第14冊ノート(2014年11月2日~2018年12月8日)

2014年

CoyaNote2014092

自分の心と体が、現在進行形で壊れていくのがよくわかる。感じられる。ストレスの塊が、下腹部にたまっていく。突然、熱が出る。病気が悪化し、前立腺の炎症がひどくなっていく様子が伝わってくる。

もうどうしようもない。このまま弱り果てて、そして最終的には死ぬだけだ。

CoyaNote2014093

もうどうしようもなくなって、ほんとに死にたくなったら、最期に君に会いに行こう。自殺での別れを告げに。

2014年11月2日

CoyaNote2014094

痛みにかなりの波がある。平気な時はなんともないのに、ひどい時は、歩くのも苦しいほどだ。やっかいな病気を抱えてしまったものだ。

2014年11月3日

CoyaNote2014095

眠気と痛み、両方に襲われて、自分の体が自分のものでないかのようだ。

2014年11月4日

CoyaNote2014096

病をかかえ、痛みを自覚しながら、それでも働き、仕事をこなしていかなければならない。体に負担をかけるような過酷な重労働をつづけ、日に日に症状が悪化していくのがわかる。まるで死に向かって突き進むようなもの、自殺行為だ。しかし逃げることができない。誰も止めてくれない。

2014年11月5日

CoyaNote2014097

血流が滞っている。体の臓器が、あるべきところにあるべき大きさでとどまらずに、ずれてはみ出して、他の部分を圧迫しているようだ。そこを起点にして、痛みが腹部や脚にどんどんと広がっていく。夜になると特にひどい。

CoyaNote2014098

患部が熱を帯びるようになってきた。内部から悪いものがブクブク、ブヨブヨと膨れ上がってきて、いつか破裂しそうである。自分の体が壊れてしまいそうだ。痛みは日に日に増していくけれど、恐くてその箇所を見ることができない。はたして僕の体の中で、一体何が起こっているのだろうか。誰がどうしてこんなひどい仕打ちをするんだろうか。僕が何をしたっていうんだ。存在自体が有害だとでもいうのか。

2014年11月6日

CoyaNote2014099

自分を苦しめている張本人が自分である。自分で自分を殺したくなる。

CoyaNote2014100

痛みが少しやわらいだかと思ったが、どうやら幻でしかなかった。おまけに頭が痛くて風邪を引いたようだ。

2014.11.7 

CoyaNote2014101

痛みが消えた、治ったかと思ったら、急にまたぶりかえしてくる。そのことのくりかえし。結局のところ、病気は治っていない。

2014年11月8日

CoyaNote2014102

脚のつけ根や股間だけでなく、腹部や腰までもが痛み出した。ただ痛いだけでなく、アレルギーにでもなったかのようなかゆみもある。一体何なんだ。

2014年11月9日

CoyaNote2014104

病院に再診に行って来た。検尿と問診だけしておしまい。触診とかエコー検査とかはなかった。あれをやると、痛いし、精神的にも気分がかなり落ち込むから、やらなかったのはよかったけれど、逆にいうと、それをしなくても症状は変わらないということだろうか。

薬を飲んでも、生活習慣を改めないかぎりは、病気は治らないそうだ。そうはいっても、この地獄のような状況が好転する兆しは一切ない。結局のところ医者も助けてはくれないということだろうか。何一つも進展はなく、ただ自分が病気であるということを再確認するだけの作業であった。

2014年11月11日

CoyaNote2014105

今日は脇腹が痛む。熱をもっている。採血は左右両腕からされて、血だらけ傷だらけ。

仕事でやることは山のようにあるはずなのに、なにひとつとしてやる気が出ない。いざとりかかろうとすると、なにをしていいのかわからなくなる。記憶をなくす。重症だ。

2014年11月12日

CoyaNote2014106

電車の中での記憶がない。病身を抱えての通勤で、気絶していたみたいだ。

CoyaNote2014107

脇腹がやはり痛む。過去のイラツキがフラッシュバックして新たなストレスが発生するやいなや、痛みが重く鈍く広がっていく。やるせない。

2014年11月13日

CoyaNote2014108

やるべきことをやらない。目標が見えない。そこに向かうにはどうすればよいかわからない。

CoyaNote2014109

いろんなところの縫製がほつれる。ちぢむ。穴があく。持ち主の身体と呼応するかのように、衣服もまた傷ついてゆくさだめ。

CoyaNote2014110

一時的に治まったかのように思われた痛みが、再びぶりかえしてきた。結局、病気は治っていない。お酒を呑んで、消えた気になっていただけだった。

2014年11月18日

CoyaNote2014111

画用紙は使い切った。しかし、写真撮影をして、トリミングするまでは、区切りはつかない。まだ終われない。

2014年11月19日

CoyaNote2014112

携帯電話の機種変更をして早や1ヶ月。着信は職場から、業務上の連絡があっただけ。メールにいたっては、1通も受信がなかった。どうせ返信のこないメールを送ったりもしたが、いずれにしても、ほぼ誰とも連絡をとらなかったと言ってよい。

もはや、携帯電話を持っている意味などない。誰ともつながらず、コミュニケーションをとることもなく、一人孤独のうちに死んでいくだけである。

2014年11月21日

CoyaNote2014113

僕らは死に向かって歩いていく。人は死ぬために生きている。

CoyaNote2014114

冷たい雨が降る中、病院にいってきたけど、診察は5分で終わった。今回は検尿もしなかった。結局のところ、生活習慣を改善しないかぎり、病気は治らないということだ。

寒くて体が疲れているのか、その後、髪を切りに床屋に行ったら、力尽きてダウンしてしまった。

2014年11月25日

CoyaNote2014115

かげをひそめていた病気が、再び悪さをしだした。過去のイラツキがフラッシュバックのようによみがえってきたのがいけないんだ。ストレスを体から追い出さないかぎり、病気は治らない。そんなことは不可能に近い。

2014年11月26日

CoyaNote2014116

人ごみの中にいると吐き気がする。再び痛みがぶりかえしてきた。

なにをするにしても、許されていないような気がして、罪悪感がする。自分はここにいてはいけないのだと、存在を認められていないようで、消えたくなる。

2014年11月27日

CoyaNote2014117

1年前にノートに書き殴った言葉を、パソコンに入力して、来年こそはいいことがあるに決まっていると信じていたのに、実際はそんなことがないということが辛すぎる。希望を持ってもつぶされるだけだ。

2014年11月28日

CoyaNote2014118

理想の形を追い求めて、ああでもないこうでもないとこねくりまわしても、何もいいものなんてできない。結局だめだ。

2014年11月29日

CoyaNote2014119

12月になったというが、実感がまったくわかない。強い風に枯れ葉が舞い上がったイメージを引きずって、まだ秋のような気がしてならない。こんな感じで、その実体をつかめないままに、12月が終わって、つまり今年も終わってしまうんだろう。無意味で虚しいだけの時間の消失。そこに生きていない。

2014年12月2日

CoyaNote2014120

契約書の仕様書の内容がずさんすぎて、つき返されてしまった。やり直せと。そりゃそうだ。

こういう時に決まって出てくる君の反吐が出てくるような性根の腐った言い訳が、「前回はそれでよかったのに」というものだ。前例踏襲、以前はよかったから今回もそれでいいだろうなどという、自分勝手で都合のよい解釈など、今後一切やってはならない。自分の頭で考えられないのなら、人間なんてやめてしまえ。

2014年12月3日

CoyaNote2014121

やるべきこと、やらなければいけないことをやらない。それをしなければ、仕事が進まないことをわかっているのに、やらない。ワードを立ち上げて、文字を入力したり、メールを送ったり、ファックスを送ったり、あらゆる動作をすることが、とてつもなく恐いのである。なにかしたら、たちまち全てが崩れてしまいそうで、たちまち全てが悪い方へ向かってしまいそうで、何もできない。もう病気だ。君を押さえつけて動かなくさせている原因は何だ。

