第13冊ノート(2014年1月1日~2014年10月31日)

2014年

CoyaNote2014001

何もしない正月、それもいいだろう。年賀状を書くことに追いたてられたり、華やかな彩りに心揺れたりすることもなく、ゆったりと時間が流れていく。かたくなではないしなやかさを、日々に。

2014年1月1日

CoyaNote2014002

散らかっていた過去の記録を、しかるべき箱に入れて整理すると、あっけないくらいちゃちで、ちょっとくらいのものとわかった。これが自分の正体だ。今までいろいろあると思わせていたものが、ただの幻だということが、これで明らかになってしまった。

あとはただ、この箱の中身を増やしていくしかない。

そのためには、人生に意味を見つけないといけない。

2014年1月8日

CoyaNote2014003

昔のノートを読み返してみると、とても同じ人物が書いたものとは思えないくらい、考え方が違う。歳月の流れで、人はかくも変わりうるものなのか。

そしてさらに驚くべきは、過去の自分が書いたことがそのまま今の状況にあてはまるということだ。あの時は思いもよらなかったのに、今になってみるとそういうことだったのかと納得のいくこと、目の覚めるようなことばかりである。それは、過去の自分から、未来へ向けたメッセージなのだろうか。

2014年1月14日

CoyaNote2014004

描きたいイメージがまずあって、それに合わせて紙なりカンヴァスなりの適切な支持体を選んでいくのが理想だ。しかし、現状として画用紙を持て余しているので、まずはこれらに描いていくことを優先すべきだろう。まだ紙が残っているうちは、新しいものに手を出すのは控えておこう。

まるで紙を消費するために描いているみたいで、なんだか悲しい。それでも描く。自分の中のイメージを上手に処理することで、紙も使われていく。描き出したものを残すことが大事である。

CoyaNote2014005

自分の棲む世界は止まることなく、絶えず動き続けている。その流れに乗っかることなく、独りとり残されてしまう。本当は向こう側に行きたいのに、変な意地が邪魔して、そうならない。

後悔しないように、その意地はさっさと捨ててしまった方がよい。ほんの少し手間をかければ、すぐにその後は楽になる。

過去を振り返ることで、得るものはある。しかしそれだけでは意味がない。それを未来へとつなげていかなくては、ただの懐古趣味で終わってしまう。見つめる先は、昔じゃなくてこれから先だ。

2014年1月26日

CoyaNote2014006

乾燥した部屋で仕事をしていたからか、喉が焼けつくように痛くなった。たまらずにコンビニでのど飴を買ったのだが、いつものかりん味の隣に、りんご味が目に入る。一瞬の迷いがすぐにつかまり、結局これを買ってしまったのだが、まるでジュースのように甘ったるくてまいってしまう。

しかしここですぐにやけっぱちにならずに、冷静に分析してみよう。かつては慣れ親しんだような甘さである。しかし今はそれを格段とよいとは思わなくなった。つまりそれは、味覚や味の好みが変化したということだろうか。そういえば、かつては辛くてとても呑めなかった焼酎を、最近ではハイボールではあるが好んで呑むようになり、そして甘いカクテルのような酒をほとんど呑まなくなってきたことを考えてみると、確かにそう言えるかもしれない。

人間は年齢とともに、こういう部分でも変化していくものなのだ。それは成長というのか、大人になったということなのだろうか。

2014年1月27日

CoyaNote2014007

年賀状を出さなかったから、寒中見舞いが今年最初の作品だ。

CoyaNote2014008

なにかに追いつめられている。夜眠る時は、次の日が不安になって仕方ない。朝起きるのが辛い。一瞬たりとも、心が休まることがない。

自分で自分の首を絞めている。苦しい。

2014年1月30日

CoyaNote2014009

東京に数十年ぶりの大雪が降った今日、久しぶりに水彩画を描いた。以前描いた寒中見舞いのイラストを、きちんとした形にしておきたかったのだ。

A3のコピー用紙に下図を描く。とてもリーズナブル。それをカーボン紙でなぞって、画用紙に線を写しとっていく。どうせなら他にも描こうと思ったけど、とっさにアイデアが浮かばなくて断念。

水彩でちょこちょこと塗っていく。少しはみ出したり、にじみができたり、色ムラになったり、そんなことをしながら、最後に黒マジックペンで、太い輪郭線を描けば完成。しかし、なんとなくできがいまいち。心に迫ってくるものがない。まあ久しぶりの制作だから仕方ないか。こうやって、残りの画用紙も片付けていこう。

2014年2月8日

CoyaNote2014010

雪のため出勤できず、仕事が休みとなった。しかし、急にできた暇をうまく活用できず、気づけば夜になっていた。時間を無駄に殺したことに、これほどまでに自己嫌悪と後悔の念に駆られたことはない。これはなにかの変化だ。そして夜、あわてて絵を描いた。しかし、先週に引き続き、どうにも自分の中で満足がいかない。もとの下絵が悪いといってしまえばそれまでだが、しかし焦って描いたからともいえるだろうか。

それにしても、これまでは時間を無為にしても「まあいいか」となあなあですませてきたのに、こんなにも悔やんだのはどうしたものか。今更になってやっと、残された時間が少ないことに気がついたのか。それとも、やりたいこと、楽しみがあるからなのか。いずれにしても、絵を描くという最低限のことは一応できたのだから、よしとしよう。

