第12冊ノート(2013年10月2日~2013年12月29日)

2013年

今日あった嬉しい出来事

意を決したコメントに反応があった
そしてそのまま終わらせずに
続けて言葉を発した

別にこれがどうなるというものでもない
しかし人間性の回復にはつながる



3ヶ月以上懸念していた料金が
振り込まれていることが確認できた
ずっとずっと悩まされていたけれど
なんとか大丈夫のようだ
そしてまるでなんの問題もなかったかのように
振る舞わなければならない
想定しなければ概念など存在しない



脚立に昇って頂上で演じて
それが当たり前になっていると
思い込むことが重要だ
自分で意識しなければ
無は終わらない



ネガティヴを封じ込め
かつてあれほどまでに毛嫌いしていた
前向き人間の真似事などをしてみることと仮に決める
結果がどうなるか今はあえて予想せず
この試みを実験をつぶさに記録していく

2013年10月2日

CoyaNote2013183

君はしあわせ
僕はふしあわせ

ふたりなら
ふしあわせも
ふたりしあわせに
変えることもできるかもしれない

そう思うことくらい自由でしょうに

CoyaNote2013184

リュックサックにずた袋
まるでこれからなにかとんでもないことを
仕出かすようなものものしいいでたち

CoyaNote2013185

はじとはずかしめ

CoyaNote2013186

笑顔とかやさしさなんて
価値がない

CoyaNote2013187

多少体調が悪くても
描いてる間はなんとかなる

CoyaNote2013188

嫌なことがある
お酒を呑む
体がふわふわと軽くなる
眠る
翌朝はひどい宿酔い
体がずしりとむくんで重くなる
脚をピンと伸ばそうとすると
とたんに電流が走ったような痛み

毎回毎回くり返されること
何の進歩もない

CoyaNote2013189

君が幸せになる代わりに
僕が不幸になろう
そうやって世界はバランスを保つというのなら

今更どうあがいたって
どうなるわけでもない
頭の大半でもそれはわかっているのに
完全にそう思い込むことができない

CoyaNote2013190

時々いや最近じゃかなり頻繁に
何のために生きてるのかわからなくなる
人生がむなしく思えてくる

CoyaNote2013191

残りわずかなカンヴァスに
何を描こうか
ラフスケッチでイメージを形にして
下絵の輪郭線を引いて
その中を塗り込んでいく
それもいいだろう
自分で定めた領域を
色で埋めていく
それは丹念で地道な
しかし心を洗うような清々しい作業だ

その一方で
なんのモデルもモティーフも見ずに
一気にガーッと
感情のまま
本能のまま
指先にまかせて
色を塗っていきたい衝動に駆られることもある
そこに描かれるのは具体的なモノではないが
だからこそ余計に色が美しく見える

さあどうするか
残りわずかなカンヴァス
残りわずかな時間
残りわずかな力

CoyaNote2013192

あらかじめ心に決めておいた予定を
そのとおりになぞる
豪華ではないがそれなりの何かを食べて
お腹は膨らんでずしりと重たくなって
身の回りの気ぜわしいものも
いやいやながら片付けて
かなり早い時刻に床に就いて
温かい布団にくるまれて
多少なりとも満たされた気分になる
それでいいじゃないか
それ以上何を望む
それ以上多くを求めたって
結局どうにもなりはしない
基本的な最低限の満足
妥協に染まった幸せ
そんなもんに浸された
むなしい男

明日もとりあえずはやってきて
冴えない人生は続いてしまう
かなりの負担と
相当量の憂鬱を抱えて
仕方なく生きる

足がだいぶ冷えてきた

2013.11.13

CoyaNote2013193

朝は少し冷えたけれど
昼間は温かくて
やぼったくてみすぼらしいベージュの
ヨレヨレのコートが
よりいっそううざったく感じられるほどで
フロントボタンを開けて
まとわりつく膜みたいにして歩いた
カラスみたいな真っ黒なスーツ
冴えないビジネスシューズとカバン
そしてこの世のものとも思えないほど
キモい顔を引きつれて歩く
こんなにもみにくくて
これでよく生きてられるなというくらい
おぞましいほどキモい容姿をしながらも
それでも気分は晴れやかだった
こんな自分でも
まだ生きることを許されているかのようだ
いやきっとそれは大きな勘違い
結局のところ君は
生きてはいけない物体なのだ
さあドローイングは完成した
タイトルはずばり《クソな男》

2013.11.18

CoyaNote2013194

超画期的な絵画技術の上達法を思いついた
これを実践すれば誰でも絶対に絵が上手くなる

その方法はまさにコペルニクス的転換

つまり上手い絵を描こうとするのではなく
描いた絵を上手いと思い込むのである

誰でもとりあえず線は引けるし色は塗れるんだ
それだけの条件を満たせばそれはもう立派な絵だ
誰が何と言おうと絵である
ほら誰だって絵は描けるのである
要はそれが上手いかどうかの問題だ

