第18冊ノート(2023年7月27日~2023年10月31日)

2023年

CoyaNote2023005

鉛筆で描線を引き、ペンでなぞる。消しゴムをかけて鉛筆の線を消す。輪郭線だけとなった絵の中を、色鉛筆や絵の具で塗っていく。いつもの、変わり映えのしない塗り絵の技法による表現だが、ここで少し考察してみよう。

鉛筆での線描は、形の模索。何本も引かれた線の候補の中から、これだと思う最適な一本を選ぶのが、ペン入れの段階。ここで線と形が決定する。

そしてこれまで見過ごしてきたのだが、消しゴムをかけると、ペンの色が薄くなるのだ。黒々と、くっきりとつくられた形が、少しぼやけてしまう。

色を塗ると、主役は色になるのだし、どのみち輪郭線を目安に色が形を持つのだから、輪郭線はあまり目立つべきではなく、この現象はむしろ歓迎すべきとの考えもある。

しかし、偽善的な絵画を目指すのであれば、輪郭線のもたらす効果は無視できない。現実にはない、見えない輪郭線を描くことでこそ、その絵画は現実非再現的な、つまり偽善的なものとなれるのだ。その効果は、輪郭線が濃く、くっきりとしていればいるほど、大きいように感じられる。そうであるならば、消しゴムをかけることで、輪郭線の存在を薄めるべきではないようにも思われる。

問題は、輪郭線の「濃さ」ではなく「太さ」にあるようだ。太ければ太いほど、偽善性は高まる。薄くても、太ければ支障ないのではないか。

色塗りが終わった後の、最終的な仕上げの段階として、もう一度輪郭線を、濃く、そして太くなぞること、それは色の塗りの失敗を全て覆い隠す決定的な行為なのだが、それをすべきかどうか。答えはまだ出せていない。

2023年8月9日

CoyaNote2023006

自分の人生は、もうとっくに消化試合であることくらいわかっている。これから先の大逆転なんてありえないし、どうやったってもう大勢は決まっている。順位や優勝争いになんらの影響も与えない。それをおとなしく受け入れて、消化試合の人生をやりすごしていくしかない。

消化試合には、消化試合なりの楽しみ方がある。観客も監督も、誰一人勝利など期待していないから、プレッシャーや緊張感とは無縁で、のびのびとプレーできる。来シーズンに向けて、若手や新戦力を積極的に起用して、新しい戦術を大胆に試すなど、他ではできないことも可能だ。見据えるべきは来シーズン、つまり来世であり、現世にはもうなにも望めない。期待などできないし、してもいけない。

ただ一つ、大切なのは、相手に迷惑だけはかけてはいけないということだ。怪我などさせては絶対だめだし、一方的にやられ過ぎて調子を狂わせてもいけない。あちら様は、優勝争いや個人タイトル争い、その先のポストシーズンまで、大事な試合がめじろ押しなのだ。一つも無駄になどできない。そんな相手様の迷惑とならないよう、程よいスパーリング相手、アテ馬、かませ犬として生きていくのが、残された人生の唯一の使命だ。いつでも死んで問題ない。

2023.10.18

CoyaNote2023007

先日、長らく途中のまま放置していた切り紙絵をようやく完成させた。久し振りの切り紙絵制作ということもあり、忘れていたこともあったが、その一方で新しい収穫もあった。ここで簡単にまとめておいて、今後の創作の指針としたい。

玉眼技法の応用(ネガ構造の応用)

今までの切り紙絵において、人物の場合、目や口などのパーツを福笑いのように顔の部分の上にのせていくだけであった。いわゆるポジ構造だけであったが、今回初めて、ネガ構造を目の部分に用いてみた。すなわち、目の部分をくり抜いて穴を空けて、その下から白眼(と黒眼)となる部分をのぞかせるという方法を採った。これは、仏像の玉眼という技法からヒントを得たものだ。その結果、黒眼が全部出るのではなく、まぶたで隠れる部分ができ、上下関係、立体感が生まれ、とても活き活きとした眼の表現となった。これはとても画期的なことだ。