2014年2月15日

CoyaNote2014011

やらなければならないことを、少しずつこなしていく。それしかない。大丈夫、問題ないと言い聞かせないと、ちっぽけな自分は簡単に押しつぶされてしまいそうだ。

2014年2月19日

CoyaNote2014012

やらなければいけないことから目をそむけ、机の上で理屈をこねくりまわしているだけ。なんの意味もない。

2014年2月25日

CoyaNote2014013

夜遅くまで残業して、スーパーで値引きの惣菜を買ってくる。スウェットジャージでカップ麺をかっくらう姿は、あまりにもみじめだ。

2014年2月26日

CoyaNote2014014

10年ぶりに車を運転した。あやうくパニックになるところだった。それをしても許されるのか、それをしていていいのか、むしろなにをすべきなのか、まったくわからない。

2014年3月7日

CoyaNote2014015

感情の起伏が激しくて、自分を律することができず、だらだらとくだらない時間を垂れ流してしまう。このままじゃいけないと言うのは口だけで、他の体の部位はほんのわずかも動きはしない。

ささいなことでイライラしたり、ほんの小さなことで気分がひどく落ち込んで、その後はなにもやる気が起きなくなる。

肩や腰や首が慢性的に痛くて、湿布を貼っている。

その日やるべきタスクをリストに書き出して、さあこれからやろうと取りかかっても、まず最初の仕事に手こずり、つまづき、意味のない計算ばかりをくりかえし、結局その日は終わってしまう。やろうと思ったことができないと、消化不良、便秘のようなもどかしさ、残尿のような気分の悪さで、体の調子もおかしくなりそうだ。タプタプと水分をたずさえパンパンに膨張した膀胱をかかえて、今日もまた穴ぐらのような家に帰る。

CoyaNote2014016

描かれるイメージは早い者勝ちだ。どんなにすばらしいアイデアでも、描かれないうちはなんの意味もない。逆にどんなにひどい図でも、描かれてしまえばこっちのもんだ。待っていたって仕方ない。描いたもんがなによりエライ。

2014年3月8日

CoyaNote2014017

コミュニケーションがとれない。いつも、自分の言いたいことを一方的にまくしたてるだけで、相手の話を聴こうという態度がまったくない。

なにもかも、自分の思い通りに持っていこうとする、きわめて身勝手なやつ。少しでも自分の思い描いていた脚本とちがう展開になると、それだけでもうパニックになって会話どころではない。心臓の鼓動が不規則になって、見るにたえないものだ。会話のキャッチボールをしようなんて気はさらさらない、投げっぱなし、やりっぱなしの通告しかしない。どうしようもない。

2014年3月12日

CoyaNote2014018

自分を守るってのも難しいもんだな。自分なんてどうなったって構わない、自分一人が犠牲になって、それで全てがまるく収まるのであれば、別にそれでもいい。自分を大切になんかしない。自分なんてどうだっていい。むしろ自分なんて知らない。自分なんて存在がいたかどうかすら疑わしい。

ここにいる人間と、こうして文章を書いている肉体と、こういう文章を書こうと指令を出している脳と、その文字を見ている目と、まるでバラバラだ。一つにかみあわない。

2014年3月13日

CoyaNote2014019

こんな精神状態だっていうのに枠からはみ出た絵も描けず、まるでいつも通りだなんて、もはや生きること、描くことに意味も価値もない。もっとすごいの描いてみろよ。

CoyaNote2014020

キャンバス画紙を使い切った。残り2枚になっていて、1枚は油絵の具の溶き油が染みて、円い油じみができている傷物であったため、それにふさわしい、傷心で描いた自虐画、いや自殺画とでもいうべきものだった。B6の濃い鉛筆で引っ掻くように刻んだ線で、油じみの円い形も活用して、鬱の中に、にこちゃんマークを描き入れた。反吐が出るくらい病んでいる中に、バカみたいな笑顔を混ぜると、反動でよけいにキモく、ゲロが出るほど不快になる。この絵は、キャンバス画紙と自分を処分するためだけに描かれたものであって、それ以上はなんの意味も価値もない。

そしてもう1枚、最後のキャンバス紙には、グアッシュでランダムにアドリブ風に色を塗ってみた。風合いはいいのだが、絵の具がすぐに固まるというか、いくら水をつけても色が広がらない。ところどころ絵の具ののりが悪く、紙が絵の具をはじいているようにも感じられた。キャンバス画紙は、水彩、とりわけたっぷりと水分をふくませた描法には不向きなのだろうか。

ひとまず色を塗った後、当初はその上にペンでドローイングをしていくつもりだったが、塗れた色がなんとなくよかったので、これはこれで作品として、ペンによるドローイングはまた別の紙に描くことにした。すでにキャンバス画紙はなくなっていたので、水彩画紙しか選択肢はなかったのだが、キャンバス画紙に比べてややクリーム色がかっているのと、ペンでぐりぐりインクを塗り込めていくと、表面がすぐに毛羽立ってしまうのが不満だったが、出来上がりは満足のいくものだった。グアッシュで塗ったものの上ではなく、単独で描いて正解だった。

しかし、ここで終わりにしておけばよいものを、最後の最後になって、グアッシュの上にマジックで線を描こうとしたのが失敗だった。乾いていないからなのか、ペン先で表面がえぐれてしまったのだ。インクも絵の具の上にのらずに、完全な蛇足、余計なことをして作品を台なしにしてしまった。どうしてこんなことをしてしまうのだろう。

