第6冊ノート(2004年7月~2004年12月7日)

2004年

(承前)新歓期におけるサークルめぐるについての顛末

避難口の少ない居酒屋
窓がほとんどなく
非常階段もあるかどうか疑わしい居酒屋
ふいに数年前に起きた
新宿歌舞伎町での
居酒屋の放火事件が頭をよぎる
あの事件では
避難口や非常階段の不足で
多くの客が逃げられずに
死んだ
それから雑居ビルの安全対策は
厳重になったと言われているが
この店に関しては全く
対策がなされていないように思われる
どうしよう
もしこの場で火災が起こったら
逃げられない
パニックになって
熊達が一斉に逃げようとして
出口がふさがって
そして僕は逃げられず
燃えさかる炎に焼かれてしまうのだ
そんなことになったら
暗い大学生活どころか
人生そのものが終わってしまう
何とかしないと
いざとなったら飛び降りよう
ここは二階なのだから
頭さえちゃんとガードすれば
両足骨折ぐらいですむかもしれない
なんとか地上に降りて
その後は這うようにビルから離れれば
命だけは助かる
よしまずは頭をガードするものを確保しておこう
座布団じゃちょっと頼りないな
さっき熊男達が被っていた
フルフェイスのヘルメットが最適だ
今この場に持って来てるだろうか
あ、あった
部屋の片隅に一つだけぽつんと置かれている
よしなるべくあのヘルメットの近くにいよう
というわけで僕は
ヘルメットの近く
そして窓のあるトイレの近くの席を
必死に獲得して
恐怖の新歓コンパは始まることとなった
いきなり目の前に
グラスが置かれ
なみなみとあふれんばかりに
ビールが注がれる
強烈な臭いが鼻をつく
そしてそのビールを見たとたん
急に恐くなってきた
覚悟していたつもりが
いざ実際にビールを目の前にして
こんなものをこれから本当に飲まなければならないのかと
そしてまたある出来事が頭に浮かんでしまう
たしかどこかのラグビー部の新歓コンパで
一気飲みさせられた新入生が
急性アルコール中毒で死亡したという事件を
中学校の保健体育の時間に聞いたことがある
一気飲みは絶対にしてはいけない
若い命をたった一杯の酒で無駄にしてはいけないと
その時教えられた
今この状況
これはラグビー部と混同されやすいとある大学のアメフト部の
新歓コンパである
体育会系の飲みはすごいとよく言われるが
これは体育会系ではなくて体育会である
火災ではなくアルコールで死ぬかもしれない
「みなさーん、今日はお疲れさまでした!!」
ヒゲの濃い熊が音頭をとる
「それでは夜の新歓コンパの始まり、かんぱーい!!」
「かんぱーい!!」
一斉にグラスの当たる音がする
僕も仕方なくグラスを持ち上げる
そして仕方なくビールを一口飲む
口いっぱいに苦みが広がる
そしてアルコールの臭いが舌先をしびらせる
一口飲んでグラスを下げてしまった
もう少しで吐くところだった
不味い
ビールは苦く不味い
こんなものが飲めるか
僕は他の人を見た
みんなさも当然のようにビールを飲み
つまみを食べている
すでにあっちこっちで
ビールをさしつさされつの接待が始まっている
泡はぴったり1cm
グビグビとジュースのように飲み
プハーッと臭い息
やはりこいつらは熊だ
食欲だけに生きている熊達だ
そして他の新入生達も
飲み慣れてますといった風に
ビールを片手に
談笑している
みんな学院や実業出身なんだ
きっともう高校の頃から飲んでいるんだろう
アメフトで汗を流し
ビールで水分補給する
まるで絵に描いたような青春じゃないか!!
楽しい高校生活だったんだろう
遊びもたくさん知っている
彼らは互いにお酌しながら
今日の試合の感想でも語り合っているんだろう
いやー、久し振りでだいぶ体がなまってたな。
マジで、そろそろまた体をつくっていかなと。
もう彼らはすでにアメフト部入部が決まっている
先輩もみんな知り合い
ぬかりなく先輩にもお酌
サワーの入ったピッチャーの注ぎ口に
割り箸をくっつけて
氷がグラスに入らないようにトクトクトク
さすが慣れた手つき
会場は僕を除いてとても盛り上がっていった
僕はグラス一杯のビールも飲み干すことができずに
茫然としていた
心はここにあらずでも
空腹は確実なことだった
考えてみれば午後1時に東伏見に行って
大雨の中アメフトらしきことをやらされて
普段使わずに錆びついた筋肉を使ったんだ
当然空腹のはずだ
そしてまた
入学式の時にもらったパンフレットのことが頭に浮かんだ
飲酒の危険性を警鐘するもので
そこには
空腹時に飲酒をするとアルコールのまわりが早くなり
急性アルコール中毒になりやすいとあった
まさに今この状況がそうである
熊達は今はこうしてなごやかに談笑しているが
そのうち飽きてきたら
必ず僕で退屈しのぎをするはずだ
一気飲みなんて一番やりそうなこと
こんな方法で僕を殺しにくるのか
何とかしなければ
とりあえず自衛手段として
空腹をなくすことだ
僕は割り箸をつかむと
目の前にあるつまみ類を貪るように口に入れた
からあげやポテトや枝豆などを脇目もふらずに
次々と口に運ぶ
この状況の中ですべきことが見つかって
嬉しかったこともあってか
とにかくたくさんのものを食べた
食べたというよりも
胃の中を食べ物で埋めて
アルコールが侵入する隙間を
なくしていたというほうが正しい
とにかくその時は
他の熊達のように獣になって
といってもまるで狂犬のような弱々しい獣になって
食べていた
腹はだいぶ満たされたが
乾きものばかり食べたせいで
今度は喉がとても渇いてきた
ビールで潤すことなどできずに
皿を引き上げにきた店員に
小声で烏龍茶を注文した
グラスにたっぷりとつがれた烏龍茶は
まるで砂漠の中のオアシスのように
喉の渇きを充分に潤してくれた
それをちびりちびりと
なめるように飲んで
時間を殺した
とりあえずこうして烏龍茶をなめている間は
一気飲みはやらされずにすむ
なんとかこれでこの場を乗り切ろう
猫みたいに舌を液体に浸していると
隣の方から大きな声がして手拍子がする
見るとそこには彼が さっき僕に話しかけてきてくれた
心の友と言える彼が
グラスを持たされていた
「なんか暗いじゃーん。もっと盛り上がってこうぜー!!」
熊男が表面上はやさしく話す
「いぇーい!!一気対決やってー!!」
周りから声がする
「よし、やろう。いいか、対戦する二人は互いのグラスで乾杯するんだ。そしたら5秒以内に飲み干さなきゃならない。君が勝つまで何度でもやるぞー!!」
そう言うと熊男はグラスを高々と持ち上げて
彼とグラスをかち合わせた
「はい、かんぱーい!!」
決闘をするガンマンのようにグラスを当てると
熊男は一気に飲み干す
彼も仕方なく飲もうとするが
僕と同様に酒に慣れてないせいか
ビールをなかなか喉に入れられない
グラスが水平になってうろたえている彼に
「ほらほら、姿勢が悪い!背筋を伸ばして!!グラスを傾けて!!!」
そう言って熊男は強引に彼のグラスを傾ける
ビールが流れ込む
彼は喉にビールがつまってとても苦しそう
息ができずに口をパクパクさせる
溺れかけの金魚みたい
なんとか彼がビールを飲み終えても
彼が勝てなかったので
当然もう一回勝負することとなった
よく見ると
彼のグラスにはビールが入っているが
熊男の方のグラスにはレモンサワーのような
透明な液体が入っている
どうせあのグラスの中は
水かあるいは薄めたサワーなんだろう
一気飲み対決で
よくやる手だ
最初から勝負は決まってしまっている
ターゲットにだけ酒を飲ませて
酔い潰そうという
なんとも卑劣なやり方だ
そんなことを考えているうちに
彼はもう三回ぐらい飲まされていた
途中ビールをこぼしてしまうこともあり
その度に
「おっと粗相だ。ソソウ、ソソウ、SO SO SOSO。」
と言われて結局飲まされる
そして彼が倒れてしまうと
まるでおもちゃに飽きた子供みたいに
すぐに見捨てるのだった
彼はヨロヨロと千鳥足でトイレに向かう
僕も次のターゲットになるのを避けるためと
そして彼が心配になって
こっそりとトイレに行く
トイレで彼はぐったりとしていた
―大丈夫か?―
僕は彼の体を支えながら尋ねる
「いや、空腹のまま飲んだからさ。お腹にビールがたまっちゃって、気分が悪いんだよ。」
彼は弱々しく話す
しばらく僕らは
汚くてひんやりとするトイレで
酔いをさましていた
トイレの壁には
「吐く方はこちらにお願いします。」と
書かれていて
その水道には
すでに吐瀉物が付着していた
店自体が吐くことを容認している
吐くまで飲んだ方がもうかる
客の命よりも売り上げの方を大事にする
商売魂
このままトイレに逃げ隠れしていれば
いずれ終了時間になるだろうと
安心していたが
見回りのようにトイレに来た熊に見つかってしまい
「お前ら何やってんだよ!?早く戻れよ!まだやってんだから!!」
と言われて連れ戻されてしまった
席に戻っても
彼はぐったりとしている
僕は彼に烏龍茶をやったり
冷たいおしぼりをやったりと
介抱してやって
あるいは介抱しているようなフリをして
その場をやり過ごそうとした
これはかなり効果があるようで
酔い潰れてしまった者と
それを介抱している者という役柄が見事にはまり
誰も近づいてこない
これでなんとか大丈夫かなと思っていた
コンパは佳境に入り
一気対決があり
王様ゲームがありと
乱れに乱れていた
席を移動していろんな先輩と
おしゃべり
お酌
時には一気
ギャハハハハといううるさく低俗な笑い声
顔を真っ赤にして
アルコール臭い息を吐き出す
「よーし、いくぞー!!」
と言ってある熊男が
ピッチャーをつかんで
そのままぐいっと飲み干した
顔がますます赤くなっていく
僕は目を閉じて
しばし喧噪の音を聴いた
どれもこれも醜くて卑猥なものばかり
うんざりしてくる
さっきまでアメフトで汗を流していた
勇ましい姿などまるでない
今ここにあるのは
ただ酒を飲んで暴れまわる
凶暴な熊
これが大学生の実体なのかと
呆れてしまった
「みなさーん、とても名残惜しいのですが、そろそろお開きの時間でーす。それぞれ残っているお酒を処分しちゃって下さーい!!」
永遠とも思える二時間が
ようやく終わろうとしている
熊達は急いで
グラスやピッチャーの中に残っている酒を
飲み干す
その姿は
冬眠のために食料を蓄える
熊そのものだ
なんとか酔い潰されずにコンパは終了した
僕は彼の肩をかついで
ビルの外へ出た
「はーい、みなさーん、とりあえず、今日のイベントはこれで終了でーす。お疲れさまでした!!もちろんこの後二次会でカラオケに行きますので、希望者はじゃんじゃん参加して下さーい。」
「先輩何歌うんですか?」
「しっとりとバラード歌っちゃうよー!」
―「森のくまさん」でも歌ってろよ!!!!!―
心の中で僕はそう叫ぶ
僕と彼はそそくさと
退散しようとしたが
熊はそんなこと許すはずがない
「おい、待てよ、駅まで送ってってやるよ!」
高田馬場駅はすぐそこなので
別に一人でも行けるのに
とにかく早くこの熊公どもから離れたいのに
仕方なく僕と彼は
見張りのような熊と一緒に駅に向かうこととなった
当然その間も
熊はしつこく入部を迫ってくる
「今日はこんなんだったけどさー、普段オレ達はもっとガッチリ練習してるんだぜ。初心者のお前だって、一年後には甲子園ボウルでタッチダウンできるんだよ。」
―甲子園は野球の聖地じゃないのかよ。―
「最初のうちはみっちりと筋トレやらせるからな。そんなたるんだ腕でもすぐに硬くなるよ。」
―熊に言われたかないよ。―
「とにかくもう一度考えてみてよ。初心者でもできる!!お前はオレが育てる。きっと人生が変わる。いやオレが変えてやる。一週間後にまた連絡するよ。」
僕はしつこい勧誘をふり切り
―おつかれさまでした。―
と言って逃げようとする
しかし
「おいちょっと待て。」
不良がカツアゲするみたいに呼び止める
彼は西武新宿線だったので
とっとと改札を通って逃げてしまったが
山手線の改札は少し遠くて
迫ってきた熊につかまってしまった
熊は僕の肩を叩き
「オレはお前を信じてる!オレと一緒に日本一をめざすんだ!!」
おいおい誰に言ってんだよ
人を間違ってるよ
アメフトなんてやるわけないだろ
そろそろ怒りが頂点に達してきた
憎くて憎くて仕方ない
今日という二度と戻らない貴重な時間を
奪いやがって!!
靴下を泥まみれにしやがって!!
ケガさせやがって!!
ふざけるな!!!!!!
なにが「オレもう5年生が決定しましたー」だ
なにが「二留年なんてあたりまえー」だ
4年で卒業しなきゃいけないんだよ
勉強しなきゃいけないんだよ
バイト、サークル、旅行、一人暮らし
大学生になってまで玉遊びやってるほど
こっちはヒマじゃないんだよ!!
黙れ!!酒飲みの熊が!!!
キサマらは呑兵衛式醜球武BIG BEERSじゃない
キサマラは呑兵衛式醜球部BIG BEERSだ!!
なんとか熊から解放されてからも
ぶつけようのない怒りがこみあげてくる
しかしそれもすぐに
山手線のラッシュで潰されてしまった
疲労と初めての酒の染まった体を
引きずるようにしてアパートに帰ってきた時には
怒りは消え
ただもう今日無事に死なずにアパートに生還できたことが
嬉しくて
まるで強制労働所から逃げられたような
まるで懲役が終わったような
解放感が
安堵感があふれていた
そしてそのまま眠った
今日一日とても長かった
死なずにすんだ
汚された靴下はすぐに捨てた
BIG BEERSとのつながりや思い出なんて
持ちたくなかった
とにかく悪魔の一日はやっと終わった