多くのアマチュアが
絵が上手く描けない
描いた絵がどうにも上手くない
そういう考えに陥ってしまう

しかしどうだろう
この世に絶対的に上手い絵など
存在するのだろうか

価値観の多様な現在
マジョリティが決めつけた上手い絵の基準に
いつまでもとらわれる必要などない

どんな絵にもその人にしか出せない味がある
それを良いと認めること
それを上手いと思うこと
思い込むこと
それだけだ

あとは技術ではなく
思考を鍛えればよい
一枚絵を描く
どのように描いても自由
失敗などなに一つない
表現されたものは全て成功
このように描こうというイメージは最初から抱かない

これもいいね
あれもいいね
こういうのもいいね

全てを肯定する
何一つ間違っていない

そして描いた絵を
じっくりと見つめる
いろいろと粗や未熟な部分があったとしても
それを認知しない
気がつかなければ失敗など存在しない

完成した絵を
上手いと
この上なくすばらしいと
思い込む
ちょっとでも否定的な批判的な意見が
自分の頭の中に出てきたならば
そいつはただちに処刑する
君の頭の中に自由な言論などない
100%の賛美しか認められない
そうやって無理矢理にでも上手いと思い込む
強引にでも上手いと洗脳する
上手いという思想を強制する
電気ショックや
薬物投与 暴力による拷問
それでもなお下手というならば
最終的な手段として
脳の改造手術を行う

こうして君の描く絵は全て上手いものとなった
これで君は自信を持って安心して
絵を描くことができる

さあこれからも自由にのびのびと
絵を描いていこうではないか

なにせ君が描いた絵は全て上手いのだから
何も恐れることはない
何も恥じることはない

危険な方法というだろうか
しかしこれくらい過激でないと
君は絵を描かない
絵を描くことへの抵抗をできるだけ排除する
その方策である

2013.11.18

CoyaNote2013195

君の仕事はシヌことなんだから
さっさとシネヨ
今すぐシネ

冬支度

風邪薬とチョコレートの季節がやってきました
うがいをしましょう
のどあめと手袋、マフラーが机上にそろう
これから冬になります
覚悟はいいですか

CoyaNote2013196

なにかを描こうと意図せず
偶然かのように生み落とされた一筋の線
そこからはじまる
一瞬のインスピレーションがよぎり
広がるように次のイメージが出てくる
あれよあれよと新しい形が現れてくる
それは自分の意志か
神のおぼしめしか

がちゃがちゃと引っかいた描線の中から
一つでもよいものが見つかれば
ドローイングのトライアルは
成功だ

CoyaNote2013197

後悔 後悔 後悔
先にわからないから後悔
今さらになって
どうすることもできない
手遅れになってから
心をかきむしるくらい惜しむから
後悔

なぜあの時やらなかったのか
簡単にできた
5分もあればできた
それなのにやらなかった

なぜやらなかったのか
その時はやるべきという考えが
一切浮かばなかった
思考がなかった
想定できなかった

記録が
二度とない営為の痕跡が
何一つ残っていない
つまり最初から存在していなかったのと一緒
生きていないのも同然

今すぐシネヨ

CoyaNote2013198

電灯は確かに消した
消したと思う
消したんじゃないのかな
消したような気がする
消したつもりだ
少しでも疑念が出現してしまったらもう最後

確認せずにはいられず
引き返す
3秒前に確かめたのに
再び引き返す
きっと病気なんだろう
治ることのない
精神的な病

人間のクズ

CoyaNote2013199

あれも
これも
それも
どれでも
なにもかも
全て描いてしまえ
全て絵にしてしまえ
描き惜しみなんてするな
描いても仕方ないイメージなんて何一つない
全ての脳内イメージは
全ての造形グラフィティは
描かれるためにある
描いて無駄なものなんて何一つない
手を動かして現出したものは
生まれるべくして
必然として
そこにあるのだ
恐れることなど何もない
抽象も具象も
上手いも下手も
あらゆるカテゴライズやレベル分けは無意味だ
そんなものとは関係のない世界
君が描くものが
唯一絶対の絵
それが真理
それが教義
さあ今すぐに描け
ためらわず描け

CoyaNote2013200

昔の不手際 怠慢
やらなかったことを
今になって悔やむのは
多少なりとも成長したから
なのだろうか

CoyaNote2013201

具象か抽象か
非常に悩ましいところだ
描きたいイメージはすでにできている
ずばり「宇宙」だ
これはもうゆるぎない
問題はどう表現するかである
具体的な形はある
下絵のエスキースも描いた
あとはこれを拡大して
輪郭線を引いて
その中を色で塗り込めていくだけだ