そのまま捨ててしまおうかとも思ったが、自分の手で描いたものを捨てるのがなんだかしのびなくて、とりあえず保留にしておく。無傷の部分だけ切り取って作品にしようか。

今日の教訓は、キャンバス画紙にウェット・オン・ウェットは適さないということだ。アクリルか油彩、クレヨンに限定すべきだ。今年に入って描いた2作品が、いまひとつの出来だったのもこれが原因だろうか。水彩は、水彩画紙に描くべし。

2014.3.16

CoyaNote2014021

だめだ。他人の幸せがまぶしすぎて目がくらむ。しょぼしょぼ、ごろごろと異物が入ったような不快感で、時折痛み、こすらずにはいられない。こすると痛みやかゆみは倍増し、目が真っ赤に腫れ上がってしまう。幸せの光は、君の目には刺激が強すぎて有害だ。君は一生、幸せの光に触れない方がよい。永久に不幸の暗闇、絶望のブラックホールの中でうずもれていなさい。

CoyaNote2014022

昨日失敗した作品を手直しした。まあなんとか、カタログ・レゾネに入れてもいいくらいのレベルにまではなった。それから、自殺画をクレヨンで塗る。こんな精神に異常をきたし、まともな絵じゃないのに、手首を切って真っ赤な血が吹き出てる様子が、背景の色と同化してしまい、まったく目立たないことに不満を抱いてしまうのは、いかれてるからなんだろう。

水彩画紙はあと2枚。それとアルシュ紙。

2014.3.17

CoyaNote2014023

根本問題を確認しないまま進んでも、必ずつまずく。なぜ過去のある時点で対処しなかったのだ。今更になってあわてても、どうすることもできない。

2014.3.18

CoyaNote2014024

交通法規を忘れて、とんでもないことを平然とやってしまう。気づくともうパニックで回りが見えなくなってどうすればいいかわからなくなって、ろくなもんじゃない。

2014.3.19

CoyaNote2014025

ここは自分のところとはちがう。今までと同じふうにやっていては痛い目に遭うし、実際遭った。治外法権は通用しない。魔境に行くくらいの覚悟一歩でも、1ミリメートルでも道を踏み外してしまったら、死ぬのだ。むしろ死ね。

2014.3.26

CoyaNote2014026

てめーは誰だよ。まず名乗れよクズが。

CoyaNote2014027

ここのところ毎日、夜遅く、具体的にいうと機械警備が自動的にセットされる夜11時近くまで、残業している。気付いたら、残業することが当たり前になってしまっている。夜遅くに帰宅して、お腹は空いてるけど、たくさん食べると絶対に太るから、スープとかサラダとか、軽めのものを食べて、深夜1時すぎに床に就く。でもなかなか寝つけず、あっという間に朝になってる。疲れはほとんどとれず、ボロボロの体にムチを打ってムリヤリ起きて動き出す。どうということはないのに、それが通常になってしまっている。

2014.4.2

CoyaNote2014028

また、引っ越そうと考えている。市内、距離にして1キロも離れてないところにわざわざ移るのは、お金の無駄のような気もするが、気分転換で引っ越しをしたいのだ。

たいていこういうことがあると、あれこれと悩んで、迷って、うだうだ、うじうじしてる。そんなのはよくない。こうと決めたら、一直線に、本能のままにつき進むのがよい。

CoyaNote2014029

というわけで、あっという間に引っ越した。決断から3週間もかからず、またたく間に遂行された。いろいろとモノは捨てた。迷いもあったけど、結果的にはすっきりしたと思う。

今度の部屋はかなり広い。新しい気分になれそうだ。

2014.4.24

自戒

まず自分が病気であると認めること。後になって必ず悔やむのに、その場で適切な行動がとれないのは、立派な病気である。その場しのぎの、安易な行動は絶対にとってはならない。

バカみたいに、なにも考えずに反応する、雰囲気に流される、そういう自分を殺せ。

やらなくちゃと思っていて、それをやらないとのちのちまずいことはわかっていて、しかしそれをやらないような自分を殺せ。

言い訳さえあれば、許されるとでも思っている自分を殺せ。

一度死に、そこから生まれ直せ。今までの全てを断ち切れ。

2014.4.30

CoyaNote2014030

食べきれないほどたくさんの料理。飽食の時代、あふれる幸福を表現するかのよう。胃袋が小さいので、全部をたいらげることはできないから、折り詰めして持ち帰る。残したり、廃棄するのはもったいないことだ。ほんの少しの心の持ちよう、それが日々に積み重なっていく。

2014.5.4

CoyaNote2014031

疲労と眠気のピーク。全身をストレスが襲う。破裂してしまいそうなほど、とんでもない圧力で握りつぶされていくみたいだ。体が重い。頭が痛い。目がかすむ。鼻水が止まらない。病的な、異常なほど潔癖症になり、手を洗わないと何もやる気が起きない。強迫性神経症が疑われるのか、常に手が汚れているような気がして、そのケガレを拭い去らないかぎり、何もできない。

また、頻繁に尿意をもよおす。さっき行ったばかりなのに、すぐにトイレに行きたくなる。これも同じで、体の中に汚れきった毒素の尿が常に留まっていて、それを排出しないことには、何もできない気がする。何かしらの不安がいつもつきまとい、それらを全て取り除かないと、何をするのも苦しく感じてしまう。実際には、そんなこと不可能だから、結局今日も何ら手につかない。