その二日後の四月六日のことだった
僕は文学部のキャンパスの
正門前にいた
この日は「エジプト文化研究会」の説明会と新歓コンパだった
ブースに行って説明を受けて
さほど興味があったわけではないが
暇つぶしのため
あるいは新たなる人間関係を築くため
のこのことやって来たのだ
別にエジプトでもどこでもよかった
アメリカいやアメリカンフットボール以外なら何でもよかった
星の数ほどあるサークルの中から
たまたま選んだだけのようなものだ
そうこうしているうちに
時間となって
僕はちょっと怪しげな人達と一緒に
奉仕園の会議室へ行くこととなった
そこではエジプト旅行の写真を見た
ピラミッドやらスフィンクスやら
15日くらい行ってきたそうな
エジプト大使館に行ったり
現地調査スタッフと一緒に調査をやったりと
なかなかアカデミック
しかし受験の途中で世界史を捨ててしまったので
アメンホテプ3世とかイクナートンなんて言われても
どこがどこだか整理されずに
なんとも理解しがたい
その説明会の後
戸山公園でお花見となった
散りかけている桜を見上げ
しばし談笑
もちろん僕以外の者が経験者という悲劇はなく
もっともエジプトの経験者が何なのか分からないし
エジプトに行ったことのある新入生というのも
そうそういるはずもないので
すなわち僕達は
対等の位置で話をすることができた
でも中にはエジプトマニアな奴もいて
とても分厚いエジプトに関する本なんか持ってて
サークルの先輩にエジプトの質問をしてくる
まあそんな奴がいてもおもしろいんじゃないかと
僕は彼とおしゃべりする
世界史マニアで
僕が挫折したイスラム史を完璧に覚えて
というか
ケータイの待受画像がレーニンで
旧ソ連国歌が歌えるとか
なんとも怪しい奴だが
それでも僕らは仲良くなった
僕も乏しい世界史のエジプトの知識で
彼にそしてサークルの先輩になんとかついていこうとする
中学高校と美術部だったという
唯一の経歴を最大限発揮する
「へー、美術部だったの。それじゃあイラストでも担当してもらおうかなー。」
などと先輩は言ってくる
―アマルナ美術とか好きですよ―
別に本当にアマルナ美術が好きなわけじゃない
ただなにかエジプトと関連することを見つけて
相手との共通項をつくって
なんとか取り入ってもらう
いつもいつもやることだ
エジプトと美術部の共通項がアマルナ美術なだけ
もしもこれが「ギリシア文化研究会」だったら
きっと「クレタ文明」といった単語を出してただろう
つまり知識だけということだ
その後新歓コンパで
僕はこの前と違って初めてお酒がおいしいと思った
ビールみたいに苦くない
まるでジュースのような
いやジュース以上に甘いお酒だった
調子に乗ってかなり飲んだけど
少しも酔わなかった
もしかして酒に強いのかとも思ったが
要は周りの雰囲気ということだ
この前みたいに熊公に囲まれて
まるで苦行のような
まるで監禁されているような状態じゃ
お酒がおいしいはずがない
その状況を拒絶しているのだから
こうやってなごやかな雰囲気の中で
仲良くなって人達と飲んでこそ
お酒はおいしくなるのだ
僕は結局二次会まで参加して
エジプト好きの彼と仲良くなって
その日はとてもいい気分でアパートに帰った
この前とはまるで違う
晴れ晴れとした気分だ
ふと中学時代の美術部の後輩のことを思い出した
その後輩は今日の彼と負けないくらいとてもエジプトが好きだった
分厚い本を読んでたし
知識も豊富だった
エジプト展に行ってきたのだと
楽しそうに嬉しそうに話してた
ツタンカーメンやらスフィンクスなんかの絵も描いていた
いつかエジプトに行きたいとよく行っていた
僕は数少ない美術部の後輩のために
話を聞いてついていこうとしたが
いかんせん専門的な話で
ちゃんとした返答をできなかった
あの後輩にこそ
この「エジプト文化研究会」はふさわしいだろうと思った
今高校二年生になったはず
でも確か高校は芸術科に進学したんだっけ
果たしてこの大学に入学するのだろうかと
そしてこのサークルに入会するのだろうかと
そんなことを考えては
あまりぱっとしない自分の中学生時代と
現在の大学生活というものを比べてみた
あまり変わっていないような気もする
いずれにしても今日は楽しかった
「エジプト文化研究会」に入会するつもりはないが
エジプトというものを介して
仲良くなりさらに中学時代まで思い返して
とても充実した一日が過ごせた