さらに、唇からのぞく舌の部分も、唇に切り込みを入れて、舌を挿し込むようにした。これもポジ構造の変形であり、これにより、本当に舌が唇から出ているかのようなリアリティが生まれた。同様のことを、例えば猫の舌なめずりやソフトクリームをなめている姿、てへぺろなどさまざまな描写でできそうだ。

切り紙絵は福笑いではない。紙の彫刻だ。ポジ構造だけではなく、ネガ構造も用いてこそ、豊かな表現が可能となるのである。

紙以外の造形、描画

これまで、切り紙絵においては、紙を切ること意外の造形を排除してきた。しかし今回、新たに色鉛筆を使うことにした。人物のアイシャドウと頬のチークの部分を色鉛筆で表現することで、紙だけでは出来ない新しい描写となった。どうして今まで気づかなかったのだろう、試さなかったのだろうと、不思議に思うほど、当たり前のことように感じられる。

色鉛筆だけでなく、クレヨンやパステル、水彩やアクリルなど、描画材はたくさんある。紙だけで形をつくる、紙だけの表現が切り紙絵ではない。それぞれの強みを統合させることで、最高の表現が出来上がるのだ。今後は他の描画材も積極的に導入していきたい。

輪郭線の登場

これが今回最も大きなことかもしれないが、初めて輪郭線を引いてみた。

これまで、切り紙絵は輪郭線を引かなくとも、色と形の区切りが明確となることが最大の強みだと思っていた。そのため、輪郭線を徹底的に排除してきた。確かに、それにより、画面を決定的に支配する黒い輪郭線の不在で、他の色はそれぞれが輝きを放つことが出来ていた。紋様のある千代紙を使う時などは、それがより顕著であった。

しかし、どこかもの足りない、味気ない、ぼんやりとしていてはっきりしない印象を抱いていたのも確かだ。特に、背景の色が薄い場合、顔の色との区分が明確でなく、浮き上がって迫ってくるものがないと、もどかしさを感じていた。色と色との間に、色を置くセパレーションの効果は、絶大であると改めて思った。

今回、輪郭線を引くことによって、紙による形はより明確となった。こんな簡単なことを、どうして今まで避けていたのだろうか。やはり、自分のスタイルに、輪郭線は不可欠だ。

もちろん、輪郭線を引く際には、最大限の注意を払う必要がある。今回、不定形の切った紙に輪郭線を引く際に、デコボコ、ガタガタしてしまい、きれいな線とならなかった。ペンの使い方の工夫や、場合によっては筆に墨で引いていくことも検討する必要がある。

また、黒い輪郭線の場合、黒い紙では目立たないという問題もある。今回は意図的に茶髪にしたが、黒髪や黒い服などをなぞる際、どうするか。答えは、別の色を使うということになるだろう。髪であれば、ツヤを表す白やシルバー、服であればグレーや茶色など。これは他の色でも同様だ。同系色の色で輪郭線を引くこと。濃い色の輪郭線には薄い色、またその逆など。これは切り紙絵だけでなく、タブロー画など全体の創作にもあてはまる。

黒だけが輪郭線の色ではない。

狭い視野のすぐ横に、答えがある。

今回の切り紙絵制作で、収穫が大いにあった。実験は大成功。表現の可能性の幅が広がった。

CoyaNote2023008

(絶対に訪れることのない虚構のXデー)

絵画における色の差異・輪郭線の有無について

序論

ジェッソを塗り、描線を引き、一部のみ彩色を施したまま長らく放置していたカンヴァス画を、ようやく完成させた。一度間隔が空いてしまうと、途端に制作意欲がなくなってしまう。やはり、抑えきれない衝動に突き動かされながら、休むことなく一気に描き上げないと、絵を描くことは難しい。

