアディダスがスポンサーで、この前日本でも2008年モデルを発表していたから、これが最新のものなのだろう。

フランスはセカンドユニフォームが白から赤に変わっていて、チェコのユニフォームのようであり、イメージが全く違っていた。

スペインも白から黄色に変わっていて、ブラジルのユニフォームのようであった。

ベッドに寝転がりながら、しばらくサッカー中継を見ていたが、なかなか点が入らない単調な試合展開に、次第に眠気を覚えていった。そしてそのまま、シャワーも浴びず、着替えもしないまま、泥の中に沈んでいくように、深い眠りへと落ちていったのである。

こうして、初めての飛行機に乗り、初めての海外旅行はスタートしたのである。そしてその初日は、異国に来たことの不安など感じる余裕もないほどに疲れて、フェードアウトするように終わっていった。明日からいよいよパリ市内を観光する。明日はオルセー美術館に行く予定だ。

2008年2月7日(木)

ホテルの朝食

朝5時に目覚める。疲れすぎて昨夜熟睡したせいか、目覚めがよい。頭痛もしない。体調が良くなったようだ。シャワーを浴びたらサッパリした。

朝6時を過ぎても外はまだ暗い。夜明けはなかなか来ないようだ。朝食までの間、テレビを見ていたが、なにを話しているのか全然分からない。CMも日本のものとはちょっと違うようだ。

朝7時。朝食はシリアルにフランスパン、クロワッサンという簡単なもの。シリアルにホットミルクをかけてしまい、ぬるいものになってしまった。イチゴジャムをパンにぬって、オレンジジュースを飲み干して、さあパリに出かけよう!

オルセー美術館

9時30分オルセー美術館到着。結構迷ったけど、なんとか到着できた。ただし開館が10時からで待つことに。

でも裏口から来たので、作品を搬入しているところを見られてよかった。

大きな広場で象が出迎えてくれた。周囲の建物に溶け込むようにあって、一目で美術館と分かるものではなかった。列に並んでいるけれど、パスを使えばすいすい進めるだろうか。再入場できるのだろうか。ガイドを読んでいても、実際に列を前にすると少し不安になる。開くのをしばし待っている状態。

11時25分。入場して一通り観て回った。衝撃である。感動である。興奮である。そして確信である。少し観ただけであるが、数多くの作品たちが、無言のままなにか大切なものを語りかけてきた。彼らはずっとここにいた。僕は彼らに会いに来たのである。観るなんて一瞬の受身ではいけない。彼らの放つメッセージを受け止めて、消化し、吸収し、解釈をし、結論を出して、自分の血や肉や骨にしなければならない。少し休憩をして、今度は一つずつの作品について細かく記述していく。ページがなくなるまで、インクが切れるまで、とにかく書き続ける。

途中、喉が渇いたので、外に出て自販機でオランジーナを買って飲む。

とにかくたくさんの名作を観て、お腹いっぱい。しっかりと消化しないと、大変なことになりそうだ。閉館ギリギリまで居続けて、今日のオルセーは終わりにすることにした。

エッフェル塔

ホテルに帰る前に、エッフェル塔を見に行くことにした。夜のエッフェル塔は光輝いて妖しく美しい。思わず見とれていると、20代半ばくらいの金髪の女性が、ジャラジャラと音を立てながら近づいてきた。

《One dollar, One dollar》

見ると、ジャラジャラとする金属音の正体は、エッフェル塔のキーホルダーのようだ。これは、初日のガイダンスの時に気を付けろと注意されたやつだ。僕は、マニュアル通り、

《No, thank you》

と言って断った。彼女はおとなしく諦めて、立ち去って行った。

《Fxxk off, JAP!!》

という捨て台詞を残して。覚悟はしてたけど、日本人はやはり差別されるみたいだ。

地下鉄を乗り継ぎ、ホテル近くの駅まで戻った。

夕食は、近くのレストランで食べることにした。ただ、トイレの近くの席に案内され、メニュー表より明らかに高い額を要求され、ぼったくられた。日本人だからといって、舐められているようだ。

素晴らしい作品を観て感動したが、日本人差別に遭って、これもパリの厳しさ、現実だということを思い知らされた1日だった。明日もオルセー美術館に通う予定。

2008年2月8日(金)

この日も1日中オルセー美術館に入り浸っていた。

2008年2月9日(土)

ルーヴル美術館

今日はルーヴル美術館へ行く。

電車に乗る。

日本でも人気のブルーマンのライブがあるようだ。

ドラクロワの《民衆を導く自由の女神》。1999年に日本に来た時、黒山の人だかりをかき分けて観たのをよく覚えている。ここでは、ゆったりと対峙してじっくりと鑑賞ができる。