2014年12月17日

2015年

CoyaNote2015001

また帽子を買ってしまった。似たようなものはもうすでに持ってるのに、どうしてまた買ったのか。ムダ使いじゃないのか。

いいと思ったから、欲しいと思ったから、買った。それまでだ。

2015年1月6日

CoyaNote2015002

新しい革靴を買った。まだ硬さがとれなくて履き慣れてなくて、さっそく靴擦れができた。この靴で踏み出すステップは、新しいものでなくてはならない。たとえ行き先に、絶望しか待ち受けていなかったとしてもだ。

2015年1月12日

CoyaNote2015003

2015年の1月もあっという間に終わる。仕事でミスにミスを重ね、その場しのぎでごまかしてばかりで、自分を殺したくなる。しばらくなりをひそめていた病気が再び暴れ出して、体が悲鳴を上げている。毎日、その日一日をどうにか生き延びるだけで精一杯。喜びや幸せなんて、全く感じられない。もうだめかもしれない。絶望しかない。

2015年1月31日

CoyaNote2015004

1997年2月11日、今から18年前の建国記念の日に、僕はギターを始めた。古いクラシックギターだったけど、アコギのようにピックを使って激しく弾いていた。まだ小学生で、手も小さくて、指も短くて、弾くのに苦労したけれど、それでもいくつかのコードを覚えて、簡単な曲が弾けるようになると、とても嬉しかった。学校の友達や先生なんかには誰にも教えず、一人きりでこっそりと弾いていた。小学生でギターを弾いているということに、ほんの少し優越感があり、すてきな秘密を持っているみたいでなんだか楽しかった。

それからちょうど3年後の2000年2月11日、僕はアコースティックギターを買った。中学生になると、周りもギターを始める人が出てきて、ギタークラブなんてものもできたけど、相変わらず僕は一人で、誰にもこの秘密の趣味を打ち明けることなく楽しんでいた。クラシックギターではあまり音が響かず、次第にアコギが欲しくなったのだ。前からなんとなく思っていたけれど、突然の思いつきのように買ったような気がする。

初めて弾いたアコギの音は、衝撃的だった。きらびやかな音が、いつまでも響いているようで、しびれそうになった。これだ、この音だ、このギターが弾きたかったんだ。それからは、毎日のように夢中になって弾いた。ストラップも付けて、スタンディングでのプレイに酔い痴れた。弾き語りで、変声期のダミ声のヘタクソな歌を、テープレコーダーに吹き込んだりもした。今思えばなんとも恥ずかしいことも、中学生の若さならなんともなかった。あの時のテープはもう残っていないし、時代や技術の変化で、もはや再生装置をさがすのに苦労しそうだ。

ブルースハープやカズーも買って、ギターと組み合わせて吹こうとしたけれど、難しくて結局できるようにはならなかった。ギターを弾く手の動きと、ハープを吹く顔の動きが一致しなかった。

その頃の心境は、その頃のノートに書き記してある。中学生、とくに3年生の時は、ギターはとても大きな存在であった。

しかし、高校生になると生活は激変し、勉強ばかりの日々でギターを弾く余裕などまったくなくなった。学校では、軽音楽の同好会ができて、そういう連中が集まって活動したり、文化祭のステージで演奏したりということはあったけど、そういうものとは一切関わらなかった。

大学生になっても、音楽サークルには入らなかった。けれど、周りにギターを弾く人が何人かいて、そして今度こそ、自分もギターをやってると告白した。気が向いた時にちょこちょこと弾いていた。

就職してからは、サイレントギターを買った。住居の関係で、アコギのでかい音を鳴らすことができなくなり、小さな音でちまちまとやっていた。その後引っ越しをしたら、いよいよ弾くことができなくなり、2本のギターはほこりをかぶって部屋の隅でお荷物となっていた。

しかし、僕が初めてギターを弾いたあの日からちょうど18年経った今日、2015年2月11日、再びギターを始めることにした。いろいろとうまくいかない日々に絶望しそうになり、気分転換のため、ギターに救いを求めたのだ。前々から考えていたようにも、あるいは思いつきのようにも見えた。

楽器屋に行って、チューナーの弦のセットを買ってきた。弾くのはサイレントギターだけど、久しぶりにアコギも開封してみた。15年前に買った時から、少しは傷がついたりしてるけど、意外ときれいなままで、やっぱりあんまり弾いてなかったのかと思った。

弦を新しいものに取り替える。久しぶりすぎて、巻き方を忘れてしまっていた。1本1本、弦を張っていくのが、とてもなつかしかった。チューナーとにらめっこして、正しい音にチューニングしていく。ミラレソシミ。頭の奥底に眠るその音を鳴らしてみる。1弦がうまく巻けずに、さっそく切ってしまった。何やってるんだよとあきれながらも、ダブルパックで買っておいたので、対応はできた。しかし新品の弦をすぐにムダにしまい、なんとももったいない気分になった。弦は消耗品と言い聞かせて、悪戦苦闘してなんとか弦が全部張れた。

新しい弦は金色に輝いていて、音色もきらびやかだった。本当はアコギの方に張って、でかい音でかき鳴らしたかった。

弦を張り替えるのにひどく時間がかかったけど、さっそく1日目のレッスンを始めた。今まで自己流でやって弾けると思っていたけど、あらためてイチからおさらいすることにした。教則本の最初のページ、ドレミファソラシドから始まって、C、Am、などいくつかのコードをストロークで弾くところまでいった。バカにしてたけど、あらためてドレミやコードを弾いてみて、できない部分も数多くあることが発見された。できたつもりでごまかさずに、基礎から徹底的にやって、マスターしたい。

18年前にはなかった、iPodという最新のマシーンによって、お手本のCDの音を簡単に聴いて、それをまねるという練習ができるようになった。できると思っていた、簡単そうに思えていたことも、実際にCDの演奏に合わせて弾いてみると、リズムにのれなかったりして難しかった。今までいかに、ひとりよがりで自分勝手に弾いていたかが、痛いほどわかった。CDをよく聴いて、そのお手本に合わせてしっかり練習したい。基礎が大切だ。

18年前、ギターを始めた小学生の僕は、将来こんな大人になっていると想像していただろうか。一応仕事はしているが、ヘマばかりでちっともうまくいかず、私生活もいいことが全然なくて、ストレスで病気になっているような自分。こんな人間に、僕はなりたかったのだろうか。

しかし、ギターを弾いてる時は、嫌なことを全部忘れて夢中になれる。CDを聴いて、悪戦苦闘して、ちょっとうまくできた時は、この上ないくらい嬉しい。心が救われるようだ。まだ生きていてもいいと思える。

だから、これからは毎日ギターの練習をしよう。18年前とちがうのは、僕はもう大人になったということだ。お金も時間も、自分の好きなように使える。なにをしても自由だ。ギターを弾こう。それが、今の僕にとって唯一の楽しみだ。

2015年2月11日

CoyaNote2015005

昨日の希望を胸にした書き込みも束の間、今日は最悪だった。朝から激しい腹痛と下痢に襲われ、職場に着くなり便所にかけこんだ。ブリブリと汚い下痢を垂れ流した。仕事もヘマばかり。もう消えたい。

2015年2月12日

CoyaNote2015006

生きることは辛い。最近は毎日、その日一日どうにか死なずにいられたという綱渡りのように行きている。悪いことしか起きない。消えてなくなってしまいたいことばかりだ。

ストレスや疲れがたまると、お腹や腰のあたりがきゅっと痛み出す。前立腺がふくれあがって炎症を起こしている。体というやつは正直なもんだ。

体が壊れかけている。体が悲鳴を上げている。でもその声を、聴こえないフリをする。体からのSOSに気づいてなんてやるもんか。何のこと?聴こえないな。自分を大切になんてない。自分なんて大事じゃない。いっそのこと死んじゃえば?自分がクズだから、病気になるんだし、何もかもがうまくいかないんだ。