今回は、これまで10年ほど続けてきた表現のスタイルを総括し、次の段階へ進むための決算のようなものであった。ここで出された結論をもって、この期間に区切りをつけたい。いかに、簡単にまとめておくこととする。

色の差異、輪郭線の有無

色の差異、輪郭線の有無の組み合わせによって、4つのパターンが考えられ、それぞれどのような表現形式が可能か検討した。マトリクスは以下に示すが、未開拓の領域であったのが、色の差異、輪郭線がともにあるという形式で、この部分を重点的に描いた。

 色の差異
ありなし
輪郭線ありこの領域が未開拓偽善絵画
なし写実絵画切り紙絵
表1 色の差異・輪郭線の有無による絵画領域

結果としては、輪郭線の効果が圧倒的に優位であり、黒い線で縁取られると、色の差異はもはやほとんど役割を果たさないほど軽微になるということがわかった。これは驚くべき発見である。

これまでムラやかすれなど、望まぬ色の差異は色彩の魅力を弱めてしまう忌避すべき瑕疵であるとして、徹底的になくそうとしていた。平面的で均一な色面が広がるもの、デジタルであれば一瞬でいともたやすく可能な表現を、手描きで行うことにこそ。意味や価値があると盲信して、下手くそな技術で色を塗っていた。マットな仕上りが特徴のグアッシュ、アクリルグアッシュにその効果を期待し、透明水彩や色鉛筆での描画においても、色の差異が出ないことを求めていた。それに限界を感じた時に、切り紙絵という選択肢にシフトした。

そしてまた、切り紙絵は、輪郭線もないという特徴を持っていた。色の差異も輪郭線もない表現が切り紙絵であり、今回研究の対象としたのが、その対偶にあたる色の差異も輪郭線もある表現ということになる。

異なる数値が抽出される色を用いて、鼻を描いたり、頬の紅潮を描いたり、唇の艶やかさを表現したり、髪の光沢を表現したり、いわゆる写実的な絵画を試みた。表現力の羽場が広いアクリルグアッシュであれば、それは技術が優れていなくてもある程度可能であり、また筆致を活かして勢いのある描写が、画面に動きやダイナミズムを生み出した。

ここまでであれば、通常の現実再現的な絵画に過ぎず、最後に黒い輪郭線を引くとどうなるかが最大の論点であった。

黒々と太い輪郭線で囲まれた色彩は、あれほど意図して出された差異がほとんど感知されないほど霞み、まるで別の塗りであるかのように豹変した。平面的で均一ではないが、それとほぼ同質のものとなり、造形上の効果は輪郭線が主役となった。

今まで、ムラやかすれをなくそうと躍起になっていたのは一体何であったのだろうか。輪郭線を引けば、色彩の本質は変わらないということが、今回の最大の収穫であった。

そうであるならば、今後は色の差異、特にムラやかすれを気にすることはやめようと考える。それは些末なことであり、色彩のもっと核心的な部分、すなわち色と色との組み合わせや色の美しさ(明度、彩度など)に注力すべきである。言い換えれば、色の差異の有無に関わらず、現実非再現的な偽善絵画が描けるということだ。

ムラやかすれが出にくいからグアッシュ、アクリルグアッシュを選ぶということではなく、このような色彩表現をしたいから、ここではこの描画材を用いるというように、選択に根拠と必然性を持たせたい。

色の差異と輪郭線の有無でマトリクスをつくって4つのパターンに分類し、それぞれに描画材や目指すべき表現をあてはめるという行為は、もはや無意味である。領域を横断し、混交してこそ、真の偽善絵画に辿り着く。

具体的に言うと、タブロー画でもムラやかすれを認め、時にはあえて変化させ(それを俗にグラデーションと呼ぶ)、また、切り紙絵において色鉛筆でアイメークや頬のチーク、唇のルージュを表現したり輪郭線を引いたりといった、手法の融合である。