しかしそれでいいのかという迷いもある
カンヴァスを処分するために編み出した
クレヨン画
おそらくこれが最後の作品になるだろう
二度と描くことのないスタイルで
一回くらいは抽象画に挑戦してみたい気持ちもある
せっかくの機会だ
モティーフもモデルも何も見ずに
一気呵成にウワッと描きたい衝動に駆られる
そのためのドローイングも描いてみた
しかしどうにもうまくいかないような予感がある
いざ自由に描けといわれても
さてどうすればよいかとたんにわからなくなる
まずどの色を使えばいいのか
それをどんな形でどのくらい塗って
どう表現すべきなのか
まったく見当もつかない
すぐに壁にぶつかってしまう
思うように手が動かない
数多の選択肢の中から
これしかないという一つの色を決めて
無限の可能性の形を描くのは
とてもつもなく難しい
全てを自分の意志でコントロールできるほど
強い自我を持っていない

だから今回も最後のクレヨン画も
具象でいこうと思う
それは決して逃げの姿勢ではない
けれどとりあえずこうして
抽象を描かないということへの
理由説明
言い訳を書き記しておこうと思う

2013.11.20

CoyaNote2013202

魂を売り渡し
悪魔と契約しよう
志なんて捨てて
仕様書を作成して
特約条項もつけて
内容をよく確認して
署名と捺印
これで完了
あとは何一つ喜びのない
無味乾燥とした日々を
死んでいないぬけがら寸前の存在として
業務として仕方なく生きてください

CoyaNote2013203

心を捨てれば楽になる
ビジネスに徹することだ
気持ちなんかあっちゃだめだ

簡単なことだろ
何も感じない
考えない

CoyaNote2013204

ほんのわずかな気のゆるみ
ふざけ心が
取り返しのつかない事態になってしまう
自分で自分の首を絞めてしまう
これをゆるやかなジサツと呼ぼう
ゆるやかにおだやかに
ひっそりとこっそりと
シへ向かって落ちていく
主体性をもって苦しもうとしている
何をやっているんだ
もう二度と絶対にやってはいけない

CoyaNote2013205

ほんの少しでも調子にのってはいけない
自分を肯定的に捉えてはいけない
高揚した後は墜落するだけだから

常に自分はどん底
世の中の最底辺のさらに下にいると
自覚をもって生きること

そうでなくとも
想像をはるかに超えて
いともたやすく
さらに最悪な出来事が
用意されている

CoyaNote2013206

生きるのが辛いなら
生きなくてよい
死んでない状態でよい

そう思えばこの最悪のどん底の状態も
少しは楽に思えるだろう

CoyaNote2013207

久し振りに暖房を入れた
偽善だとしてもぬくもりはある
今年もまた
この季節がやって来てしまった
こうしないと乗り越えられないのだ
冬を

CoyaNote2013208

ゴミみたいなクソのせいで
苦しむなんて
割に合わないじゃないか
もったいないじゃないか
悔しいじゃないか

CoyaNote2013209

ゴミみたいな絵を描くために
大切なペンを使ってしまった
誰かを殺してしまったかのような
一生消えない罪を背負ったかのような
汚された気分だ

CoyaNote2013210

こんな人格
こんな人間になってしまったのはどうしてだろうか
原因はわかっている
じゃ、それでいいんじゃないの
はい、おしまい

それを取り除いたり
克服しようと努力してみたり
無意味なもんでしょう

僕がクズなのは
これこれこういう理由によるものです
ということでいいじゃないですか

本当にそれでいいんですか

CoyaNote2013211

神様、私はまだ、生きることを許されていますか?

クレヨン画を描き終えて

持て余したカンヴァスを処理するために始めたクレヨン画であったが、昨夜最後の5枚目を完成させた。

いつかなにかを描こうと思って油絵の具で地塗りを施してから3年も経ってしまった。その間に、住まいを移したため、油絵を描くことが実質的に不可能となってしまった。無意味に大きなカンヴァスがいくつも残ってしまい、どうしようかと途方に暮れてしまった。

上からジェッソを塗ってしまおうかとも、アクリル絵の具を重ねてしまおうかとも考えた。しかし、油絵の具の層の上からそれらを塗り重ねると亀裂や剥落など画面が傷んでしまうという。下手くそな絵を描くくせに、作品の保護については気にするというどうしようもない性分で、それらは断念した。

もういっそのこと、地塗りしたカンヴァス地は捨てて、枠だけ利用して新しい布を張ろうかとも考えた。しかし、せっかくいい味を出している地塗りの色を捨てるのがなんとももったいなくて、それもやらなかった。

解決策、答えは意外な画材であった。クレヨン、小学生どころか幼稚園児の頃から慣れ親しんだ、もっともプリミティヴなこの画材が実は油絵具というもっともソフィスティケーテッドされた画材と、相性が抜群にいいということを発見したのだ。同じ油を成分とする共通点が、一見するともっとも遠い距離にあるこれら二つの画材を、見事に融合させていた。

油絵の具の地塗りの上で、クレヨンは溶けるように、なめらかに彩色できる。指でこすれば混色もできるし、ややざらざらしたマティエールは、はるか昔の幼少期に描いたクレヨン画そのものだ。

その、もはや思い出と化しているかつての表現に、下絵の輪郭線をカンヴァス地になぞって写し、その中を色を塗り込めるように彩っていくという、自分で確立した手法をあてはめる。過去と現在、時間を隔てた二つの手法の統合、それが辿りついた到達点だった。