さらに二日後の四月八日
この日は速記研究会の説明会と新歓コンパだった
まずは学生会館の会議室で
ひととおりの説明
CDで歌を流して
その歌詞を速記で書くという実演があった
黒板に歌と同じくらい速く「みみずののたうちまわったような」字が書かれていく
でもその歌は大ヒットナンバーだったので
当然歌詞も知っているはずで
果たして本当に聴き取って書いたのかは疑わしい
その簡単な説明の後で
すぐに新歓コンパになった
この前のアメフト部の時のように
座敷のいわゆる居酒屋で
大勢の人々が
ぎっしりとつまった状態で
「はーい、それじゃーかんぱーい!!」
と乾杯となった
その後しばらくは和やかなムードだった
僕は周りの人 特にそのサークルの先輩と
他愛もない会話をしていた
速記なんて当然やったことがない
せいぜい国会での発言を記録するためのものというぐらいの認識しかない
それでも僕はなんとか
先輩と合わせようと
共通項を作ろうと必死になる
先輩の方も勧誘をしてくる
「美術部だったんだって?速記も一つ芸術だよ。」
こじつけのような先輩の勧誘方法
「速記の線を使って絵を描く人だっているんだよ。」
―ああ、『2ちゃんねる』みたいにですか。―
僕もすかさず相の手を入れる
そんなふうに話していると
突然
「学生注目ー!!」
という号令がした
「なんだー!!」
さも当然のようにみんな返事をする
「僭越ながら、私、只今から自己紹介をさせていただきます。」
「おー!!」
「私、○○県は△△高校出身。」
「名門ー!!」
「現在××学部☆☆学科3年…。」
そこで一呼吸おいて
「○○□□でございます。」
いっせいに拍手がする
それと同時にグラスのビールを一気飲み
会場はますます大きな拍手と歓声が響く
「幹事が飲んで、副幹が飲まない…」
「わけがなーい!!」
「はい、副幹事起立ー!!」
すると今度は別の方から
女の先輩が立って
同じように自己紹介をして
ぐいっとビールを飲み干してしまった
こうして
「学注」と呼ばれる行為は
その後様々な人
会計の人やら二年生の人やらが
次々とやっていった
さいわいにも新入生が一気をやらされることはなかったが
さっきまでの和やかなムードは一変して
BIG BEERSの時のように
騒がしくなってしまった
まるで今までは本性を隠していたみたいで
うるさい酒宴となった
会話の内容もほとんど速記と関係のない
下世話なものになっていった
僕はとてもそれについていけない
今日は少しお酒を飲んではいるが
どうにも酔っているようには思えない
別に普通の感覚だ
他の人のように高揚したり興奮したり
羽目を外すほどテンションが高くなったりは
全くない
なんだか急に冷めた気分になってしまった
さっきまでの和やかな雰囲気が
学注によって破壊されてしまったようだ
さっきまで速記というちょっと変わったことをやってる
それなりに高尚なサークルだと思っていたのに
いまやただの飲みサーに成り下がっている
結局速記なんてのはただの口実で
なんとなくみんなで集まって
乱痴気騒ぎの酒宴をやりたいだけじゃないか
飲みたいだけなんじゃないか
これが思い描いていた大学生活だろうか
速記なんて技術を身につけておくと
いろいろと役に立つことがあるだろうと思っていたのに
例えばこれから始まる大学の講義で
早口の教授の説明や板書を
ノートに書くことができるだろうし
インタビューなんかでも
いちいち録音しなくてもよくなるだろうし
そしてなによりも
このノートに詩を書く時に
心の中からあふれ出てくる言葉を
一つももらさずに書き留めることができるはずだと
かなり期待していたのに
こんなんじゃ
とてもまともに速記を身につけられそうにない
たとえ身につけられるとしても
この飲みに参加しなければならないのなら
それは嫌だ
だいたいさっきから周りを見ても
あまり仲良くなれそうな新入生はいない
いかにもナンパ目的の奴が殆どで
本気で速記を学びたい奴なんているかどうか
中には
入学式で配られた
大量のサークルの大量のビラを
この大学のロゴの入った特製クリアファイルに
まるで切手のようにきれいにコレクションしてる奴もいた
思わずこっちがひいてしまう
この大学のよっぽどのマニアか
それともそのサークルの新歓コンパに全部参加する気か
いずれにしても関わりたくない
そんなことを考えていると
意外にも早くコンパは終了してしまった
しかしどういうわけか僕は
なりゆきというつもりでもないが
その後の二次会にも参加してしまうのであった
軽い拒絶感はあったものの
恐い物見たさというか
なんとなく そうなんとなく参加してしまったのだ
しかしその二次会で
僕は決定的にこのサークルが嫌いになった
僕はいつものように
相手との共通項を作って
すなわち『2ちゃんねる』みたいに速記の文字で絵を描くとか
あるいはノートをとるのが楽だとか
そんなことを話していると
「じゃあお前、こいつの似顔絵描いてみろよ。」
と言われた
僕の苦手な似顔絵をやらされて
当然下手くそなもので
さんざん馬鹿にされた
そしてどういうわけかその後
自分の忘れてしまいたい過去を
カミングアウトしてしまうのだ
これは先輩にとっていじるのには都合のよいネタで
僕はさんざんコケにされて
とても不快な気持ちで
二次会を終えた
もちろんこんなサークルには絶対入らないと心に誓って

翌日の四月九日
この日は「クイズ研究会」の説明会と新歓コンパだった
クイズは大好きなので
実際にクイズ大会のようなこともやるということなので
とても楽しみにしていた
そしてクイズ大会になった
問題が読まれて分かったら
ボタンを押してランプの点いたチームに解答権が与えられるという
おなじみのやつ
僕達は偶然に集まった人々によって
四つのチームに分けられた
僕はそのチームの中で
これも偶然隣に座った
法学部の人と仲良くなった
和やかにお話をした
クイズの方は
なんとも当り前のことばかり
様々なジャンルからの
難問奇問なんてない
どうもおかしい
クイズ研究会なんだから
もっとひねったクイズを出してほしいのに
当たり障りのない問題ばかり
しかも待たされてようやく僕の番になったら
いきなり「記憶力クイズ」になって
文章を早口で言われて
すぐにその文章に関する問題が出されるというものになってしまった
記憶は苦手なので
これじゃクイズにならないなどと思ってしまった
それでもなんとか二問正解したが
それで終わり
予定変更がかなりあって
クイズはおもしろみのないまま終わってしまった
その後に説明があったが
どうもこのサークルには
「サークル内サークル」なるものが存在していて
サークルの中で様々なジャンルの別のサークル
野球、サッカー、競馬、麻雀などのサークルがあるという
つまり「クイズ研究会」というのは名ばかりで
実態はオールラウンドサークルなわけである
そして肝心の方は
文化祭でクイズイベントをプロデュースするぐらいなのだ
なるほど確かにバラエティー番組のように
けだるくてくだらないノリだ
などと感心していたが
思い描いていたものと全く違ってがっかりしてしまう
しかし説明会だけで帰るわけにもいかず
僕はコンパにも参加してしまう
オールラウンド、イベントサークルの飲み会である
激しくないはずがない
昨日の速記研究会とは比べものにならない
とても嫌な予感がする
そしてお座敷のとても広い居酒屋に
入っていく
入口ですぐに会費を徴収された
なぜか名前を書かされる
フリガナまでつけて
ますます嫌な予感がする
案の定乾杯が始まるとすぐに
「学注」が始まった
「粗相」まであるし
「速すぎて見えないからもう一回」やら
「ビンダ・ビンダ」など
実に豊富な「コール」がある
サークルの先輩が全員自己紹介をした後で
「それではこれより、新入生の○○くんと△△くんと××くんと…□□くんに、学注ならびに一気をやってもらいます。」
と甲高い声がする
一気、イッキ、一揆…
やはりこうなるのか
新入生に名前を書かせたのはこのためか
僕の嫌な予感は見事に当たってしまった
名前の呼ばれた新入生は
おろおろしながらも
その場の雰囲気に飲まれて起立してしまう
そしてその中でノリのいい奴が
先輩の真似をして
「学生注目ー!!」
なんてやって一気飲みするのである
僕は急に恐怖を感じてしまった
必ず僕の名前も呼ばれる
そしたら一気飲みをしなくてはならない
殺される
どうしよう
さっき仲良くなった人はどこか他の所に行ってしまった
どうする
結局僕はしらばくれるという方法で
それを逃げ切った
だいたい名前を呼ぶ先輩が酔っ払っていて
何を行っているのかよく聞こえないし
会場はとてもうるさいのだし
それに参加者は百人以上もいるので
僕が立たなくても
誰にもバレなかった
新入生の「学注」の後は
また先輩が一気をやる
今度はもっと趣向をこらした飲み方だ
ハンカチで隠している間に
ビールを飲んで消すという
マジックやら
バケツ一杯にビールを注ぎ
それを飲み干して
すぐにゴミ袋にリバースしたりと
よくやるよと呆れながら思ってしまう
しまいには店主にまで飲ませる始末
店主も稼ぎ客の要求には快く応じる
そして最後には
幹事長がテーブルの上に仁王立ちになって
自分の顔の描かれた旗を広げて
大学の校歌と応援歌を歌って〆る
僕は仕方なく
隣の見ず知らずの人と肩を組んで
ゆらゆらと流れに身を任せて揺れる
こうして恐怖のコンパはなんとか無事に終わった
僕はすぐに逃げようとしたが
やはりそうはいかない
ガッチリと先輩がついてくる
そして電話番号をおさえられてしまった
僕はそれでもなんとか
生還できた
偽りだらけの「クイズ研究会」め
クイズはもっと知的な遊びなんだよ
お前らはただの飲みサーだよ
ふざけるな