CoyaNote2014032

毎日とてもむなしい。何をやっているんだろうと自問自答ばかりしている。仕事はぜんぜんうまくいかない。こっちがまじめに丁寧に、誠実に対応しようとしてるのに、茶化されて、いじられて、つまりはバカにされておしまい。ただのおもちゃ、サンドバッグみたいなもの。いやもっと下衆な、ボロ雑巾みたいな汚れ役。

ストレスと疲労で体はボロボロ、ヤケ食いとヤケ酒の衝動を止められず、したらしたでその後絶対に悔やむ。

出口のない、終わりなき絶望の無限地獄のような毎日を繰り返す。

2014.5.13

CoyaNote2014033

冗談を受け入れて笑えるほどの余裕は、まったくありません。

CoyaNote2014034

もがき苦しみ、足りない頭をひねっても、少しも解決策は出てこない。根本的な能力に劣る。

2014.5.14

CoyaNote2014035

頭が痛い。脳がモンスターにバクバクと喰われているようだ。邪悪な化け物が僕の頭の中に棲みついて、めちゃくちゃに壊そうとしている。血管をぎゅっと締めつけて、血流を止めて、まともな思考ができない。

肩や腰も痛い。鉛のような重たい塊が、埋め込まれているような鈍い痛み。

消化器官の働きも悪い。なにかが滞っているような気持ち悪さが常につきまとっている。

なにもかもが辛い。生きること、仕事も、日々に立ち向かっていくのにおそろしいくらいの力が必要だ。それに耐えられない。このまま死んでしまいそうだ。誰も助けてくれない。助けてくれるはずがない。助けを求めても、そのせいでさらに苦しくなるだけだ。

2014.5.21

CoyaNote2014036

太ももがかゆい。一度かきだすと、火がついたみたいにかゆみが増して、止まらない。ボリボリ、バリバリ、血が出るくらいにかきむしってしまう。

何を食べてもおいしいとかんじられない。プラスチックやビニールなどの無機質な物体を食べているようで、気持ちが悪くて吐いてしまいそうだ。体によい栄養素などろくにとれるはずもない。こうして体はボロボロに蝕まれていく。不健康体。

2014.5.22

CoyaNote2014037

いつもいかれた異常なアンタ。

CoyaNote2014038

全身がしめつけられそうな痛み。
心臓に過度な負担がかかる。

CoyaNote2014039

遅くまで残業して、24時間営業の弁当屋でシーザーサラダを買ってきて、家にあったカップ麺と一緒にみすぼらしく食べる28歳の夜。みじめでむなしくて消えてしまいたい。

2014.5.29

CoyaNote2014040

人生とはむなしいものだ。

CoyaNote2014041

「こんなはずじゃなかったのに」の積み重ね。小さな後悔が繰り返されて、結果として心がつぶされそうになる。どうしようもない。

2014.6.17

CoyaNote2014042

追いつめられて、首を絞められて、息もできないくらい苦しい。

CoyaNote2014043

やるべきことをこなすってのは、楽しいもんじゃない。嫌な敵をぶっ殺すみたいに、憎しみと恨みをもって取り組まないといけない苦行のようなもんだ。

CoyaNote2014044

なにをやるにもめんどうで、おっくうで、つかれる。やるきがしない。だらだらとしてしまう。もうだめなのかもしれない。ろくなことがない。すぐにいらいらしてしまう。つらい。くるしい。たすけてほしい。にげたい。

2014.6.25

CoyaNote2014045

嫌われたのだということを、はっきりと自覚すること。踏ん切りをつけて、すっぱりと諦めること。そのための契機として、恨み言の一つでも送ってやろうか。

CoyaNote2014046

生きることが辛い。なにをやるにしてもかったるくて仕方ない。

なにをすればいいのか教えてほしい。なにをしても怒られて、こじれて、ねじまがってゆがんで最終的に自分の首を絞めることになるだけだ。傷ついて死にそうになるだけなんだ。

2014.6.28

CoyaNote2014047

全身を常に疲労感が包み、心の休まる時がない。いつもなにかに追われている。やらなければならないことは山積みなのに、そのどれか一つにでも手をつけようものなら、たちまち問題にぶちあたり、少しも前に進めない。

過去をやり直すことはできないけど、いつも過去のある時点でやっておけば、こんなにもこじれることはなかったのにと後悔するばかりである。そして今すべきことをやらないか、今もやがて後悔の対象となってしまう。

何時間寝ても、疲れがとれない。朝を迎えるのがおそろしいくらい憂鬱である。動くことも、動かないことも、この世に存在してしまっているだけで、ありとあらゆることが問題となる。

CoyaNote2014048

苦しい。苦しい。苦しい。自分がこんなに苦しんでいるのに、他人がのうのうと、楽しげに、幸せそうに暮らしているのは、癪にさわる。腹が立つ。許せない。ふざけるなと言いたくもなる。

CoyaNote2014049

今日で6月が終わる。今年ももう半分が過ぎたわけではあるが、ひどいものであった。また夏がやってくる。期待とか喜びとか一切ない、ただ暑くて辛いだけの夏が。それは生き地獄のような苦行だ。