この方法で、5枚クレヨン画を描いた。地塗りの油絵の具が厚くて、うまく色がのらないこともあったけれど、結果には満足している。幼児が描いたような、プリミティヴな作風、それは多分にマティエールに起因するのだが、こんなスタイルは今までにない新たな境地である。

また、描き終わった後の画面の保護も怠ってはいけない。クレヨンコートという定着剤を見つけた。これをスプレーして吹きつければ、クレヨンは固定され、指でなぞっても色がこすれないのだ。

さて、こうしてクレヨン画を描き終えたわけではあるが、今後も続けるかはわからない。この新しい表現手法は魅力的で可能性もあるが、いかんせん手が汚れるし大変である。ひとまずメソッドは確立したので、いつでも再開可能な状態を保ったまま、封印しておきたい。

2013年11月25日

CoyaNote2013212

優しさなんて何の役にも立ってない
要らない 邪魔なだけ 無駄なだけ
結局世の中で重要なのは
強さだけなのである

CoyaNote2013213

生きることなんて苦しいだけだ
自分の首を絞めるために
僕はネクタイを絞めて
マフラーを巻いて
ストラップの名札を下げて
今日も働く
時々息ができなくなって
苦しくなって
口のあたりがピクピクして
脳みそへの血流が滞っているのがわかる
シへ向かってイキル

CoyaNote2013214

脚がかゆくてかゆくてたまらない
一度かきむしると火がついたようにかゆみが広まって
ボリボリ ボリボリ かきむしる手が止まらない
結果血が出てヒリヒリと炎症を起こす
完全に病気 治ることはない

CoyaNote2013215

あの時はそれが最善の方策だと思って行ったことが
後になると全くもって間違いだと判明する
本当に何をやっているのだろうかと
過去の自分をぶっ殺したくなる
その時はそういう考えが全く思い浮かばない
ちょっと考えればすぐにわかるのに

もはやそれは病気としかいいようがない
脳の思考を司る部分に
重大かつ修理不可能な欠陥があるのだ

CoyaNote2013216

何も返答できずに口ごもんで黙ってしまう
みじめだ
情けなくて仕方がない
今すぐに消え失せてしまえ
自分でシナナイのなら
オレがぶっ殺してやるよ
ほらさっさと頭を差し出しな
金属バットでカチ割ってやるからよ
役立たずのクズめが

CoyaNote2013217

自信は慢心
プライドはおごり
常に自分を否定しつづけなさい

CoyaNote2013218

ネクタイ
マフラー
そしてストラップつきの名札
首を吊るための凶器はすぐそこにある
いつでもジサツできる
その準備はすでにととのっている

どうしてジサツしないの?
よくそんな恥ずかしい、みにくい姿をさらして
生きていられるね?
どういう神経してるの?

キサマみたいな人間未満のクソが
生きることを許されてるとでも思ったの?

ベロジュージューとネバジュージューに喰われる人間のクズプラス思考でCoya

ベロジュージューの舌がまがまがしく伸びてきて
僕の体にまとわりつく
一度くっついたら二度ととれない
そのまま引っ張られて
ベロジュージューの口の中に引きずり込まれて
口の中でバリバリと噛み砕かれて
無残なかけらになって
喰われる

ネバジュージューの細パスタが
僕の体にからみつく
一度からんだら二度ととれない
もがけばもがくほど
体にまとわりついて
身動き一つとれない
そのままフォークで腹のど真ん中をぶっ刺されて
ネバジュージューの口の中に放り込まれて
丸呑みされて喰われる

CoyaNote2013219

呪いの言葉の威力は恐ろしい
昨夜ヘドが出るほど最低で下衆なことを書いて
床に就いたら
心臓の鼓動が速くなって
頭が痛くなって
汗がダラダラと出て
一睡もできなくて
本当にヤバイと思った

さっきも胃液が逆流してゲロを吐きそうになったし
心臓がチクチクと痛くなったし
糞をひねり出して
体調が悪い
病気なんだろう

あんなことを書いてしまった自分を悔やめ
悪いことは書いた通りに実現するのに
良いことなんて何一つ思い通りにならない
神なんていない
人生をすでにあきらめている

CoyaNote2013220

そこ居ることがすでにもの珍しい
絶滅危惧種
希少性保護種

もうここにいる意味なんてない
消えてしまえばよい

CoyaNote2013221

心がポッキリと折れたら
直すのには結構根気が要るんだよ
簡単にはいかないんだよ
クズの場合は

CoyaNote2013222

なんだか今日はひどくつかれた
肩や腰や足が痛いし
頭痛もする
末期症状かな
不治の病だ

CoyaNote2013223

じっとしていると苛立ちがわき上がってきて
怒りでじっとしていられなくなる
感情が不安定になり
誰彼構わず当たりちらしてしまいたくなる

CoyaNote2013224

残り1枚となった画用紙
思えばずいぶんと長い間
この紙を抱えていたもんだ
いろいろと描いた
その集大成
だなんて気負いはない
むしろしめくくりに泥を塗るような
なんともひどいものを描いてしまったけど
それも仕方がないことだ
これが現実