ガタガタ体が震えるのは、寒さのせいだけじゃないだろう。

2015年4月21日

CoyaNote2015007

新年度がスタートして早や1ヶ月。決意も空しく、改善もされぬまま、いつもの愚かさを今日も引きずっている。

5秒で済む仕事をいつまでも取りかからずに放置、それらのツケが積もりに積もって、自分の首を絞めつける。なんでもっと早くにやらなかったのだと自分を責めても、なんの意味もない。後悔はするけど、反省はしないから、次につながらないし、全然成長しない。

いつでも言い訳をさがしている。やらないことの理由さえあれば、それで許されるとでも思っている。怠慢な自分を正当化しようとする姿のなんと醜いことか。

結局のところ、いや以前にも増して、クズに拍車がかかっている。もうダメだ。

2015年4月30日

30歳まであと1ヶ月

今日は5月7日、誕生日まであと1ヶ月。今年は30歳の節目となる。だけど、生活はこれまでの中で最悪、どん底からぬけ出せずにいる。

仕事で連日夜遅くまで徹夜、休みの日も家で仕事、体はボロボロ、前立腺が痛くてたまらない。今は頭も痛いし、気持ち悪い。

こんなふうにして、誕生日だからってなにもいいことなんてなくて、ただ朽ち果てて死ぬだけなんでしょう。

2015年5月7日

CoyaNote2015008

 やるべきことをやらない奴は死ね。
 それだけだ。
 つまり死ね。
 もうどうにもならないから、死ね。

2015年5月19日

CoyaNote2015009

30歳の誕生日まで2週間を切ったけど、現状は相変わらず最悪。病気はぜんぜん治りそうにない。辛い。楽になりたい。楽になりたい。

2015年5月25日

CoyaNote2015010

肉体労働に明け暮れた一日。段取りを間違えるヘマを犯す。
なにをやるのも遅い。ノロマのクズに生きる資格はない。

2015年5月26日

CoyaNote2015011

バカのくせに風邪を引いた。全身をけだるさと悪寒が襲う。死ぬ。

2015年5月27日

CoyaNote2015012

仕事に行くのが恐くてたまらないくらいまで追いつめられている。毎日毎日、職場へ向かうまでの道のりが、憂鬱で仕方ない。今日はどんなひどいことがあるのだろう、どんなとんでもないことをやらかしてしまうのだろうと想像するのは辛い。そしてそれらの悪い予想は、たいてい実現してしまう。

常識を知らない。この仕事のなんたるかがわかっていない。きっと向いてない。これをやる資格がない。値しない。許されない。

なんでここにいるのだろう。そんなみっともない姿をしていて、恥ずかしくないのだろうか。よく平気でいられるものだ。今すぐ消えた方が世のためだ。

体の調子がおかしい。すぐに下痢になってしまう。肛門のあたりに下痢がきゅっと集まって、熱くなる。下半身にイモムシがいるようだ。なにを食べてもまずく感じられて、ろくに食べられない。途中でやんなって、残してしまう。もったいない。胃が栄養を受け入れず、拒否してるみたいだ。

CoyaNote2015013

肉体労働でボロボロに疲れ果てた体をだらしなく引きずって帰る。途中、なんとはなしに画材屋に立ち寄る。久しく絵を描いてないことを思い出し、なんの構想もないままに、とりあえず一枚カンヴァスを買うことにした。はじめは0号かサムホールの小さいカンヴァスボードにするつもりが、なんだかそれが気分に合わず、F3号のしかもちゃんとした張りカンヴァスにしてしまう。そんなものを買って、一体何を描くつもりなんだ。今の君にもはや、描くべきものなんてなにひとつないだろうに。

しかもこの後すぐにやってくる記念日にあわせて、30号のカンヴァスを買うなんて言ってるのだから、とんでもない。身の程を知れ。現状を考えろ。

2015年6月3日

CoyaNote2015014

日常の、というよりも仕事の慌ただしさに振り回されて、20代の残りの日々をかみしめる余裕が一切ない。このまま、気づいたらそれは終わっているのだろう。あっけないくらいに。それが、20代を終える時を取り巻く現状だ。

2015年6月4日

CoyaNote2015015

自分の思うように物事が進まない。こうであるといいのにという理想はあっても、それはいつだって絶対に現実のものとはならない儚い妄想。そして我に返ると圧倒的な劣等感と絶望感に打ちひしがれる。ここのところずっとそれを繰り返している。

CoyaNote2015016

もう絵を描くことも、文章を書くことも、当然その融合物も含めて、やめてしまおうかと思う誕生日2日前の夜。

これまで、17歳と20歳の誕生日に合わせて、その時の心情、新しい日々に向けての決意のようなものを短歌に詠み、それに絵を添えた作品を創ってきた。まじめで前向きな、純粋でまっすぐな人間にでもなろうとしたのか、やけにキラキラしたものだった。今見ると、それが一生懸命で真剣であればあるほど、痛々しくて恥ずかしくて、みっともなくて、目をそむけたくなるほど青くさいものに感じられる。厨二病のような、意識高い系の、世間の目を気にしない、常識など知らない、空気の読めない愚かな奴。こんな作品を世に生み出してしまったのは、黒歴史以外のなにものでもない。抹消も封印もできない、タトゥーのような若さのあやまち。

30歳を目前にした今、やっと気付くことができた。世間一般の、常識ある人がこれらの作品を見たら、ニヤニヤとケラケラとプックスクスと嘲笑してバカにするのだということに。自分だけがそのことを知らなかった。なんて無知な、なんて愚かな、なんて恥ずかしいことだろうか。裸でいたのに、周りから指摘されないから平気な顔していたのだ。バカだな、本当に。

こんな作品を創って、何になるというのだろうか。自己満足か、承認欲求を満たしたいというのか。自分語りをして、すごいね、えらいね、ヨチヨチイイコイイコ頭ナデナデってほめられたい、かまってちゃんのナルシストは、今すぐに死ね。そんな未熟な、幼稚な精神は、とっとと捨てろ。世間一般のフツーの30歳は、もっと大人で、もっと立派なものだ。家庭を築いて、責任ある仕事をして、充実した人生を送っているのが、君以外の全ての30歳だ。君だけがいつまでも、ガキジャリのようにヘタクソな作品を、恥ずかしげもなく創り続けている。でかい図体してるくせに、黄色いチューリップハットかぶって、スモッグを着て、おままごとをして遊んでいる。まだおしゃぶりも、おむつもとれてないかもしれない。もういいかげん、お絵描きの時間はおしまいだ。

なにかに熱くなったり、夢中になったり、一生懸命、まじめにひたむきな自分の姿を見せようとするのは、今の時代ではとても恥ずかしいことだ。イタイことだ。もはや、絵を描いたり、文章を書いたり、ましてや誕生日にその時の心情や決意を、イラストとともに短歌にして詠むことなどは、この上ないくらいにダサくてカッコ悪いのだ。え、どんなの?教えてよ。

なになに、17歳の時の作品は

一途さと僕自身しか割り切れない十七歳は素直な数字

うわー、すごいね。割り切れない、純粋でまっすぐな自分を演出したかったのかい?イタイね。恥ずかしくないの?バカじゃねーの?死ねよ。

で、20歳の時の作品は

十代の轍を断ち切る音の名は自立と自律ハタチのカタチ

うわー、すごいね。20歳で大人にならなくちゃってこの頃よく言ってたよね。その決意を高らかに誓っちゃったよ。こっちが恥ずかしくなってくるくらいキラキラしてるね。僕は大人になるんだ、ってか?しかも「轍」の「ダチ」と「断ち」の「タチ」、「音の名」と「大人」、「自立と自律」、「ハタチのカタチ」と、韻を踏んだり、言葉を掛けたり、技法もふんだんに使っちゃったりして、ドヤ顔を決めてるつもり?イタイね、恥ずかしいね、ダサイね、カッコ悪いね。死ねよ。

