2023年
CoyaNote2023009
悪戦苦闘しながら、切り紙絵を創った。千代紙で着物を表現する手法を久し振りにとったのだが、忘れていることも多くあって失敗もした。それでも、かなり良いものが出来たと思っている。
今回、切り紙絵に輪郭線を引くという新しい試みを行った。効果はとても大きく、形がくっきりと明確になるとともに、特に千代紙の紋様がより迫力あるものとなった。これからはこの手法でいこう。
もう一つの切り紙絵の方は、うっかり輪郭線を引くのを忘れてしまったが、それでもかなり良いものとなった。ただし、これはあくまでも習作で、このような試行錯誤を何度も繰り返して、完成作を目指したい。
目を玉眼とした。大きい順に黒、茶、黒と三重の円にしたら、とても魅力的な瞳となった。唇も、穴をあけて白い紙をネガ構造で貼るという新しい試みを行った。これはいける、確かな手応えを感じている。
2023年11月8日
CoyaNote2023010
抗うつ剤をピンモンで吞み下す
自己肯定感を否定し、自己否定感を肯定する呪いの言葉
自信を持てだって?全ての自信は過信、慢心、驕り高ぶる思い上がった不遜な心。持つことなど絶対に許されない。
日本人の美徳は、謙虚さである。控え目にへりくだり、つつましく遠慮してこそ、奥ゆかしいのである。常に卑下し、「自分などまだまだです。もっと精進努力しないとけません。」と謙遜して己に厳しくする以外の言動をとってはならない。
たとえ上手くいったとしても、そこで自分は出来るなどと思っては、自信を持っては決していけない。それは、偶然、運良く、たまたま、まぐれで、もののはずみで、ついうっかり、まさかの手違いで奇跡的に上手くいっただけであり、自分の実力などではない。調子にのるな、天狗になるな、自惚れるな、勘違いしてんじゃねーよ、それが貴様の実力なはずないだろ、貴様がそんな優秀な人間なはずないだろ。何自分を誇ってるんだよ。ふざけるな。いい加減にしろ。そんなんで自信を持って、恥ずかしくないのか。貴様の虚飾にまみれた実体のない自信など、俺様がズタズタに切り裂いて、木っ端微塵に破壊してやるよ。貴様のためだ、感謝しろよ。
自分を大切にして、自分を愛せだって?何ほざいちゃってんの?ナルシストめが。キモイんだよ。そんな不細工で醜く、見てるだけで虫酸が走り、生理的に受け付けられない容姿をしていて、それを愛そうだなんて反吐が出るわ。踏みつけて、火をつけて、この世から消してやるよ。
人間未満のキモイモンスター、呼吸するだけで地球の空気を汚染する有害な下等生命体。視界に入り、網膜に映し出されるだけで不快感を与えるストレス因子。それが貴様の的確で客観的な評価である。忘れるな。とりあえず死んどけよ、というか死ねよ。
2023年11月30日
CoyaNote2023011
子供なのに大人びた技巧的な絵を描く
大人のくせに子供じみた稚拙な絵を描く
ピカソ「この年になって、やっと子供らしい絵が描けるようになった」
CoyaNote2023012
万年 負け組 カド番
CoyaNote2023013
失敗しない最善の方法は、挑戦しないことだ。
成功を断念した時に初めて、失敗と縁を切ることができる。
成功しないことと失敗することは同等ではない。
最も大切なのは、成功することではなく失敗しないことだ。
2024年
最新の絵画制作における研究・考察の備忘録 2024年1月14日現在
ベニヤ板の端材や段ボールなど、ゴミとして捨てられる廃棄物を支持体にして、絵を描いた。ジャンクアートともちがう、再利用ともやや異なる、その材料でしか成り得ないというわけでもない、あくまでも一般的な絵画制作である。とはいえ、画用紙やカンヴァスなど普段の素材に描くのとは明らかに別のものであるので、せっかくだから新しい手法を行った。実験的な作品である。ここにその研究・考察について書き留めておき、今後の絵画制作のための参考としたい。
板に描くことについて
ベニヤ板の端材にジェッソを塗って、アクリルグアッシュで描いた。カンヴァスの時より、絵の具が喰われにくいというか、かすれてパサパサな筆致にならない。ペンキを塗っているような、硬い面に広がっていく感覚である。明らかにカンヴァスとは異なる。これは大きな収穫だ。
色調については、カンヴァスと変わりない。
また、今回はアクリルグアッシュを塗ってよく乾燥させた後、水で極めて薄く溶いた透明水彩を、まるで釉薬を塗るように重ねてみた。下の層の色が隠れずに透けて見える表現となった。これも今までにない新たな手法である。
輪郭線を引く段階では、アクリルグアッシュといつもの三菱ペイントマーカーの2種類を用いた。どちらも、これまでと同じ感触で行える。
最後に、この度新たに作った落款を、印泥を付けて押印しようとしたが、アクリル絵の具の上では印泥がのらないのか、印影がほとんど出ない結果となってしまった。これについては、まだ研究と改善が課題として残る。
板にアクリルで描くことも、違和感なく受け入れられそうだ。今後はベニヤやパネルも支持体の候補の一つに入れたい。
段ボールに描くことについて
今回、段ボールにジェッソを塗って支持体とした。段ボールそのものにペンで描くことは昨年に行ったが、今回はさらに一歩進んだことになる。水分を少なくしてジェッソを塗ったが、やはり段ボールが反ってしまう。また、三度重ね塗りをしたが、それでも段ボールの凹凸は残ってしまう。