さらに翌日の四月十日
今度は「史学舎」という歴史研究サークルの説明会と新歓コンパに参加した
歴史は好きだ
高校では一応日本史も世界史も両方勉強してたし
歴史はおもしろいし研究するのもいいかもねと
まずは学生会館のラウンジで
説明会
実際に研究の結果として作成されたレジュメを見た
なかなかおもしろそう
様々なテーマで歴史に切り込んでいる
そして次に
どの地域の歴史を研究するか
グループ分けが行われた
日本史、東洋史、西洋史、生活一般史とあって
僕はさんざん迷って
東洋史を選んだ
先輩に
「何をテーマに研究したい?」
と聞かれて
―日本と中国の近現代史の比較がやってみたいです。中国は列強の植民地となったが、日本はそれを免れたのはなぜか…―
とすかさず歴史は好きですというふうに答える
ふとその時僕は考えた
エジプト文化研究会の時はアマルナ美術が好きだと言ったり
速記研究会の時は速記の文字で絵を描くと言ったり
クイズ研究会の時はクイズが大好きと思ったり
アメフト部の時ですら母校のラグビー部のことを話したり
そしてこの史学舎の時は歴史好き青年になってみたりと
相手との共通項を作るために
さもその分野に精通しているかのように演じる
知識を披露して
こんなことまで知ってますというような顔をする
昨日と今日ではまるで別人のようなキャラになっている
そうやって八方美人のようにあっちこっちのサークルの説明会や新歓コンパに参加している
果たしてそんな僕とは一体何者なのだろうか
あらゆる分野に精通しているオールラウンドプレイヤーなはずがない
エジプトなんて速記なんてクイズなんて歴史なんて
ましてやアメフトなんて
本当は全く知らないし興味がないかもしれない
じゃあ僕は一体何に興味があるのか
ひいては何がやりたいのか
どんなサークルに入りたいのか
それが分からなくなってしまった
自分のアイデンティティーが分からなくなってしまったのだ
すると急に空しくなって
この史学舎というサークルにも興味がなくなり
入りたくなくなってしまった
そしてその空しさ 冷めた気持ちは
コンパが新宿歌舞伎町で行われると知って
より大きくなった
怪しげなネオンがギラギラと光る繁華街を
客引き達が手をパンパンとたたいている街を
ぞろぞろと歩く
ここが新宿歌舞伎町
日本で一番危険な場所
もしかしたら銃殺されてしまうかもしれない
そんな恐怖を感じながら
居酒屋に入る
それでもコンパでは
僕はサークルの先輩に
まるで自分の抱えている空しさを隠すように
空虚な歴史の知識を口にしてその場をしのぐ
―やっぱり近現代史が一番おもしろいけど
古代史も捨てがたい
ヨーロッパと中国のような
全く異なる文化の比較はおもしろい―
などとよくもまあ言えるものだ
しかしそんな会話もすぐに
「学注」で中断されてしまう
昨日ほどではないが
それでも激しい飲み
学部ごとに新入生も起立させられ
一気をやらされる
僕はやはりしらばっくれてやりすごす
そしてそんな一気飲みを見て
僕の空しさはより大きくなった
さっきまでのアカデミックな雰囲気など全くない
低俗な飲みをする連中に
嫌気がする
僕はその後も心のこもらない会話を続ける
そして僕が社会科学は苦手で高校時代には政経よりも倫理の方が好きだった
と語ったところで
時間切れとなった
僕はすぐに山手線に乗り込み
そして高田馬場駅の前にある大きな本屋に逃げ込んだ
そこではさっきの空しさが少し消えた
自分というものが見つかったはずがないが
それでも書物に目を通すと心が落ち着いた
アカデミックなサークルを装いながらも実態は
ただの飲みサーである
そんなサークルには入らない

そしてその翌日の四月十一日
僕は今までのサークルの中で一番期待していた
絵画会の花見に参加した
戸山公園でかなり散った桜の下
僕はここぞとばかりに語った
―一応、中学高校と美術部だったんですよ。―
たった一つの経歴を楯に僕は話をする
美術というジャンルにだけは
僕は一応経験者だといえる
やはり大学でも美術をやろうと
このサークルに入ろうかなと
やっと自分の入りたいサークルに出会えたようで
僕は嬉しかった
他の新入生が皆
未経験者であるのをいいことに
僕は優位な立場で先輩と話すことができたと思う
サークルめぐりをしていて
初めて空虚でない言葉だった
充実感にあふれていた
しかしそんな幸せな気分も最初のうちだけだった
少し時間が経って
先輩の顔を見てみると
笑ってなかった
その瞬間に僕は
この人は僕のことを見下しバカにしているなと
悟ってしまったのだ
きっとこの先輩の目には
僕は口先だけの人間と映っているのだろう
僕はそれまであった幸せな気分が
一気にしぼんでいくのが分かった
先輩は煙草を吸う人が多くて
それがケムくてケムくて
ますます気分が滅入ってくる
さらにその花見に遅れてきた先輩がいた
その人は紫の怪しげなシャツを着ていて
色眼鏡をかけていて
鼻に血の塊のようなピアスをしていて
ホストのようでどうもいかがわしい
直感で本能でこういう人間とは関わりたくないと思う
そのホストは僕に対して
明らかな不快感を見せた
一年生なんて邪魔なだけでいらないんだよと
言いたげな目である
ホストが煙草に火をつけて
未だに5単位しかとれてないことを
他人事のように楽しそうに話す
この人は5年生らしい
こういう人のいるサークルには入りたくないと
僕は強く思った
そして僕は再び
今までで一番大きな
空しさに襲われてしまうのだった
僕は結局誰とも話さないまま
早く花見が終わることだけを祈り
そしてすぐにそこから立ち去ってしまった
期待していたものに裏切られたショックは大きかった
このサークルに入りたいと思っていたのに
そこで今までにないくらいに
制作活動をしたかったのに
中学高校時代と違い
仲間がいて
仲間と共に切磋琢磨している自分を
想像していたのに
あの先輩達とでは
楽しく活動ができないと思った
僕は入りたいと思っていたサークルを切り捨てたので
どのサークルに入ればいいのか
分からなくなってしまった
もうどのサークルにも入れないような気がしてきた
大学の講義開始を翌日にひかえ
この日が本格的な新歓活動をする
最終日だったのだ
明日になってしまったら
講義が始まってしまったら
きっと忙しくなって
説明会や新歓コンパに参加できない
そうなったらどこのサークルにも入れずに
あの熊男の言ったように
一人で講義を受けるだけの毎日になってしまう
巨大な総合大学には
自分の居場所がない
サークルにしか居場所がない
それなのに
未だにどのサークルに入るか決めてないなんて
だんだん僕は焦ってきた
新歓期というチャンスに乗り遅れて
一人だけとり残されたような気分だった
このままどこのサークルにも入れず
自分の居場所もなく
寂しい大学生活を送るのか
僕はもう殆ど諦めてしまった