ルーヴル美術館も広すぎて、とてもじゃないが1日では周りきらないので、明日に持ち越すことにした。

そして今日は土曜日である。週末の午後の庶民の楽しみは、フットボール観戦と相場が決まっている。というわけで、地元パリ・サンジェルマンの試合を観に行くことにした。チケットは前日、スポーツ用品店のようなところで買えた。買う時パスポートを見せる必要があったけれど、フーリガン対策だろうか。

パルク・デ・プランス・スタジアム

実のところ、フットボール観戦なんてJリーグでも行ったことないのに、デビューがいきなりリーグ・アンとは贅沢なものだ。

パルク・デ・プランス・スタジアム。駅からすぐのところにあって、交通の便がよい。スタジアム入場に際しては、やはりパスポートチェックと手荷物検査があった。

ピッチの芝生の青さがまぶしい。なんと奇しくも、この日のアウェイチームは、松井大輔のいるル・マン。彼が得点を決めてしまったら、日本人の僕なんてどうなってしまうのだろうか。一応席はどちらのチームでもない中立地帯のような場所で、スポーツ用品の店員が気を利かしたのか、両側が空いていた。

松井大輔。遠目からでも日本人だとわかるのは、髪の色だけでなく、やはり体の大きさが違うからだろうか。

ストレッチと練習に余念のない選手たち。

エスコートキッズたち。

フラッグと共に、選手入場。

いよいよキックオフ。

サポーターはひたすらチャントを歌って選手を鼓舞する。アウェイチームがボールを持てば、ブーイングをする。と言っても、国際試合でよく問題になるくらいひどいものではなく、アウェイへの洗礼のようなものだ。そういうのも、フットボールの文化の一つなんだろう。

試合は、パリ・サンジェルマンが押し気味で、ゴールポストを叩く惜しいシュートもあったが、なかなか得点が入らない。選手交代で流れを変えようと試みるが、決定力に欠ける。

背番号20が松井大輔。

結局両チーム決め手に欠き、試合はスコアレスドロー。ホイッスルの後にやや切れ気味に選手がゴールにロングシュートを決めたが、もちろんこれは得点として認められず。

どちらかが得点を決めれば、もっと盛り上がっただろうが、これもフットボール。初めての現地観戦に、美術鑑賞とはまた違った興奮を覚え、パルク・デ・プランス・スタジアムをあとにした。

ポンピドゥー・センター近代美術館

この日最後に行ったのが、ポンピドゥー・センター近代美術館。鉄パイプと足場で工事中のような前衛的な外観が特徴的な建物。

エスカレーターにのって昇っていく。上昇気流にのってる感じが、高揚感、興奮感へとつながり、これからの美術鑑賞にも期待が高まる。

夕日に浮かぶエッフェル塔が見えた。美しかった。

お目当てのマティスを中心に、モダンアートの傑作が多数あって、ここでも満腹になった。

2008年2月10日(日)

7時40分、いつもの朝食の後、駅へ。日曜日だから道にはほとんど人がいなくて閑散としている。やはり朝は冷える。手袋をしてもかじかむ。本数が少ないのか、駅で結構電車を待った。

Haussmann St-Lazare駅から歩いてOpéra駅へ。そしてOpéra駅からMétro7号線でPalais Royal Musée du Louvreに行き、1号線に乗り換えてSt-Paul駅へ。ここまではすんなりいった。

8時45分。駅前のキオスクで新聞を2紙買う。《Le Monde》と《L’EQUIPE》である。昨日のサッカーの試合についての記事がないものかと探す。あった。けれど、試合結果だけで、評価は書いてなかった。それだけ書くに値しないつまらない試合だったということか。他には、今日の夜6時からアフリカネーションズカップの決勝戦があるようだ。エジプト対カメルーンだという。ちょっと観てみたい気もする。

ピカソ美術館

それはともかく、駅からピカソ美術館までが迷いに迷った。小さい通りは地図に載っていなくて、建物がどれも同じに見えて、同じところを何度もぐるぐると回ってしまった。標識はあるのにその先に進むと迷うということが何回もあった。ただでさえ日曜日で人が少ないのに、細い路地裏なんかに入ってしまったものだから、恐くて仕方なかった。見るからに道に迷った日本人観光客で、いつ襲われるか分からないくらいの格好のカモであった。すぐ近くからは教会の鐘の音も響いている。三回目に見つけた標識の先を進むと、タクシーが停車していて、日本人が降りようとしている。ああきっとここだと確信して、近づくと、入り口があった。しかしガイドブックの写真とはまるで違っていて、看板や旗などが出ていないのである。