CoyaNote2013225

安物の色鉛筆はすぐに芯が折れる
ポキリ ポキリ
削るそばから折れる
下手くそな絵なんて描きたくないと言わんばかりに
下手くそな絵にふさわしい
劣悪な品質

2013.12.1

ろくなことがなかった
暗黒すぎて悲惨だった2013年の
最期の1ヶ月
正直ここまで何度もシニかけた
苦しみしかない日々だった
なんとかここまで生き延びてはきたけど
決して無傷ではいられなかった

12月とかいう季節を楽しむ余裕など
一切ない
もうとにかく早く無事に何も起こらずに
消え去ってくれとしか思えない
華やかな聖なる夜のお祭りも
冬空の澄んだ空気の中の喜びも
何一つ要らない
だからお願いなので何一つ苦しめないでくれ
このまま意識がなくなって
次に目覚めた時には1ヶ月経っていてもいい
むしろそうなってしまいたい
タイムスリップで未来へとワープしたい

でも現実はそうもいかない
今こうして想定しうる最悪の苦しみも
いともたやすく超えるようなくらいの
痛みと苦しみとおよそマイナスの味を全てつめ込んだ
特大のパンチに容赦なく殴りつけられるのだろう

そうやってイジメられるのは
自分が全て悪い
自分に全て原因がある

いつから自分が人だと思ってたの?
これが人なはずないじゃない
人じゃないんだからゴミみたいに扱っても
全く問題ない

こうして2013年の12月ははじまった
とりあえず今日はシナズにすんだ
けど
明日以降がどうなるかなんてわからない
明日なんかこなければいいんだ

2013年12月1日21時44分

CoyaNote2013226

実に9年あまりかけて画用紙を使いきることになる
それは自分の中での画業の区切りと
重なる
その間いろいろと描いたもんだ
水彩だったり色鉛筆だったりペン画だったり

この修業ともいえる画用紙の束との闘いから得た教訓は
画用紙を恐れるな
描くことをためらうな
ということであった
真っ白な画用紙
それが結構な大きさのあるものを前にして
何を描こうか迷ってしまう
きれいに素晴らしいものを描かなければと
肩に力が入って
結局中途半端なろくでもないものが生まれる

そうではなくて
画用紙なんて踏み台みたいなもので
描き散らした結果が作品なのだと
そういう考え方に至るようになった
これはとても大きなことだ
これから先描いていく上で気の持ちようが変わってくる

さて本当に最後の1枚となった
何を描こうか

CoyaNote2013227

今日は喪中の葉書を出しました
年賀状はお休みします
来年は自分のシボウツウチショかな
あるいはイショでも送りつけましょうか
他人様がますます幸せになるにつけて
私は不幸になっていきます
明日に希望は持てません
明後日もろくなことがありません
来年もいいことがあるのかわからないです
いいことがあるように祈ることも許されてません
いずれはシンデしまうのです
苦しいし悲しいし辛いです
理想なんてありません
これから先もこんなふうにみすぼらしい
みっともない日々が
ダラダラと惰性で続いていくだけです
無駄で無意味な人生を
汚していくだけです

体中を痛めつけていく
精神をむしばんでいく

やがて自らシを選ぶようになる
首を吊り
手首を切り
高層ビルから飛び降りろ

死体すら醜い

CoyaNote2013228

クロッキー帳のページも尽きて
画用紙もなくなった
描くための紙を失い
しかしそれでもまだ描きたいイメージはある
こんなことを描いても仕方ないという
あきらめの気持ちも一時はあったが
とりあえずそれは治まった

結局のところ手を動かし続けることだ
そうすればイメージは途切れない

しかるに今日、なぜ描かなかった
描く時間はあったはずだ
イメージは決まっていなかったが
さぐりながら描くこともできたのに

二度と怠慢はするな

CoyaNote2013229

喪中の葉書を郵便局の窓口で買って
家に持ち帰って
印刷して
宛名を書いて
少しでも早く届くように
さっきの窓口に持って行って
送り出す
人の命の繰り返し
輪廻転生を体験しました

2013年12月2日

CoyaNote2013230

2年前の今日僕はあの子とデートしたのだ
しつこくない程度におっかなびっくり
アプローチをくり返して
何度も断られて
やっとこぎつけたデートだった

頭の中で何度もシュミレーションしたのに
上手くエスコートできずに
失敗してしまい
もうダメだと思った次の瞬間
天からの救い 起死回生のチャンスがやってきて
そこから3ヶ月とちょっと続いた
ほんとに楽しい日々だった
人生に意味と価値を見出し
あの時は確かに幸せというものをはっきりかみしめた