だいたい、絵も短歌も、独学の自己流で、まともなものが創れると思ってんの?きちんとした指導も受けてない無能な素人が、ドヤ顔で作品を創ってんじゃねーよ!調子にのんなクソが。

もう何も創るな。もうなにもするな。これ以上生き恥をさらすな。生きるな。

いいか、もうすぐ30歳になるが、それに関して一切の創作を禁じる。絵も、短歌も、なにも創るな。もし創ったら、殺す。オレがオレを殺す。許さない。これ以上、オレをムカツかせるな。さっさと消えろ、死ね。

2015年6月5日

CoyaNote2015017

今日で20代も終わり。明日から30歳になる。そのことが信じられない。というか、どうしても本当のことだと思えないのだ。子どもの頃に描いていた30歳のイメージは、すごく立派な大人で、家庭も築いて、仕事も責任をもってしっかりこなすというものだった。しかし自分の現状を見てみると、とてもそんな人物像になれていない。こんなんで、30歳になってしまっていいのだろうか、30歳になるのが許されるのか、疑ってしまう。

それでも明日はやってきて、どのみち30歳になってしまう。思えば、20代はいろいろあった。半分が学生、半分が社会人と、身分も変わって、今のところ一応自立して生活している。その日々を振り返ろうとしても、どうしたものか、思い出せないのだ。記録は確かにあるのに、それが自分のものだとは思えない、まるで別人の思い出のような気がしてならない。それらを見ても、まるで上の空、心に全然響いてこない。右から左にすりぬけていくだけ。それはきっと、ここ最近の自分を取り巻く状況が、最悪だからだろう。本当にどん底にいると、過去も振り返ることができないみたいだ。辛い、苦しい今を乗り越えることができそうにない。

それにしても、自分ではまだ若い、ちっともかわってないと思っていても、10年分確実に時間は経っているわけで、やっぱり年はとっている。少しはふけた。年老いた。このまま中年の、醜くて汚いオッサンになってしまうのか。それはやだな。

30歳になるからといって、全てが劇的に変わるというわけでもない。20代に別れを告げることに、名残惜しさはあんまりない。あれだけ大人になることに抵抗してたあの頃と比べて、不思議なくらい穏やかだ。気づいたら知らぬ間に大人になっていて、それがこれからも続く、ただそれだけなんだろう。

2015年6月6日22時44分

2015年7月14日

僕は、うつ病と診断された。それは人間失格の烙印を押されたようなもの。もはや生きる価値もないと評されたようなもの。

絶望すらない。5種類もの薬を処方されて、睡眠薬や精神安定剤や、いろんな種類のものがあって、これを服用しなければいけないという。このままクスリづけになって、精神がイカレタキチガイになって、廃人になって終わるんだろう。もう生きる意味もない。人間として最低限保っていたレベルのラインが、ぷつりと切れた気分だ。

CoyaNote2015018

うつ病と診断されてから2週間。職場に相談することもできずに、ただ時間だけが無意味に過ぎていった。何もできない。これから先の未来がまったく想像できない。希望がほんの少しも持てない。どうなってほしいとか、こうしたいとか、プラスの要素が何一つわいてこないのだ。もう、人間として終わっている。生きていないに等しい。

2015年7月18日

CoyaNote2015019

うつ病と診断されて1ヶ月半。症状に改善は見られず、周囲に打ち明けることもないまま、時間だけが無駄に流れた。この間、仕事をしているという、生きているという実感が全く持てていない。職場に行くだけで、不安と緊張、恐怖で動悸がして、心臓がおかしな動きをする。まともじゃない。異常だ。ろくに働けない。それでも仕事はどんどんと増えていく。新しい、厄介な案件が次々に襲いかかってくる。

終業時刻を迎えると、まだやり残してる仕事もあるはずなのに、逃げるように職場を飛び出し、電車に駆け込む。どうにか今日も死なずに生き延びられたと思いながらも、心はほんの少しも安らぐことはない。いつまでもいつまでも、不安や懸念、恐怖が頭から消えることはなく、休まらない。夜は睡眠薬がないと、まともに眠ることができない。熟睡してリセットなどできないままに、すぐにまた朝がやってきてしまう。それの繰り返しで、本当に生きていない。

2015年8月24日

CoyaNote2015020

それを、できないです、無理ですと、一言伝えられれば、ほぼ終わり。それができないから、人生が終わり。

どーすんの? 死ぬしかないの?

CoyaNote2015021

このまま消えてしまった方が、楽かもしれない。

CoyaNote2015022

甘いパンを食べると、たちまち腹を壊す。下痢になる。糖分がいけないのか。特にクリームがいけない。栄養のバランスなんて無視した、空腹を紛らわすだけの食事。なんて貧相な、不健康な食生活だろうか。ゆるやかな自死だ。

2015年8月25日

CoyaNote2015023

今日は急にひんやりと涼しくなって、夏の終わりを感じさせた。というか、そもそも夏なんてあったのだろうか。夏とは何か。もはや季節を感じる能力がなくなってしまった。なにもかもがむなしい。生きているという実感がわかない。なにもする気がおきない。生きるのが恐い。

CoyaNote2015024

うつ病を抱えたまま仕事をするのは、とても辛い。用を済ませるために、他人と会話をするのが、息苦しくて、とても怖い。今日は始業早々に居眠りをしてしまい、それがバレた。怒られているということが自覚できない。認識してない。

もうだめだ。

2015年8月26日

CoyaNote2015025

職場に着くだけで、心臓が異常な脈の打ち方をする。なにをするにも、力を込めて踏んばらないとできない。恐い。

2015年8月28日

CoyaNote2015026

面と向かって対話するのが一番きつい。相手がいると思えず、まるで壁に向かって話しかけているような感じがする。考えがうまくまとまらず、舌がもつれてうまく発声ができない。会話が噛み合わない。自分の言いたいことが伝えられず、相手に理解してもらえない。辛い。

CoyaNote2015027

ますます追い詰められていく。その一言一言が、うつ病であることを打ち明けられなくする。とてもじゃないが、今こんな状況で病気だなんて言うことがはばかれるには充分すぎるプレッシャー。

仕事はどんどんとたまっていく。次々と新しいやつが襲いかかってくる。辛い。どれをやろうとしても、それが悪い方に進む気がして、恐くなって、結局何一つ手につかない。苦しい。

2015年10月1日

CoyaNote2015028

大丈夫、おしっこはキレイだ。
おしっこはキレイだから、大丈夫。
精神はどうだ。
心は、ぽきりと折れたままだ。
うつ病を抱えたまま、仕事をするのはとても辛い。
表面では笑っていながら、
その裏側では、苦痛で顔がゆがんでいる。
泣くことすらできないままに、
呼吸を荒くしながら、うつむき、落ち込んでいる。

2015年10月7日

CoyaNote2015029

前立腺炎と診断されてから、今日でまる1年が経った。一度は痛みを忘れ、治ったかのように思えたが、今年の1月中旬くらいから再び痛みがぶり返してきた。しつこくて、波があり、膀胱が圧迫される苦しみにずっとさらされてきた。最近では、頻尿もひどい。

そしてその間に、うつ病になった。前立腺炎は、精神的な部分が原因になることが多く、おそらく両方の病気は密接に関わり合っているのだろう。

数多くの薬を処方され、すっかり病人になってしまった。それなのに、表向きは平静を装っている。まるで何事もないかのように仮面をかぶって、仕事をしている。それはとても辛い。でも、結局職場に打ち明けることができないまま、ここまで引き延ばしてしまった。もう今更、病気を相談するなんてできないだろう。遅すぎる。