ジェッソを塗ったカンヴァスでのモノクロ表現

また、今回は、ジェッソを塗ったカンヴァスに黒一色で描いていく手法を試した。背景の色は塗らず、ジェッソの白をそのまま残した。これは以前の水彩・素描において行った表現である。まずグアッシュで画面を均一に塗り地の色をつくった上で、墨やペンで線を引くというもので、新しいスタイルとして当時は気に入っていたが、カンヴァス画で行うことはなかった。実験は大成功で、今後は表現の大きな柱の一つなるものである。

今回はあえて地の色を塗らずにジェッソの白をそのまま用いたが、もちろん地の色を塗った上で線描していってなんら問題はない。カラージェッソで手抜きするのではなく、ちゃんとアクリル絵の具を使うことがポイントだ。おそらく黒の輪郭線の場合は、パステルカラーとの相性が最もよいと思われる。むろん、描線の色が黒だけに留まることはなく、地の色と合わせて最適な組み合わせを、その都度考えていく必要がある。

前項で得られた見解から、色の差異は造形を支配することはなく、描線こそが決定権を持つのだから、単色の描線で偽善絵画を制作するのに不足などない。

顔のパーツの表現

さらに、顔のパーツの表現についても、分類と整理を行った。目、口、鼻の各パーツを、不細工キモイ、可愛い、色っぽいとそれぞれの風味で表現する際、そのような描き方となるのか考察した。

 不細工キモイ可愛い色っぽい
アーモンドアイと線路眉毛黒く小さな点アイラインと瞳のグラデーション
葉っぱのたらこ唇円弧色の差異
描かない色の差異
目指す絵画キモイ絵偽善絵画写実絵画
表2 顔のパーツの表現と絵画の関係

これは、差異や描線とも関わりのあるもので、偽善絵画を描くために必要な表現方法が導き出せた。最大の特徴は、鼻を描くということだ。

この10年以上、技術的に立体感を出せないことから、現実非再現的表現を求めるために鼻を省略してきたが、色の差異と描線によって、全体の雰囲気を壊すことなく鼻を表現することが可能であるとわかった。これからの顔には、鼻が復活する。

結論

以上、今回のカンヴァス画において得られた知見をまとめてきた。それは水彩・素描や切り紙絵にもあてはめることができるだろう。

社会人のはじまりである2010年8月から自分に呪いをかけて創作を禁じた2015年6月、そしてその呪縛を解いた2018年5月から現在にいたるまでを、それぞれ画業の節目とすることができるが、本日をもって新章に突入することをここに宣言する。今後は新たなる創作、別のスタイルとなる。

そしてそれは、人生の分岐点にも援用される。これまでの自分は消滅し、これからは新しい人生を送ることが確定した。

2023年10月31日

第18冊ノートを終えて

ネタ帳としてカオスなノートを目指した本冊は、手紙の文案から始まり、和歌を詠むためのジャーナリング、折句を詠むための音数別マニュアルの設計、韻を踏むための言葉の組み合わせの列挙、12星座の名称とラテン語、該当する誕生日の整理と把握、ソネットを描くためのフォーマットの構築、自身の絵画制作の手法や理論を確立して考察するための備忘録、またそれを解説するためのマトリクスやフローチャートなどの図表、そして愛する人へ贈るイラストに添える言葉遊びを作るための事象や概念の理解と研究とが混在するという、まさにねらい通りの展開となった。

今日書き終えた小論文によって幕を閉じたわけではあるが、その中で宣言されているとおり、これからは画業、創作全体、そして人生そのものが新章に突入することとなる。これまでのやり方や考え方は、もう通用しない。それを端的に示すために、次冊のノートは初めて、5mm方眼というまったく新しい未体験の様式を採用した。先ほど羅列したテキストや図表、グラフなどをより書きやすく、横書きも縦書きも、縦長構図も横長構図も自由自在のノートによって、これからの日々は記録され、刻印されていく。

2023年10月31日 プラス思考でCoya