そしてそのような支持体の上に、クレヨンで描いていった。ジェッソの上に水を使わない描画材で描くのは初めてのことだが、思ったよりも色ののりは悪くない。もっと色素が定着せずにカスカスになってしまうことを予想していたが、紙に描くのとあまり変わりはない。色をのせると画面の凹凸がくっきりと目立つようになってしまう。
また、水彩でも描いてみたが、こちらは紙の時よりもにじみや色のムラが顕著になる。素材の中に色が滲み込まずに、表面にあふれてしまうような感じだ。これが、段ボールの素材のためなのか、あるいはジェッソの上に水をたっぷり含ませた水彩を塗ったからなのかは、比較対象がないのでわからないが、いずれにしてもにじみを活かしたい表現の場合には有用だろう。
また、今回、水彩で下塗りの色を施し、その上にクレヨンで描いていくという手法も採った。クレヨン単体では塗り残しができるが、その部分に下塗りの色があることで、化学反応が起きて良い効果が生まれる。クレヨンで重ね塗りや指の腹でぼかしをすると、油彩画にも負けないくらい深く、濃く、力強い表現となることがわかった。これも今後の絵画制作をしていく上で大きな武器となるだろう。
ぺんてるサインペンについて
最後に、ケガの功名というか、失敗のように思われたことから得られた知見がある。
輪郭線を初めてぺんてるサインペンで引いて、その上から水彩で塗ったのだが、このペンは耐水性でないため、水を含めた絵の具で塗ると、インクがにじんでしまうのだった。今回は偶然にも、絵のテーマが涙雨であったため、そのにじみが逆に効果的になってよかったのだが、今後はこのようなことのないように注意しなければならない。ペン入れは、耐水性のあるピグマペン一択である。
以上、最近の絵画制作から得られたことについて簡単にまとめた。今回の教訓や解答、結論をもとに、今後の絵画制作をさらに幅広く豊かなものにしていきたい。
2024年1月14日
CoyaNote2024001
「塵も積もれば山となる」などというが、そもそもゴミクズの破片に価値などなく、たとえそれが積み重なって山のようになっても、塵は塵でしかない。逆に金であれば、たとえ砂粒ほどの大きさであっても、金粉として重宝される。
つまり意味を持つのは量ではなく質であり、性根が腐っている人間のクズがいくら小さな行動を積み重ねたところで、それは人間のクズによる無駄な努力の塊に過ぎず、廃棄処分に莫大な手間とコストのかかるゴミなだけだ。
要するに、人間のクズは今すぐに死ね、ということである。みなまでいうな。
2024年2月13日
CoyaNote2024002
箱を一つ作るのに、何時間かかってんだよ。不器用にも程がある。いい加減にしろ。
展開図もまともに正しく描けない。のりしろが加わるともうお手上げで、サイズを間違えてしまう。
組み立てた際の完成図を想像する力が皆無である。どことどこの辺や面がつながるのか、頭の中で把握することができない。昭和のコンピュータよりもスペックが低く、3Dで立体を処理できない。時間の概念がなく、目の前にある一瞬の現実世界のみが全てであり、そこからどうなるのか未来へとつながっていかない。
それは版画制作にも通ずる。原版を彫るだけで手一杯であり、それを摺るとどんな図像になるか想像しながら制作することができない。そのため、摺った際に何だこれは、こんなはずじゃないなどと困惑してしまう。
先のこと、それをするとどうなるか想像すること、それは生きていく上で不可欠の能力だ。それがないと、今、この瞬間にしか存在していないことになる。一瞬一瞬にしか意識がない点的な人生。その点をつないで、結んで、線的な人生にして初めて、現在が過去になりながら未来へと向かう歴史が生まれる。点ではなく線。線でしか描けない絵がある。
行動する前に想像せよ。想定せよ。構想せよ。妄想せよ。あらゆるシミュレーションを経て、初めて動くことが許可される。
2024年2月25日
CoyaNote2024003
病気休職して半年以上経つが、自分がいなくても仕事は何の支障もなく進んでいる。否、自分がいない方が仕事は何の支障もなく進む。否、自分がいないからこそ仕事は何の支障もなく進む。自分が戦力になっているだなんて思い上がるな。貴様は組織にとって癌細胞だ。切除すべき悪性腫瘍だ。この疫病神めが。さっさと消え去れ。
発達「障害者」が、幸せになれるなんて思うなよ。社会の除け者は路地裏のゴミ溜めでドブネズミやゴキブリ、蟻やカラスなんかと一緒に残滓を漁ってるのがお似合いだ。二度と表舞台に出て来て、人間様の前に姿を見せるな。人間様にこれ以上迷惑をかけるな。
死ねよ。とりあえず、とにかく死ねよ。誰も困らないし、みんな喜ぶよ。やっと消えたかって。それほど忌避される存在だということだ。人生はもう終わってる。
2024年2月28日
第19冊ノートを終えて
このノートをネタ帳にしてから何冊目だろうか。手紙の文案を考えたり、短歌や俳句を練ったり、時々は他愛もない文章を書いたり。メモのように走り書きしたネタは、次のノートに引き継がれていくだろう。
病気休職をして半年以上経ち、もう復帰は無理だろう。かといって転職することもできないから、このまま期限が切れるまでダラダラと垂れ流して過ごすだけ。ゆるやかで静かな自殺だ。
もう生きていても仕方ない、生きている価値もないと思うようになった。そういえば明日は、フツーじゃないうるう年の2月29日だ。
2024年2月28日 プラス思考でCoya