そして翌日の四月十二日から
大学での講義が始まった
基礎講義やら基礎演習やら第二外国語等
いろいろと新しい学問が始まって
それについていくのがとても大変で
とても忙しかった
講義があるために
気になるサークルの説明会に行けないこともあった
ますます追いつめられていく
クラスの中でもうサークルに入っている人を見ると
そして仲良くしている様子を見ると
もうダメなんだと思ってしまう
サークルだけが大学生活じゃないさと開き直っても
学問だけに打ち込む覚悟もない
あっちこっちへと教室移動する時に
まだ新入生を募集しているサークルはないかと
壁のビラを食い入るように見てしまう
ここはもう終わってる
ここはまだ大丈夫だ
まるで職業案内所に通う失業者のよう

そして四月二十日に
僕は「美術研究会(絵画班)」の説明会に参加した
学生会館は複雑な構造をしていて
西棟と東棟を間違えて
少し集合時間に遅れたが
僕はこの時初めて学生会館の部室に入ったのだ
第一印象はとにかく狭かった
星の数ほどサークルがあるのだから
それは仕方のないことではあるが
この部屋では油絵は描けないと思った
この「美術研究会(絵画班)」は
入学式の日にビラだけもらった
というより気づいたら腕の中にたまっていたビラの山の中に
いつの間にか入っていたようなものなのだが
ビラだけもらってブースには行かなかったサークルであった
もう美術系のサークルで残っているのはここしかなかった
もしもここがダメだったら
絵画会に入ろうと思っていた
ビラには
展覧会が年二回あって
合宿も二回あって
その他なんでも好きなことができて
部室にはテレビ、エアコン、パソコンが完備されていて
アットホームなサークルと書かれていた
僕はその言葉に大いに期待をして
最後の望みをかけていた
説明会では
サークルの概要を簡単に聞いた
部室では絵は描けないが
美術練習室を借りれば描けることや
先輩は技術指導等をしないことなど
ポイントはいろいろあったが
その雰囲気がどことなく
高校の時の美術部に似ていた
とても親しみやすいというか受け入れやすいものだった
雰囲気としては絵画会よりもよかった
ただしかしネックとなるのは
展覧会が年に二回しかないことと
先輩からの技術指導がないことだった
そういった部分を考えるとにわかに絵画会の方が気になってきた
絵画会は展覧会をなんと年に五回も開催しているという
しかもそのうちの四つは他大のサークルとの合同展だという
これが絵画会の最大の魅力だ
そして先輩からの技術指導も見逃せないポイントである
高校時代にまともな指導もうけないままに
独り善がりでやってきたので
僕はとても下手くそなのだ
せっかく大学生活は四年間もあるのだから
ちゃんとした指導のもとでみっちりと技術を磨きたい
趣味程度以上のものにしたい
そういう思いも強くあった
絵画会にするか美術研究会(絵画班)にするか
僕は大いに悩んだ 迷った
もはや入りたいサークルはその二つにしぼった
このどちらかに入ろうと決めた
どちらにしようか
それぞれのサークルの長所と短所を
ノートに箇条書きにして
理論的に解答を導き出そうとしたが
できるはずもなく
やはり実際にそのサークルの活動に参加するのが一番だろうという
平凡な結論に達した

そして四月二十七日
雨がしとしとと降る中
僕は絵画会の「全活」と呼ばれる活動に参加した
この「全活」では
毎週火曜日と金曜日に学生会館の美術練習室を借りて
サークルのメンバー全員でデッサンやクロッキー等をするそうだ
当然先輩からの技術指導もある
僕はそれに大いに期待をして
あの花見以来一回もサークルの人達に会ってないので
忘れ去られているのではないだろうかという危惧を振り払って
「全活」に参加した
練習室はとても広くて
水道もイーゼルも完備してあった
その日の「全活」は
前半は五月にやる展覧会のための準備だった
展示場の真中に設置する
オブジェを段ボールで作っていた
僕はcos60°を利用して定規だけで正三角形を作って
さっそくサークルに貢献しようとする
他の新入生とも雑談する
ここでも僕は高校の時の美術部の話をする
彼は笑ってそれを聞いてるが
僕にはこの彼が僕のことを見下しているのがよく分かった
彼は決して自分の方から話をしてこなかった
僕にだけ話させて
そしてそれに対して笑うだけだった
僕はまるでおしゃべりな
口先だけで実力も何もないでしゃばりなピエロだった
途中でやはり空しくなってきてしまった
そしてその後いよいよクロッキーとなった
僕は
何も道具を持ってこなかったので
紙と鉛筆と下敷きを借りて
緊張していた
考えてみたら
クロッキーなんてものやったことは今まで一度もなかった
ずっと独り善がりでろくに練習もせず
下手くそな絵ばかり描いていた
これから本格的な絵の練習が始まる
僕の会が活動の歴史の上に
全く新しい物語が書き加えられる
もう下手くそな僕じゃない
これからはずっと絵が上手くなる
きっと きっと 絵が上手に
きっと……………
クロッキーというのは
短時間で
人物のおおまかな形をつかむという練習である
先輩がモデルとなって
5分くらいで
その人物の形
全身のラインや骨、肉のつき方
立体感などを描く
こういった技術は絵を描く時に必要なものだ
僕にはそんな技術はなかった
立体感も形もメチャクチャな絵ばかり
そんな自分の絵に嫌気がさしていた
今日ここで新たな技術を身につけようと
意気込んでいた
5分間一人の人物に集中するというのは
思っていた以上に疲れることだ
それでも精一杯自分の力を出した
つもりだった
相変わらず人物を描くのが下手
プロポーションが狂っていて
頭でっかち
人体の動きがつかめていない
骨格や肉のつき方がおかしい
中学生の時に誰かに言われた
「キモい絵」になってしまった
まあ最初はこんなものさと
思って
何気なく隣の人のクロッキーを見たら
とても5分で描いたとは思えないほど
完成されていた
流れるような勢いのある線で
大胆にかつ正確に人体の骨格や肉のつき方
そして動きが描かれている
荒削りのようだが作品として充分通用するほどの
できであった
「いやー、久し振りだったからねー。」
彼は笑顔で言う
その笑顔の裏に
奥はすぐに軽蔑の気持ちを見つけてしまう
この人は完全に僕のことを見下している
表面上では笑っているが
心の中ではきっと下手くそと思っているんだろう
見ると周りの人はみんな
彼のようにクロッキーがとても上手だ
こんな下手くそなものを描いてるのは僕だけだ
場違いな気がしてきた
僕はここにいてはいけない
ここにいる資格がないような気がしてきた
レベルがあまりにも高い
それまで中学高校と美術部でしたと大声で吹聴し
美術部時代のことを誇らしげに語って
いきがっていた自分を
今すぐに殺したくなった
実力もないくせに口だけ達者でおしゃべりな自分が
とてもとてつもなく恥ずかしく嫌いになった
僕はいたたまれなくなった
すぐにでもその場から立ち去りたかった
でもそうもいかず
その後も下手くそな 誰にも見せられないような
クロッキーを描き続け
他の人と比較する度に恥ずかしくなった
途中からはもはやクロッキーをする気力も失せて
何も描けなくなってしまった
5分という短い時間が
これほど長く感じられたこともない
早く終わってくれ
早く終わらないと他の人がどんどん上手く描いちゃうじゃないか
やめてくれよ
これ以上僕に恥をかかせないでくれ
もう実力のなさは充分に分かったからさ
まるで陰湿ないじめのようなクロッキーの練習は
やっと終わって
僕はすぐにその場から
誰にもあいさつせずに
逃げるように立ち去った
ここは僕の入れるサークルじゃない
もうこうなったら
本当に最後に残った
美術研究会(絵画班)に入ろうと心に決めた
もちろん僕の下手くそなクロッキーは
すぐにナイフでズタズタに切り裂いて捨てた
絵画会に入ろうかという迷いは一気に消えて
これではっきりとどのサークルに入るか決まった
そのことだけが唯一の救い
一つに絞れてとてもスッキリした


こうして僕は美術研究会(絵画班)に入会した
その後すぐにサークル名が美術研究創作会と改まり
六月展にも出品して
前期納会やら夏合宿なんかにも参加して
とても楽しく充実した大学生活とサークル活動を送っている
あの熊男が言っていたような
暗い大学生活になることはひとまずなかった
このサークルはとても楽しいし居心地がいい
先輩方は皆いい人ばかり
最後に辿り着いたのが
自分に最も適したサークルであったのだ
それまでの八方美人でオールラウンドプレイヤーのふりをしていた
嘘つきの自分は消えて
このサークルで僕は僕らしくいられる
そして大学生活の方も
おもしろい講義には知的好奇心を大いに刺激させられ
つまらない講義は睡眠や忍耐に費やし
時にはサボったり代返とかいう行為も覚え
そしてレポートでも
コピーアンドペーストなんてテクニックも学び
これも世の中を上手く渡っていくには重要なことだと
まるで言い訳するみたいにかわしてと
まあ充実している
とにかくこうして無事に大学生でいられるのも
美術研究創作会のおかげだと思っている
感謝 感謝 感謝