最近は、朝がとても憂うつである。睡眠薬のせいで眠くてボーッとして、そして職場に行くのに緊張する。今日もまたなにか悪いことが起こるんじゃないかと、びくびくおびえている。そしてたいてい、悪い予感は当たる。怒られている間は、頭の中が真っ白になって、思考が停止してしまう。

終業時刻になると、職場から逃げるように飛び出し、電車に乗る。今日もなんとか死なずにすんだと。そして家に帰ったら、つかれて寝るだけ。人生を楽しむ余裕など一切ない。ほとんど生きていない人間。半分死んでる。

2015年10月31日

CoyaNote2015030

睡眠薬がないとろくに眠れない体になってしまったのさ。

2015年12月2日

CoyaNote2015031

私は人間として失格です。欠陥品なのです。

2015年12月9日

CoyaNote2015032

朝から、報告書の数字が違うと怒られた。ほんの小さなことなのに、それをずっと引きずってしまう。「指示されたとおりにやっただけ」という、小学生みたいな言い訳をしている。だめだね。これじゃ。

2015年12月10日

CoyaNote2015033

世の中には死んでいい命がある。それがわたしだ。

2015年12月13日

CoyaNote2015034

ここ最近は、休みの日になるとほとんど一日中寝ている。ほんとに一日中だ。もはや人間として生きていない。

2015年12月14日

CoyaNote2015035

明日からまた仕事だ。いやだな。行きたくない。職場に鬼が帰ってくる。きっとまた、いろいろとネチネチ、ガミガミ怒られるのだろう。悪い予感は必ず当たる。もう死にたい。

CoyaNote2015036

打ち合わせの開始時刻を間違って伝えられていたため、遅刻した。恥をかいた。どうやら人間として扱われてないようだ。

見積もり書の内容がおかしいため、契約依頼が出せなかった。少し考えればわかることなのに、何も考えずに機械的にやってるからこうなる。やっぱり人間じゃない。

2015年12月15日

CoyaNote2015037

言われたこと、指示されたことができないんじゃ、仕事なんて辞めてしまえよ。イスに座ってただボーッとしてるだけ、やるべきことをやっていないんじゃ、存在自体が無意味だ。

2015年12月17日

CoyaNote2015038

カチャカチャとキーボードを叩く音と、電卓を叩く音が恐い。ノイローゼになりそうだ。

CoyaNote2015039

遺書を書く練習でもすれば

CoyaNote2015040

自分では相談したつもりでいても、相手にそうとってもらえなければ、意味がない。

相談するのが恐い。一つなにか相談すると、10倍、100倍になってネチネチと怒られるのが目に見えているからだ。

2015年12月18日

CoyaNote2015041

うつ病のせいで、口内炎ができた。舌先がしびれてとても痛い。ペンチでつぶすか、針で穴を空けてしまいたいくらい痛い。

うつ病のせいで、頭も痛い。左半分の血管がパンパンにつまっているみたいだ。

CoyaNote2015042

今年の業務が終わった。どうにか死なずに生き残ることができたというのが正直な感想だ。しばしの休みは、しかし安堵感や解放感を与えてはくれない。少しも心が安らかにならない。ただ、拷問が、地獄の苦しみが、一時的に止まっただけで、年が明けたらまたすぐに再開されてしまう。新しい年に、希望などまったくない。

2015年12月26日

2016年

CoyaNote2016001

なんとか病気のことを打ち明けた。この後のことなんて知ったこっちゃない。サイは投げられた。

2016年1月19日

CoyaNote2016002

なんだか、事が大きくなりそうで恐い。病気のことが人事にバレた。昇任が取り消されるかもしれない。一般的に考えて、うつ病の者、仕事が負担で病気になっている者を責任ある役職につけさせるはずがない。

これからどうなるんだろう。

2016年1月20日

CoyaNote2016003

産業医との面談があった。カウンセリングの必要があるとのこと。なんだか、事がとんとん拍子ですぐに進んでいってるのが恐い。いつ職場にバレるんだろう。

2016年1月21日

CoyaNote2016004

カウンセリングに意味はあったのか。
信じられないくらいのミスを犯して、自分を殺してしまいたい。
次々と新しい仕事、厄介な奴が、敵のように襲いかかってくる。

2016年2月23日

CoyaNote2016005

どうせ捨て去るだけの2月29日。無駄に過ごして終わる。1日長くなるのは辛いだけだ。

CoyaNote2016006

3月になった。けれど区切りにはならず。心は重い。

2016年3月1日

CoyaNote2016007

「子供みたいな言い訳しないでよ」2016年3月30日

CoyaNote2016009

自分では、普通に仕事をしているつもりでも、傍からみると何もしてないのと同じ。さっきから同じエクセルを何度も開いて、何がやりたいの。

2016年4月5日

CoyaNote2016010

うつ病になるくらい思い悩んだ案件が、他人に渡った。もっと早くにそうしていればよかったのに。
だがこれでうつ病が治るというわけではない。重い気分は変わらない。もうだめなんだろう。
消えてしまいたい。

2016年5月12日

CoyaNote2016011

うつ病は治らない
休みたい
いつまでも眠っていたい
もう職場に行きたくない
辛い
何をすればいいかわからない
何をしても怒られる気しかしない

ホウレンソウが仕事の基本だと教えられた
でもそれができない
ホウレンソウするのが恐い
ホウレンソウすると
10倍、100倍にもふくれ上がって
叱責されそうな気がする
何をするのも怖い
やる気がしない
気力が出ない

思考力 集中力 判断力 決断力
そういったものが全て失われてしまった
頭の中が真っ白になって
パニックになって
呼吸が荒くなって
心臓が変な鼓動を打つ
もうだめだ
死んでしまった方が楽かもしれない

CoyaNote2016012

「期限を決めないでダラダラやってるから、結局空中分解してしまった。何のことだか分ってるの?」

CoyaNote2016013

「グズノロ何をボサッとしてる。自分で考えられないのか。全体の流れを見て仕事ができないのか。」

CoyaNote2016014

「電話は営業。そんなしゃべり方じゃ相手は興味を失う。」
「窓口営業じゃやっていかれない。」

CoyaNote2016016

休職のための診断書を手に入れた。休もう。このままじゃ、本当に壊れてしまいそうだ。

2016年6月4日

CoyaNote2016017

CoyaNote2016018

30歳が終わる。最悪の、どん底の1年だった。うつ病になり、仕事がまともにできなくなってしまった。毎日毎日、その日をどうにか死なずに過ごしていた。

でも、そんな日々に終わりを告げなければいけない。

休職の診断書をもらったから、仕事を休む。そうでないと、症状がよくなることはないと思う。もう疲れた。職場に行くのが恐いし、仕事をするのも辛い。ずっと眠っていたい。何も考えずにボーッと1日を過ごしたい。追いつめられ、追い込まれ、このままでは心が壊れてしまいそうだ。いや、すでに半分くらい壊れている。

とにかく休む。明日から31歳だけど、そんなことは関係なしに、休みたい。それしかない。

2016年6月6日20時31分

CoyaNote2016019

31歳の誕生日、今日から病気休暇を取得した。とりあえず6月末まで。しかし、あまりにもあっさりと休みになって、仕事とは何なのか、考えてしまう。所詮病休も事務的に進めていくということなのか。

いずれにしても、明日からはしばらく職場に行かなくてすむ。それがとても安心できる。ゆっくり休んで、病気を治したい。むさぼるように眠りたい。緊張しながら仕事をするなんて、もうやりたくないよ。

2016年6月7日

CoyaNote2016020

うつ病の病気休暇1日目。ずっと寝てた。体を動かす気がおきない。ずっと眠っていたいけど、腹は減る。これからどうなるんだろうか。

2016年6月8日

CoyaNote2016021

病気休暇2日目。今日もずっと寝てた。やることがない。

2016年6月9日

CoyaNote2016022

病休3日目。外出してみた。疲れた。人ゴミが苦手だ。

2016年6月10日

CoyaNote2016024

ほぼ徹夜で、ノート1冊の打ち込みを終えた。でも、そんなことして何になるというのだろうか。

CoyaNote2016026

診察に行って、7月末までの休職の診断書を手に入れたぜ。これで大手を振って休める。

2016年6月18日

CoyaNote2016027

6月が終わる。今年も半分が終わったわけだが、現状はどん底そのものだ。うつ病になって仕事を休職している。毎日寝てばかりいる。起き上がって何かをする気力、体力がない。このまま社会復帰できないかもしれない。