それから2年
今の状況はどうだい
最悪だろ
どん底だろ

いつまでも過去にしがみついてないで
きっぱりとあきらめてしまえと
自分の中の大多数は説教をする
でもどうしてもほんのわずかな抵抗勢力が
それを認めない

だとしてもこのまま何もしなければ
何もないということだけは共通認識として
合意している
だからといってどうすればいいというのだ

2013年12月3日

CoyaNote2013231

こんなにたくさんのやさしさでもってきみにふれても
それが愛情と感じられないのなら
何の意味もない
あの時 恥も外聞もなくプライドなんてかなぐり捨てて
みじめでみっともない姿でも
告白していたのなら
結果はどうであれ
こんなにも後悔することはなかったのだろう
今となってはどうすることもできない
結局傷つくのが恐くて
今はそれをすべき時ではないと
自分を守るために言い訳をしてやらないことを正当化してるだけ

相手のことを気遣ってるつもりでいて
実のところ自分のことしか考えてないんだ
相手のことを本当に想っているのなら
自分が傷つくこととか
みじめでみっともない姿をさらして
恥をかいたって構わないという
覚悟をしなければならない
それができなければ一生このまま
ウジ虫みたいに悩み続けるだけだ

CoyaNote2013232

希望は一切持たないことだ
あるのはなげやりなあきらめのみ
いいことなんてないと思いなさい

CoyaNote2013233

自分の頭で考えられない人間は要らない
不器用なクズ
ボケッと突っ立ってないでさっさと動け
ゴミクズが

サルにも劣る下等生物
それが私です

2013年12月4日

CoyaNote2013234

もうこんな時間だ
早く寝ないとあっという間に明日がきてしまうというのに
ダラダラと夜更かししてしまう
つかれはとれない
明日の目覚めは最悪
明日がくるのがこわい

2年前の今日は何してたっけ
一緒にライブを観に行ったような気もするけど
きっと幻なんでしょう

2013年12月5日

CoyaNote2013235

9年近くおつきあいした画用紙と
おさらばするように
最後の1枚に描いたわけではあるが
みごとに失敗した
やはり感情のままにぐわっとやっても
うまくいかないことが
実感できた
詳細な下図を描いて
線を引いて
その中を少しもはみ出さないように
色を塗っていく方が
性にあっていると思う
そう決心できただけでも
この絵を描いた意味はある
これでひと区切りつけられる
過去の遺物とはおさらば
これからは新しい創作となる

さて次は何を描こうか

2013年12月8日

CoyaNote2013236

究極のところ
デッサンというのは
白を黒色で表現していくことだ
線を重ねれば重ねるほど
本来のそれの姿から遠ざかるのに
それを描かなければならない
それはしごく難しいことだ
しかしそれをやることが
絵を描くということだ

CoyaNote2013237

新しいクロッキー帳
買ってしばらく寝かせておいたが
今日やっとスタートさせた
いつものように1頁目には
自画像を描いて
今回は結構それなりになったと思う

無事儀式も終わったところで
今度はここに何を描いていこうか
今からとても楽しみである

2013年12月14日

CoyaNote2013238

F25号 自分の経験では最大のカンヴァス
何を描こうか
あれこれ悩んでしまう
大したことないような
中途半端なしょぼいものでは
この巨大な画面にふさわしくない
そう思ってしまう

しかしそれではいつまでたっても
何も描くことはできない
巨大画面を恐れるな
絵を描くことには変わりない

この巨大画面に描くことの意味
そのサイズに値するほどのモティーフ
そんなものを考えているから駄目なんだ
今描きたいものを描く
それだけだ
という単細胞の馬鹿もよくない
常にこれを描こうというアイデアは
たくさん抱えておいて
その中からこのカンヴァスにふさわしいものを
選んで描いていく
そんなところだろう

CoyaNote2013239

実に7年もの間寝かせてあった
F25号のカンヴァス
あの時何の計画も構想もないまま
衝動的に買い
ジェッソまで塗って
いつでも描ける状態にまでしておいて
そのまま時だけが流れた

あの時一体何を描くつもりだったのだろうか
何が描きたかったんだろうか
明確なヴィジョンもないまま
とにかく大きい作品を描かずにはいられなかった
結局その想いが実現することはなく
カンヴァスは地塗りのまま
あちこちをさすらうこととなる

そして今日ついにそのカンヴァスに描いた
これを描こうというイメージは前からあったが
実際にラフスケッチをしたのは昨日
突然思い立ったかのように描いたのだ
いつものような方法でカンヴァスに輪郭線が引かれ
あとは色を塗るだけというところまできて
しかしどうもしっくりとこない
はたしてこのテーマは
7年もの間温めておいたカンヴァスに
ふさわしいものなのかという
疑問が消えなかった
もっと他にいいイメージがあるのではないか
このカンヴァスにはもっと可能性がある
もっといい絵が描かれるべきだ
こんなテーマで使ってしまうのは
もったいない 無駄であると
そういった想いがずっとよぎっていた

しかしそんな迷いは
描いていくうちに消えていった

まず背景の色を塗っていくと
派手すぎず地味すぎない
その色調にこの絵の成功を確信した
刷毛を使ってムラのない理想的な背景が塗れた

つづいて右側の人間の手
ジョブリアンという色を混ぜることなく
チューブから出したまま塗る
やや褐色が強いが
むしろそれが背景の色とあっている
こちらもフラットに塗れた