しかも建物は一部改装中らしく、足場が組まれている。とても分かりづらい美術館であった。結局到着したのは、9時40分で、1時間近く迷っていた。

11時。一通り観て回った。ピカソの作品が時代順に展示されていたが、キュビスムやコラージュのものが多くを占めていた。卒論で取り上げた作品もあった。形の面白さは良い。ただ不気味さや奇妙さも感じてしまう。そういうものだと理解はしているのだが、どうも心の中で拒絶というか、距離をおこうとしているような気がする。

オランジェリー美術館

13時30分オランジェリー美術館。天気が良くて、公園はとても長閑だった。最初Jeu do Paumeと間違えたけれど、到着。

睡蓮の間にやって来た。リニューアルされたばかりの室内はとてもきれい、というよりむしろ無機質な印象すら受けた。その中に《睡蓮》が設置されている。曲線部分のキャンバスはどうなっているのだろうかと疑問に思ってしまう。連作の《睡蓮》が繋がって、一つの空間を作り上げている。部屋も含めてこの間全体が一つの芸術なのである。その真ん中に座ってぐるりと周りを眺めていると、自分の睡蓮の池の上に浮かんでいるような錯覚を覚える。それは菩薩のような、悟りを求める感覚に似ている。ここは瞑想の間でもあるのだ。

絵は淡い色使いで、一瞬を切り取ったかのようなすばやいタッチで描かれている。表面は砂のようにザラザラとしていて、油絵というよりも、和紙に描いた日本画のようである。不思議な絵だ。

オランジェリー美術館では、マリー・ローランサンやマティスの展示があった。

公園

オランジェリー美術館のあと、公園を散策してみた。

日曜日ということもあって、公園は家族連れで賑わっていた。

「ペタンク」という球技をやっていた。

メリーゴーランドや馬までいた。

他の人のように階段に腰かけてみた。長閑である。平和そのものである。穏やかな天気の日曜日の昼下がり、家族連れで楽しむ公園。日に照らされていると、旅の疲れから瞼が重くなってきたけれど、不意にその瞼から涙がこぼれ落ちそうになった。初めての海外旅行で、不安だらけだったけど、こうして公園の階段に腰かけている今の自分は、パリという都市を構成する要素になれているだろうか。そんなことを考えたら、ほろりと泣けてきたのだ。

あるいは、無邪気に遊ぶ子どもたちの姿に感動したのだろう。遠い昔に忘れてきた大切ななにかを見つけたような気がする。美術館ももちろんよかったけれど、この旅のハイライトは、この公園の情景なのかもしれない。

ポンピドゥー・センター近代美術館

公園のあとは、再びポンピドゥー・センター近代美術館に行くことにした。途中、腹が減ったので、観光客など滅多に入らなそうな地元のカフェで食事を摂った。オムレツ。美味しかった。

昨日は夕方に行ったから気づかなかったけれど、明るいうちに見てみると、大道芸人やストリートミュージシャンが結構いた。日本では規制が厳しいけれど、パリはこういうのに寛容らしい。

ポ「ソ」ピドゥー・セ「ソ」ター…

ポンピドゥー・センター近代美術館の近くにflunchというバイキングのレストランがあったので、連日夕飯はここで食べた。とにかく安くて量が食べられるのがよかった。食事は悲しいくらい貧相だったけれど、初めての海外旅行、貧乏な学生旅行だし、贅沢は言ってられない。

明日は飛行機に乗って帰るだけだし、パリ最後の思い出ということで、ずっとがまんしてたアルコールを解禁した。スーパーで「アムステルダムナビゲーター」というビールを買って飲んでみたけど、冷えてないからぬるくて、しかも変に甘くてまずい。やはりここはワインの方がよかったか。

2008年2月11日(月)

fnac

いよいよ今日はパリを発つ日。長いようであっという間でもあった。帰りにfnacという本やCDなどを売っているフランスの大手の量販店に寄ってみた。

そして帰国の途へ

シャルル・ド・ゴール空港の免税店でゴディヴァのチョコレートなどのお土産を買った。スーツケースがパンパンで、押し込める姿がちょっと恥ずかしかった。

帰りの飛行機は、行きの時ほど緊張はしなかった。それよりも疲れて早く眠りたいという思いの方が強かった。

機内食では、もういいやということでビールを飲むことにした。日本のキリン一番搾りは、アムステルダムナビゲーターと比べ物にならないくらい美味かった。やはり自分は日本人なんだなと実感した。

行きはあれほど長く感じられた空の旅が、帰りはほとんど寝ていたのであっという間であった。無事に日本に帰って来られた。それだけでも自分を褒めてあげたい。

お土産がパンパンにつまったスーツケース。

パリで買った本。フランス語勉強しよう。

こうして、初めての海外旅行、初めてのパリ旅行は幕を閉じた。一生忘れられない思い出となった。