追伸
四月二十五日に
僕は群馬稲門会の上毛カルタ大会に参加した
上毛カルタというのは
群馬県の名産品やら名所やら著名人なんかを題材にしたカルタで
小学校の時によく遊んだ
まさか大学生になって東京で再びその単語にめぐり会うなんて
とても懐かしくて
ついつい参加してしまった
他にも
群馬県ということで
地元の友達ができるだとか
もしかしたら同じ高校の人に会えるだとか
あるいは
隣にあった女子高の人に会えるかもしれないなんて
淡い期待を抱いてもいた
しかし実際に参加した新入生は
僕を含めてたったの三人
全員男
しかも二人は同じ高校で友達
完全に孤立してしまった
同じ高校の先輩とかいう人も
なんだかうさんくさくて近づきたくない
それでカルタ大会の方は
どういうわけか僕は勝ち続けてしまった
しかも準決勝では
それまで三連覇をしていたというチャンピオンを負かして
四連覇を阻止してしまった
あいにく決勝戦は僅差で負けてしまったが
それでも初出場で準優勝と目立ってしまった
しかしそれがいけなかった
この群馬稲門会の真の目的は
カルタ大会なんかじゃなかった
カルタなんてただの口実で
本当はただ飲むだけだった
稲門会とは名ばかりで
ただの飲みサーだった
カルタ大会の後は
当然のように飲み会になって
僕は準優勝者として一気飲みをさせられてしまった
「おいしょー、おいしょー」などという
意味不明のコールと共に
苦いだけのビールを喉に押し込み
なんとか飲み干したが
酔ってしまい
すぐ気持ち悪くなってしまった
その後もことあるごとに飲まされ
頭が痛くなり足元がふらつき
意識が朦朧としてきた
悪酔いという感覚を初めて味わった
他の新入生も酔い潰されて
立ち上がれないくらいになってしまっていた
ぼくはそこまでひどくはなかったが
それでもまともに立ってはいられなかった
その後飲み会は終了し
僕はよろよろと千鳥足で帰った
翌日二日酔いでとても苦しんだ

群馬稲門会なんてただの飲みサーだ
田舎者が東京で集まって互いに傷をなめ合って
悪ふざけしているだけじゃないか
二度とイベントなんかに行くか



「八方美人」を描きたいがために始めたらこんなにかかってしまった
最後の方はもうやる気がなくなってしまった

CoyaNote2004054

真夏日が続く八月に
突然雨が降って
肌寒くなると
とても寂しくなる

CoyaNote2004055

今になって
そのよさが分かっても
仕方ないし
意味がないし
どうしようもない
過去は振り返らずに
今を見つめる

CoyaNote2004056

郷里に帰ってくると
気分が滅入ってしまう
この町にいると
暗い気持ちになってしまう
下ばかり向いてしまう
過去のつながりにもがき苦しんでしまう
僕のことなんて誰も知らないような場所で
全く新しい人間関係を築きたいというのに

CoyaNote2004057

僕が負け犬だとしたら
他の人は勝ち犬か
僕が野良犬だとしたら
他の人は飼い犬か

CoyaNote2004058

この焦燥感は何だろう
見えない恐怖に脅えている
終点へと引きずり込まれそう
圧力を感じる

CoyaNote2004059

焦り 焦り 焦り

CoyaNote2004060

二度とない今日という日を
この一瞬を惜しめ
そしてその焦燥感を
刻みつけろ
心に
鉄板に
ガラス窓に
鋭いナイフで
ガリガリと

CoyaNote2004061

ふしあわせそうな女の
やせ細った体
明るい未来を描けない
しあわせは
しあわせになるには

CoyaNote2004062

ものを壊してしまいたい衝動に駆られても
実際に壊してしまったら
今度はこのことを一生悔やみ続けるだろう
理解できないのは
君のその感情

CoyaNote2004063

こんな自分が嫌い
どうして
つい昨夜に決心したことを
行動に移せないんだ
変わらなきゃいけないんだよ
今の自分が嫌いなのだから

CoyaNote2004064

幸せを抱いて眠れ
ぬくもりを胸に秘めて眠れ
心の中の不安をなくせ

CoyaNote2004065

今日は君が僕の隣に座ったんだから
明日は僕が君の隣に座ってもいいよね
ひと言声をかけて
ひと席分間を空けて
これが現在の君と僕との距離なのかと
わざとそっぽを向いて
しかめ面をして
本心では君と話をしたいというのに
まるで君のことなんて興味がないみたいな
まるで他のことに集中したいんだみたいな
そんな素振りをしてしまう
思っていることと反対の行動をしてしまう
こんな自分が
僕ですら嫌いになるのだから
君はもっと嫌いなんだろう
君の方も僕には目をくれず
自分のことに熱中している
二人は偶然隣り合わせた見ず知らずの他人みたいに
僕は何も言えない何もできない
本心では君の横顔を見つめていたいのに
君の方へ視線を向けることが悪いように思ってしまう
どうしてなんだろう
心の中で願えば願うほど
手と足はバラバラの
全く別のことをしてしまう
頭の中ではあんなに近づきたいと願っていたのに
実際に君のそばへいくと
逃げたくなってしまう
避けたくなってしまう
どうしてだろう

つまり僕は自分に自信がないから
堂々と自分のことを他人に示せないから

CoyaNote2004066

僕はいつも逃げてしまう
自分の欠点を見られたくないから
ボロを出したくないから
保身のことしか考えていないから
僕はその場で永遠に足踏みを続けてしまい
一歩をどうしても踏み出せない

正直なところ
僕は君の顔をまっすぐ見ることができない
君と面と向かって話ができない
独り言を壁にぶつけて
反射した声を君に聞いてもらうことしかできない

直に君に話をすることができない
君の顔を君の瞳を見つめることができない

こんな臆病者な人間は
まったくもってどうしようもないよね
どうすればいいんだろうね

CoyaNote2004067

振り返らない
もちろん追いかけたりしない
ましてや話しかけるなんてもってのほか
それでいいのか
今までずっとその繰り返しで
結局味わうのは未練と後悔だけ
じゃあこれからは
振り返ってみよう
追いかけるとはいかないまでも
声ぐらいかけてみよう
そうして味わえるのが
喜びや幸せであるだろうか

CoyaNote2004068

辛く憂鬱な現実から逃げるため
書店に飛び込み
時間を殺した
色とりどりの表紙に埋もれて
自分がこれから何をするのかを
一瞬忘れてしまった
嫌だ嫌だを繰り返して
仕方なしに歩く

CoyaNote2004069

人はなぜ金を使わなければならないのか
自分の欲望のために金を使うのは空しい
生きるために金を使うのも空しい
金が自分の手元から消えていくのは空しい
いつも数字だけを見て満足してしまう

CoyaNote2004070

君に告白することなんて絶対できない
話をするのだってとても緊張して
真っすぐに顔を見ることさえできないのだから
ばったり出会っただけでもう冷静ではいられない
後ろ姿を見るだけでいいと妥協し諦めてしまう
写真の中の君を見ることにすら気恥かしさを感じる
君の書いた文字を読むのにも息が止まってしまいそう
君の名前を口にするのにも
君の名前を誰もいないところで紙に書くことにすら
ためらってしまう
結局のところ何もできず
今日もやりきれぬ感情を抱えて眠るだけ
永遠にその場での足踏みを繰り返す
自分に自信が持てないばかりか
自分のことを嫌いになってしまう
自分ですら嫌っている僕という人格を
君が好きになることはないだろう
打開策はないのか
自分が僕という人格を好きになれば
君も僕という人格を好きになって
僕というおせっかいが
二人の仲をとりもってくれるだろうか
自分と僕というのが同一人物だと思えない
いつまでも殻の中で
ウジウジと思い悩んでいるのが自分で
他の人と接する時の社会的顔が僕である
いわば僕というのは仮面なのだ
だとしたら
君に近づく方法は
この仮面を叩き割ることである

CoyaNote2004071

ここで芸術論を語るわけでもないが、それでも最近、いや今日というこの時間の中で感じたことを記しておきたい。とにかく、何かしらの言葉でもなんでも形にして残しておかないと、この不安定な今の自分をつなぎとめることができそうにない。

油絵について。油彩画という呼び方の方がどことなくいいような気もするが、いずれにしても今日も油絵を描いてきた。しかし相変わらず、自分の実力のなさに嫌気がさしてしまう。自分の思うように描けない悔しさやもどかしさに、何度も筆を折ってしまいたい衝動に駆られる。それでもどこかで妥協点を見つけて、そこに向かって歩き、そこで休息のように筆を置く。何も考えず、無心で描いてしまった絵が、人の心に感動を与えることはない。細かい箇所を部分的に描いているうちには気付かなくても、全体を見渡せば、その絵が技巧や美をなんらなしえていないことがすぐに分かってしまう。結局こういうものに最終的になってしまうそれまでの経緯を思い返すことができない。