2014.6.30

CoyaNote2014050

安かろう、悪かろう、まずかろう。

安さにばかりとらわれていると、他のものがうまくいかない。それ相応の値段、価値というものがある。

CoyaNote2014051

今日から7月。頭が重く、痛む。下腹も痛む。体が悲鳴をあげている。吐きそうだ。

2014.7.1

CoyaNote2014052

すっぱりと諦めて、忘れて、前に進むために、思い出を捨てる作業をしていた。シュレッダーでザクザクと、細かく裁断していく。時々紙が詰まったのか、刃の動きが悪くなって、ゴリゴリと鈍い音がする。すっきりといかない不快感。

そうやって全て諦めるつもりだった。きれいさっぱり忘れるために、この作業をするはずだった。でも、改めて見てみると、やっぱりどうしようもなく、この人のことが好きなんだと思い知らされた。それは理屈とか可能性とか関係なく、感覚的な、本能的なものなんだけど、それでもこのまま諦め、忘れることは、やはりどうしてもできない。今ここで捨ててしまったら、絶対に後悔すると思う。それは確かなことだ。

CoyaNote2014053

明日コロされてきます。
心をへし折られ、叩きのめされ、吊し上げられ、サンドバッグみたいにボコボコにぶん殴られます。
シアルノミ

2014.7.2

CoyaNote2014054

ボクハシニマシタ。

CoyaNote2014055

正しいことなんてない。自分の考えが絶対と信じて、他の意見など一切聴く耳を持たない奴のことなんて、相手にするな。こっちから絶交だ。

CoyaNote2014056

久しぶりにギターを弾いた。前回が4月末だったから、かれこれ2ヶ月ぶり。その間毎日練習していたら、どれくらい上達していただろうか。失われた成果を取り戻すのに、今からでもその価値はあるのだろうか。

少なくとも一つ言えるのは、弾いているうちは、少しでも気が紛れ、快楽の気分になれるということだ。それはさながら、最後の希望でもある。

2014.7.3

CoyaNote2014057

体調が著しくすぐれない。いくら寝ても疲れがとれず、全身を鈍いしびれのようなものが襲う。

朝ちょっと脂っこいものを食べたら、すぐにお腹を下してしまう。昼も同じで、腹の痛みに耐えかねて、何度も便所に駆け込んでは、ブリブリと汚い下痢便を垂れ流し、便所紙でこれでもかとケツをふく。それだけで気分は落ち込み、生きることにさえ懐疑的になってしまう。

2014.7.9

CoyaNote2014058

とてもむなしい。それなりに、一生懸命やってるつもりでも、成果がともなわなければ、全ては無駄な努力で終わってしまう。

なんのためにやってるんだろう。そんなことしたって、なんの意味もないと思えてしまうし、実際なんの役にも立ってないんだろう。自己満足にもならない、やらないほうがよっぽどましな余計な行為。すべてを台無しにしてしまうおぞましい破壊のようなものだ。

明日も明後日もその次も、こんな無意味な日々が五月雨のようにつづく。そこに喜びなんて感じられないし、生きがいなんてない。

2014.7.10

CoyaNote2014059

万年筆のインクを補充する。血清のようなカートリッジを差し込む。命の滴を使ってノートに記していくのが、駄文でしかないというのが悲しい。

2014.7.18

CoyaNote2014060

とりたてて大切なわけでもない、事務的ですらある手紙を一枚書くのに、貴重な便箋をどれだけムダにすれば気がすむのか。

CoyaNote2014061

ちょうど1年前にこしらえたラッピングを、ビリビリに破いて、中身の手紙を取り出し、シュレッダーにかけて切り刻んだ。もうあの時の気持ちも、なにも残っちゃいない。これからどうすればいいのか、まったくわからない。

2014.7.24

CoyaNote2014062

帽子を買って、ここのところずっとかぶっている。殺人的な日差しから、頭を守るのが目的であって、いわばヘルメット代わりだ。

世の中には二種類の人間がいる。帽子をかぶってよい人間と、そうでない人間だ。残念ながら僕は、後者に分類されるのだろう。似合わない。ダサイ。ただでさえもとがカッコ悪いのに、帽子によってそのカッコ悪さに拍車がかかる、キモイ、生理的に受け付けないなど、周りから指摘されて、そうなんだと思うようになった。自分には帽子が似合わない、帽子をかぶることが許されていないと悟った。

しかしそれでも、帽子をかぶらないと、熱中症になってしまう。仕方なくかぶっているのだ。帽子というのは、ファッションだ。おシャレな人だけが身につけることのできる、特権的なアイテムなのだ。それを真似してみても、うまくいかない。

ワークキャップ、角刈りの四角い頭の形がよけいに強調されるだけだ。自分のキモさがさらに強調されるだけだ。

しかしそれでもかぶる。もう意地みたいなもんだ。

2014.8.4

CoyaNote2014063

2週連続で、土日両方出勤だった。休みが1日しかないと、疲れが全然ぬけない。回復しないまま、明日からまた仕事が始まってしまう。激務と、暑さでいつ倒れてもおかしくない。

CoyaNote2014064

自分がみじめで、あわれで、かわいそうな人間に思えて仕方ない。

2014.8.5

CoyaNote2014065

考え過ぎないこと。何も感じないこと。

CoyaNote2014066

隣が家を建設してて、音がうるさい。ハンマーでガンガン釘を叩き、レンチでナットをしめつける。僕の頭も叩かれ、しめつけられそうな不快さ。ゆっくり休むこともできない。

CoyaNote2014067

予定していたことが、その通りに進まないと、とたんにパニックになる。小学生レベルの簡単な計算さえもできない。そして予算が不足する。とてもこわい。

2014.8.13

CoyaNote2014068

暑さにやられる。先日は、風邪と熱中症と夏バテを併発したのか、頭が痛くて喉も焼けつきそうなくらい痛くて、寒気がして、ついに仕事を早退してしまった。4年以上働いて初めてのことで、もう体はとっくに限界に達しているのだろう。