2016年6月30日

CoyaNote2016028

うつ病と診断されて1年。休職して1ヶ月が経った。ほぼ1日中、ダウンしたみたいに寝てるだけで、これで治っているのか、実感がもてない。時間を無為にしているような気がして仕方ない。少しは生産的なことをしないと、勿体無い気がする。ギターの練習を本気でするとか、絵を描くとか、やることはあるんだから、気力を出してそれに取り組めばよいではないか。

心のリハビリをしないと、社会復帰などとうてい不可能だ。

2016年7月7日

CoyaNote2016029

うつ病で休職して早や2ヶ月。最近は、睡眠のリズムが乱れて、夜寝つけずに、昼間に眠ってしまう。辛い。暑さもあって、体がすごく疲れている。辛い。

もう社会復帰なんて無理なのかもしれない。

2016年8月7日

CoyaNote2016030

うつ病で休んでもう3ヶ月。9月末には、病気休暇の期限も切れて、病気休職という次の段階へ進んでしまう。給料は8割に減らされ、体面上もまずい。

もう二度と復帰なんて無理なのかもしれない。

2016年9月7日

CoyaNote2016032

2016年が終わる。今年は人生の中でも最悪の1年だった。うつ病で約半年間、31歳になってから一切働いていない。その間、まるで廃人のような生活を送っている。自分の人生があまりにもみじめで可哀想に思えてきて、自殺も考えた。いいことなんてなに一つない1年間だった。それは来年も続くのだろう。すぐに病気が回復するとは思えない。来年の目標は復帰することだけど、それもいつになることやら。

とにかく暗く、辛いだけの1年だった。

2016年12月30日

2017年

CoyaNote2017001

ギターを始めて今日でまる20年。なのになにもしなかった。寒さをすぐに言い訳にする。まじめに毎日練習していれば、今頃どれだけ上手になっていただろう。

もうだめだ。とても職場復帰なんて不可能だ。

2017年2月11日

CoyaNote2017002

2016年度も今日で終わる。わずか2ヶ月でダウンしてリタイヤ。その後はずっと自宅療養を続けている。僕がいなくても、仕事は何事もなかったかのように回っているわけで存在価値なんて皆無に等しい。負け犬め。

たのみのリワークプログラムもすぐには開始できなくて、もう毎日に生きる意味が見出せない。もう社会復帰なんて不可能で、このまま朽ち果てて終わるだけかもしれない。

2017年3月31日

CoyaNote2017003

31歳になった日から休職してまる1年、31歳の最後の日からデイケアに通うこととなった。人付き合いがおそろしく苦手なのに、たくさんの見知らぬ人の中に放り込まれるのは苦痛である。

いきなりラジオ体操から始まって、料理教室、卓球とやって疲れた。これから先やっていけるのだろうか。いや、やっていかなければならない。廃人から人間に戻るための訓練だ。必ず3ヶ月で復職してみせる。

それにしても、休職して1年か。早かったし、何もしてこなかったな。貴重な、二度と戻らない31歳という1年間を無駄に過ごしたことになる。それがひどく悔しい。辛い。明日から次の年齢が始まるが、目標はもちろん復職だ。

2017年6月6日23時25分

CoyaNote2017004

32歳の誕生日に、デイケアでお料理してDVD鑑賞している自分が情けない。昨年1年間をムダにしてしまったことをふまえて、なんとしても早期に復職しなければならない。

2017年6月7日

CoyaNote2017005

パワーハラスメントに苦しめられて、今度はパワーコードに苦しめられる。

2017年6月8日

CoyaNote2017006

僕は障害者
精神障害者
今日障害者手帳をもらってきた
紛れもない障害者

CoyaNote2017007

3ヶ月におよぶリワークが今日で終わった。長いという感覚はなく、あっという間といった感じだ。お料理教室から始まってグループワークやレポート作成など、いろいろやった。でも人間的な本質は全く変わってないような気がする。はたしてこんなんで、復職できるのだろうか。

次は職場復帰プログラムであるが、すぐにというわけにはいかないようだ。早く、一日でも早く復帰しなければ、いろいろなことに支障が出てくるというのに。

とにかく、クリニック通いは終わった。

2017年9月8日

本日の教訓

予定は前もって上司に伝えておくこと。当日になって言わないこと。何事も事前に根回ししておくことが重要。コミュニケーションというのは難しいですな。

2017年10月4日

本日の教訓

出戻ったら、上司に報告すること。

2017年10月5日

CoyaNote2017012

このクズが!!何で指示通りに動けないんだよ!!バカなんじゃないの!?死ねよ。

2017年11月14日

CoyaNote2017015

今日から正式に復職。辞令交付式なんて仰々しいものはなく、夕方に課長から一枚紙切れを渡されただけ。そっちの方が気を使わなくって楽だ。

さっそくエクセルで書式を作ったりと、いろいろ業務はありそうだ。

それにしても、今年中に復帰できて本当によかった。1年全く働かない年ができることは回避できた。よかった。

2017年12月1日

CoyaNote2017016

今年ももう終わり。今年は廃人から人間に戻るための訓練をした年だった。クリニックでリワークを3ヶ月、職場復帰訓練プログラムを2ヶ月やって、なんとか12月から復帰できた。今のところはどうにかやっている。

来年は少しくらいいいことがあるといいな。

2017年12月30日

2018年

CoyaNote2018001

2015年6月5日にかけた呪いを、どうにか解くことができた。とにかく描くことだ。描くことこそが、真実に近づける唯一の方法である。

2018年5月27日

CoyaNote2018002

あれこれ何を描こうかと悩んだ末、過去と訣別するための絵を描くことにした。このイメージを描いたなら、新しい一歩を踏み出せるような気がする。

2018年6月2日

CoyaNote2018003

今日で32歳も終わり。32歳、その前の31歳と、よくないことが続いた。なにせ31歳になった誕生日のその日から休職したのだから。その後、1年前の今日、すなわち31歳の最後の日からリワークに通い出し、32歳を迎え、職場復帰訓練プログラムを経て、どうにか復職して今に至る。しかし現状もあまり芳しくない。どうしてそんなにと疑問に思うくらいミスを連発している。そりゃ、1年半もまともに働いていなかったのだから、事務処理能力が衰えるのも仕方ないか。とにかく、31歳から32歳にかけては、ほとんどまともに仕事をしていなかった。人間として終わりかけの、廃人寸前であった。そんな状態を、この悪い流れを断ち切り、新しいスタート、良い方向に持っていかなければならない。そのためには、今こそ、短歌と絵を融合させたものを創らなければならない。思えば、3年前に呪いをかけた時から、全てがおかしくなったのだ。創作を禁じてしまったおかげで、どこかで心のバランスを崩して、病気になってしまったのだと思う。創作は表現手段ではなく、健康維持のために必要なのだ。下手くそとか、恥ずかしいとか、痛々しいとか、青くさいとか、そんなことを気にしている余裕などない。創作しないと死んでしまいそうだ。とにかく明日、まず短歌を詠む。そして、それに合わせた絵を描く。そうやって、33歳を創作によってスタートさせることだ。未来のことはわからないけれど、いいことがあるようにと願いや祈りを込めて、創作する。