そして左側の猫の手
ここで少し失敗してしまう
隣の色の部分にまではみ出してしまった
あわてて修正しようとすると
筆についた絵の具がしぶきのように滴り落ちて
背景を汚してしまった
そして絵の具が濃いため泥のようになってしまい
ムラができてきれいに塗れない

こうしたトラブルにすばやく対応しないといけない
今までの経験が試される

なんとか彩色は終わった
全体的によく塗れたと思うのだが
どうにも画面がぼやけているような印象で
くっきりと主張してこない
そこで絵の具をしかりと乾燥させる
最後の仕上げに進みたいと
はやる気持ちを押さえつけて
筆を洗ったりなど
時間をつぶして
そして絵の具が乾いたことが確認できた
午後4時ちょうどに
最後の仕上げとして
油性マーカーで
輪郭線を引いていく
息を呑むほどの緊張感で
一気呵成に描く
太さやかすれ はみ出しなどに
最大限注意しながら
彫刻刀でやるみたいに力強く
線を画面に刻んでいく
時間にしてわずか5分
しかし密度の濃い作業を終えて
作品はついに完成した
輪郭線によって色と色との区切りが明確になり
画面から飛び出しそうなくらい
こっちに迫ってくる
くっきりきっぱりとした主張は
もうこれ以上さわることができないくらいの
説得力がある

そして最後にサインを入れる
考えてみたら
このカンヴァス買った時は
こんなサインは使っていなかった
それだけ時間が経ったわけだ

できあがった作品
素直にいいといえるものとなった
描く前に感じていた
疑問や迷い 不安などは
終わってみればまったくくだらないものだった

あの時この巨大画面にふさわしいテーマが
どこかにあるはずと探していたが
どうしても見つからなかった

しかし7年経ってようやくわかった
テーマは探すものでも
啓示のように天から降ってくるものでもない
自分の中で描きたいと思うもの
それがテーマだ
今 この時にしかそれを描くことはできない
その時そこにあるカンヴァスが
それを描くべき画面なのだ
大きさなど関係ない

7年かけてようやく役目を見つけたカンヴァス
描き終えた今なら断言できる
このカンヴァスにふさわしいのは
この絵しかないと
今年のうちに描けて本当によかった

2013年12月17日

CoyaNote2013240

描いていて
最初のうちは失敗したと思っても
じっとながめているうちに
これも悪くないと思えてくる
最近急にそうなってきた
これは確かなことだ
どういう心境の変化なんだろう
自分のヘタクソ加減を
ようやく受け入れられるようになった
あるいは脳の思考能力が
限界を超えた
いろいろな見方があるが
ただ一つ言えるのは
描く上でそれは決してマイナスではない
ということだ

自分の思っていたのとは
だいぶちがうものになっても
それがいいと思えれば
選択肢は広がる
可能性は一つじゃない

今日描いたものが気に入らなくても
明日はちがった印象になるかもしれない
そう思えるような広い心を持とう

CoyaNote2013241

今日は12月25日
世間ではクリスマスという
フツーの人は
誰か大切な人と過ごすのだという
この日に独りでいることは
自虐でも笑い話でもなく
本当に異常なことである
フツーではない
人間ではない
だから僕は人間ではない
世の中から疎外され
除け者にされ
仲間はずれにされた
人間ではないゴミクズクソムシ
そんな汚物が
クリスマスなんて崇高な儀式を
楽しむことなど許されるはずがない
絶望のうちにシネ

2013年12月25日22時24分

CoyaNote2013242

僕にはまだリンゴがある
それだけで生きていける

だから
リンゴの皮くらいむけるようになろうぜ
一度に全部むこうとするから失敗するんだ

何回かに分けてちょっとずつやれば
ほらこんなに簡単に
リンゴの皮はむける
柔肌をあらわにしたリンゴを
かじる
シャリシャリという小気味よい音を立てて
甘い香りが口いっぱいに広がる
それだけでいいじゃないか
それ以上多くを求めても仕方ない
リンゴが食べられることに
喜びと幸せを感じなさい
そんな年末の夜

2013年12月26日

CoyaNote2013243

おおよその人は今日で仕事納めだけど
僕は明日も出勤
消化試合の敗戦処理投手みたいな
がんばっても何ら報われない
がんばることに何の意味も見出せない
それでも明日はやってくる

2013年12月27日

CoyaNote2013244

スケジュール帳
毎年毎年
今年こそはきちんとスケジュール管理しようと
見てくれだけはたいそうご立派な
革表紙の手帳を買ってみるが
1ヶ月と続かない
予定を書き込むことが
面倒くさくなって
何も書かなくなって
結局白紙のページが残るだけ
そしてスケジュール管理ができず
今何をすべきかわからず
仕事のできないクズとなる