3日程休みだったけど、リフレッシュすることもなく、逆にいろいろと重たい荷物が余計に増えただけだ。休み明けの今日は、残暑も厳しくてもう倒れそうになってしまった。

これから先、生きていける気が全くしない。

2014.8.19

CoyaNote2014069

幸せについて考えると、なぜだか無性に切なくて寂しくてやるせない気分になって仕方がない。そんな感情を抱いてしまううちは、きっと幸せになんてなれないのだろう。

自分の生き方、在り方についてウジウジと悩むなんてことは、10代の思春期のうちにとっくに済ませておくべきなのに、29歳にもなってなにを今更苦しんでいるのか。そんな時期はとうの昔に終わってなければならないだろうに。

2014.8.20

CoyaNote2014070

最初の確認、これが全てを決める。過去に戻ってやり直すことはできないのだから、過去の時点でしっかりしておかないと、未来はない。

CoyaNote2014071

やることをやらないのは、万死に値する。

CoyaNote2014072

ミスしたチラシの山が崩れて、床にバサバサと落ちて、とてもみっともない。

CoyaNote2014073

むかつくことが突然フラッシュバックして、こぶしでひざを強く叩いてしまう衝動におそわれる。

CoyaNote2014074

9月が始まった。今年も残すところあと4ヶ月。

しかしそもそも、夏なんてあっただろうか。毎日毎日、ただ同じことを繰り返すだけ、暑さに苦しみ、変な汗と焼け付くような痛みで体は疲弊している。蟬みたいに命を燃やし尽くして、枯れ果てて死ぬだけだ。

2014.9.1

CoyaNote2014075

カビだらけの風呂の中で、ふいに過去のイラツキがフラッシュバックしてくる。

「シネヨクソガ」

腹の底から吐き出された、醜い言葉に、心がどんどんと汚されていくのがわかる。

イラダチを鎮めようと、シャワーを浴びていたら、ふいにシャワーホースが毒蛇に変身した。粒々の蛇のウロコに細長くねじれる胴体、シャワーヘッドは鋭い牙をむきだしにして、僕に襲いかかる。蛇は首にからみついて、一気に首を絞め上げる。肩にかみつき、毒汁を大量に浴びせる。風呂に潜む凶暴な蛇に食われ、やられ、僕は殺されてしまいました。

その蛇の正体は、まぎれもなくストレスだ。

2014.9.2

CoyaNote2014076

体の中のガソリンが完全になくなった。すっからかんの空っぽ。何もない。

CoyaNote2014077

6畳1間の穴ぐらで、世界を呪い、復讐の計画を練り、ぺらぺらに軽いポップスを聴きながら、誰も見てない孤独なヘッドバンギングをして、勝手に興奮して、盛り上がって、なにかとんでもないことを仕出かしてやると意気込んでも、翌朝目が覚めてみたら、びっくりするくらい冷めているんでしょう。そんなもんだよ、躁鬱病。

ヤバイ。死ぬ。それしかない。

2014.9.3

CoyaNote2014078

朝、ちょっと油断してチョコパンなんて甘いものを食べたのがいけなかった。すぐに腹を壊して、もう少しで漏らす危機になってなんとか間に合ったが、下痢をした。

昼食の後もそう。なにを食べてもまともに消化しきれないくらいに、胃腸が弱ってるみたいだ。

もう体も限界に近いのだろう。今日は一日中、腹の調子が悪かったし、疲れがまったくぬけない。死ぬ。苦しい。

2014.9.8

CoyaNote2014079

こんなに短時間でできる作業一つやるのに、なにを今まで迷っていたのだろうか。馬鹿みたい。
さっさとやれって話だ。

CoyaNote2014080

生きることはつらい。
今日しぬのも、いつかしぬのも
あんまりかわらない。

CoyaNote2014081

ゴミ箱の中に、使用済みの湿布がたまっていく。日に日に、その数が増えていく。湿布を貼らないと、全身の筋肉が痛くてろくに眠れやしない。

2014.9.23

CoyaNote2014082

仕事の進め方や管理方法を、全部デザインしたい。
オフィスをアトリエに。

2014.9.24

CoyaNote2014083

今後、クッション言葉、特に「だと思います」などという曖昧でクソみたいな言葉の使用を一切禁じる。全てに短く、断定的で、ブツ切れの言葉、業務報告のようなものしか話してはならぬ。

2014.10.1

CoyaNote2014084

立ち止まって思い悩んでいる暇などない。それはその時、その場で完結させなければならない仕事なんだ。後回しなどできない。ベルトコンベアにのって、右から左へ流れていくものなんだから、その場でしか取り組むことは不可能なんだよ。君の両足は、地面にべったりと貼り付いて、がっちりと固定されてるから、逃したらもう二度と追いかけることはできない。

心のスイッチを切る。感情なんてなにもない。なんの想いも込めない。目の前の書類はただの紙切れ、ただのもの。ディスプレイに映る文字は、1と0の組み合わせにすぎない。それを見てくれだけ仕上がった風に仕立てれば、それでおしまい。質だとか内容だとか、そういっためんどくさいものは一切問われない。