悪いものは全部、32歳とともに捨ててしまおう。

2018年6月6日

CoyaNote2018004

お誕生日おめでとうって言ったのに、なんの反応もない。もう嫌われていることなんてわかっているのに。

CoyaNote2018005

文章を書くことがとても苦しい。思ったことがうまくまとめられない。もうだめかもしれない。

2018年8月4日

CoyaNote2018006

うつ病を抱えながら仕事をしている。とても辛く、苦しい。毎日、職場に行くのが恐くて仕方ない。今日は一体どんな悪いことが起こるのだろうかと、びくびくしながら電車に乗っている。

CoyaNote2018007

今患っている病気をテーマに短歌を詠みなさい
どうせ治らない病なら、それすら創作の霊感源にしてしまいなさい
うつ病、乾癬、前立腺炎

CoyaNote2018008

久し振りに絵を描いたら、これがまあ下手クソなこと。下手というよりキモイ。どうしたらこんなに下手クソでキモイ絵を描けるのだろうか。それも一つの才能だと言うのは、言い訳にすぎない。

もう絵を描くのなんてやめてしまおうか。その方が自分のためにもなる。

2018年8月9日

CoyaNote2018009

下手な絵は下手にしか描けない。それも才能だ。上手い奴に、下手な絵は描けない。

CoyaNote2018010

描くことは辛い。生きることも辛い。
じゃあ、何で描くのか。何で生きるのか。
答えなんてどこにもないし、誰も教えてはくれない。

CoyaNote2018011

昨日に引き続き、午前中を寝て過ごしてしまい、慌てて午後に絵を描く。短時間だけど、それなりのが描けた。さて次は何を描こうか。

2018年9月2日

CoyaNote2018012

なんとか、どうにか大丈夫だと思うこと、思い込むこと。ポジティブに考えていれば、物事はよい方向へと導かれていく。

CoyaNote2018013

眼の描き方にどうも問題がある。目玉焼きみたいな形をした眼がいけない。魅力的に見えない。

写実的、といってもデフォルメしている時点で写実的ではないのだが、そのように描こうとしても、いい絵にならない。ここは、イラスト的に、黒く小さな点で眼を表現してみたらどうだろうか。眼を意味する記号としての点。それに口もだ。写実性から脱して、イラストタッチの絵画へ。

CoyaNote2018014

君への想いは伝わっているのだろうか。いくら言葉を重ねても、返ってこなくては意味がない。もうだめなんだろうか。

CoyaNote2018015

過去は振り返るもんじゃないな。いろいろと思い出して辛くなる。

CoyaNote2018016

描きたいという欲求はある。しかし、描きたいイメージが定まらない。フワフワしたイメージを掴み取ることができないでいる。

過去に描いたラクガキみたいなものを、イメージとして今絵にすることに何の意味があるのだろうか。過去にいつまでもしがみついていても仕方ない。大切なのは今だ、未来だ。新しいイメージを描け。

CoyaNote2018017

うつ病は心の病気だから、気の持ちようでどうにでもなる。そう思わないとやっていられない。

CoyaNote2018018

果たしてそうだろうか。過去のイメージをきちんと絵にしておかないと、消化されずに残ってしまう。一度でもこの世界に存在させたイメージは、最後まで責任をもって完結させなければならない。そういう考え方もあるのではないか。

過去のイメージを、しっかりと絵にすることも大切であろう。

CoyaNote2018019

絵を描く行為そのものに楽しみがある。描く対象はさほど重要じゃない。

CoyaNote2018020

もっとイメージを。描きたいイメージをください。

CoyaNote2018021

カンヴァスサイズの矩形をつくる。すっと直線を引く。その行為だけで、陶酔できる。黄金比の美しい矩形が出来上がれば、それは簡単な創作だ。

CoyaNote2018022

描けないし、書けない。描きたいイメージが浮かんでこないし文章も思いつかない。ネタ切れ、創作ができなくなってしまった。

CoyaNote2018023

また拉麺を食べてしまった。味の濃くて、脂っこい毒物を。食べた後に絶対後悔するとわかっていても、食べたいという欲求を抑えられなかった。愚かなことだ。

CoyaNote2018024

こうしたい、こうありたいという願望があるなら、それに従えばいい。自分の人生だ、自分で決めなさい。

CoyaNote2018025

うつ病がまた悪化しそうになっている。仕事が重なって、それも難しいものばかりで、嫌になってしまう。考えても答えが出せずに、思考停止してしまう。

CoyaNote2018026

空白を前にして、何を描けばよいかわからない。何を書けばよいかわからない。

CoyaNote2018027

描くイメージが思い浮かばない。
病気で苦しむ姿など描きたくない。

CoyaNote2018028

ジェッソの塗り方が下手くそで、こういうところからも技術の未熟さが現われている。ジェッソも上手く塗れない奴に、絵の具が上手く塗れるはずがない。

CoyaNote2018029

絵の具が垂れる。ダラリと、ドロリと垂れる。まるで、乾癬のかさぶたをはがした後に、血が垂れるように。

CoyaNote2018030

久し振りに絵を描いた。最近うつ病がひどいから、その治療として。背景の色を、最初はよかったのに、余計なことをするから、ひどいことになった。なんとか修正できたけど、実力以上のことはできないのだから、分相応の表現に留めておきなさい。

今回は、輪郭線をマジックではなく。アクリル絵の具で、すなわち同質の画材で描いてみたのだが、これが難しい。油絵の時はもっとうまくできたのに。

とはいえ、これでまた一つ、長い間くすぶっていたイメージが絵として表現できてよかった。

2018年11月24日

CoyaNote2018031

不安感、抑うつ症状が見られる。その通りだ。仕事をするのが恐い。人とコミュニケーションをとるのが恐い。何かすると、何かしても怒られるんじゃないかと怯えている。

やらなければいけない仕事は山のようにあるのに、何一つ手がつかない。怠慢と言われればそれまでだが、一つのことをやるのにとてもエネルギーを必要としていて、それが足りない。いろんなことが重なると、パニックになって、結局何もできなくなってしまう。

体全体を膜のようなもの、ダルさと重さの原因となるものが包んでいて、それによって動けない。動くのにものすごいエネルギーが必要で、そんな力はもう残っていない。

CoyaNote2018032

両耳にかさぶたができて、ストレスがたまると引っ掻いてしまう。血が出る。ドロリとした濃いものや、つゆのようにサラサラしたものまで。指先についた血のにおいをかぐと、なぜだか安心する。鉄のにおいにも似た血のにおいは、死のにおいだ。死のにおいをかぐと落ち着くのは、どこかで死を望んでいるからではないか。

CoyaNote2018033

うつ病のせいで早朝覚醒してしまい、朝4時に目が覚めてしまった。そのまま、絵を描いた。下絵の方がよいだなんて思わないことだ。朝10時には仕上がった。

CoyaNote2018034

チェロのボディーの形、特にくびれ具合とその色が、まるで落ち葉みたいに見えたので、絵を描きたいとずっと思っていた。長い間温めていた構想を、ようやくイメージできたのはよかった。

CoyaNote2018035

これからどうしよう。どうなるんだろう。どうしたいんだろう。仕事で、やらなければいけないことがたくさんあるのに、何一つ手につけられていない。山のように積み上がっていく仕事。押し潰されそうだ。

CoyaNote2018036

とにかく素早く反応して動くことだ。後回しにしているから仕事がどんどんたまっていくんだ。その場でやれば5秒で済むことを、どうしようと迷って悩んで、そうこうするうちにチャンスを逃してしまう。そうすると、その仕事はまるで重たい石みたいに心にずしりとのしかかってきては、僕を苦しめ続ける。辛い。

CoyaNote2018037

乾癬という病気にかかった。腕の皮膚が、虫刺されみたいに赤く腫れ上がって、それはそれは汚くて醜い姿だ。かゆみはないのだが、気になってつい引っ掻いてしまう。すると、かさぶたのような白いものがはがれて、血が出る。ダラリと、ドロリとした濃い赤紫色の血が、傷口から滴り流れる。引っ掻いては流血し、かさぶたになる。これのくり返しで、1年以上経った。ようやく皮膚科に行って、病名を与えられて、薬も処方された。飲み薬と塗り薬で、だいぶよくはなってきた。しかし、シミのように赤く残った跡が、なかなか消えない。まるで、一生腕に残るタトゥーのように。