そして描き終わった後の片付けが、描く作業以上に苦痛なのである。筆を、自分の髪の毛よりも丁寧に取り扱って、洗わなければならない。汚れを筆先から根本までしっかりと落として、石鹸をつけて掌の上でぐるぐると円を描いて洗うのだ。この時だけ唯一快感を得られる。泡のついた筆で掌の皮膚をくすぐるのは、床屋でシャボンのついたブラシで顔をなでられるようで、とても気持ちがよいのである。ただ、それだけだ。その他のことは、どれも辛いことばかり。

こんな辛い苦痛や悔しさやもどかしさを感じながらも、それでも油絵を描くのはどうしてだろうか。

CoyaNote2004072

僕に何ができるのか
僕は何をすべきなのか、何をしなければならないのか
あなたは何を持っているのか

CoyaNote2004073

ああ笑いすぎて
頬が痛い
表情筋が引きつっている

ヘラヘラするな
歯なんて見せるな
だらしない人間に思われるだろ
かといって仏頂面もするな
真剣な顔でいろ

CoyaNote2004074

言葉遣いには注意しろ
頭の中で推敲を何度も重ねて
口から出る時には
君の発言は
一編の詩となっていなければならない

CoyaNote2004075

泥のような眠気のせいなのか
今日はやけに殺気立っている
少しのことにもいらだちを覚え
破壊衝動を抑えられない
顔が険しくなってしまう
どうしようもない

CoyaNote2004076

絵の中の少女に恋をしろ
淡い気持ちを抱いて描け
実際にこんな女の子がいたらいいなあという
とても純粋な願望が
描くための原動力となる
恋をしたなら
もっと可愛くなってもらいたい
もっと美しくなってもらいたい
こんな表情
そんな目
そんな口
いろんな髪型
さまざまな服
きっとそういった思いが出てくるはずだ
その恋心こそが
上達のためには必要不可欠だ
とにかく
描くモデルを好きにならなければ
満足のいくものになるはずがない
絵の中の少女に恋を
絵に恋を
芸術に恋を

CoyaNote2004077

描かずにはいられない衝動
描かざるをえない事情
すんなりいくことなんてほとんどない
難産ばかりしている
どうしてそこまでして
描こうとするのか
見栄や自己顕示のためだとしたら
それはとても空しいことであろう
実のある
ずしりと重い理由が欲しい

CoyaNote2004078

僕の恋路を邪魔する雨
雨粒の軌跡が描く鳥籠
外へ自由に飛び出せない

CoyaNote2004079

思っていたよりも短時間でできる

CoyaNote2004080

荷物は複雑にからみ合っているから分かりにくいだけで
一つ一つ片付けていけば
とてもたやすくすべてが終わる
行動を起こせるかどうかだ

CoyaNote2004081

重苦しく気まずい沈黙を
空虚な言葉で埋めて
そして残るけだるさ
疲れ
結局自分を傷つけるだけのこと
それでも僕は
そのお道化をしてしまう
沈黙に耐えられるだけの
度胸がないのだ
沈黙を恐れて
いつも何かしなければと思ってしまう
その行為こそがもっともみにくいと
知っていても
分かっていても
やめられない

CoyaNote2004082

明日のことも これからのことも考えない
今日だけを生きる
それをずっと繰り返す
刹那的な人生
だけどもこれからは
そうもいかない
明日のことも 一週間後のことも
一ヶ月後のことも これから先のことも
全て考えなければいけない
そして今日という均等な時間を生きなければならない
それはとても大変なこと
しっかり整理しないと
すぐに分からなくなってしまう
スケジュール管理に慣れていないので
すぐに頭の中が複雑にこんがらがってしまい
何もできなくなってしまう

CoyaNote2004083

僕の手の皮膚は薄っぺらな和紙のよう
水に濡れると下の静脈が透けて見える
とても鮮やかに克明に浮かび上がってくる青色が
血を運んでいる 生命を支えているという
リアルさを物語っている
そのあまりにもくっきりと見えてしまう静脈に
どこか恐怖を感じてしまう
皮膚を破って直に静脈に触れてしまいそうで
静脈を傷つけてしまいそうで
とても恐い
早く消えてくれと
手をぬぐった

CoyaNote2004084

一人 今日も独り
広い部屋にたった独り
周りの人がついてきてくれないのか
誰もいない
その行動を
暴走とひとりよがりと呼ばずして
何と呼ぼうか
結局自分で自分の首を絞めて
一人相撲をして
泥沼にはまっていくだけなんだよ
救いようのないバカだよ

CoyaNote2004085

他人の幸せが自分の幸せだなんて言うつもりはないよ
でも気になって仕方ない
そんな薄っぺらな人生で楽しいのかい
心から打ち込めるものがなくていいのかい
もっと専念できるくらいのものが
もっともっと
僕にはどうしても楽しんでいるように
つまりあなたが幸せなようには見えない
それはまったくもって僕の思い込みなんだろうけれど
おせっかいだということもよく分かっているけれど
それでもなお僕は
あなたの幸せが気になってしまう
あなたが幸せでないと
僕までもが幸せになれないような気がする
もっと濃厚な人生を
ぜひもっと楽しんで下さい 幸せになって下さい
そうじゃないとなにより僕が幸せになれません

CoyaNote2004086

跪き壁に向かって
祈るように絵を描く
誰に祈っているのだろうか
芸術の神様なんて絶対者か
何を祈っているのだろうか
もっと上手に絵が描けますように
言葉はいらない
敬虔な信仰心だけでよい
祈り続ければ
いつかはきっと願いが叶うはず
たとえ一人でも孤独を感じなければ
それは人数だけの問題になる
心の距離は電波を介して
とても簡単に縮めることができる
この時代 こんな時代だから
僕は祈る ひたすらに祈る
愚直なまでに祈る
祈りそして描く
罪や償いなんて暗く否定的なモチーフのない
明るくて鮮やかな色を
純粋に楽しめるための
祈りと描き
祈りを描く

CoyaNote2004087

たった一つの過ちが
それまで築き上げてきたものを
全て無駄にしてしまうことがある
やり直しのきかない
一発勝負の人生

CoyaNote2004088

―君はきっとそんな人間じゃないはずだ。もっと純粋で、優しくて、そして…―
「あなたに何が分かるっていうのよ。あなたは私の何を知ってるのよ。たかだか半年で、私の築き上げてきた十九年間を全部理解したつもりなの。ふざけないでよ。あなたの自分勝手な理想像や価値観を、私に押しつけないでくれる。」
―でも、君は、僕が好きな君は、そんなんじゃなくて、もっと…―
「あなたなんか大嫌いよ。顔も見たくもないの。」
―君を誰にもとられなくない。僕だけのものにしたい。汚されたくない。誰とも接触しないで、誰とも話さないでほしい。―
「何よそれ。冗談じゃない。そんな独占欲むき出しなんて最低よ。私は自由なのよ。自分の意志で、自分の考えで行動するの。あなたなんかに束縛されたくないわ。」
―君が、君のことが好きなんだ。君を、君を守りたい。―
「そんなのこっちからお断りよ。あなたなんかに守られたくない。というよりあなたなんかともう話したくもない。消えて。消え去って。二度と私の前に現れないで。さようなら。」

頬に一発平手打ち。それでおしまい。

CoyaNote2004089

歴史やら伝統やらのある組織には
どうしても暗い部分ができてしまう
それはいわば癌細胞のようなもの
切除しないと組織全体をどんどん蝕んでいく
とても危険な存在

CoyaNote2004090

ひげ面のうさん臭い連中
壁にかけられた若者達を見て
品定め
目的はただ一つ
若い芽を潰すため
経歴や年齢をふりかざして
年下の連中を
さんざんいたぶりまわしもてあそんで
利用するだけ利用して
自分たちの悪性腫瘍を転移させ感染させ
どんどん病を広めていく
汚されていく純粋な若者達
すでに汚れが飽和状態の僕は平気だが
僕にとって大切な人が
汚されていくのは我慢できない
どうにかしてなんとかしないと
彼らとの接触を絶ち
存在さえも知らせないようにすることだ
僕がやらなくては

そんな意気込んでいる僕が
実はたった一人とり残された
無知の仔羊なのかもしれない
そしてそのまま巨大な渦に
呑み込まれてしまうのかもしれない
僕はどうすればいい

CoyaNote2004091

ありがとうの一言ぐらいくれたっていいじゃないか
それでどれだけ僕の心が救われるだろうか

CoyaNote2004092

「あなた何様のつもりなの。」
『またすぐそう言う。』
〈がんばってね〉

CoyaNote2004093

ドアを開けたら
君がつっぷして寝てた
「おはようございます。」
もうお昼すぎだっていうのに
カワイくとぼけてみせる
部屋に入ってきたのが
僕だからこそ
君はそんなことを言ったんだよね
そう信じたっていいでしょ