今後はそうやって、仕事に取りかかっていきなさい。そうすれば、もっと楽に、もっと手早く、あっという間に仕事は終わるよ。

2014.10.7

CoyaNote2014085

夜遅くまで残業して、脳とか腹とかが傷むくらい、フラフラでぶっ倒れるくらい働いて、コンビニで、体に絶対に悪いと分かっているのに、カップラーメンを買ってしまう。こんな夜には、もっさりとしたスウェットジャージを着て、よけいにみじめな気分になる。布地は、スープか洗剤か変なニオイが染み付いて、クサくてクサくてたまらない。

正直、こんな生活を続けていると、死にたくなってくる。生きるのが本気で嫌になってくるし、やめたくなる。明日もその次も、ろくなことがない。いいことなんてなに一つない。希望なんてない。まるまるとみにくく太ったブタ。ダサいスウェットジャージを着た、クソブタ。ブヒブヒと鼻息も荒く呼吸するたびため息をつく、肥満体質のクソブタは、解体されて出荷だ。質の悪い、ドロドロとした脂しか出ない、役立たずの肉の塊。

2014.10.9

最後の画用紙に何を描こうか

ウォーター・タブレットなどと名前のついた、F6号の画用紙。9年前、まだ学生だった若かりし頃、いきがっていろいろなものに手を出している中で、他の人が使っているのを見て、買ったもの。水彩を描いていて、紙がたわむことに困っていたし、大きいサイズが欲しかったので、それはとても適していた。

それ以来、いろいろと描いた。主に水彩だったが、色鉛筆を使ったこともあった気がする。毛羽立たず、たわまず、弾力性のあるその紙は、水彩を描くのに理想的であった。

そしてついに、その画用紙が最後の1枚となった。何を描こうか。考えられる選択肢としては、今描きたいテーマにすることと、9年前に夢中になっていたテーマにすることの、2つが挙げられる。どちらにするのが、この画用紙の命を閉じるのに、締めくくるのにふさわしいだろうか。

何を愚かなことを言っているのだ。そうやって、必要以上にこだわりや思い入れを持っているから、いつまでたっても絵が描けないんだ。さっさとなんかテキトーなもんを描いて、終わらせてしまえよ。画用紙なんて所詮紙なんだから、描かれるためにのみ存在しているだけ。今描きたいものがないとすれば、それはもう描くことそのものをやめなければならない。

2014.10.11

CoyaNote2014086

線をなぞって画用紙に写し取っていくだけの簡単な作業なのに、なんでこんなに時間がかかっているのだ。もう2年も前の出来事なのに、絵にするのにどれだけかかるんだ。体力や気力が不足しているなどという言い訳は許されない。

CoyaNote2014087

一時の感情に流されて、おかしな熱にうなされていても、よく考えて、冷静に見つめてみると、たいしたことない、むしろひどいものだと気付かされる。

デブ・デブ夫とブス・ブス子のくだらない茶番にすぎない。

それよりも問題は、目の前にたくさん山積みされているではないか。それをやらないことには、なにも進まない。

2014.10.21

CoyaNote2014088

デブ・デブ夫くん、この世のものとは思えないほどみにくく太ったその肉体、腹の膨張はもはや破裂寸前。

ハアハアブヒブヒと鼻息の荒い呼吸を繰り返すそれはそれはひどくみにくい肉の塊、死すべきブタ。そんな、デブ・デブ夫の肖像画を描こうか。

CoyaNote2014089

2年前の出来事を、ようやく絵にすることができた。あまりにも長い時間がかかったが、それでも最終的に仕上げることができたのはよかった。

描き始めは順調だった。水彩でグラデーションをさらりと塗っていく。メインとなるモティーフはうまくできた。

しかし進めていくうちに、いつもの悪いクセが出てしまった。細かい部分を慎重に、丹念に塗っていくのが、本当に苦手で、すぐにはみ出す。色がにじむ。乾かないうちに次の色を、水気をたっぷり含ませて塗るもんだから、前の絵の具が侵食してきて、画面上で混ざり合ってしまう。

こんな感じで、色を塗り終えた時点ではいまひとつの出来であった。色と色との境目の処理が雑で、ひどいクオリティである。不満だ。こんなことなら、別の日に、体調が万全の状態で色を塗るべきだったなどと、自分のがさつ加減に嫌気がさす。

不貞腐れながら、絵の具を乾かすためにしばらく放置、酒を買うために外出する。1時間ほどブラブラした後で、画面を見てみると、まだ濡れてる部分がある。水を含ませすぎたのか、びしょびしょになっている。仕方ないので、ドライヤーをあてる。風が絵の具の滴を画面上で流すために、色の筋ができてしまう。やれやれとあきれながら、こんなカオスに満ちた画面を、修正できるマジックなんてあるものかと思ってしまう。

最後に、いつものように、ペンで輪郭線をなぞる。太い線にしたいとも思うが、大きさを考慮してそこはぐっとこらえる。ただし、メインのモティーフとなる部分だけは、太い線でふちどり、存在感を際立たせる。背景となる細々とした箇所は、ドローイングのようにさらさらとペンを流す。

輪郭線にペンが入れられると、それまでのぼんやりした画面は一変した。一つ一つの色がきちっと整えられて、くっきりとモティーフが浮かび上がってきた。これだ。これが求めていたものだ。やはりこの輪郭線へのペン入れ、これこそが大切だ。作品に命と魂を吹き込む作業、これがまさにマジックだ。