皮膚を引っ掻いてしまうのは、精神的になにかの障害をかかえているからだそうだ。結局、原因はうつ病である。もっというと、ストレスが諸悪の根源だ。仕事で、ストレスがたまり、それがうつ病となり、前立腺炎となり、乾癬となった。ストレスにやられた。病気だらけのボロボロの体で、それでも仕事をしないといけない。拷問のようだ。自分で自分を苦しめている。辛い。

病気と向き合う

うつ病になった。正確には適応障害か。いずれにしても、精神障害である。仕事のストレスで、発症し、1年半も休職した。自分のキャリアはもう終わったに等しい。出世なんてもう無理だ。

最初の兆候は前立腺炎だった。ある日、突然、下半身の右側、太もものつけ根あたりが、なにかに圧迫されるような痛みを覚えた。当初はがんさえも疑った。自分は前立腺がんか膀胱がんで死ぬんだと、そう思った。病院へ行くまでの道のりは、まるで死への道行きのようだったし、診断を下されるときは、死刑宣告を受けるような気分だった。

結局がんではなく、前立腺が炎症を起こしているということだった。よかったのかどうかはわからないけれど、がんではなかった。だけど、尻の穴に指を突っ込まれて、触診されて、痛くて恥ずかしくて、精神的に参ってしまった。

それ以来、下腹部の、股間の痛みとの闘いだった。右太ももが、熱を帯びたように腫れ上がって、臓器が膨れ上がって、押しつけるような痛みと、ピリピリするようなかゆみが、波のように、くり返し続いた。ストレスを感じるとそれは特にひどくなり、痛みは腰や脇腹や背中にまで広がった。

同時に、頻尿もひどくなった。1時間も我慢できずに、すぐにトイレに行ってしまう、小便をすると、患部が痛み出し、排尿をするのがとても辛かった。それが終わると、少しだけすっきりして、痛みは治まった。

漢方薬とかいろんな薬を飲んで、なんとか治ったと思いたい。というよりも、もはや半分くらい病気を放置している。一時に比べて、痛みはだいぶやわらいだし、もう大丈夫だろうと思いたい。

でも、いつまた再発するかはわからない。ストレスがたまり、精神的にやられると、この病気はやってくる。今でも頻尿は続いている。

そして、うつ病になった。仕事をするのが、職場に行くのが恐くなり、なにをしても悪いことしか起こらない気がして、精神的に追いつめられてしまった。まさかそれだけは、そんなことにはなるとはと抵抗はあったけど、最終的には精神科を受診することになった。そしたらあっさりとうつ病と診断された。それは死刑宣告にも等しいものだった。人間として失格なのだと思った。欠陥品。役立たずのポンコツの烙印を押されたような気分だった。

精神安定剤や抗不安薬、睡眠薬など、いろんな薬が処方されて、僕は立派なうつ病患者になってしまった。診断書も出されたが、職場に打ち明けることはできなかった。うつ病を抱えたまま、拷問のように辛く苦しい毎日を送ることとなった。職場に行くのが恐かった。仕事をするのがきつかった。

やっと病気を打ち明けたのは、半年以上経ってからだった。少し肩の荷が下りたようで気持ちが楽になった。

それからしばらくは、なんとかやってこられた。自分はうつ病なんだということを免罪符にしていたところもある。自分のキャパシティーを超えた案件も他人へと渡って、このままなんとかやっていけると思った。

しかし、31歳の誕生日から、休職してしまった。耐えられなかった。我慢できなかった。逃げてしまった。甘えだと思う。結局自分は心が弱かったのだろう。とにかく、うつ病で病気休職という屈辱を味わうこととなった。

休職して1年間は、ひたすら眠っていた。やることもなく、というより、なにもする気力がなく、エネルギー切れであった。この間は、創作することもできずに、ただ呼吸をするだけの最低の生活を送っていた。

うつ病になって、死も考えた。自殺してしまえば、全てなくなって楽になれるのではないかとも思った。それでも死ななかったのは、この世にまだ未練があるからなのだろうか。

そして、31歳最後の日から、デイケアのリワークに参加することとなった。社会復帰というよりも人間に戻るための訓練であった。お料理をして、ヨガなどのエクササイズをして、それまでの引きこもりから社会へと戻る練習を3ヶ月かけて行った。

リワークを終えると、職場に通勤して仕事の前段階を行う職場復帰訓練プログラムとなった。1年以上も仕事から遠ざかっていたから、事務能力は著しく低下していた。ひたすら書類をチェックしていく単純作業で、つまらなかった。

2ヶ月職場復帰訓練プログラムをやって、12月から復職となった。休職から1年半もかかってしまった。失われた時間はもう二度と取り戻すことはできない。なんて無駄なことをしてしまったのだろうか。あの時逃げずに、もう少し耐えていれば、我慢していれば、未来は変わっていたのだろうか。いや、いずれにしてもどこかでダウンしていただろう。あれが限界だった。

病気はまだ続く。両腕に乾癬ができた。赤く腫れ上がり、盛り上がったかさぶたのようなものが、ボツボツとできて、それは汚く醜いものであった。かさぶたが気になって、引っ掻いてしまうと、赤紫色の血がドロッと流れた。つい引っ掻いてしまうのは、強迫性皮膚摘み取り症という精神障害で、結局うつ病が原因だ。赤いシミのような乾癬は、刺青のように一生腕から消えないのだろうか。

そしてまた、うつ病が再発しようとしている。以前と同じような状況となっている。仕事が山のように積み上がり、どれから手を付けたらいいのか、何をすればいいのかわかなくてパニックになってしまう。相手の言ってることが理解できないし、自分の言ってることも支離滅裂である。再びダウンしてしまうのだろうか。状況は予断を許さないくらい厳しいものである。

病気と向き合うこと、それは自分自身を見つめることかもしれない。なぜ病気になってしまったのか。自分の生活を省みても、あまりにもひどくて悲しくなる。自分を大切にしないから、こういうことになるのだ。体からのSOSに耳を傾けようとせず、無茶なことばかりするからこうなる。

病気は治るのだろうか。時々、もう一生治らずにこのままなんじゃないかと思うことがある。このままずっとうつ病を抱えて生きていく。想像もしたくないけれど、現実的にありえることだ。

病気と向き合う。逃げたり、諦めたりせず、真剣に治そうと努力する。それしかないのか。未来がどうなるかなんてわからない。少しでもよくなるだろうと信じるしかない。

病気と向き合う。病気は治る。治す。もう病気とはおさらばだ。

第14冊ノートを終えて

このノートを終えるのに約4年かかった。それは病気とともにあった4年間でもあった。

前立腺炎。前回のノートの終わり頃から発症したこの病気に苦しめられた。痛みと頻尿、下半身を襲う病気が続いた。

そしてうつ病。休職にまで追い込まれた。休職期間中の日々は断片的につづったが、それは地獄のようなものであった。結局絵は1枚も描けず、うつ病の苦しみを表現することはできなかった。仕事を休むという大きな出来事があった。もう人生のレールから外れたようなものだ。社会的に死んだも同然。そしてうつ病はまだ続いている。いつ再発するかわからない。

さらに乾癬。腕に赤いシミのようなものができて、ひどく汚くて醜い。キモい。

これら病気の原因は、全てストレスにある。ストレスを上手にかわす術を知らないから、こういうことになるのだ。少しは自分を大切にしようという考えが起こらないのだろうか。

病気とともにつづったノート。それもやっと終わる。次のノートが記す日々は、どんなものになるのか。今よりは少しはましなものになっていてほしいと、切に願うばかりである。

2018年12月8日 プラス思考でCoya