CoyaNote2004094

ぬかるみのような
ドロドロとした絵の具
塗りつけても思うような筆触にならないばかりか
下の色をも潰してしまう
もうどうにもならないのか

CoyaNote2004095

僕は何が欲しいのか
僕は何がしたいのか
僕は幸せが欲しい
僕は幸せになりたい
一時的なその場しのぎの
あとに空しさしか残らない
見せかけのシアワセではない
本当の幸せが欲しい
いつまでも心の中にあって
ぬくもりをくれるような
とても安らぎを感じられるような
幸せが欲しい

CoyaNote2004096

本当はもっとそばにいたいのに
近くでもっと話をしたいのに
どうしてだろう
君の姿を見ると
逃げてしまう
気づいてほしくない
僕の存在なんて
ぎこちないあいさつで
嫌われたくないんだよ きっと

CoyaNote2004097

擦り切れて摩耗した神経
少しの刺激でも敏感に反応してしまう
少しのことにも不幸と憂鬱を感じてしまう

CoyaNote2004098

いやあ、やっと髪切りにいけてね
さっぱりしたよ
ちょっと子供っぽくなっちゃたけどね
あれ、そういえば君も髪型変えたんだ
今日はいつもと違うね
さっきからしきりにうまくまとめようと
いろいろやっていたね
とても似合ってる
可愛いよ

自分のことを話題にして
共通項をつくり
君への想いを
それとなく表現してみる
もちろん心の中でだけ
実際にそんなことをやったら
どうなっていただろうか

CoyaNote2004099

決して自分の行為を自慢するな
ヘラヘラとくだらないことを誇りにするな
本当の男というのは
理不尽な状況であっても
文句も愚痴の一つも言わずに
黙々と淡々と仕事をこなすものだ
背中で語れ

CoyaNote2004100

新しい物が手に入ると
途端に今まで使っていたものが
ゴミクズのように見えてくる
昨日までは普通に使っていたはずなのに
もはや二度と使いたくなくなってしまう
早く捨ててしまいたいとすら思ってしまう
欲望はかぎりなく果てしない

CoyaNote2004101

新しい物を手に入れた途端に
他人の物がやたらと気になる
他人の物の方が自分の物よりも
ずっと良い物のように見えてしまう
せっかくの新しい物が
もはや価値のないゴミクズのようだ

CoyaNote2004102

某月某日 晴れ

ある所に餓鬼が一匹おりました。この餓鬼はたいして実力もないくせに、大口ばかり叩いておりました。餓鬼が口にするのは、いつも過去の自慢話で、決して現在や、ましてや未来のことなど語りもしませんでした。餓鬼にとっては、それまで築いてきた過去こそが輝かしい栄光であり、現在やこれから先の未来のことなど全く興味がありませんでした。

さてそんなある日のこと、餓鬼は生意気にも、一眼レフカメラなんぞを持ち出して、写真を撮ったのでした。使えもしないのに、実力もないくせに、一眼レフを使ったのです。こんな餓鬼には、使い捨てカメラでも勿体ないくらいです。全ては、自分はこんな立派な一眼レフカメラを使っているんだぞということを、周りの人達にアピールするための虚栄心からくることでした。

しかしそうして撮った写真を見て餓鬼が自己満足していると、ヒゲの巨匠がやってきて、餓鬼の一眼レフカメラを壊して、写真を切り裂いてしまいました。こんなものは餓鬼の玩具にすぎないと。めでたしめでたし。

同い年

彼女は大空を自由に飛ぶ鳥
鳥籠の中に閉じ込めておくことなんてできない
鎖で地面に繋ぎとめておくことなんてできない

人生鉄道六三三四号線
複雑で難関な乗り換えをなんとかこなし
僕はとりあえずの最終電車まで一本も逃すことなく
乗ることができた
このあとは一応の目的地 ターミナル駅まで辿り着くことができるだろう
そこで下車してもいいし乗り越してもいいだろう
いずれにしても切符はこの手の中にある

僕が今いる車両の中は
同じ時間に乗った人達でぎっしりとつまっている
一本やあるいは二本電車を逃して
やっと今回のに乗れた人もいるし
僕と同じようになんとかすぐに乗れた人もいる

そんな車両の中で そんな人達の中で
僕は君に出会った
僕と同じようにまっすぐここまでやってきた君と
こうしてこの電車の中で出会ったのを
運命だなんて呼ぶつもりはない
だけどもしもどちらかが電車を逃したり
あるいは別々の電車に乗っていたら
きっと同じ車両の中で出会うことはなかっただろう
つまり僕と君とは同い年ということだ

同い年
これほど緊密な関係はないだろう
僕と君とは同じ一九八五年に生まれ
今日という日まで同じ十九年と半年という時間を過ごしたことになる
二〇〇〇年という千年紀の中で十五歳の不安定な年齢をむかえ
二十一世紀のはじまり二〇〇一年に高校に入学したのである
そして二〇〇四年に大学に入学して現在に至る

目まぐるしい勢いで流れていく世の中
一年あるいはもっと短い周期で流行なんて変わる
ある一時期の流行を
あの出来事を
同じ年齢で目撃した
同じぐらいの時間を生きている中で目撃した
同じ枠組みの限られた経験を持っている状態で目撃した
一つのことでも
何歳で経験したかで
感じ方や印象はずいぶん変わってくるものだ
そう考えると僕と君とでは
共感できるものがたくさんあるような気がする
ふとした偶然で同じ車両に乗り合わせた二人
それまで乗っていた電車は全く違うものだけど
同じ数だけ時間だけ乗ってきた
同じ中吊り広告を同じ時期に見て
途中下車をした駅で同等の経験をしてきた
同い年は似た者同士といってもいいかもしれない
僕と君とは同い年
どちらかが年上でも年下でもない
僕は頼りがいのある兄でもやんちゃな弟でもない
君はしっかり者の姉でもわがままな妹でもない
二人ともが同じ立場にある
天秤はつり合っている

僕と君との間にあるのは
伴走者のような
対等な感情
そこにほんの少し愛が加われば
僕はたちまちに君のことを好きになる
遠慮やためらいのない
同い年にだけ抱ける愛情
同い年だからこそ好きになる

正直に言おう
僕は君のことが好きだ
初めて出会った時から
それとなく意識していた
それが恋愛感情だと気付くのに
それほど時間はかからなかった
僕は年上や年下の人を好きになるのに
遠慮やためらいをしてしまう
どうしても心から好きになれない
同い年の同い年の君でないとだめなんだ
僕は僕と同い年の君が好きだ

彼女は大空を自由に飛ぶ鳥
束縛なんてできないし してはいけない
この気持ちがただの嫉妬心だということも分かってる
だから僕は今日もやり場のない感情を抱えて苦悩するだけ
それでも僕はこの愛情を捨てることはできない
2004 12 7

第6冊ノートを終えて

今日は、大学が休講だった。それでもレポートを書くために、大学図書館に行った。それまでのように型通りではない、自分で考えて主体的に取り組まなければならない学問。それから、学生に人気のある洋食屋で昼食をとった。安くて、量が多くて、そしておいしい食事に、思わず笑みがこぼれた。サークルの部室にも少し寄ってみた。今日は誰もいなかったけれど、いつもだいたい人がいて、とりとめもない話でもして時間を過ごしている。もう孤独ではない。どういうわけだか、僕はそのサークルの新幹事長になってしまった。今まで経験したことのない不安や重圧や戸惑いを感じている。それでも同時に、何かが起きそうな、いや起こせそうな期待も抱いている。アルバイトは普段通りにあった。今年の3月まで高校生で、受験生で、教わる立場だったのに、今では教える立場になって、ずいぶんと偉そうなこともたくさん言っている。

今日という日は、もはや当たり前のようになった日常の一コマだったと言える。

大学生活は、それほど劇的に変化しないと思っていたが、こうして振り返ってみると、実はとてもめまぐるしい変化をしていたということがよく分かる。それはもはや当然のことのように受けとめられているから、気づきにくいだけなのかもしれない。確かに、今年の3月まででは予想もできなかったことばかりだ。

このノートは、そんな当たり前になった劇的な大学生活の日々を記録するものであった。前回のノートの続きというか、連作というようなものであり、2冊でやっと一区切りついたような感じがする。そう、一つの終わりを確実に感じている。次からのノートは、もっと今までとは違った、月並みな言い方をすれば大人な雰囲気にしていきたい。

19歳ももうすぐ終わってしまう。10代が終わってしまう。その瞬間を、抵抗するのではなく、むしろ迎え入れるような態度でいたい。そんな決心を、気持ちの整理を強引にした、冬の大学生活の一日である。

2004年12月7日 プラス思考でCoya