こうして絵は完成した。足下に楽譜を散乱させるのを忘れたが、もはやこれ以上手を加えることはできないと思い、断念する。線のみ入れることも考えたが、それだと床の模様のようになってしまいそうだ。

サインを入れたら、もうそれ以上作品を変更することはできない。

2年前の出来事を、ようやく絵にできてよかった。自分のしょぼい人生の日々を、形にすることができた。いろいろと辛いことばかりある今日この頃ではあるが、こうして絵が描けるうちはまだ大丈夫だ。少なくともそれをすることの喜びはまだ覚えている。

2014.10.27

CoyaNote2014090

今日もまた失敗を犯した。過ちを繰り返した。うまくいかなかった。
明日もきっとだめだろう。明日がくるのが恐い。明日がくるのが恐い。このまま消えてなくなりたい。

2014.10.29

CoyaNote2014091

携帯電話の機種を変更しても、電話やメールが1件もない。もはや持ってる意味がない。

前立腺の炎症

今日病院に行ってきたら、前立腺の炎症だと診断された。

2日前の夜から、右脚のつけ根から膀胱の部分にかけて、なんともいえない違和感があった。痛みというほどではないが、なにかの塊があって、内側から圧迫されているような感じで、確実に不快なものであった。

歩く時もそれはつきまとって、常にそこになにかがある不快感で、まともに歩けなくなった。

気のせいだと思いたかった。疲れてるから、ちょっと体の調子がおかしいだけだと言い聞かせた。しかし、ひと晩寝ても、なにをしても、その異物感が消えることはなかった。おかしい。これはなにかある。そう認めざるをえなかった。筋肉とか骨とか、そういった類の痛みではなかった。そうすると、内臓にどこか問題があるということになる。まっさきに頭をよぎったのは、ガンである。膀胱ガンか前立腺ガンか、腫瘍ができて圧迫しているのではないか、そう考えると、とても恐くて、恐くて、恐くて、まともに眠ることもできなかった。おそろしいモンスターが僕の体を内側から喰い尽くしていく悪夢にうなされた。死を思った。僕は死ぬのか。そう思うと、急に恐くなった。死ぬのが恐くなった。病気で苦しんで死ぬのはいやだ。恐い。何度も何度もうなされ、無意識のうちにため息がもれた。

おしっこはちゃんと出るんだし、我慢できないくらいの激痛ではないんだから大丈夫だと言い聞かせても、なんの根拠もなくて、恐怖や不安はまったく消えなかった。

そして今日、恐かったけれど、病院に行ってきた。さっさと死刑宣告されてしまえと、半ば自暴自棄になっていた。

診察室に入ると、ベッドに横たわって、下半身も性器もまる出しにして、触診とエコー検査をされた。もしここでなにかが発見されたらどうしよう。ベッドの上で、僕はもう病人のようだった。その後、検尿をした。しかし何も異常はなく、今度は前立腺の検査となった。再びベッドで下半身をむき出しにすると、尻の穴に手をつっこまれた。直腸を触診されると、耐えられないくらいの激しい痛みに襲われた。本当に痛くて、「痛い、痛い」と叫んでしまった。理性でコントロールできないくらいの痛みだった。

部屋の明かりは消され、僕の叫びだけが室内に響く。僕が何度も痛いと叫んで、のたうちまわっても、医者は触診をやめず、「もう一度検尿だ」と指示を出す。冷静というよりも、冷酷にすら思えた。

痛みを抱えたまま、再び検尿をしたが、一回目でほとんど小水を出し切ってしまったため、なかなか出なかった。やっと出た変な汁に、血でも混じっていないかと、見るのが恐かったけど、それはなかった。どうにかしぼり出した小水を提出して、しばらく待たされた。

診察結果を待つまでの間は、気が狂うほど不安で、診察室で病名を言われるまで、心が破裂しそうだった。

結局のところ、ガンではなく前立腺が炎症を起こしているということであった。薬が処方されて、2週間ほど様子を見ることになった。ほっとしたとか、安心したとか、そんな気持ちは一切なく、やはり病気だったのかという事実に、大きなショックを受け、精神的に相当やられた。

前立腺炎も悪化すると、排尿が困難になるなど、決して軽い病気ではない。そしてまた、勃起障害や精子に問題が出ることもあるという。このままセックスすることも、子孫を残すこともなく、独りぼっちで死ぬのか。

2014年10月31日

第13冊ノートを終えて

ちょうど10ヶ月でこのノートは終わったわけであるが、書き始めた1月1日、それは希望を持ってのスタートであったはずである。最悪の、どん底であった昨年を生き延び、今年はきっといいことがあるだろうと願ってのことであった。

しかしそんな期待はすぐに破壊され、まるで昨年の焼き直しのような、繰り返しのような、苦しみしかない日々が記録されるようになる。希望を持って前向きなことを書いても、地獄の中の苦痛であふれたネガティブなことを書いても、結局悪いことしか起きない。もはや生きることに期待や希望は見出せない。

そして今日、病院に行ってきた。心配していたものではなかったが、病気にかかっていた。そのことのショックの方が大きかった。病気になるくらいの苦しみ、そんなものしかない。自分の体をボロボロにして、僕は何で生きてるのか、何をしているのだろうか。

2014年10月31日 プラス思考でCoya