予定を書き込むことが恐いのだ
予定を書いたとたん
それに専念しなければならない
未来に自由がなくなる
逃れることのできない重荷を背負う
それを避けている
だから予定を書かない
いつまでに何をしなければならないのか
把握なんてせず
すべてほったらかし
ずさんでがさつな
ろくでもないクズ

だから来年のスケジュール帳なんて
たいそうご立派なものでなくて構わない
どうせムダにするだけなんだから
ペラペラのだらしなくちゃちなもので充分

だがしかし

スケジュール帳がちゃちだと
その1年もちゃちになってしまう
そんなことはない
来年の抱負は
「現状維持」なんてものではない
「現状打破」だ
今をどん底を暗黒の闇をぬけ出して
はい上がるんだ
不死身の動物のようによみがえれ

2013年12月27日

2013年を生き延びた

2013年は地獄だった
どん底にさらに穴が空いて
下へ下へと落ちていく
もうこれよりもひどいことはないだろうと思っていても
現実は想像を簡単にぶち壊して
おそろしいくらいもっとひどい仕打ちをしてくる
最悪の状態が留まることはなく
一日一日 刻一刻と絶望の深みへ沈んでいく

地獄の中での生活は
一瞬たりとも休まることがない
常になにかの不安に追いつめられて
心臓や頭や腰や
体の部位がいつも痛み悲鳴を上げる

今年僕は人間として、理性ある動物として
死んだ
まともな人間であれば
決してやらないような
愚かな過ちを犯した

公衆の面前で
ウンコをもらし
ゲロを吐いた

もはや社会の中で生きることの許されない
原始人のような
理性や文明を持たず
ただ呼吸するだけの劣ったケモノ
脳に治療不可能な重大な欠陥を抱えたサル

ウンコをもらしゲロを吐くという失態を犯してしまったら
普通は恥ずかしくて生きていけない
しかし良心を持たないから
そんなことはお構いなし
平然とのうのうと生きている
なんて厚顔無恥なんだろうか

仕事でも私生活でも
ひどいことしか起きなかった
容赦のない残虐な暴力
まだ痛みが足りない
もっと苦しめと言わんばかりに
徹底的に半殺しにされた

そしてついに「本日のジヒョウ、本日のイショ」
というものを書き出した
毎日毎日その日の失敗の責任をとって
僕は仕事をヤメジサツしていったのだ
時にはシをほのめかす
最低の反吐が出るくらいキモイイラストを添えて

そうすると呪いの力は恐ろしい
負のスパイラルとでもいうべきか
地獄の中でどん底にいて苦しいと書けば書くほど
次々と不幸が襲いかかってくる
そのことを書くと
さらに新しい不幸がやってくる
不幸が不幸を呼び込むようだ
もがけばもがくほど不幸の触手はまとわりついて
逃れることなどできない

この状況を打破しようと
ネガティヴを封じ込め前向きなことしか書かないと
決めて制限してみても
すぐに挫折してしまう
現実はそんな改善をあざわらうかのように
そんな努力が無駄であると示すかのように
日々の中で見つけたちっぽけな喜びを
ムシケラでも踏みつけるかのように
踏みしめて
人間の限界を超越するほどの
メガトン級の不幸をなすりつけてくる

それでも生き延びた 生き延びてしまった
あれだけイジメぬいたのに
どうしてシナナカッタのだろう 不思議だ
うずくまり地べたに顔を押しつけられ
それでも生にしがみつく
無様な姿だ
ダサクて目も当てられないキモイ男
なぜシナナイ
シナナカッタンダ

2013年を生き延びた
2013年を生き延びた
2013年を生き延びた
2013年は地獄の不幸だ
2014年は天国の幸福である
そうに決まってる 今決めた くつがえらない真実だ

第12冊ノートを終えて

2013年は3冊のノートに書いた。ちょうど1年前の2012年12月29日に書き出し、まる1年をかけて走り終えた。1~4月で1冊、5~9月で1冊、そして10~12月がこのノートということで、だいたい4ヶ月くらいのペースになった。1年で3冊というのは、おそらく最も多い数だろう。

しかしその内容は、最悪のさらに奥深く、どん底に空いた穴を落ちた地獄の日々であった。書くたびに痛みと苦しみに苛まれ、書けば書くほど不幸になっていった。「本日のジヒョウ、本日のジヒョウ」を何回も書き、幾度となくノートの中でシンダ。目もそむけたくなるような醜いイラストを添えて、頭のイカレタ狂ったキチガイみたいなものだ。そういった暗黒の中の絶望の精神状態を、つぶさに記録した観察レポートがこれら3冊のノートだ。

さて、2013年は最悪だった。地獄だった。どん底の1年であった。2014年は最高の、天国の、良いことだらけ、何もかもが喜びで満ちあふれたものとなる。今決めた。僕がそう決めた。願望とか予感とかではなく、そうである、真実であると決めつけ、思い込むこと。心の描きようで、世界なんてたやすく創ることができるのだから。次からのノートは、そんな明るくハッピーな日々であふれる記録を刻んでいくのである。

2013年12月29日 プラス思考でCoya